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精神史

2019年10月 7日 (月)

絶世の美女、中国奇譚、地中海奇譚、運命と戦う美女・・・『美と復讐の精神史』第2巻

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』194回
【運命と戦う美女】運命と戦う美女。絶世の美女は、運命に翻弄され運命と戦い、逆境を超えい、波瀾の人生の果てに、何を得るのか。絶世の美女は、時間と空間と社会と戦い、命運と戦い、前人未到の境地に辿りつく。
北方に佳人あり、絶世にして独立。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の城を傾く。
美しい者は美しいゆえに、戦いと苦悩がある。智慧ある者は、美しい。智慧ある者、美しい魂をもつ者は、美しいゆえに、頂点に立つ者の苦悩がある。
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偉大な王は、何を手に入れたのか。価値ある生とは何か。人生の冒険に破れた詩人。人生の戦いに卓越した哲人、理念を追求する思想家。美しい心をもつ人は、輝く天の仕事をなし遂げる人。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『美と復讐の精神史』
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【孫子と美女百八十人 孫子姫兵を勒す】孫武は呉王、闔閭の宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。太鼓の合図で左右を向くように命令して「右」と太鼓を打つと、女性たちは笑った。孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」、闔閭の寵姫を二人とも斬った。『孫子』孫武
【斉の美女歌舞団八十人】孔子は、下剋上の嵐を止めるため、魯の君主に抜擢され大司寇に任命されるが、魯国の繁栄を恐れた隣国の斉は美女歌舞団八十人を魯国に贈った。季桓は受納し三日政庁に現れず。紀元前497年孔子、魯国を去る。孔子56歳。14年間、流浪の旅に出る。
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【『ヴェニスの商人』、美しき相続人、ポーシャ】ヴェニスの若者バサーニオは、親友の商人アントーニオに、ベルモントの富豪の娘ポーシャに求愛しに行く資金援助を求める。全財産を投資中のアントーニオは、高利貸しシャイロックから借金する。ポーシャは亡き父の遺言書により「金・銀・鉛の3つの箱から正しい箱を選ぶ」男を選ばねばならない。モロッコ大公は金の箱を選び、アラゴン大公は銀の箱を選び、バサーニオは鉛の箱を選ぶ。
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【灰まみれのシンデレラ】シンデレラ(エラ)は、継母とその連れ子、姉たちに、下女として日々、虐められる。ある時、城で舞踏会が開かれ姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラには着ていくドレスがない。舞踏会に行きたがるシンデレラを、魔法使い(魔力)が助け、服装を整える。「魔法は午前零時に解ける。帰ってくるように」と予告される。シンデレラは、城で王子に見初められる。零時の鐘の音に慌て、シンデレラは階段に靴を落とす。王子は、靴を手がかりにシンデレラを探す。シンデレラの落とした靴は、シンデレラ以外の誰にも合わない。シンデレラは王子に見出され、妃として迎えられる。
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【仙人と美女の肉体美】久米の仙人が、洗濯していた女の脛が白いのを見て、神通力を失ったのは、まったく手足、肌の清らかで、肥えて色艶がいいのは、薫物でつけた人工的な匂いなどと違って肉体本来の持つ魅力だから、なるほど久米仙人が神通力を失ったのも、もっともである。『徒然草』第八段
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【「毒のある木」】私は私の敵に腹を立てた。私は黙っていた。私の怒りはつのった。そして私は それに恐怖の水をかけ 夜も昼も 私の涙をそそいだ。そして私は それを微笑の陽にあて、口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた。夜が 天空をすっかりおおいつくしたとき、朝になって わたしが見たら うれしや。わたしの敵は その木の下に のびていた。ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』「毒のある木」寿学文章訳
【密教真言】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」『般若理趣経』第三段
空海【聖なる者は悪を滅ぼす】『理趣経』「第三段」の教説に関して不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されているが、当該注釈の方向性は空海にも継承され、空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
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絶世の美女、地中海奇譚、戦国奇譚・・・『美と復讐の精神史』第1巻
https://bit.ly/2zvn02e
織田信長、元亀の争乱。武田信玄の死。絶世の美女、生駒吉乃・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2oacbQH
権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
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★「シンデレラ」2015
Cinderella.2015 ,Lily James, Kenneth Branagh

2019年8月29日 (木)

