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琳派

2024年2月 9日 (金)

本阿弥光悦の大宇宙・・・現世利益、現世即、常寂光土

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第357回
本阿弥光悦、謎の生涯、多彩な才能の源泉は何か。「一生涯へつらい候事至てきらひの人」「異風者」『本阿弥行状記』。
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【本阿弥光悦の謎】本阿弥家は刀剣三事(研磨、浄拭、鑑定)を家職とするのはなぜか。【光悦1558-1637】本阿弥光悦は俵屋宗達とどこで出会ったのか。なぜ楽焼の田中常慶に習ったのか、古田織部に茶の湯を学んだのか。元和元年(1615年)徳川家康から鷹峯の地を拝領したのはなぜか。豊臣家が滅びた元和元年凱旋の家康から鷹峯に東西ニ百間の土地を与えられ一族郎党、五十五軒の屋敷を構え移り住み洛中と往還したのはなぜか。本阿弥家の名は、一遍上人の遊行念仏、南無阿弥陀仏に由来する、なぜ日蓮法華衆に属したのか。雁金屋、尾形光琳・乾山はなぜ光悦の影響を受けたのか。
【光悦の母・妙秀】(光心の娘)は90歳で没したが類い稀な女性(『本阿弥行状記』)。【光悦は妙得との間に妙潤を】なぜ光瑳を養子とし孫・光甫を得たのか。光悦は70代で子をなしたとされる。【鷹峯】延宝7(1679)年、本阿弥家は光悦の夢の地、鷹峯を幕府に返上。なぜ64年間にわたる光悦の藝術村は終焉したのか。
【本阿弥妙秀、光二、織田信長】織田信長と光二は刀剣に関して昵懇であったが、信長の部下が有岡城落城のとき荒木村重の刀剣をめぐり讒言した。「身に曇りなきことは天道御存知なるべし」。妙秀は、賀茂山で鹿狩りの信長の馬の口に、突然取りすがった。夫は落ち度もなしにご勘気を蒙っております、無実を訴え、光二の命を織田信長に助命嘆願した。(『本阿弥行状記』三巻)妙秀の娘の一人は中立売小川の呉服商、雁金屋に嫁いだ。光琳・乾山兄弟の祖父・尾形宗柏。雁金屋は当時「殊の外貧しき」と言われる貧乏商人だった。妙秀「金銀を宝と好むべからず。富むほどに一層むさぼるのが世の常だ。しかし妙秀はその貪りを恐れた。善い心という以上の宝がこの世にありましょうか」
【本阿弥光悦】(1558-1637寛永14年(1637年)2月3日、享年80歳。
【日蓮法華衆】絵師、狩野永徳や長谷川等伯は光悦より15歳以上年長だが、熱心な日蓮宗徒。本阿弥家の菩提寺の本法寺(上京区)は、等伯が終生交わりを結んだ日通上人が住職を務める。
【光悦と宗達】【本阿弥光悦】は【八代当主本阿弥光刹(こうせつの)娘、妙得】を娶り、光悦の姉、妙光が九代当主本阿弥光徳に嫁ぐ。【雁金屋初代】光悦の姉、法秀は尾形道柏に嫁いだ。【俵屋宗達】は光刹(こうせつの)娘、と婚姻(『本阿弥家系図』)、光悦と義兄弟。頂妙寺檀徒、俵屋喜多川当主宗利の子、常通=宗達が蓮池常知の養子となり、俵屋蓮池一門のもう一つの家職、扇、絵屋工房を継承した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【本阿弥本光】15世紀半ばを生きた本阿弥本光は、室町幕府第6代将軍の足利義教に仕えた。【光二】光悦はその本光の曾孫として、永禄元(1558)年に生まれた。父親の光二は本阿弥家と縁続きの武家(片岡家)の出身で【七代当主光心】本光の息子・光心の養子に迎えられ、長女の妙秀(みょうしゅう)と結婚した。光二が養子に迎えられた後、光心には実子(八代当主光刹こうせつ)が生まれ、光二は別家を立てた。
【妙秀】母親の妙秀が、魅力的な女性だった。光悦の孫・光甫(こうほ)が綴った本阿弥家の家伝「本阿弥行状記」によれば、夫の光二が織田信長の勘気をこうむったとき、妙秀は鹿狩に出かける信長を追い、馬上の信長に夫の冤罪を直訴した。鐙(あぶみ=足をかける馬具)で蹴られながらも必死に訴える様子を見た信長は、ようやく勘気を解いた。
【刀剣三事】本阿弥家は室町時代、足利将軍家や守護大名家に仕え、本阿弥家は、刀剣三事(研磨、浄拭(ぬぐい)、鑑定)、を行う専門家であった。
