美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
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美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
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参考文献 1
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
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学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
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【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
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6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
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【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2018.5. 27、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.5.28
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島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016.5.29
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孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』2019年1月 7日 (月)
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大久保正雄 著作目録1 哲学編
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大久保正雄 著作目録2 美学・美術史
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大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
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プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
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仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
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大久保正雄 著作目録1 哲学編2025
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参考文献 追補
大貫隆 (著) 『終末論の系譜 初期ユダヤ教からグノーシスまで 』
ユダヤ教のなかで胚胎した独特な終末思想はいかにしてイエスに継承されていったのか
聖書正典のみならず外典・偽典その他の史料を渉猟し、さらにはベンヤミン、ガダマー、アガンベンなど現代思想家との対話も試みる
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河野 元昭先生「饒舌館長」
しかし様式的に、貞信一門とはどうしても見なせない点から、美術史研究者の間では元和5年東福門院女御御所説だけを生かし、「牡丹図」「紅白梅図」はそのころの山楽画とする見方が通説になっていました。土居先生もこの立場でした。
これに再考を迫ったのが、若き日の美術史家・川本桂子さんでした。川本さんは著書『友松・山楽』<名宝日本の美術>(小学館)において、東福門院女御御所説を完全に否定し、様式的にみて山楽慶長末期の傑作であることを明快に論じたのです。僕の所有する『名宝日本の美術』は<新版>なので、『友松・山楽』の発行は1991年になっていますが、オリジナル版は数年早いと思います。https:/
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空海の密教仏【五大明王】不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の総称、五大尊。空海の教王護国寺講堂の承和6 (839) 年作の木像 (国宝) 、大覚寺の明円作(1177)。金剛界五智如来の教令輪身、忿怒身。唐の不空のころ金剛界五仏
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】『即身成仏義』819-820
【県犬養橘三千代】天武~聖武天皇の歴朝に内命婦 として仕え。壬申の乱672年~天平5年733、61年、生きる【藤原不比等と再婚、安宿媛 (あすかべひめ、光明子)を産む】【孫、阿倍内親王、興福寺阿修羅像】【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】白鳳時代
【県犬養三千代】藤原不比等と再婚し、安宿媛 (あすかべひめ、光明子) 、多比能を生む。また内命婦 (うちのみょうぶ) として天武~聖武天皇の歴朝に仕え、その功により、和銅1 (708) 年、元明天皇より橘宿禰の姓を賜わる。不比等と結女官として宮廷に大きな影響力
【嵯峨天皇と空海】空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて
【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】鎌倉時代の記録では橘三千代*の念持仏とあるが根拠不明。金銅製の後屏・台座を伴った木製厨子入りの銅造鍍金像。白鳳時代。中尊像高33.3cm。国宝【橘夫人】天武朝から元正朝の5代に歴仕した、古代屈指の有力女官。父は東人
【県犬養三千代】天武、持統、文武、元明、元正の5代に歴仕した古代屈指の有力女官。父は東人(あずまひと)。初め美努(みぬ)王に嫁し、葛城王(橘諸兄)、牟漏女王らを産み、藤原不比等に再嫁して光明子を産む。持統、元明、元正3女帝の信任、文武、聖武の養育。天平5年没
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)。文献、竹村牧男
【狩野山楽】浅井家滅亡、秀吉、秀忠(1559-635)浅井長政の家臣で自らも画をよくした木村永光の子として近江国に生まれる。幼名を平三、のちに光頼。浅井家滅亡とともに父永光が豊臣秀吉に仕える彼も秀吉の小姓。秀吉の計らいで狩野永徳の門に入り狩野姓を授けられ修理亮
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