絶世の美女、地中海奇譚、戦国奇譚・・・『美と復讐の精神史』第1巻

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Troy
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』190回
絶世の美女は、運命に翻弄され運命と戦い、波瀾の人生の果てに、何を得るのか。絶世の美女は、時間と空間と社会と富と戦い、前人未到の境地に辿りつく。
北方に佳人あり、絶世にして独立。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。
美しい者は美しいがゆえに、戦いと苦悩がある。智慧ある者は、美しい。智慧ある者、美しい魂をもつ者は、美しいゆえに、頂点に立つ者の苦悩がある。
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偉大な王は、何を手に入れたのか。価値ある生とは何か。人生の冒険に破れた詩人。人生の戦いに卓越した哲人、理念を追求する思想家。輝く天の仕事をなし遂げる人。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『美と復讐の精神史』
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ美しい魂に美しい女神が舞い下りる。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【王妃オリュンピアス】サモトラケ島のディオニュソスの密儀で、紀元前360年オリュンピアスは、マケドニアの王子フィリッポス2世と出会った。アレクサンドロスを生む。紀元前336年10月ヴェルギナにおける王子の妹クレオパトラの結婚式で、フィリッポス2世を暗殺。王妃オリュンピアスとその子アレクサンドロスが影で糸を引き、殺害を側近貴族パウサニアスに使嗾した。エウリピデス『メデイア』の詩を引用して示唆。プルタルコス『英雄伝』
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【絶世の美女、ネフェルタリ】ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。紀元前13世紀【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうける。67年間王位。第19王朝。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳で薨去。
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【絶世の美女、美しき女相続人、マリー】マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgougne, 1457年-1482年)は、父シャルル豪胆王が戦死し「遍在する蜘蛛」フランス王ルイ11世から求婚される。これを断るためにハプスブルク家マクシミリアン1世に求婚する。25歳で死す。ブリュッセルに生まれた、美的趣味にあふれる美女。美しく知的な女性だが25歳で亡くなる。フィリップ美公(フェリペ1世)、マルグリットを生む。絶世の美女だが、事故死。
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【織田信長、美貌の一族】織田家は、戦国一の美貌で名高い。1、織田信長の姉、お市。お市の娘、浅井三姉妹、茶々、初、江。信長はお市と清州城で育った。2、織田信長の最愛の妻。生駒吉乃。永禄九年1566年5月31日38歳で死す。無償の愛を送った妻が死に信長は号泣。信忠、信雄、五徳をうむ。信長と生駒吉乃の娘、徳姫。
【絶世の美女、徳姫、織田信長に十二箇条の手紙】松平信康の正室・徳姫が、父である織田信長に送った十二箇条の手紙によって、夫、信康及び姑、築山殿との不仲を訴え、信康の不行状、信康の実母である築山殿が武田家と内通、信康にも武田家への内通を勧誘していると糾弾。家康は松平信康に切腹を命じる。
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【『テンペスト』】プロスペローはミラノ大公であったが、学問に没頭したため、弟アントニオに侯爵位を奪われた。弟は敵対するナポリ王に従属し兄と娘を島流しにして侯爵位を奪った。12年間、孤島で暮らしたが、自分を陥れた弟とナポリ王を魔術によって復讐する。
【『テンペスト』ミランダ】妖精エアリアルの音楽に導かれてナポリ王子ファーディナンドは、ミランダと出会い恋に落ちる。ナポリ王アロンゾの弟セバスチャンは、アントニオと謀って王を殺害し王位を奪おうとするが、エアリアルが王を起す。結婚祝いの仮面劇を精霊たちに演じさせる。ファーディナンドとミランダは舞台裏でチェスをする。その場面をプロスペローは、アロンゾに見せる。プロスペローの娘の美女ミランダと王子、二人は婚約する。
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★François Gérard, Amor et Psyche (1798)
★ヘレネ Helen of Troy, Diane Krüger ,Wolfgang Petersen ,Troy,2004
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参考文献
アトレウス王家、血族の抗争、ギリシア悲劇『オレステス』
https://bit.ly/2kMMIFm
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2CQlxoY
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2FkeiJX
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
アモールとプシューケー エロースと絶世の美女プシューケー
https://t.co/I5hzrLUU2R
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
https://bit.ly/2zLyazA 

2018年8月12日 (日)