【天下人・家康との縁】【光悦、多彩な才能】光悦の代になると家業にとどまらず書や蒔絵(まきえ)、陶芸と幅広く手がけるようになった。姻族だった扇商の俵屋宗達に絵を描かせ、光悦が書を担当した色紙や巻物は評判を呼び、多くの注文が舞い込んだ。芸術家、光悦の誕生である。
【刀剣三事】本阿弥家は刀剣の研磨・浄拭(ぬぐい)・鑑定を家業とし、光二は加賀前田家から扶持200石を受け、彼の息子である光悦もこれを継承。【書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯】光悦は家業よりも、書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯などに携わった数寄者としての活動でその名を残した。
【寛永の三筆】「三筆」の一人に数えられ、その書流は光悦流の祖と仰がれる。陶芸では楽焼の田中常慶に習ったと思われる茶碗、漆芸では装飾的な図柄の硯箱などが知られる。このうち漆工品では極く厚い夜光貝に鉛や銀などを併用し、斬新な意匠を創り上げ、その様式は「光悦蒔絵」と称されている。茶の湯は古田織部に学んだ。
【尾形光琳・乾山兄弟】の曾祖父・道柏の妻、法秀は光悦の姉であり、光悦と光琳は姻戚関係にあり。光悦の白楽茶碗「不二山」(国宝)にも関わった【楽焼の樂家の養子となった宗入(五代目当主)】の曾祖母も法秀であり、光琳・乾山とは従弟同士。
【養孫の本阿弥光甫】も陶芸家・茶人として著名。
光悦は、洛北鷹峯に芸術村(光悦村)を築いた。元和元年(1615年)に徳川家康から鷹峯の地を拝領した。光悦は、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住した。光悦の屋敷は、死後に光悦寺となっており、彼の墓地もある。
【『本阿弥行状記』】「本阿弥家の家訓」等を光甫が書き、妙了が書写した本。
本阿弥光悦の養子・光瑳、孫光甫、孫娘・妙了
【本阿弥光悦と俵屋宗達の出会いは、異母兄弟】
【文化プロデューサー、本阿弥光悦】【光悦寺】
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【俵屋宗達】1570年代生まれ1642年までに死す。享年70歳前後。
親交のあった角倉素庵や烏丸光広と同年代、1570年代かその少し前の生まれと推定。京都で「俵屋」という当時絵屋と呼ばれた絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していた。同時代の仮名草子『竹斎』には、この頃京都で「俵屋」の扇がもてはやされたと記されている。
【平家納経】宗達は単なる扇絵職人ではなく、慶長7年(1602年)5月に福島正則の命令で行われた平家納経の修復、その内3巻の表紙と見返しの計6図を描いた(史料上確認できる宗達の事績の初見)。元和2年(1616年)、後水尾天皇が狩野興以に貝合わせの絵を描くのを命じた際、「俵屋絵」を見せたとの記録が残る。寛永7年(1630年)には、後水尾天皇から屏風3双の制作注文があった。
【俵屋宗達、法橋の位】一流の文化人であった烏丸光広や本阿弥光悦らの書巻に下絵を描き、嵯峨本の出版にも関与したらしい。少なくとも寛永7年(1630年)には町の絵師としては異例の法橋の位が与えられていた、当時から一流の絵師とみなされていた。当時有数の茶人であった、千少庵を茶の湯に招くほどの教養人。宗達死後は、俵屋宗雪が工房の後を継いだ。宗雪は寛永19年(1642年)既に法橋に叙されていることから、宗達はこの少し前に亡くなったらしい。
「風神雷神図」(建仁寺蔵)、松島図 フリーア美術館 左隻右隻、鶴下絵和歌巻(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)京都国立博物館、扇面散屏風 フリーア美術館、養源院杉戸絵、舞楽図 醍醐寺 左隻右隻
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
松嶋雅人「本阿弥光悦の実像―法華町衆ネットワークからのアプローチ」2024
「本阿弥光悦の大宇宙」図録、東京国立博物館、2024
高橋伸城『法華衆の芸術』
東晋平『蓮の暗号』
参考文献
参考文献
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変
