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現代美術

2026年5月 5日 (火)

「私の出会ったダリ」女優・岸恵子、芸術のミューズ・・・《記憶の固執》1931、《ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感》』1936、《レダ・アトミカ》1949

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第433回
「私の出会ったダリ」 ダリ 本人と交流があった俳優の 岸恵子 さんに素顔のダリ、芸術家としてのダリ、人間ダリの魅力。1995年放送
ダリのミューズは、ガラであった。カダケスの冬の海に行くと、「内乱の予感」の腕のような木がある。フィゲラス(Figueres)で若いころダリに会った。村人といるときは奇人ではなかったが、記者がいると変人であることを自己演出した。「レダの卵から、私とガラは生まれた。ガラは私の芸術のミューズ。芸術の源泉だ」。岸恵子「私はだれのミューズにもなっていない。ミューズと言われたこともない」。紅いドレスの岸恵子は、藝術のミューズである。私の藝術のミューズはだれか。
ダリとガラの城のような卵の美術館も、今は廃れた。ダリ《記憶の固執》1931「溶けた時計」は27歳の作品、3つの時計が溶けている。時計は溶ける、そのとき、自分の時間、自由が始まる。岸恵子「私はこの作品が好きだ」。《ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感》』1936、カダケスの枯れた木のようだ。と、岸恵子は言う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ダリ《レダ・アトミカ(Leda atomica)》1949、フィゲラスのダリ劇場美術館所蔵。ギリシア神話の「レダ」で、白鳥と台座に座ったスパルタの神話の女王レダが描かれている。《レダ・アトミカ》では、レダはガラの肖像となり、ダリは白鳥に姿を変えて描かれている。彼女の周囲には本、卵、定規、2つの踏み台が浮遊している。背景はおなじみのカタルーニャのカダケスの海岸と岩である。レダはスパルタ王テュンダレオースと結婚した夜、テュンダレオース王が眠っているときに白鳥に姿を変えたゼウスに犯されてしまう。この二重婚姻問題が2つの卵を産むことになり、最初の卵から双子の兄弟カストールとポリュデウケースが、後の卵から双子の姉妹クリュタイムネーストラーとヘレネーが生まれる。
ダリは自分自身をポリュデウケースとみなし、死んだ兄をカストールとみなした。また妹のアナ・マリアをクリュタイムネーストラーに、ガラをヘレネーとみなしている。
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岸恵子。1932年8月11日(93歳)生まれ。11951年に大学入学までという条件で松竹に入社。1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作が大ヒット。主人公・氏家真知子のストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んでマネる女性が出る。1975年、41歳のとき離婚、娘は11歳だった。
私の人生を大きく変えた、3つの節目
結婚が24歳。18年弱の結婚生活の後、41歳で離婚『岸惠子自伝 卵を割らなければ,オムレツは食べられない』を上梓しました。岸さんは『婦人公論』2016年2月7日号で人生を変えた「3つの節目」について語っています。岸さんの人生観
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「41歳で紙一枚持ち出さずに離婚、51歳で作家デビュー。どんな苦境にあっても自由と孤独を取りこんで生きてきた」〈後編〉
https://fujinkoron.jp/articles/-/5257
岸惠子さん「女子高生でデビューし、女優の絶頂期にフランス人監督・イヴ・シャンピと結婚。スターの身分を捨て、ただ世界を見てみたかった」〈前編〉
https://fujinkoron.jp/articles/-/5256
【サルバドール・ダリ(1904-89)】『記憶の固執』1931、『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、『ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』1936『ナルシスの変貌』37『燃えるキリン』37『ヴィーナスの夢』1939『聖アントニウスの誘惑』46『ビキニの3つのスフィンクス』1947、『記憶の固執の崩壊』1954、「テトゥアンの大会戦」1962、『引き出しのあるミロのヴィーナス』1936『夜のメクラグモ 希望』40『焼いたベーコンのある自画像』41『象』1948『ポルト・リガトの聖母』1950『MeltingWatch溶けた時計』54、『大惨事シリーズ(Série des catastrophes)《ツバメの尾》』1979【初期ダリ】『窓辺の少女』1925『陰鬱な遊戯』29『不可視のライオン』1930『降りてくる夜の影』1931、ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934
【『記憶の固執』1931】ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
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参考文献
「私の出会ったダリ」女優・岸恵子、芸術のミューズ・・・《記憶の固執》1931、《ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感》』1936、《レダ・アトミカ》1949
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c59349.html
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
「NHK日曜美術館50年展」・・・語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉、日本美の再発見、超絶技巧、作家の生き様と美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-da8f56.html

2026年5月 4日 (月)

「NHK日曜美術館50年展」・・・語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉、日本美の再発見、超絶技巧、作家の生き様と美

2026
Nichibi-2026
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第432回

桜満開の森を歩いて、藝術大学美術館に行く。日曜美術館は、埋もれた藝術家を発掘してきた。田中一村、高島野十郎、等である。
その他、美術愛好家、知識人、詩人、作家、女優によって、忘れられた美術と美を再発見してきた。女優・岸恵子のダリとカダケス(ポルト・リガート)、フィゲラスへの旅、「レダ・アトミカ」は、美しい思い出である。1995年。
ポール・セザンヌ 《水浴》 1883-87年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
石田徹也 《飛べなくなった人》 1996年 静岡県立美術館蔵。画家として注目を集め出した矢先に、踏切事故のため31歳の若さでその生涯を閉じた石田徹也(1973-2005)。代表作約110点を残した。
《縄文土器 深鉢 火焔型土器》 新潟県長岡市 岩野原遺跡出土 縄文時代(中期) 國學院大學博物館蔵
アルベルト・ジャコメッティ 《ヤナイハラⅠ》 1960-61年 国立国際美術館蔵 撮影:福永一夫
舟越桂《水に映る月蝕》 (右)舟越桂《「水に映る月蝕」のためのドローイング》ともに2003年 個人蔵
曾我蕭白《柳下鬼女図屏風》18世紀、東京藝術大学美術館
曽我蕭白《群仙図屏風》18世紀 東京藝術大学大学美術館
安藤緑山 《竹の子に梅 牙彫置物》 大正–昭和初期 京都国立近代美術館蔵 撮影:木村羊一
月岡芳年 《義経記五條橋之図》 明治14年(1881) 横浜美術館蔵(加藤栄一氏寄贈)
室瀬和美 《蒔絵飾箱「麦穂」》 1985年 個人蔵
塩見亮介 《白銀角鴟面附白絲縅兜袖》 2022年 個人蔵
香月泰男 《青の太陽》 1969年 山口県立美術館蔵
柚木沙弥郎 《いのちの樹》 2018年 松本市美術館蔵
岡本太郎 《遭遇》 1981年 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎(画家)
職業なんてないんだと。人間だと。
誰だって人間だから、芸術だと。
芸術家じゃなくて、芸術だと。
セクションのなかに入ってることが芸術じゃないんですよ。
全人間的に生きることが芸術なんです。(1981年3月8日放送 「アトリエ訪問 岡本太郎」 より)
石田徹也×大槻ケンヂ(ロックミュージシャン)
幼い頃の「未来に対して、人生に対して不安だ」みたいな、みんなが持っているそういうモノを彼が一身に引き受けて絵にしていたかのようなイメージを僕は受けましたね。(ロックミュージシャン 大槻ケンヂ 2006年9月17日放送 「悲しみのキャンバス 石田徹也の世界」 より)
曾我蕭白×大野一雄(舞踏家)
蕭白は私の大先生。なぜなら非常に粗放、あらっぽくみえるけど非常に繊細。目を見ても繊細極まる目だけど、普通の目じゃなくて、浮世をのぞき見しているような。宇宙の構造というか私の構造というか、そういうものとの出会いのような感じで、極まりなく感動をいつも受けさせてもらっている。先生のおかげですよ。(舞踏家 大野一雄 1997年2月16日放送 「奇想の魂 大野一雄・蕭白を舞う」 より)
志村ふくみ(染織家)
色にいのちがあるってことを教えてくれたのは藍ですよね。そういうものがなかったら、色は色ですよね。でも私は色は色ではないんじゃないかという思いで色を染めてる、色を出してるっていう感じですよね。(2005年12月4日放送「京の〝いろ〞ごよみ 染織家・志村ふくみの日々 冬から春へ」 より)
李禹煥(現代美術家)
ほんの最小限の行為が最大限の大きな世界との響きあいになることに望みをかけるわけです。(2005年12月4日放送「出会いの芸術を求めて ~李禹煥 半世紀の挑戦~」 より)
香月泰男(画家)
僕は国家というよりも、国家の原点にあるひとつの家庭というものを大事だと思うんです。国家という目に見えないものは、僕は納得いかない。(1979年8月12日放送 「私と香月泰男」 より)
安藤緑山×前原冬樹(彫刻家) 抜群にかっこいい。曲面に正確な線をいれるのはかなり難しい。だからその筋の正確さとかずっとみていたいぐらいすごい。(彫刻家 前原冬樹 2014年5月11日放送 「明治の工芸 知られざる超絶技巧」 より)
塩見亮介 《白銀角鴟面附白絲縅兜袖》 2022年 個人蔵
塩見亮介(鍛金家) 明治工芸や江戸の名工も、すごい人たちがいっぱいいて、過去の人とも常に勝負してる、未来にもすごい人たちが出てくるだろう。そういう人たちとも勝負してる。(鍛金家 塩見亮介 2023年5月14日放送 「現代の超絶技巧 2」 より)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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東京藝術大学美術館、プレスリリース
2026年に放送開始から50年を迎える長寿番組、NHK「日曜美術館」。これまで番組に登場した“美”の魅力を伝える展覧会「NHK日曜美術館50年展」が、東京藝術大学大学美術館(東京・上野)で3月28日(土)から6月21日(日)まで開催されます。
本展の見どころ
1.放送50年を迎えるNHK「日曜美術館」を彩った、120点を超える名品を展示。西洋・日本の絵画や彫刻、浮世絵、屏風、土器、伝統工芸などジャンルを超えた名品が勢揃いします。
2.貴重な当時の番組映像・出演者たちがつむいできた言葉が展示室内に! 出展作品がどのように語られ、紹介されたのかを当時の映像や言葉とともに追体験出来ます。
3.第5章 作家の生き様と美~アトリエ&創作の現場では、創作現場の貴重な映像が登場! 制作中の作家の言葉・作品が生み出される瞬間を、作品と共に味わうことが出来ます。
エドヴァルド・ムンク 《マイスナー嬢の肖像》 1907年 ひろしま美術館蔵
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第1章 語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉・語らせる作品
1976年4月、日曜美術館は「私と○○」という企画で放送を開始しました。各界の第一線で活躍するゲストが、敬愛する作家や作品への思いを語り、美の本質や創作の背景に迫る内容でした。50年を経た今も、「美を語る言葉」を大切に伝えるという精神は息づいており、繰り返し取り上げられる作家や名品も多くあります。一人のゲストが同じ作家を30年後に再び語ることもあり、語りの熱は時代を超えて受け継がれています。それは作品自体が「語らせる」力を持ち、人々に感動と表現への衝動を呼び覚ます証です。