戦う知識人の精神史、春秋戦国奇譚

David_napoleon_crossing_the_alps_18大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第154回
思想家は、知と戦略によって、権力に抗して戦う。理念を追求して戦う思想家は、天の仕事を成し遂げる。戦略家は、権力者の意志を乗り越えて、理念を追求する。『戦う知識人の精神史』。戦略の天才は、書物の中に何を学んだのか。【ナポレオン1769-1821】ナポレオンは、孫武『孫子』プルタルコス『英雄伝』を愛読した。ナポレオンは『孫子』虚実篇から「無勢で多勢に勝つ方法」を学んだ。兵力集中による敵の各個撃破の戦術を実行した。織田信長、桶狭間の戦術である。
百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。『謀攻篇』
「最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇「敵の計略を見抜くことほど、指揮官にとって重要なことはない。このことほど優れた資質を要求される能力はない。」マキャベリ「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
史上最高の指揮官、テミストクレス、アレクサンドロス大王の戦いが、プルタルコス『英雄伝』に刻まれている。
怨念の歴史家、司馬遷は、『史記』の中に、思想家の運命との戦いを書いた。『孔子世家』『孫子呉起列伝』。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――
司馬遷『孫子呉起列伝』より
1、春秋時代(紀元前770年、周の幽王が犬戎に殺され洛邑(成周)へ都を移してから、晋が三国(韓、魏、趙)に分裂した紀元前403年まで)
春秋の五覇の下剋上の時代
1、戦わずして勝つ。『孫子』「謀攻篇」
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】呉王、闔閭「先生の著作十三篇はすべて読んだが、宮中の婦人で少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」孫武はこれを了承した。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】太鼓の合図で左右を向くように命令して「右」と太鼓を打つと、女性たちは笑った。孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」、命令を何度も繰り返した後に「左」と太鼓を打つと、また女性たちは笑った。孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり」と言って、隊長の二人を斬首しようとした。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯もうまくないので、斬るのはやめてくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねる」と闔閭の寵姫を二人とも斬った。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然声を出すものもなかった。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】孫武は「兵は既に整った。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくだろう」と言った。闔閭は甚だ不興で「将軍はそろそろ帰られるがよい、余はそこに行きたくはない」。孫武は「王は言を好まれても、実践はできない」と答えた。しかし以後、闔閭は孫武の軍事の才を認めて将軍に任じた。
――
2、戦国時代(紀元前771-221年)
【戦国の世を渡り歩く戦略家、呉起】魏の文侯のまわりに集まった逸材、呉起(BC381没)。衛の出身の呉起は、魯に仕えて軍功をあげるが排斥されて、魏の文侯に身を寄せる。文侯は快く受け入れ、魏の将軍として秦と戦い、五城(五つの城市)を陥落させ大活躍するが、
【戦国の世を渡り歩く戦略家、呉起(BC381没)】文侯の死後、武侯も呉起を重用するが、武侯の宰相・公叔に嫌われ、身の危険を感じ、南の大国、楚に向かう。楚の掉王は宰相に任命する。富国強兵策で楚は繁栄するが、掉王の死後、王族、重臣がクーデタを起す。魯、魏、楚、三つの国を渡り歩く。司馬遷『孫子呉起列伝』
【『孫子』孫臏の復讐】同学の徒、囲魏救趙の計、馬陵の戦い、龐涓の反撃、増兵減竈の計「龐涓この樹の下にて死す」孫子の兵法が用いられた代表的な戦い。孫臏を軍師とした斉軍が、龐涓を将軍とする魏軍に勝利した。
【『孫子』孫臏の復讐 紀元前341年馬陵の戦い】孫臏と龐涓 若い頃、孫臏と龐涓は、共に同じ学問の師の下で兵法を学んだ。孫臏の方が常に勝っていたので、自分の資質が及ばない事を悟らされた龐涓は、孫臏と友誼を結びながらも、その裏で激しい嫉妬心を燃やした。
【『孫子』孫臏の復讐】師から皆伝を受けた後の孫臏は斉に仕え、龐涓は魏に仕えて一足先に将軍へと出世。龐涓は、自分より優秀な孫臏が強敵になることを恐れ罠を仕掛けて魏に呼び寄せ、罪に陥れて両足切断の刑に処し、入墨を施して軟禁。幸い孫臏は魏を訪れた斉の使者と出会い、ひそかに帰国する。