https://bit.ly/3UYWOpe
鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉
https://bit.ly/2ZCzN3x
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館・・・絢爛たる装飾藝術、16世紀から18世紀
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c300.html
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
https://bit.ly/3hIroVg
大塚ひかり『嫉妬と階級の『源氏物語』』新潮社
「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」・・・源氏物語絵巻の闇、日月四季山水図屏風、神護寺三像、平家納経
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-1388ed.html
本阿弥光悦の大宇宙・・・現世利益、現世即、常寂光土
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-2af811.html
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★★展示作品の一部
第一章「本阿弥家の家職と法華信仰――光悦芸術の源泉」、並んだ扁額を仰ぐことができる。千葉・中山法華経寺の「正中山」「妙法華経寺」、東京・池上本門寺の「本門寺」、京都・常照寺の「学室」
重要文化財 《紫紙金字法華経幷開結》、平安時代 11世紀 京都・本法寺蔵
蓮下絵和歌巻断簡(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)17世紀 東京国立博物館
国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀
重要文化財 《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(部分) 本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵、江戸時代 17世紀 京都国立博物館蔵
重要文化財 《黒楽茶碗 銘 時雨》 本阿弥光悦作、江戸時代 17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵
重要文化財 《赤楽茶碗 銘 加賀》 本阿弥光悦作、江戸時代 17世紀 京都・相国寺蔵
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本阿弥光悦(1558~1637)は戦乱の時代に生き、さまざまな造形にかかわり、革新的で傑出した品々を生み出しました。それらは後代の日本文化に大きな影響を与えています。しかし光悦の世界は大宇宙(マクロコスモス)のごとく深淵で、その全体像をたどることは容易ではありません。
そこでこの展覧会では、光悦自身の手による書や作陶にあらわれた内面世界と、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵など同時代の社会状況に応答した造形とを結び付ける糸として、本阿弥家の信仰とともに、当時の法華町衆の社会についても注目します。造形の世界の最新研究と信仰のあり様とを照らしあわせることで、総合的に光悦を見通そうとするものです。
「一生涯へつらい候事至てきらひの人」「異風者」(『本阿弥行状記』)といわれた光悦が、篤い信仰のもと確固とした精神に裏打ちされた美意識によって作り上げた諸芸の優品の数々は、現代において私たちの目にどのように映るのか。本展を通じて紹介いたします。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2617
本阿弥光悦の大宇宙、東京国立博物館、平成館 特別展示室
2024年1月16日(火) ~ 2024年3月10日(日)