大江健三郎が語るフランシス・ベーコン、舟越保武が伝える松本竣介、モデルとなった矢内原伊作が伝えるアルベルト・ジャコメッティなど、各界の第一線で活躍するゲストの言葉と古今東西の作家と作品を紹介します。

ポール・セザンヌ 《水浴》 1883-87年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
セザンヌ×吉田秀和(音楽評論家)
水浴図というのが自然の中にあるものを再現したような絵であるどころか、彼が求めていたあるいは心の中でみていたあるファンタスティックな世界の絵画的実現だ。(音楽評論家 吉田秀和 1996年12月1日放送「セザンヌはなぜ“水浴図”を描いたか」 より)

オーギュスト・ロダン 《考える人》 1880年 静岡県立美術館蔵
ロダン×舟越桂(彫刻家)
ロダンの技術はすごいが、イメージ力というのか、彫刻に物語を組みいれていくときの発想力がすごいなと思う。(彫刻家 舟越桂 2009年6月14日放送 「ロダン 新たな生命の探求者」より)

アルベルト・ジャコメッティ 《ヤナイハラⅠ》 1960-61年 国立国際美術館蔵 撮影:福永一夫
ジャコメッティ×矢内原伊作(哲学者)
ジャコメッティのそういう真実を追求してやまない情熱っていうか。 それこそ真剣な仕事のしかた、あるいは生き方そういったものに非常に私は感動した。(哲学者 矢内原伊作 1977年6月12日放送 「私とジャコメッティ」 より)

岸田劉生×会田誠(美術家)
強い意思を感じますね。 筆先にこう、力がこもっている。こうねりねりと、練り込むような感じで。 決意がこもったような独特な圧がありますよね。俺、俺を見ろ!みたいな。俺が俺であることが大切だというアピールというか。(美術家 会田誠 2019年9月29日放送 「異端児、駆け抜ける!岸田劉生」 より)
石田徹也 《飛べなくなった人》 1996年 静岡県立美術館蔵

松本竣介×舟越保武(彫刻家)
少しほかの風景と違ったかわいらしいというとおかしいが、ほとんどの人はこれが好き。ルソーと共通したものが、素朴なものが出ているし、あそこ歩いているのは竣介という風に私は見てます。いつもひとりで歩いてましたから。非常にきれいな統一された雰囲気をもっておりますね。(彫刻家 舟越保武 1977年10月23日放送 「私と松本竣介」 より)
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第2章 日本美の再発見 古代から明治まで
1950年代の岡本太郎による縄文の美の再発見、1970年代の辻惟雄による江戸の奇想絵画の評価、そして琳派や浮世絵を現代アーティストが再解釈する動きなど、日本美術には、時代や人物の視点によって新たな光を放つ魅力があります。

1976年に始まった「日曜美術館」は、放送初期から北斎や若冲を紹介してきましたが、2016年の若冲展では空前の行列が生まれ、日本美の再評価を象徴しました。2000年代以降は奇想の絵師の特集が増え、「“にっぽん”美の旅」シリーズでは井浦新さんの企画により縄文の美が数多く取り上げられました。

村上隆、大野一雄、井浦新らがつむぐ言葉で、縄文土器・土偶、伊藤若冲、曾我蕭白、葛飾北斎など、日本美術の名品が再び輝きだします。

《縄文土器 深鉢 火焔型土器》 新潟県長岡市 岩野原遺跡出土 縄文時代(中期) 國學院大學博物館蔵
縄文土器×冨永愛(モデル・俳優)
きっと今より厳しい環境で生きていて、その中でもちょっとした楽しみだったりとか、 喜び、幸せというものをより噛み締めて、より大事にして生きてるんだろうなって思うと、アートっていうものがそれに寄り添ってきたんじゃないかなと思いますよね。やっぱり人って生きてる中でどうしてもアートしちゃうんじゃないかなって思います。(モデル・俳優 冨永愛 2026年1月4日放送 「放送開始 50 年特集 時を超え 美を語る」 より)

曾我蕭白×大野一雄(舞踏家)
重要文化財 伊藤若冲 《蓮池図》 江戸時代・天明9年(1789) 大阪・西福寺蔵 ※後期展示:5月12日(火)~6月21日(日)
伊藤若冲×村上隆(アーティスト)
世界を全部自分の手元に捕まえたいという欲求が投影されてる。リアルな自分と等身大の世の中を自分の中に取り込みたいという心の平静の境地がこの作品にある。(アーティスト 村上隆 2000年11月12日放送 「奇は美なり 若冲・細密の世界」 より)

月岡芳年 《義経記五條橋之図》 明治14年(1881) 横浜美術館蔵(加藤栄一氏寄贈)
月岡芳年×楳図かずお(漫画家・芸術家)
弁慶の足元、ドキッとする。ポーズも普通の人は描かない、ドラマチックですよね。今生きていたら映画とか漫画とか作っていそうだな。(漫画家・芸術家 楳図かずお 1999年5月16日放送 「最後の浮世絵師 月岡芳年 怪奇の美」 より)

長沢芦雪×井浦新(俳優)
清々しさというか、作為をまったく感じさせない。あんな表現が自分もいつか出来たらって。やっぱり素直であった方が、何事もうまくいくんじゃないかなって思うんですよ。学び続けながら、その分ちゃんと出していくことが出来る場が、役者の仕事であり、ものづくりの仕事であり。だからちゃんとそこを謙虚な気持ちで素直に。本当に芦雪が、間違ってないよっていってくれているような、こっちに来いよみたいな。(俳優 井浦新 2014年6月8日放送「紀州へ 長沢芦雪×井浦新」 より)
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第3章 工芸 伝統と革新
50年間、日曜美術館が継続して取り上げてきたのが「工芸」です。1976年の「日本伝統工芸展」から始まり、翌年からは「正倉院展」も放送し、日本の優れた工芸美術を紹介してきました。

番組では、正倉院の宝物や、各時代を代表する匠たちの制作風景、そして技と素材に真摯に向き合う姿が映像として残されています。その中には、後に人間国宝となる職人たちの若き日の挑戦や、親から子へと受け継がれる技の葛藤、厳しい時代にも続く伝統継承の奇跡が映し出されています。近年は明治から現代に至る超絶技巧にも注目し、過去の名工の技に学びつつ新たな表現を探る若手作家たちを紹介しています。自然と深く結びついた日本の工芸の誇りと精神は、今もなお匠たちの手の中で脈々と受け継がれているのです。

正倉院宝物(模造)、松田権六、室瀬和美、森口華弘・邦彦、安藤緑山、塩見亮介などの名品をご紹介します。

人間国宝
室瀬和美 《蒔絵飾箱「麦穂」》 1985年 個人蔵
室瀬和美(漆芸家)
作品の中に1つの空気を流してみようって、そういう構想が自分の心の中にあるんです。漆芸家 重要無形文化財「蒔絵」保持者 室瀬和美(1985年9月29日放送 「美と技と用 第32回日本伝統工芸展から」 より)

超絶技巧
安藤緑山 《竹の子に梅 牙彫置物》 大正–昭和初期 京都国立近代美術館蔵 撮影:木村羊一

第4章 災いと美
2020年、コロナ禍により美術館が休館し、番組の継続も危ぶまれる中で日曜美術館は大きな危機を迎えました。しかし「美を届けることを止めない」という信念のもと、過去の映像を活用した「蔵出し日本絵画・西洋絵画シリーズ」や、困難な時にこそ分かち合いたい作品を紹介する「♯アートシェア」などが生まれました。中でも「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」は、災いと人間の表現の関わりを美の視点から見つめ直す象徴的な番組でした。古来より人は災厄に向き合う中で美を通してそれを理解し、昇華してきたことが明らかになり、社会の災害や戦争にも同様の姿勢が見られます。

本章では、災いと向き合い、理解し、受け止めるために美が果たしてきた役割とその力を考えます。香月泰男、靉光、野見山暁治、石内都などの作品とあわせてパブロ・ピカソの傑作「ゲルニカ」を原寸大高精細映像で展示します。

疫病
作者不明 《肥後国海中の怪》 1846年 京都大学附属図書館蔵 ※前期展示:3月28日(土)~5月10日(日)
アマビエ×小野正嗣(作家)
健康に楽しく周りの人と出会い言葉を交わし合いながら美術について語り、笑ったりすることがどれほど人間にとって本質的な活動かと強く感じられる。(作家 小野正嗣 2020年4月19日放送 「疫病をこえて 人間は何を描いてきたか」 より)

戦争
香月泰男 《青の太陽》 1969年 山口県立美術館蔵

自然災害
野見山暁治(画家)
悲しいとか何とかとか、なんか違う。人間に限らず生物というものははかないもの。大きな中でただうごめいているだけ なす術がない。(2014年3月9日放送 「行き暮れてひとり ~画家 野見山暁治のアトリエ日記~」 より)
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第5章 作家の生き様と美 ~アトリエ&創作の現場
作家のアトリエは、歓喜や苦悩、葛藤、孤独といったあらゆる感情が交錯する、美の舞台裏です。日曜美術館では1980年から「アトリエ訪問」シリーズを通して、多くの作家の創作現場を紹介してきました。散乱した空間もあれば道場のように整然とした場もあり、そこには作家それぞれの生き様と個性が刻まれています。作品がまさに誕生する瞬間に立ち会うことは、創造の核心に触れる特別な体験です。

岡本太郎、柚木沙弥郎、志村ふくみ、加山又造、李禹煥、舟越桂、諏訪敦、山口晃など、放送時の映像とともに制作の過程で作家が語る言葉に耳を傾けながら、創造という行為の深淵を。

柚木沙弥郎 《いのちの樹》 2018年 松本市美術館蔵
李禹煥(現代美術家)
ほんの最小限の行為が最大限の大きな世界との響きあいになることに望みをかけるわけです。(2005年12月4日放送「出会いの芸術を求めて ~李禹煥 半世紀の挑戦~」 より)
岡本太郎 《遭遇》 1981年 川崎市岡本太郎美術館蔵
山口晃 《ショッピングモール》 2015年~ 桐生市(大川美術館寄託)
山口晃(画家)
シャッター商店街問題になっているけれど、これ描いて何になるんだっていうわけじゃないが、ふるさとの絵を一枚描いておこうかしら、描く時にそこは画題をぴりっと利かせたいというのもありまして。
ショッピングモールっていうのは、巨大さをみると街が一つできちゃったような。あそこまで大きいと街でいいんじゃないかしらと。普通の商店街に壁作って屋根をかけて、「あれ?新しいショッピングモールだわ」とか言ってね。ショッピングも出来るじゃないかしらとまちがった人がきて流行りやしないかと。空想は空想ですけど、そういうしたたかな生き残り戦略じゃないですけど。(2015年4月19日放送 「画伯! あなたの正体は? ドキュメント・山口晃」 より)
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参考文献
「NHK日曜美術館50年展」・・・語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉、日本美の再発見、超絶技巧、作家の生き様と美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-da8f56.html
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、人生の光芒、彼岸への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-236a16.html
「没後50年 髙島野十郎展」・・・空海の密教思想への傾倒
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-fc2837.html
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NHK日曜美術館50年展
会場:東京藝術大学大学美術館(東京・上野)
会期:2026年3月28日(土)~6月21日(日)
休館日:月曜日(ただし5月4日は開館)
公式サイト:https://nichibiten50.jp/
巡回先:静岡県立美術館2026年7月18日(土)~9月27日(日)/大阪中之島美術館2026年10月10日(土)~12月20日(日)