【『孫子』孫臏の復讐】帰国後、孫臏は斉の威王に抜群の戦略的才能を評価され軍師となる。孫臏は龐涓の率いる魏軍を翻弄し、紀元前341年馬陵の戦いで魏軍を殲滅、龐涓を死に至らしめる。発端は、魏趙の連合軍が韓を攻撃したことにある。追いつめられた韓から救援要請を受けた斉は、将軍田忌と軍師孫臏に軍勢を率いさせ、韓ではなく魏に向かわせた。龐涓の率いる魏軍はただちに本国に帰り、斉軍を追跡する。
【『孫子』孫臏の復讐】孫臏は「減竈(げんそう)の計」を用い、自軍から逃亡者が出たように装い、この計略にかかり、龐涓はの魏軍は歩兵を棄て少数精鋭の騎兵を率いて追撃する。
【『孫子』孫臏の復讐】すべてを見透した孫臏は、龐涓の工程を緻密に計算して、馬陵の要害に伏兵を配置して、大樹の幹を削って「龐涓この樹の下にて死す」と記し到着を待つ龐涓がその夜、大樹の下に到着しその文字を見た瞬間、斉の伏兵がいっせいに弓を放ち、魏の軍隊は大混乱に陥る。龐涓は「ついに竪子の名を成さしむ」と言い放ち自刎した。孫臏の凄絶な復讐である。井波律子『故事成句でたどる中国史』
――
3、諸子百家
【諸子百家】戦国時代(紀元前771-221年)。斉の威王、宣王、襄王(BC4C)は、学問を愛好し学者を招き、臨淄の都城の稷門に参集した文学の士に豪華な学者村を作り、仕官を条件とせず自由に討議をさせる。この稷下の学士には、孫臏、騶衍、孟子や荀子の徒が名を連ねる。
【諸子百家 孟子】孟子(紀元前372-289)は、斉の宣王の時代、臨淄の都城の稷門に住む。孔子の孫の思子の弟子から学んだ。鄒の出身で、梁、斉、宋を遊歴した。主君を求めて王道論と四端説を唱えたが意を得ず、鄒に帰国した。
【諸子百家 孟子(紀元前372-289)】易姓革命説。天は己に成り代わって王に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王に天が見切りをつけた時、革命が起きる。天命を革める。
君主(天子、即ち天の子)が自ら位を譲ることが禅譲、武力によって追放されることが放伐。
――
4、三国時代(紀元220-316年)
【竹林の七賢 悪意と偽善に満ちた権力への憤り】243 -253年、魏(三国時代)の時代末期、司馬炎政府の権力に阿ることを嫌悪し、竹林にて清談し交遊した七人の賢人。当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、嵆康は鍾会の讒言によって陥れられ死刑に処せられた。悪意と偽善に満ちた社会に対する憤りである。阮籍が指導的存在である。その自由奔放な言動は『世説新語』に記され、後世の人々から敬愛される。阮籍、王戎、山濤、向秀、嵆康、劉伶、阮咸。
【竹林の七賢 悪意と偽善に満ちた権力への憤り】三国時代、魏(220年-265年)の末期、河南省北東部、竹林に集まって清談を行った7人の賢人。阮籍、王戎、山濤、向秀、嵆康、劉伶、阮咸。世俗を避け、竹林で琴と酒を楽しみ、清談にふけった。老荘の虚無を尊び、儒教の礼節を斥けた。権力の横暴からの逃避と儒教の経学・訓詁、偽善的汚濁への反発。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】王戎は人物眼に優れた人。呉の家臣だった石偉を推薦し、鄧艾の孫の鄧千秋を召した。蜀漢征伐に赴く鍾会が策を聞いてきた時「道家の言葉に『為して恃まず』(老子)とある。勝つのはたやすいが、それを保持するのが難しい」、鍾会の運命を的中させたと評価された。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】琅邪の王氏。王導、王羲之(303-361)、王献之を生む一族。王羲之は、書の名人。権謀術数の官界を嫌い会稽県に赴任、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴をひらき、『蘭亭序』(353)を書き、上司王述を避け355年、49歳で官界を引退した。自由の身となり、道教一派「天師道」を信奉し、59歳で死す。
――
参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅」
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-b4d2.html
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-e107.html
「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-86b1.html
井波律子『奇人と異才の中国史』
井波律子『故事成句でたどる中国史』
井波律子『中国の隠者』
加地伸行『中国の古典 論語』2004、白川靜『孔子伝』中央公論社、加地伸行『論語全訳注』講談社学術文庫。
浅野裕一『「孫子」を読む』1993
宮崎市定『史記を語る』
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「ひとたび出逢つた魂が、もういちどもつと遥かな場所で出会ふためには、どれだけの苦悩や痛みが必要とされることか。魂の経めぐるみちは荊棘(けいきよく)にみたされてゐるだらう。」魅死魔幽鬼夫「苧菟と瑪耶」
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★ダヴィッド「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」
Jacque Louis David - Napoleon crossing the Alps 1801

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