2026年5月 1日 (金)

「アンドリュー・ワイエス展」・・・ベッツィとの出会い、クリスティーナとの出会い、海からの風、オルソンハウス

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第430回
躑躅咲く、新緑の森を歩いて、美術館に行く。
アンドリュー・ワイエス(1917-2009)の絵画は、ベッツィとの出会い、クリスティーナとの出会い、オルソン・ハウスとの出会いによって生まれた。《クリスティーナの世界》1948年は、クリスティーナが丘を這ってオルソン・ハウスに上って行く、貧しく障害を負って次第に体が不自由になっていくクリスティーナ。
【アンドリュー・ワイエスのリアリズムとは何か】
【20世紀アメリカ美術】
アンドリュー・ワアンドリュー・ワイエス《クリスティーナの世界》(1948)、《海からの風》(1947)は、20世紀アメリカ美術を代表する絵画である。
20世紀アメリカ美術は、サルヴァドール・ダリとパブロ・ピカソの影響を強く受けている。
アンドリュー・ワイエスとジョージア・オキーフは、アメリカの僻地の画家で、日本人には、人気が高い。
だが、現代アメリカ美術、NY等で高く評価されているのは、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、デビッド・ホックニー、である。と、藤田氏は分析する。私はデビッド・ホックニー『ナイトホークス』(Nighthawks)が好きだ。*
*デビッド・ホックニー『ナイトホークス』(Nighthawks)は、アメリカ合衆国の画家エドワード・ホッパーが1942年に描いた油絵である。
深夜のダウンタウンのダイナーの大きなガラス窓越しに、その中にいる3人の客と1人の店員を描いている。ダイナーから漏れた光が、さびれた都会の暗い街並みを照らしている。タイトルは、直接的にはヨタカのことだが、「夜遊びする人」「夜型人間」という意味もある。 完成から数か月でシカゴ美術館が3,000ドルで購入し、今なお同館の所蔵品となっている。この作品は、ホッパーの作品の中で最も有名なものと評されており、アメリカ美術において最も認知されている絵画の一つ。
――
【アンドリュー・ワイエス(1917-2009)】
アンドリュー・ワイエスは第一次大戦下1917年、ペンシルベニア州チャズフォードに生まれた。父親のニューウェル・コンヴァース・ワイエスは人気の挿絵画家で、地域の名士。ワイエス家の裕福で文化的な環境に育った。ワイエスは5人兄姉の末っ子で、長女・ヘンリエット、次女・キャロラインは画家、三女アンは作曲家。芸術一家だった。アンドリュー・ワイエスの息子も画家。裕福な極めて恵まれた環境を生きる芸術家一族である。
鉛筆素描、水彩画、ドライブラッシュ、テンペラ画、4つの技法を用いた。*P208
【ベッツィ・ジェイムズとの出会い、クリスティーナ・オルソンとの出会い】
1939年、出会ったばかりのベッツィ・ジェイムズに連れて行かれオルソン・ハウスで、クリスティーナ・オルソンに会った。ベッツィは、富裕階級で恵まれて育ったアンドリュー・ワイエスが、貧しく障害を持つクリスティーナにどのように反応するか試した。【魂が試される時】ワイエスは、クリスティーナと弟アルヴァロと良い関係を築き、30年間、オルソン家を描き続けた。30「オルソンの家」1939*
23歳の頃に父の反対を押し切って結婚した妻のベッツィは、生涯の大きな支えとなった。1945年、父親ニューウェル・コンヴァース・ワイエス(N.C.ワイエス)は、アンドリュー・ワイエスが28歳の頃に踏切事故で急逝。父の死はワイエスの生涯に影を残した。
《クリスティーナの世界》(1948)、12月NY近代美術館が購入。《海からの風》(1947)、
1951年、33歳、自身も肺の病気で片肺の半分を切除する大手術を受け、臨死体験をする。「生と死」に敏感になったと言われている。
【1943年NYニューヨーク近代美術館「アメリカンズ、1943:リアリストとマジック・リアリスト展、にアンドリュー・ワイエスは選ばれる】アルフレッド・H・バー・ジュニアは、マジック・リアリズムを「写実技法によって、夢幻的、幻想的な視覚世界を表現する」と定義する。*カタログ1ワイエスという画家。
1963年、JF・ケネディ大統領より「メダル・オブ・フリーダム大統領自由勲章」授与が決定。
子供時代から近くにリトル・アフリカと呼ばれたコミュニティがあり、深い親交があった。存命中には「親友たち」と題してアフリカ系アメリカ人を描いた絵を集めた展覧会も開催した。
ワイエス自身の家系もスイス系やイギリス系、生家の隣人で絵のモデルになったカール・カーナーはドイツからの入植者。
代表作《クリスティーナの世界》(1948)に描かれたクリスティーナ・オルソンの父は、スウェーデンからの船員、オルソン・ハウスの娘と結婚、家を引き継いだ。移民国アメリカ、多様なルーツの人と交流した。
【アンドリュー・ワイエスのリアリズムとは何か】
アンドリュー・ワイエスの写実主義を円山応挙の写実主義と比較すると、まったく描いている世界が違う。【円山応挙1733~1796】の世界は、風景、水、動物、人間を描く、代表作は、「孔雀図」国宝「雪松図」「松に孔雀図」「美人画」「山水画」「水墨画」「竹林七賢図屛風」「聖賢図」「仔犬図」。円山応挙は、自然の本質を描く。
アンドリュー・ワイエスの写実主義は、自分の出会った風景、人々、一言でいうと「私小説」絵画である。アンドリュー・ワイエス《クリスマスの朝》 1944年は、友人の死を描いている、死を主題とするシュールレアリスムに通じる世界である。傑作である。《クリスティーナの世界》1948年は、クリスティーナが丘を這ってオルソン・ハウスに上っていく姿、貧しく障害を負って次第に体が不自由になっていくクリスティーナ。妻となるベッツィの友人である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
アンドリュー・ワイエス《クリスマスの朝》 1944年 テンペラ、パネル、マイロン・ケニン・コレクション、ミネアポリス
《自画像》 1945年 テンペラ、パネル 63.5×76.2cm ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、ニューヨーク National Academy of Design, New York, USA/Bridgeman Images. コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
スケッチブックを脇に抱え、怒ったような表情を浮かべる自画像です。ワイエスは自らの心に響く何かを求めて日々自宅の近隣を散策しながらスケッチを重ねた。高名な挿絵画家である偉大な父が、踏切事故により突然この世を去ってしまった時期に描かれた。
《クリスティーナ・オルソン》 1947年 テンペラ、バネル 83.8×63.5cm マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
200点以上のワイエス作品でモデルを務めたクリスティーナ・オルソンを描いた作品。病気により足が不自由であった彼女は自由に歩き回ることが出来なかった。彼女は、陽の光あふれる外と暗い室内のちょうど境に腰を下ろし、内と外をつなぐ役目を与えられている。風になびく彼女の髪は、室内の静的な暗さと対照的に、明るく生命感のある外の空気の動きも表現しているようである。
《屋根窓Dormer Window》1947、丸沼芸術の森
《海からの風》(1947)丸沼芸術の森
《オルソン家の終焉》 1969年 テンペラ、パネル 46.5×49.5cm クリーブランド美術館
The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
1967年から68年にかけての冬、オルソン姉弟が相次いで亡くなる。姉弟が亡くなって最初の夏、ワイエスはオルソン姉弟の家(オルソンハウス)を訪れて本作を描いた。複雑な海岸線が特徴的なメイン州。その入江の一つに今でもオルソンハウスはひっそりと建っている。
《オルソン家の終焉》1969年、水彩、丸沼芸術の森
《花びら》 1991年 水彩、紙 75.5×56cm ボストン美術館 Museum of Fine Arts, Boston, Bequest of Sandra Sheppard Rodgers コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
《薄氷》1969年 テンペラ、パネル 110.2×121.9cm 株式会社三井住友銀行 コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
クリスティーナ・オルソンの亡くなった次の冬に描かれた作品で、氷の下に枯れ葉が沈んでいます。氷の下は死の世界を表すかのようですが、ワイエスはその枯れ葉が自身の重ねた経験や出会った人々であり、死そのものではないと語っています。
《灯台》 1983年 テンペラ、パネル 84.5×57.8cm ユニマットグループ コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art/ARS, New York/JASPAR, Tokyo
《粉挽き場》 1962年 テンペラ、パネル 77.5×130.8cm フィラデルフィア美術館 Philadelphia Museum of Art: Gift of the Honorable Walter H. Annenberg and Leonore Annenberg and the Annenberg Foundation, 2007-13-3 コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
描かれているのは独立戦争時代からの歴史ある粉挽き場と職人の家。この建物は後にワイエスが入手して増改築を行い、夫妻の新居とした。建物の間の二羽の鳩は、ここが夫婦二人の世界となることを暗示している。
アンドリュー・ワイエス《鷹の木》1973年ドライブラッシュ、成田ゴルフ俱楽部
《灯台》 1983年 テンペラ、パネル 84.5×57.8cm ユニマットグループ コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art/ARS, New York/JASPAR, Tokyo
灯台の内部を描いた作品、開かれたドアの手前に犬が座り、ドアの奥には階段が見える。
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参考文献
「アンドリュー・ワイエス展」・・・ベッツィとの出会い、クリスティーナとの出会い、海からの風、オルソン・ハウス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-26552f.html
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」・・・毒親との戦い、悪魔祓い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-90e3d1.html
ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
https://bit.ly/3D8mYir
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-00e373.html
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/10/post-13cd31.html
「アンドリュー・ワイエス展」図録、東京新聞、2026
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東京都美術館
20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家アンドリュー・ワイエス(1917-2009)。第二次世界大戦後に脚光を浴びたアメリカ抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップアートといった動向から距離を置き、ひたすら自分の身近な人々と風景を描き続けました。その作品は眼前にある情景の単なる再現描写にとどまるものではなく、作家自身の精神世界が反映されたものとなっています。彼の作品には、窓やドアなど、ある種の境界を示すモティーフが数多く描かれます。境界は、西洋絵画史のなかで古くから取り上げられてきたテーマですが、ワイエスにとってはより私的な世界との繋がり、あるいは境目として機能しています。本展は、その境界の表現に着目して、ワイエスが描いた世界を見ていこうとするものです。
1. ワイエスの没後、日本初となる待望の回顧展
1974年に東京と京都で33万人を集めた日本で最初の個展以来、1995年、そして2008~9年にもワイエスの展覧会が開催され、日本でのワイエス人気は不動のものになりました。本展はワイエス没後はじめてとなる、国内待望の展覧会となります。
2. テーマは「境界」。アンドリュー・ワイエスの精神世界へ
ワイエスの作品には窓や扉など、「境界」を示すモティーフがたびたび表れます。それらはワイエスにとって生と死、画家自身の精神世界と外の世界をつなぐものだったと考えられます。本展では「境界」に着目し、彼の作品を見つめ直します。
3. 日本初公開となる作品多数
ホイットニー美術館(ニューヨーク)の《冬の野》(1942年)、フィラデルフィア美術館の《冷却小屋》(1953年)、フィルブルック美術館の《乗船の一行》(1984年)をはじめ、10点以上が日本初公開。あらためてワイエスの魅力にふれる機会となるでしょう。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2026_wyeth.html
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アンドリュー・ワイエス プロフィール
1917年7月12日、アンドリュー・ワイエスは、高名な挿絵画家だったニューウェル・コンヴァース・ワイエス(N.C.ワイエス)の5番目の子としてペンシルヴェニア州チャッズ・フォードの自宅で生まれました。幼い時から父の手ほどきを受けて画家の道へ進み、1937年の個展では全作品が完売するなど、若くして頭角を現します。同時代の前衛的な芸術からは距離を置き、生涯にわたり故郷のペンシルヴェニア州と夏を過ごしたメイン州を拠点に身近な世界を精緻に描き続けました。
ワイエスの作品には、アメリカ合衆国の土地やそこに刻まれた歴史、反映されそこに生きる人々の姿が描き出されており、アメリカ国内で高く評価されました。2007年にはブッシュ大統領から芸術勲章を授与されています。日本での人気も高く、1974年の初の回顧展以降、度々展覧会が開催されてきました。2009年1月16日に老衰のため亡くなりますが、アメリカの国民的な画家として今なお高い人気を誇っています。
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「アンドリュー・ワイエス展」東京都美術館、4月28日(火)~7月5日(日)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2026_wyeth.html

2026年1月10日 (土)

ターセム・シン監督『落下の王国』・・・愛と復讐の叙事詩

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絶望から立ち上がる青年と少女。怪我と失恋を超えて、蘇る復讐の叙事詩。
【ターセム・シン監督『落下の王国』2008】
1915年ロサンゼルスで、撮影中の大事故で半身不随になり、恋人も奪われ絶望。自暴自棄になったスタントマンのロイが、同じく入院中の無垢な少女アレクサンドリアに、自殺用の薬を盗んでくるよう頼むために、「暴君に立ち向かう6人の勇者の壮大な復讐物語」を語り聞かせるところから始まる。少女は物語に夢中になり、やがてその物語は少女の希望となり、彼ら二人をも救う希望の物語へと展開していく、二重構造。
愛と復讐の叙事詩【劇中劇】悪の総督によって愛する者や誇りを失った6人の勇者(マスクを被った男、インディアン、奴隷、爆破犯、鳥使い、退役兵)が、力を合わせて悪に立ち向かう愛と復讐の物語。 アレクサンドリアは物語に深くのめり込み、やがてロイの語る物語は彼女の希望となり、現実世界の二人にも希望の光をもたらす。
【救済】ロイの語る虚構の物語が、傷ついた少女に夢と希望を与え、最終的には傷ついた自分自身をも救済していく。
「ザ・セル」の鬼才・ターセム監督が、世界24ヵ国以上でロケを敢行して撮り上げた絢爛豪華な愛と感動の映像叙事詩。
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石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか・・・果てしなき創造の旅
17年の歳月を超え復活した。幻の映画、愛と復讐の叙事詩、ターセム・シン監督『落下の王国』2006・作品情報|CINEMORE(シネモア)
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【王の夢、建築家の夢】指揮官は分析家であり、建築と都市を夢みる。アクエンアテン王は、エル・テル・アマルナを建築、ヒッポダモスはミレトスの都市を設計、ペリクレス指揮官はフェイディアスを総監督にパルテノン神殿を建設、ハドリアヌスはハドリアヌスポリスを建築、織田信長は琵琶湖の畔に1580安土城を建築、ラムセス2世はアブシンベル神殿とカルナック神殿を建設、ハトシェプスト女王は最盛期トトメス3世時代、王家の谷に葬祭殿を建設、
「オンシュダシュダ」は、邪気を跳ね返すマントラ - YouTube
2024/05/01 ... 弘法大師空海の師匠の師匠「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師(637年~735年)」さんが作った無敵のマントラ、「オンシュダシュダ」
【弁護士、教授、官僚】9割は詐欺師か無能。【肩書や見た目に惑わされず】その人がどうなのか見極める。お金を稼ぐことに夢中にならないで真の学問と教養を磨く。一人でいる時に何をするかで将来が決まる、時間を大切にする【カネと地位で買えない価値】精神と肉体の美
【器が小さい人】見栄を張る。武勇伝の得意話。行動しないで口だけ。非を認めない。ふんぞり返る。目下を虐める。些細な事を責め立てる。他人の成功を妬む。不機嫌になる。苛苛。他の意見を受け入れない。次男性格、弟は兄に謀反【「愚者は己を賢いと思う。賢者は己を愚かであることを知っている。」シェイクスピア】
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参考文献
仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-388540.html
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-861874.html
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参考文献2
【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【武田信玄、父、武田信虎は賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろう】甲斐国の守護、信玄の父・武田信虎は有力な国衆を酷使、利益を独占。21歳でクーデタ。天文10年(1541年)国衆は信虎を追放、下剋上。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」。元亀4年52歳で病死。自分の死を3年間隠すよう命じる。
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参考文献
小和田哲男『明智光秀』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
本郷和人『乱と変の日本史』祥伝社新書
本郷和人『壬申の乱と関ケ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』祥伝社新書
遠山美津男『天皇と日本の起源』講談社現代新書
諸田玲子『帰蝶』2015
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
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「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3e4680.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-11ad71.html
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ターセム・シン監督『落下の王国』・・・愛と復讐の叙事
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-9cd435.html

2025年11月 7日 (金)

アールデコとモード・・・1925年パリ万博、『グレート・ギャツビー』1925,クライスラービル1930、ルネ・ラリック香水瓶

Art-deco-2025
Art-deco-1-2013
Art-deco-dusenberg-1974
Art-deco-tamara-de-lempicka-portraitofam
Art-decooomura-2025
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第410回
アール・ヌーボー1925年パリ万博
2025年は、パリで開催された幾何学的装飾芸術の博覧会、通称アール・デコ博覧会から100年目にあたります。この記念の年に、京都服飾文化研究財団(KCI)が誇る世界的な服飾コレクションから、この時代を表す選りすぐりのドレスや資料類約200点を紹介。加えて国内外に所蔵される同時代の絵画、版画、工芸品などを展示し、合計約310点で、現代にも影響を与え続ける100年前の「モード」を紐解く。
【アール・デコ(art deco)】1925、パリ万国展覧会の名称の、Arts Décoratifsから名付けられたのが、装飾様式の「アール・デコ(art deco)」。すっきりとしたライン、大胆な幾何学的な形状、そして鮮やかな色使いを特徴とするこの様式は、当時、野心的な前衛芸術であると評価された。同展覧会には20カ国から出展者が集まった。
【アール・デコ(art deco)】1925、パリ万国展覧会の名称、Arts Décoratifsから名付けられた、幾何学的装飾様式。ガブリエル・シャネル(1883-1971)。多様な香水瓶のデザインをルネ・ラリック(1860-1945)。クライスラー・ビル1930年竣工。イヴ・サン=ローラン(1936-2008)のミニ・ドレス
【アールヌーボー1900とアールデコ1925】どうちがうのか。【アールヌーボー】1900パリ万博、アルフォンス・ミュシャ、ミュシャ様式、エミール・ガレ。世紀末美術、象徴派、植物の装飾様式。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【クライスラービルChryslerBuilding 1930】
クライスラー・ビルディングは高さ世界一の超高層ビルを目指して1928年9月19日に着工。1930年5月20日に38メートルの尖塔を追加して319メートルとなり、クライスラー・ビルディングは完成した。5月27日にこのビルは一般に開業した。こうしてウォールタワーを上回り、世界一高いビルの座につくことができた。しかし、翌年の1931年にエンパイア・ステート・ビルディングの完成により、世界一の座を明け渡すことになる。それでもアメリカの1920年代の繁栄の歴史を物語るニューヨークの摩天楼の中の傑作である。
【ルネ・ラリック】Rene Lalique(1860-1945)
ルネ・ラリック(1860-1945)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて、アール・ヌーヴォーのジュエリー制作者、アール・デコのガラス工芸家として、二つの創作分野で頂点をきわめた人物として知られています。1900年のパリ万国博覧会、1925年のアール・デコ博覧会で国際的な脚光を浴びたラリックの作品は、工芸の価値を、絵画や彫刻などの純粋美術と同じレベルにまで高めるとともに、生活に新たな美意識をもたらすものとして異例の評価をうけました。21世紀を迎えた現在、そうした見解は改めて確証され、ラリックへの賞賛は日を追って高まりつつあります。
『グレート・ギャツビー』1925年
F・スコット・フィッツジェラルドの1925年の小説『グレート・ギャツビー』。The Great Gatsby 1922年、狂騒の20年代アメリカ。語り手のニック・キャラウェイ、ある晩、彼はイエール大学時代の友人トム・ブキャナンと、彼の妻デイジーの家に招かれる。隣の大邸宅に住むジェイ・ギャツビーなる人物は、毎夜豪華なパーティーを開いていた。ある日ニックはそのパーティーに招かれる。ニックはギャツビーと親交を深めていく中で、彼が5年の間胸に秘めていたある想いを知る。ギャツビーとデイジーはニックのおかげで再び出会い、二人の恋愛は再熱した。
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【デューセンバーグ】1910年代から1937年にかけて存在したアメリカの高級車メーカー。アメリカンドリームの象徴として、多くの人が憧れる存在でした。
特に、1928年に発表された「モデルJ」は、最高級のボディと、当時レーシングカーにしか採用されていなかったDOHCエンジンを兼ね備え、排気量7リッター、265馬力で、3トンもある車体を最高時速192kmまで走らせることが出来るという最高級かつ最高性能の豪華なクルマ。このモデルJの登場により、一躍デューセンバーグの名声は世間に広まることとなりました。
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【タマラ・ド・レンピッカTamara de Lempicka(1898―1980)】
ワルシャワの良家に生まれ、思春期をロシアとスイスで過ごす。18歳で弁護士レンピッキ伯爵と結婚する。翌年ロシア革命でパリへ亡命。働かない夫を尻目に画業で身を立てる決心。時代に翻弄されながらも女性の自由な生き方を実践し、狂乱の時代とも呼ばれた1920年代のパリで独特の作風により、画家として一躍注目された。やがて第二次世界大戦の脅威の中、アメリカに亡命。その後、時代とともに次第に忘れさられていった。そして70年代に再評価され、1980年に82歳でその劇的な人生を終えた。
ロングドレスを着たタマラ「ロングドレスを着たタマラ」
1929年頃/ドラ撮影
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI Photo A. Blondel / D’Ora
《緑の服の女》Jeune fille en vert
1930年/油彩・合板/ポンピドゥーセンター蔵
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA
モデルはレンピッカの娘、キゼットである。この作品においてキゼットは初めて官能的で、意気揚々とした姿で描かれている。緑のドレスは背後ではためき、身体をぴったりと包み、乳房とへその形をあらわにしている。優雅な帽子と手袋をつけた彼女は、究極の女性らしさを体現している。レンピッカは自分自身の若い頃を思い出し、過去の自分を投影し描いたに違いない。つまり、この作品は自画像でもあるのだ。なお、この作品は彼女の最高傑作の一枚として世界の美術館で展示されている。(E・B)
《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》
Portrait de Tadeusz de Lempicki
《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》
1928年/油彩・キャンヴァス/1930年代美術館蔵
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
男は黒く大きなコートを着て、手にシルクハットを持っている。外出しようとしているのだが、あたかも妻であるレンピッカに別れを告げているかのようである。レンピッカは結婚指輪をはめた夫の左手を、未完のままで残すことにした。実際、タデウシュはこの絵のためにポーズをとった時に、タマラと離婚の瀬戸際にいたのだ。レンピッカが描く男たちは大体において暗いトーンで描かれており、そこにはノスタルジーと不安が込められているかのようだ。(E・B)
https://www.ntv.co.jp/lempicka/about/index.html

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【アールヌーボーとアールデコ】
【アールヌーボー】1900パリ万博、アルフォンス・ミュシャ、ミュシャ様式、エミール・ガレ
【ミュシャ様式、アール・ヌーヴォー】
1895年元旦、アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』のポスターでパリのアート・シーンの注目を集め始める。アール・ヌーヴォー様式の発信源の一つとなるジークフリード・ビングの画廊、メゾン・ド・ラール・ヌーヴォーがオープン。
ミュシャのデザインは「ミュシャ様式」というニックネームで大衆に親しまれ、「アール・ヌーヴォー」と同義語になる。優美な女性と、繊細な線、大胆な構図、曲線と円形、花の装飾。
1898年、ウィーン分離派展に参加。フリーメイソン、パリ支部の会員。
1900年、アール・ヌーヴォー、終息。ミュシャ様式、忘れ去られる。
【エミール・ガレ】(1846-1904)アール・ヌーヴォー
エミール・ガレ(1846–1904)はフランス北東部ロレーヌ地方の古都ナンシーで、父が営む高級ガラス・陶磁器の製造卸販売業を引き継ぎ、ガラス、陶器、家具において独自の世界観を展開し、輝かしい成功を収めました。
ナンシーの名士として知られる一方、ガレ・ブランドの名を世に知らしめ、彼を国際的な成功へと導いたのは、芸術性に溢れ、豊かな顧客が集う首都パリでした。父の代からその製造は故郷ナンシーを中心に行われましたが、ガレ社の製品はパリのショールームに展示され、受託代理人等を通して富裕層に販売されたのです。1878年、1889年、1900年には国際的な大舞台となるパリ万国博覧会で新作を発表し、特に1889年の万博以降は社交界とも繋がりを深めました。しかし、その成功によってもたらされた社会的ジレンマや重圧は想像を絶するものだったと言い、1900年の万博のわずか4年後、ガレは白血病によってこの世を去ります。
ガレの没後120年を記念する本展覧会では、ガレの地位を築いたパリとの関係に焦点を当て、彼の創造性の展開を顧みます。フランスのパリ装飾美術館から万博出品作をはじめとした伝来の明らかな優品が多数出品されるほか、近年サントリー美術館に収蔵されたパリでガレの代理店を営んだデグペルス家伝来資料を初公開します。ガレとパリとの関係性を雄弁に物語る、ガラス、陶器、家具、そしてガレ自筆文書などの資料類、計110件を通じて、青年期から最晩年に至るまでのガレの豊かな芸術世界をお楽しみください。
■参考文献
アールデコとモード・・・1925年パリ万博、『グレート・ギャツビー』1925,クライスラービル1930、ルネ・ラリック香水
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/11/post-ddf546.html
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、2019
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム・・・ミュシャ様式、線の魔術、運命の扉、波うつ長い髪の女
https://bit.ly/2SsUxTb
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2uUs3pu
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道、国立新美術館・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
https://bit.ly/2QbsUwT
「ミュシャ展 パリの夢、モラヴィアの祈り」2013
http://www.ntv.co.jp/mucha/
「ミュシャ展 『スラヴ叙事詩』」国立新美術館2017
アール・デコとモード 京都服飾文化研究財団(KCI)コレクションを中心に、三菱一号館美術館、2025年10月11日(土)~2026年1月25日(日)

2025年5月 9日 (金)

手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第400回
手塚治虫(1928~89)は、『百物語』971不破臼人と魑魅(スダマ)の契約と蘇りを描き、1967年火の鳥黎明編を描き、遺作『ネオ・ファウスト』1988で老教授と魔女メフィストとの契約と若返りを描いた。魂の運命と生と死、蘇り、不老不死、哲学的、宗教的な問題を問い続けた。
1967年火の鳥黎明編、1967年火の鳥未来編、1968年火の鳥ヤマト編、1969年火の鳥宇宙編、1969年火の鳥鳳凰編、1970年火の鳥復活編、1971年火の鳥羽衣編、1971年火の鳥望郷編(COM版)、1973年火の鳥乱世編(COM版)、1976年火の鳥望郷編、1978年火の鳥乱世編、1980年火の鳥生命編、1981年火の鳥異形編、1986年火の鳥太陽編
★火の鳥シリーズ 1954 – 1988

『火の鳥』と『ファウスト』
夢を実現するため、力を手に入れる、悪魔と取引して「魂と引き換えに、若さを手に入れる」学識はあるが、力はない、老博士ファウスト。手塚治虫は『ファウスト』の苦悩を、『百物語』の不破臼人、『ネオ・ファウスト』、晩年に至るまで描き続けた。
不死を手に入れるために、火の鳥の血を飲もうとする。若者ウラジ。手塚治虫『火の鳥』黎明編。火の鳥の血と不死のテーマ。手塚治虫『火の鳥』未来編。マサトと人造人間タマミ、二人の愛は成就するのか。タマミは、『火の鳥(未来編)』で、人間の娘に変身したシリウス十二番星原産の不定形生物ムーピー。ムーピーは催眠超音波でリアルな幻覚を見せる能力のため、人間を堕落させるものとして飼育を禁止されていた。猿田博士は、絶滅した生物をよみがえらせようと、ひとり人工生命の研究をしていた。マサトとタマミの愛は復活するのか。
『火の鳥 未来編』
西暦3404年。人類は、戦争での放射能に汚染された地上から地下都市に移住した。マサトは、不定形宇宙生物・ムーピーが姿を変えた美少女・タマミと共に地下都市・ヤマトから脱出する。二人は地上で人工生命を研究する猿田博士のもとにたどり着く。その頃、地下都市ではコンピューター同士による最終戦争が勃発する。地下都市全てが壊滅し、火の鳥の生き血を飲んで不老不死となったマサトと、ムーピーであるタマミのみを残し、人類は滅亡してしまう。
タマミも力尽き、世界にはマサトのみが残された。永遠の生命を持つマサトは死ぬことができず、他の生命を求めて孤独の世界を彷徨う。5000年間ものあいだ眠り続ける女性を発見したマサトは5000年後に女性が目覚めることを心の支えとするが、ついに会うことはできなかった。そして、何億年という果てしのない永い年月を経て、マサトという一個の有機体を起点に新たな生命が地球上に誕生する。
不死の命を手に入れた若者、死ぬことができないために、永遠の孤独を抱き、人類の滅亡の果てまで生き続ける。手塚治虫『火の鳥』未来編。
【美しい王女を手に入れるイワン王子】魔王カスチェイを倒すため、魔王の庭にやってきて火の鳥に会い、火の鳥の魔法の羽を手に入れ、魔王と戦い美しい王女ツァレヴナと結婚する(ストラヴィンスキー『火の鳥』1910)。

『火の鳥』とギリシア哲学 生と死の哲学
火の鳥の物語は、ギリシア哲学を想起する。プラトン『パイドン』『パイドロス』『饗宴』『国家』、エンペドクレス『カタルモイ』<魂と万物の4つの根(リゾーマタ) 宇宙円環と魂の円環の調和』>。「魂の不死不滅、輪廻転生、学問は永遠の記憶を想起する」。
大久保正雄『プラトン対話篇 生と死の哲学』『プラトン哲学における愛(エロース)と死(タナトス)』。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、手塚治虫『火の鳥』のテーマは何か。
「人間は永遠に孤独である、愛はつかの間の夢」「火の鳥の血を飲むことによって不老不死となる」。「魂は不死不滅、輪廻転生、学問は永遠の記憶を想起する」。「知恵と愛の探求、不老不死の探求」異形の者との魂の愛、藝術家が作品を作ることによって不滅となる、「生命とは何か、意識とは何か、精神とは何か、宇宙とは何か」。人類は殺し合い止めず、どのような末路を迎えるのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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2、『火の鳥』とは何か
手塚治虫『火の鳥』、ストラヴィンスキー。
ディアギレフ率いるロシア・バレエ団。その中核となったのが、まだ無名だったストラヴィンスキーによる〈火の鳥〉〈ペトルーシュカ〉〈春の祭典〉。この3大バレエは、その質においても、破壊的なエネルギーと影響力の凄まじさにおいても、19世紀後半にワーグナーが〈トリスタンとイゾルデ〉で成し遂げたのに比肩すべき核爆弾的な役割を果たしたのであった。
【手塚治虫『火の鳥』、ストラヴィンスキー】手塚治虫(1928~89)はストラヴィンスキー(1882~1971)のバレエ<火の鳥>1910-19を観劇、その火の鳥の妖艶で神秘的な姿に刺激を受け、1967彼のライフワークとなる漫画<火の鳥>を制作する。時間と空間を超越した永遠の命を持つ不死鳥。「王子が神秘的な火の鳥の命を救い、羽の力をかりて、魔王から愛する美しい王女ツァレヴナを救出して彼女と結ばれる」
その血を飲めば飲んだ人間も不老不死の存在になる「火の鳥」黎明編で、火の鳥を狩りにきた若者・ウラジは、弓矢の効かない火の鳥を素手で捕まえようとしてその火に焼かれて死んでしまう。黎明編では、その後、火の鳥に魅入られた人間が何人も命を落としていく。不死の命を求める人間たちはそれを追い求める過程で死んでいく。一方、懸命に生きていこうとする人間を火の鳥は見守り、時に話しかけ、時に道案内として導く。対して、バレエ・リュスの火の鳥は、イワン王子の危機に王子が羽を翳した瞬間に約束通り現れ、王子と王子が恋に落ちた王女ツァレヴナを結びつけるために尽力する。
「ぼくはある劇場で、ストラヴィンスキーの有名なバレエ「火の鳥」を観ました。バレエそのものももちろんでしたが、なかでプリマバレリーナとして踊りまくる火の鳥の精の魅力にすっかりまいってしまいました。火の鳥の精は、悪魔にとらえられた王女を救うために、出発する王子の案内役をつとめる鳥で、ロシアの古い伝説なんだそうです。その情熱的で優雅で神秘的なこの鳥は、レオに匹敵するドラマの主人公として最適のように思えました。そういえば、どの国にも、火の鳥のような不思議な鳥の存在が伝説としてのこっています。蓬莱山伝説にあらわれるホーオーという鳥、あるいは不死鳥とよばれている一連のいいつたえなどに、なにか超自然的な生命力の象徴を鳥の姿に託したような感じがします。」
講談社『手塚治虫文庫全集 火の鳥②』p288より(初出:1968年12月20日発行「火の鳥 未来編」掲載)
ストラヴィンスキー作曲バレエ組曲<火の鳥>(1919年版)
「夜、イワン王子は火の鳥を捕えるため、魔王カスチェイの魔法の庭にやってくる。黄金の林檎の木の近くに火の鳥がいて、王子は火の鳥を捕えることに成功するが、火の鳥は「魔法の羽」を1枚渡すので、逃がしてほしいと懇願する。王子は納得し、魔法の羽を受け取り、火の鳥を逃す。その後、カスチェイに囚われた13人の乙女たちが庭にあらわれ、王子はひときわ美しい王女ツァレヴナと恋に落ちる。夜明けと共に魔王とその手下達があらわれ、王子を石に変えようとするが、王子が魔法の羽をふりかざすと、火の鳥が再びあらわれる。火の鳥は、不思議な力を使ってカスチェイたちに狂気的な踊りを強要し、眠りにつかせたうえ、魔王の弱点も教える。火の鳥の助けによってイワン王子はカスチェイを打倒することに成功し、石に変えられていた人々も生還する。最後は晴れて王子と王女は結ばれる。」
出典は、ロシア民話「イワン王子と火の鳥と灰色狼」、「ひとりでに鳴るグーズリ」。
■手塚治虫「火の鳥」
「火の鳥」は、漫画界の巨匠・手塚治虫が1967年から1988年まで描き続けたライフワークとも言える壮大な物語です。「生と死」をテーマに、古代から未来まで時代を超えて描かれた作品で、手塚治虫自身が「生と死の問題をテーマにしたドラマ、古代から未来へ延々と続く『火の鳥』という永遠の命との闘いは人類にとって宿命のようなものなのだ」と語っていたと言われています。
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手塚治虫の作品、何が最も感動的か。
『火の鳥』『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』『ネオ・ファウスト』『IL』『百物語』『手塚治虫 怪奇短編集』
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3、『火の鳥』のエピソード
■主なエピソードとしては、以下のような時代を舞台にした物語がある。
黎明編(3世紀頃の日本)
ヤマト編(4世紀頃)
太陽編(西暦663年〜672年、2001年〜2008年)
鳳凰編(〜752年)
羽衣編(西暦940年頃)
宇宙編(未来)
未来編(核戦争後の未来)
復活編(未来の医療技術がテーマ)
異形編
望郷編
乱世編
生命編
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手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-eafad1.html
■参考文献
手塚治虫オフィシャル
★火の鳥シリーズ 1954 – 1988 https://tezukaosamu.net/jp/manga/656.html
火の鳥 シリーズ 1954 – 1988
火の鳥(エジプト、ギリシャ、ローマ編)https://tezukaosamu.net/jp/manga/390.html
火の鳥NHK 黎明編 復活編 異形編 太陽編 未来編 
https://tezukaosamu.net/jp/anime/147.html
1947年製作のソ連時代のアニメーション映画『せむしの仔馬』に登場する火の鳥がヒントになっています。ロシアの民話の火の鳥の羽根は災いを招くそうですが、手塚治虫の描く火の鳥は永遠の生命の象徴であり、その羽根もたとえば撫でるだけで傷が回復したり、病気が治ったりという超能力を持っています。
火の鳥 https://tezukaosamu.net/jp/character/602.html
1954年火の鳥黎明編(漫画少年版)、1956年火の鳥エジプト編、1956年火の鳥ギリシャ編、1957年火の鳥ローマ編
1967年火の鳥黎明編、1967年火の鳥未来編、1968年火の鳥ヤマト編、1969年火の鳥宇宙編、1969年火の鳥鳳凰編、1970年火の鳥復活編、1971年火の鳥羽衣編、1971年火の鳥望郷編(COM版)、1973年火の鳥乱世編(COM版)、1976年火の鳥望郷編、1978年火の鳥乱世編、1980年火の鳥生命編、1981年火の鳥異形編、1986年火の鳥太陽編
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戦国時代、切腹寸前の身を悪魔の娘スダマに魂を売ることで救われた武士一塁半里は、その契約により美男子不破臼人に変身。みちのくの地で富と権力を手中に収めるが…。ゲーテの古典『ファウスト』の二度目のマンガ化。
『ネオ・ファウスト』1988  https://tezukaosamu.net/jp/manga/339.html
手塚治虫による「ファウスト」の3度目のマンガ化です。
1970年2月、東京にほど近いN市のNG大学で、50年間研究に打ち込んできた一ノ関教授は、いまだに宇宙の真理が究明できないことに絶望し、自殺しようとしていました。
そこへ魔女メフィストが現われ、新しい生命と新しい人生を与えてほしいという一ノ関教授の願いを聞きいれます。
そして教授とメフィストは、教授がすべてのことに満足して「時よとまれ、お前は美しい」といった時、悪魔に魂をゆずるという契約をします。
メフィストは教授を、時間をさかのぼって1958年の過去へつれていき、若返り薬をのませます。美しい青年に若返った教授は、記憶を失い、坂根物産社長・坂根第造にひろわれ、第一と名づけられます。
『ブラック・ジャック』1973/11/19-1983/10/14 
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」
画狂老人卍『鳳凰図屏風』
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
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アニメ化された「火の鳥」作品
「火の鳥」は複数の形態でアニメ化されてきました。主な作品は以下の通りです。
劇場版「火の鳥2772・愛のコスモゾーン」(1980年)- 手塚治虫自身が総監督を務めた作品
劇場版「火の鳥・鳳凰編」(1986年)- りんたろう監督によるアニメ映画
OVAアニメ「火の鳥 宇宙編・ヤマト編」(1987年)- 川尻善昭監督による作品
TVアニメ「火の鳥」(2004年)- NHKで放送された「黎明編・復活編・異形編・太陽編・未来編」全13話
「火の鳥 エデンの宙」「火の鳥 エデンの花」(近年)- 「望郷編」をベースにした配信アニメと劇場版
これらのアニメ作品は、原作漫画の壮大なスケールと深いテーマ性をどう映像化するかという挑戦と向き合ってきた。
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手塚治虫のマンガ『火の鳥』を読み解く初の大型展覧会「手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」が、六本木ヒルズ・東京シティビューで開催される。会期は2025年3月7日~5月25日。
『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』など数々の名作マンガを手がけたほか、アニメ界にも大きな業績を残した日本を代表するマンガ家・手塚治虫。手塚自らライフワークと称した『火の鳥』は、その血を飲んだ者は永遠の命を得るという伝説の鳥“火の鳥”を追い求める人々の葛藤を描く一大長編作品だ。1950年代から連載が開始され、手塚が晩年まで取り組んだ。過去と未来を交互に描き、「生と死」「輪廻転生」といった哲学的なテーマを表現した壮大な世界観は、現在まで多くの読者を魅了している。

30年以上にわたって執筆されたこの叙事詩に迫る本展は、企画・監修を生物学者の福岡伸一が担当。連載開始から70年が経過したいま、福岡を案内人として、新たな生命論の視点から『火の鳥』の物語構造を読み解き、手塚が表現し続けた「生命とはなにか」という問いの答えを探求するという。赤と黒を基調とした展覧会キーヴィジュアルは、グラフィックデザイナーの佐藤卓が手がけた。
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手塚治虫のライフワーク『火の鳥』。テーマは「生きること、死ぬことの意味は何か」。人間にとって最も深遠な問いです。全編にわたって不死鳥“火の鳥”が登場し、生に執着する人間を翻弄しながら物語を動かします。そこでは、あらゆる生命が常に姿と形を変えながら、連綿と受け継がれていく輪廻転生の生命観、汎神論的な世界観が示されます。これは、生命が絶えず自らの破壊と創造を繰り返しながら、エントロピー増大の法則に抗い続けている「動的平衡」であるとする私の生命論とぴたりと重なります。
本展の狙いは、動的平衡の視点から火の鳥の意味を読み解くことにあります。そして、手塚治虫が描くことを約束しながら果せなかった物語の結末を想像してみたいと思います。ぜひご期待ください。(福岡伸一のコメント)
「手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」
六本木ヒルズ 東京シティビュー(エリア:六本木、乃木坂)
2025年3月7日(金)〜2025年5月25日(日)

2025年4月15日 (火)

ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第396回
ヒルマ・アフ・クリントの絵画は、霊界を旅する者の藝術である。ダンテ『神曲』の霊界の旅であり、この世と宇宙を行き来する。
「獣のように生きるのではなく、徳と知恵を求めて生きるのだ」ダンテ『神曲』第26歌。
霊界を旅する者
ダンテ『神曲』、ウィリアム・ブレイク『無垢の歌、経験の歌』、エル・グレコ、小野篁、空海『秘蔵宝 』、『華厳経』、宮澤賢治『インドラの網』『雁の童子』
「獣のように生きるのではなく、徳と知恵を求めて生きるのだ」ダンテ『神曲』第26歌。
徳と知恵を求めて生きる者だけが、霊界の旅を生きることができる。「獣のように生きる」者とは、カネと地位のために生きる者。他人の命令で生きる、ルーティン教授、点燈夫『星の王子さま』は、「獣のように生きる」者である。
「肉体は、魂を包む魂の衣である。魂自身と魂に所属するものとは別のものである。魂は不死不滅、すべての学問は、魂が前世で学んだことを思い出すことである。」大久保正雄『比較宗教学研究』2024
精神世界を探求する者でなければ観る資格はない。
「風は見えなくても風車は回っている。音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける」J・S・バッハ「ドレスには、それを脱がせるために男性を魅了する力がなければ意味を成さない。」イヴサンローラン「ドレスが美しくても、本人が美しくなければ意味がない。肉体が美しくても、魂が美しくなければ存在がない。本質が腐っている。」『旅する哲学者、美への旅』
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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神秘主義絵画、宗教画
「認められるまでは、嘲笑される。これは真理の常である。」アルベルト シュバイツァー
【ヒルマ・アフ・クリント1882-1944】1907年、アフ・クリントは、人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」啓示を受け、多種多様な抽象的形象、あふれでてくるようなパステルカラーの色彩、圧倒的な《10の最》 (1907年)制作。ルドルフ・シュタイナーと絵画館建設交渉したが、拒否される。Hilma af Klint は1944年ストリートカーの事故に遭い82歳の誕生日を迎えるほんの数日前に他界。1500点の以上の作品と2万500ページ()125冊のノートブック)を甥に残して,自分の死後20年経つまで作品を公表しないようにと遺言。死後20年間作品を封印。カンディンスキー、モンドリアンより早く、抽象的絵画を描いた先駆者、独自の手法で、長らくその存在を知られていなかったスウェーデンの女性画家。
20年後も公開されず。2019年NYグッゲンハイム美術館で史上最多の60万人が来場 世界が注目する。騒然とする。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
【神秘主義絵画の系譜】ヤコブ・ベーメ(1575~1624)『曙光』1612、スウェーデンボルグ(1688~1772)肉体の死と霊の蘇生・覚醒の全過程。鈴木大拙訳『天界と地獄』『霊界日記―死後の世界の詳細報告書』、シュタイナー『神智学』『人智学』
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『ウィリアム・ブレイク展 図録』国立西洋美術館、1990
地上と天上が融合した壮大な祭壇画に、眩暈を感じる。エル・グレコの絵画には、霊的体験と地上の憂愁がある。エル・グレコの炎のように揺らめく人物、神秘的な光が、心を魅了する。壮大な祭壇画に、トレドの街が描き込まれている。
エル・グレコ(El Greco、1541- 1614)は、16世紀の画家で、ルネサンス末期のヴェネツィア派の画家の影響を受け、マニエリスムの先駆である。
エル・グレコをみると、形而上詩人を思い出す。
17世紀のイギリスの形而上詩人(metaphysical
poets)、ジョン・ダン、アンドリュー・マーヴェル、ヘンリー・ヴォーン(Henry
Vaughan 1621-1695)の形而上的世界、光と神秘に通じる世界がある。17世紀、ヤコブ・ベーメ『アウローラ』、エマヌエル・スウェーデンボルグ『天界と地獄』(鈴木大拙訳)のような神秘主義的空間を思い出す。
「昨夜私は永遠を見た。純粋で無限の光の大きな輪のような」(ヘンリー・ヴォーン「世界」). “I saw Eternity the other night/Like a great ring of pure and endless light.” – Henry Vaughan, “The World”
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
大久保 正雄
孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者
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「ヒルマ・アフ・クリント展」プレスリリースより
「ヒルマ・アフ・クリント展 図録」東京国立近代美術館2025
20世紀初頭、カンディンスキーやモンドリアンといった同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として、近年再評価が高まるヒルマ・アフ・クリント(1862~1944年)のアジア初となる大回顧展が、東京国立近代美術館で3月4日から6月15日まで開催されます。
本展では、ヒルマ・アフ・クリントの今日の評価を決定づけた代表的作品群「神殿のための絵画」(1906~1915年)を中心に、ノートやスケッチなど約140点が展示されます。
第1章 アカデミーでの教育から、職業画家へ
19世紀後半のスウェーデンに裕福な家庭の第4子として生まれたアフ・クリントは、王立芸術アカデミーで正統的な美術教育を受けた後、肖像画や風景画で評価を得て、画家としてのキャリアをスタートさせました。
在学中に制作された人体デッサンにおける正確な形態把握や、この時期に制作されたと思われる植物図鑑のように緻密な写生などからは、彼女が習得した技術の高さを見て取ることができます。
ヒルマ・アフ・クリント 《ポピー》 制作年不詳 水彩、インク・紙 58×35.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
第2章 精神世界の探求
一方で神秘主義思想に傾倒した彼女は、瞑想や交霊の集いに頻繁に参加し、知識を深めていきました。アフ・クリントは交霊術の体験などを通して、アカデミックな絵画とはまったく異なる抽象表現を生み出していきます。
1896年、特に親しい4人の女性と「5人 (De Fem) 」 というグループを結成すると、彼女たちは交霊術におけるトランス状態において、高次の霊的存在からメッセージを受け取り、それらを自動書記や自動描画によって記録しました。
第3章 「神殿のための絵画」
1904年、アフ・クリントは「5人」の交霊の集いにおいて、高次の霊的存在より、物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す、神智学的教えについての絵を描くようにと告げられます。この啓示によって開始されたのが、全193点からなる「神殿のための絵画」です。それらは自身が構想した神殿を飾るためのものでした。
「神殿のための絵画」は途中4年の中断期間を挟みつつ、1906年から1915年まで約10年をかけて制作されました。サイズ、クオリティ、体系性、すべての面からアフ・クリントの画業の中核をなす作品群で、「原初の混沌」「エロス」「 10の最大物」「進化」「白鳥」 といった複数のシリーズやグループから構成されています。

〈10の最大物〉
1907年、アフ・クリントは、人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」を制作する啓示を受け、多種多様な抽象的形象、画面からあふれでてくるようなパステルカラーの色彩、そして圧倒的なスケールの〈10の最大物〉 (1907年)を描きました。高さは3㍍超と「神殿のための絵画」のなかでも異例の巨大なサイズです。
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 2,幼年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×234cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 3,青年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 321×240cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 7,成人期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×235cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 9,老年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 320×238cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
円や四角形といった幾何学図形、花びらや蔓といった植物由来の装飾的モチーフ、細胞、天体を思わせる形態など、実に多様な要素から構成されたこれらの作品群は、そのすべてが、眼に見えない実在の知覚、探求へと向けられています。

ヒルマ・アフ・クリント 《エロス・シリーズ,WU/薔薇シリーズ,グループII,No. 5》 1907年 油彩・キャンバス 58×79cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《知恵の樹,W シリーズ,No. 1》 1913年 水彩、グアッシュ、グラファイト、インク・紙 45.7×29.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
具象的な白鳥が抽象的、幾何学的形状に変化し、最後再び具象性に回帰するプロセスが全24点で表現される「白鳥」シリーズは、具象と抽象、光と闇、生と死、雄と雌といったアフ・クリントの関心事である二項対立とその解消が、さまざまなレベルで展開していきます。
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUWシリーズ,グループIX:パート1,No. 1》 1914-1915年 油彩・キャンバス 150×150cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUW シリーズ,グループIX:パート1,No. 13》 1915年 油彩・キャンバス 148.5×151cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUW シリーズ,グループIX:パート1,No. 17》 1915年 油彩・キャンバス 150.5×151cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
トーマス・エジソンらによる電気に関わる発明、ヴィルヘルム・レントゲンによるX 線の発見、キュリー夫妻による放射線の研究など、19世紀後半から20世紀初頭にかけて展開された科学分野における画期的な発明や発見の数々もまた、肉眼では見ることのできない世界の把握に関わるものでした。この時代のスピリチュアリズムなど神秘主義的思想には、こういった科学的実践と共通する探求として、関心が寄せられていた側面があるのです。
精神的世界と科学的世界、双方への関心を絵画として具現化した「神殿のための絵画」の存在こそ、アフ・クリントが今日、モダン・アートにおける最重要作家の一人として位置づけられる所以と言えるでしょう。
ヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画,グループX,No. 1》 1915年 油彩、箔・キャンバス 237.5×179.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

第4章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅
「神殿のための絵画」を完結以降、アフ・クリントの制作は、幾何学性や図式性が増すようになりました。1920年に介護していた母親が亡くなり、以前より関心を寄せていた神智学から分離独立した「人智学」への傾倒を深めると、アフ・クリントの制作は、水彩のにじみによる偶然性を活かし、色自体が主題を生み出すような作品へと変化した。

第5章 体系の完成へ向けて
制作の一方で、アフ・クリントは自身の思想や表現について記した過去のノートの編集や改訂の作業を始めます。特に注目すべきは「神殿のための絵画」を収めるための建築物の構想です。制作が完了してからすでに15年以上経過した1930年代にもなお、作品を収める理想のらせん状の建築物について記し、建物内部の具体的な作品配置計画の検討も重ねていました。
この神殿が実現することはありませんでしたが、こういった自らの思想の絶えざる編集と改訂の作業は、絵画制作を含むアフ・クリントの仕事全体が、いかに厳密な体系性を目指していたかの証左となるものでしょう。
展示作品の一部
ヒルマ・アフ・クリント,ハムガータン(ストックホルム)のスタジオにて 1902年頃 ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
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ヒルマ・アフ・クリント展、東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー、2025年3月4日(火)~6月15日(日)

2024年10月14日 (月)

「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」・・・毒親との戦い、悪魔祓い

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第379回

【ルイーズ・ブルジョワ 《蜘蛛》1997年】1932年、ソルボンヌを退学。ルイーズは芸術部門の最高学府エコール・デ・ボザールに入学する。父ルイは仕送りを打ち切った。なぜなら家業を継いだ際に役に立つ能力への投資だったからだ。家を出て、ルーブル美術館で働き始める。
【《ママン》表現された巨大な「蜘蛛」】母はタペストリー修復工房を経営する。彼女にとって蜘蛛は、親でもあり、「親友」でもあり実母を象徴。ブルジョワは、蜘蛛が巣作りのために体内から糸を出すように、自身の身体から負の感情を解放するために作品を作っていると語る。彼女の自画像でもある「蜘蛛」。【毒親、父ルイの呪縛を解く】藝術は悪魔祓いエクソシズム。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ルイーズ・ブルジョワ(1911年パリ生まれ、2010年ニューヨークにて没)20歳1932年、母が死ぬ。エコール・デ・ボザールに入学。1938年、美術史家ロバート・コールドウォーターと結婚、ニューヨークへ移住。1982年ニューヨーク近代美術館で大規模個展。1993年ベネチア・ビエンナーレ・アメリカ代表。
20世紀を代表する最も重要なアーティストの一人。彼女は70年にわたるキャリアの中で、インスタレーション、彫刻、ドローイング、 絵画など、さまざまなメディアを用いながら、男性と女性、受動と能動、具象と抽象、意識と無意識といった二項対立に潜む緊張関係を探求。
ブルジョワは一生を通じて、見捨てられることへの恐怖に苦しみ。第一章で紹介する作品群は、この恐れが、母親との別れにまで遡ることを示唆している。ブルジョワは両義的かつ複雑性に満ちた「母性」というテーマのもと《自然研究》をはじめとする作品を制作する中で、母と子の関係こそが、将来のあらゆる関係の雛形になるという確信に至った。
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【毒親との戦い、父ルイ】父ルイは美貌の持ち主で、常にエレガントで見栄えよく着飾る人だ。しかし、見た目の良い経営者のナルシシストならではの闇があった。仕切りたがり屋でいじめっ子。常に他人をコントロールし、リーダーとして家族を操作することに喜びを感じていた彼は、毎日一家全員(当時、母方の兄弟やルイーズの従兄たちも一緒に暮らしていた)が食卓に揃わないと気が済まず、勝手に食卓でしゃべろうものなら無言でソーサーを投げつけることもしょっちゅう。食事のあとは、ひとりずつ歌や詩を強制的に披露させるなどやりたい放題だった。あるとき、父は食卓でオレンジの皮をナイフで人の顔や乳房や脚の形に器用にに切り抜いていき、人型の展開図にして見せた。その人型は両脚の間に丁度オレンジの芯が位置するようになっていた。それがルイーズだとふざけた。
【《ママン》表現された巨大な「蜘蛛」】ブルジョワ芸術を代表するモチーフ。彼女にとって蜘蛛は、ブルジョワにとって親でもあり、「親友」でもあった実母を象徴している。ブルジョワは、蜘蛛が巣作りのために体内から糸を出すように、自身の身体から負の感情を解放するために作品を作っていると語る。本展では、いわば彼女の自画像ともいえる 「蜘蛛」をモチーフとした様々な作品が登場する。
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★展示作品の一部
ルイーズ・ブルジョワ《ママン》1999/2002年 ブロンズ、ステンレス、大理石 9.27× 8.91 ×10.23 m 所蔵:森ビル株式会社(東京)
ルイーズ・ブルジョワ《かまえる蜘蛛》2003年 パティナ、ブロンズ、ステンレス鋼 270.5×835.7×627.4 cm 撮影:Ron Amstutz コピーライト The Easton Foundation/Licensed by JASPAR and VAGA at Artists Rights Society (ARS), NY
おわりに
本展の副題「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」はハンカチに刺繍で言葉を綴った晩年の作品からの引用です。自らを逆境を生き抜いた「サバイバー」だと考えていたルイーズ・ブルジョワ。生きることへの強い意志を表現するその作品群からは、戦争や自然災害、病気など、人類が直面するときに「地獄」のような苦しみを克服するためのヒントが得られるかもしれません。
ルイーズ・ブルジョワ《無題(地獄から帰ってきたところ)》1996年 刺繍、ハンカチ 49.5×45.7 cm 撮影:Christopher Burke コピーライト The Easton Foundation/Licensed by JASPAR and VAGA at Artists Rights Society (ARS), NY
自身の版画作品《聖セバスティアヌス》(1992年)の前に立つルイーズ・ブルジョワ。ブルックリンのスタジオにて。1993年 撮影:Philipp Hugues Bonan 画像提供:イーストン財団(ニューヨーク)
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★参考文献
森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」“Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you, it was wonderful”、図録 プレスリリース
父に“いらない子”と呼ばれたルイーズ・ブルジョワ【短期連載:アート界の毒親たち】
「女なんていらない」。父に呪われ虐げられた天才彫刻家がたどり着いた救いの境地。https://www.elle.com/jp/culture/ellelovesart30/g29842557/louise-bourgeois-and-her-toxic-father-191120/
「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」・・・毒親との戦い、悪魔祓い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-90e3d1.html
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ハーバードの研究で「明確な目標と具体的な計画を設定して紙に書き残している人ほど、目標設定していない人に比べて10年後の収入が10倍になっていた」という結果があるけど、大谷翔平選手が高校時代に使った目標達成シートがまさにそれでしかない。
https://x.com/jinji_990/status/1838330216474907022
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★森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」“Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you, it was wonderful” 
Mori Art Museum, 森美術館、2024年9月25日(水)~2025年1月19日(日)
https://www.mori.art.museum/jp/

2024年8月 8日 (木)

田名網敬一 記憶の冒険・・・永遠に熟さず、老いず、極彩色の彼岸と此岸

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第374回
田名網敬一は、45歳の時、大病するが生還。生死の境を彷徨し、以後、死を意識して今がある。いつまでも熟さず、老いず。不熟。1936年生まれ、88歳で、サイケデリックなデザイナー。横尾忠則、村上隆、彼らも、老いず。混沌、豊穣、奇想天外なモチーフと極彩色。極彩色の彼岸と此岸。
「彼岸と此岸」をつなぐ橋
展示室の始めに「聖なるものと俗なるもの」「彼岸と此岸」をつなぐ暗喩としての太鼓橋がうず高く積み上げられた新作インスタレーション《百橋図》がお出迎え。内覧会に、田名網敬一の水色と黄色の極彩色の着物を着た若い女性がやってきた。
You are never too old to learn.学ぶのに老いすぎているということはない。いくつになっても学ぶことはできる。
老いるまで生き、老いるまで学ぶ。人不会因为上了年纪而不能学习,活到老学到老。(年老いたからといって学べないということは無い、一生勉強)
【イメージディレクター】武蔵野美術大学デザイン科に入学後、篠原有司男、赤瀬川原平、荒川修作らと出会い、彼らの活動に最前線で触れながら、1957年に日本宣伝美術会主催の日宣美展で特選を受賞。在学中からデザイナーとして仕事を依頼されるようになり、卒業後は博報堂に入社。2年ほどで退職した後は画廊での展示に固執せず、1966年にはアーティストとしての出発点ともいえる作品集『田名網敬一の肖像』を出版。自らを「イメージディレクター」と名乗る。
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勝利に溺れる人々。スポーツ・映画・性欲に溺れる大衆。勝つこと、名誉を崇拝する勝利主義に異議を唱えるソクラテス・プラトンは現代社会で軽蔑される。成功は人生の価値であるか。考えるべき時である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
《Gold Fish》1975年、アクリル絵具/イラストレーションボード、36.4×51.5cm
《キリコ劇場》2009年、アクリル絵具/カンヴァス、195×145.5cm
《彼岸の空間と此岸の空間》2017年
《森の掟》2024年、顔料インク、アクリル・シルクスクリーン、ガラスの粉末、ラメ、アクリル/カンヴァス、251×200cm
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参考文献
田名網敬一 記憶の冒険・・・永遠に熟さず、老いず、極彩色の彼岸と此岸
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-44855a.html
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現代の越境者 田名網敬一
近年、急速に再評価が進む日本人アーティスト、田名網敬一。武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、1975年には日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなど、雑誌や広告を主な舞台に日本のアンダーグラウンドなアートシーンを牽引してきました。その一方で、1960年代よりデザイナーとして培った方法論、技術を駆使し、現在に至るまで絵画、コラージュ、立体作品、アニメーション、実験映像、インスタレーションなど、ジャンルや既存のルールに捉われることなく精力的に制作を続け、美術史の文脈にとって重要な爪痕を残してきました。 本展は、現代的アーティスト像のロールモデルとも呼べる田名網の60年以上にわたる創作活動に、初公開の最新作を含む膨大な作品数で迫る、初の大規模回顧展です。
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田名網敬一(たなあみ けいいち)
1936 年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。アートディレクター、実験映像及びアニメーション作家、アーティストなど、そのジャンルを横断した類まれな創作活動により、他の追随を許さない地位を築いている。近年の田名網の主要な展覧会として、「パラヴェンティ: 田名網 敬一」(プラダ青山店、東京、2023 年)、「マンハッタン・ユニヴァース」(ヴィーナス・オーヴァー・マンハッタン、ニューヨーク、2022 年)、「世界を映す鏡」(NANZUKA UNDERGROUND、東京、2022 年)、「Keiichi Tanaami」(ルツェルン美術館、スイス、2019 年)、「Keiichi Tanaami」(ジェフリー・ダイチ、ニューヨーク、2019 年)。また、グループ展としてポップアートの大回顧展「インターナショナル・ポップ」(ウォーカー・アート・センター、ダラス美術館、フィラデルフィア美術館、アメリカ、2015-2016 年)、「世界はポップになる」(テート・モダン、ロンドン、2015 年) などがある。パブリックコレクションに、ニューヨーク近代美術館(アメリカ)、ウォーカー・アート・センター(アメリカ)、シカゴ美術館(アメリカ)、M+(香港)、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(アメリカ)、ハンブルガー・バーンホフ(ドイツ) など多数。
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田名網敬一 記憶の冒険
Keiichi Tanaami: Adventures in Memory
国立新美術館、2024年8月7日(水) ~ 2024年11月11日(月)

2024年6月27日 (木)

ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である

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Brancusi-191011-2024
Brancusi-1876-1957-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第372回

ブランクーシは世界最高峰の彫刻家ロダンの工房に就職したが、1か月で退職した。ブランクーシ彫刻は、概念ではなく、本質を表している。概念ではなく、本質である。概念は、言葉があって、はじめて存在する。本質と現象、生成消滅する自然界に対して、本質が存在する。原範型と似像、原範型があって、似像は存在する。普遍は、個物に対して存在する。プラトン哲学は本質の探究である。
【アリストテレス『形而上学』】アリストテレス哲学は科学主義、自然学者であり論理学者、普遍(類)と概念の探究である。「何であるか」の問いに対する答えが「ト・ティ・エーン・エイナイ」である。アリストテレス『形而上学』の「ウーシア」(実体)には、第一実体と第二実体があり、第一実体は本質であり、第二実体は基体(ヒュポケイメノン)である。アリストテレス、4原因論、形相因・質料因・始動因・目的因。可能態と現実態・完全現実態は、『自然学者』である。『形而上学』「第一哲学は、存在する限りの存在する者を探究する。
「真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である」ブランクーシ What is real is not the outer form, but the idea, the essence of things.
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否かが最も重要【先生が持っている世界観、基礎認知力、持っている体系】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は稀である】人生が夢を作るのではない。夢が人生をつくる。先入観は可能を不可能にする。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
コンスタンティン・ブランクーシ《眠れるミューズ》 1910–11年頃 石膏 大阪中之島美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《接吻》1907-10年 石膏 石橋財団アーティゾン美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《雄鶏》1924年(1972年鋳造)ブロンズ 豊田市美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》1926年(1982年鋳造)
ブロンズ 大理石(円筒形台座)、石灰岩(十字形台座) 横浜美術館
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参考文献
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-a42dd8.html

――
コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)83歳
ルーマニアのホビツァに生まれる。ブカレスト国立美術学校に学んだ後、1904年にパリに出て、ロダンのアトリエに助手として招き入れられるが、1か月で辞職、独自に創作に取り組み始める。「ロダンの彫刻に失望した」。同時期に発見されたアフリカ彫刻などの非西欧圏の芸術に通じる、野性的な造形を特徴とするとともに、素材への鋭い感性に裏打ちされた洗練されたフォルムを追求。同時代および後続世代の芸術家に多大な影響を及ぼした
真なるものとは、外面的な形ではなく観念、つまり事物の本質である
What is real is not the outer form, but the idea,the essence of things.
20世紀彫刻の先駆者ブランクーシ 
その唯一無二の創作の全容が明らかに
ルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)は、純粋なフォルムの探究を通じて、ロダン以後の20世紀彫刻の領野を切り拓いた存在として知られます。本展は、彫刻作品を中核に、フレスコ、テンペラなどの絵画作品やドローイング、写真作品などが織りなす、ブランクーシの創作活動の全体を美術館で紹介する、日本で初めての機会となります。ブランクーシ・エステートおよび国内外の美術館等より借用の彫刻作品約20点に、絵画作品、写真作品を加えた、計約90点で構成されます。
https://www.artpr.jp/artizon/brancusi2023
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ブランクーシ 本質を象る、アーティゾン美術館、2024年3月30日(土)〜2024年7月7日(日)

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