2021年11月30日 (火)

鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』260回

鈴木其一・夏秋渓流図屏風、群青色の水の流れ金色の線が衝撃的である。百合と紅葉、林と渓流が主役なのか。樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉、熊笹、樹木に張り付く苔。其一は何を描こうとしたのか。
『夏秋渓流図屏風』の誕生にかかわる先行絵画。円山応挙「保津川図」の渓流の水の流れは強烈である。山本素軒「花木渓流図」は樹林を流れる渓流の構図、渓流の群青は独創的である。鈴木其一は関西旅行して京都の寺院の絵画を研究した。『夏秋渓流図屏風』は40代半ばの最高傑作。師、酒井抱一をこの作で超えたのか。62歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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円山応挙(1733年6月12-1795年8月31日)『保津川図屏風』(1795年)62歳で死す。
京都市中にある京友禅の老舗に代々受け継がれてきた絵画。天才絵師・円山応挙の絶筆。八曲一双の屏風絵『保津川図屏風』、高さおよそ1.5m、幅は各隻5mに迫る特大の屏風絵。右隻には水しぶきを浴びそうな迫真の激流、左隻は、ゆったりとした渓谷の風情。この大作を、応挙は亡くなる1カ月前に描き上げた。保津川上流にある丹波国の村の農家に生まれた応挙は、10代前半で京の都へとやって来た応挙は南蛮渡来の眼鏡絵と出会う。眼鏡絵とは西洋の透視図法で描かれた絵をレンズで見る。応挙は、写生を基に絵を描いた最初の絵師、1000人を超える弟子を抱えた。
――
展示作品の一部
鈴木其一・夏秋渓流図屏風19世紀
圓山應舉「保津川図」1795、18世紀(千總)
山本素軒「花木渓流図」17-18世紀、生年不詳、没年1706 師匠、山本素程、狩野派。
其一の関西旅行の記録『癸巳西遊日記』(鈴木其一原本、鈴木守一写)19世紀
酒井抱一「夏秋草図」(東京国立博物館)
酒井抱一『青楓朱楓図屏風』
《檜蔭鳴蝉図》谷文晁筆 日本・江戸時代 19世紀 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵
参考文献
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
「円山応挙から近代京都画壇へ」藝大美術館・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj
鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉
https://bit.ly/2ZCzN3x
――
佐藤 康宏
「鈴木其一・夏秋渓流図」(根津美術館)は、この1双の屛風絵を中心に据えて、現代人も驚かす強烈なイメージが、どのようなイメージの脈絡の上に生まれたのかを探ろうとする特別展です。
 狩野常信をはじめとする檜を描いた先行作例とか、圓山應舉が屛風に渓流を描く「保津川図」(千總)、樹木と渓流を組み合わせる山本素軒の「花木渓流図」、其一の関西旅行の記録である『癸巳西遊日記』などが、動員されます。
 こういうソース探しの試みは本の挿図でやってもいいではないかと思われるかもしれませんが、「名作誕生」(東京国立博物館、2018年)でも実際の作品を並べてみるのは、新たな実感を伴うものではなかったでしょうか。どうぞ体験なさって下さい。
 ほかに其一作品もいろいろ出ています。「秋草・波に月図」の小屛風など、表裏の絵が互いに映り合う洒落た趣向です。少し展示替えがあり、酒井抱一「夏秋草図」(東京国立博物館)は、会期の終盤、12月7日-12月19日の間だけお出ましです。
 「夏秋渓流図」は鈴木其一(1796?-1858)の40代半ばの作と推定されるのですが、やはり彼の最高傑作ですね。その後は概してつまらなくなります。残念だなあと思いますが、自分自身も人様からそんなふうに見られているかもしれませんので、責めるのはやめましょう。11月5日 17:02
――
鈴木其一(1796-1858)の筆になる「夏秋渓流図屏風」は、岩場を削る水流のある檜の林を確かな現実感をもって描いた画面に、異様な感覚を抱かせる描写が充満する作品です。
其一は、江戸の地で、一世紀前の京都で活躍した尾形光琳(1658-1716)を顕彰し、「江戸琳派」の祖となった酒井抱一(1761-1828)の高弟ですが、徹底した写実表現やシャープな造形感覚、ときに幻想的なイメージを加え、個性を発揮しました。
そんな其一の画業の中心にあるのが、最大の異色作にして代表作でもある「夏秋渓流図屏風」です。2020年に、其一の作品としては初めて、重要文化財に指定されました。
本展では、抱一の影響や光琳学習はもとより、円山応挙や谷文晁、古い時代の狩野派など琳派以外の画風の摂取、そしてそれらを、自然の実感も踏まえつつ統合する其一の制作態度を検証して、本作品誕生の秘密を探ります。
根津美術館
https://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/
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重要文化財指定記念特別展、鈴木其一・夏秋渓流図屏風
根津美術館、2021年11月3日[水・祝]-12月19日[日]

2015年5月19日 (火)

「燕子花と紅白梅 ―光琳デザインの秘密―」・・・春爛漫の庭に佇む

201503180黄昏の丘、花ざかりの森を歩いて、黄昏の街に行く。夢を語る、夕暮れの美術館、夕暮れの諧調。友に思いやり、慈愛を持つ人は、守護霊に救われる。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
春爛漫、杜若の庭に佇み、光琳の藝術と生涯を想う。尾形光琳『光琳百人一首歌かるた』「猿丸太夫」(奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき)には、本阿弥光悦筆、俵屋宗達画『鹿下絵新古今和歌巻』、『鶴下絵和歌巻』(桃山時代17世紀)の影響が著しい。光悦は、京都、鷹が峯に芸術家のコミュニティを築いた。尾形光琳(1658-1716)は、若き日々、遊蕩三昧に明け暮れる、29歳の時、父尾形宗謙が死去し、雁金屋は倒産の危機に陥る。『燕子花図屏風』は、小袖の連続模様、『雁金屋衣裳図案帳』による。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
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■尾形光琳300年忌記念特別展「燕子花と紅白梅 ―光琳デザインの秘密―」、根津美術館
★展示作品
『燕子花図屏風』尾形光琳筆、江戸時代 18世紀、根津美術館蔵。総金地に青と緑のみによって、なかば模様化された燕子花の群れが、左右隻で異なる構図を描きながらリズミカルに配置される。光琳40歳代なかば、画業の最初の到達点。
『紅白梅図屏風』尾形光琳筆、江戸時代、18世紀 MOA美術館蔵。若々しい息吹をたたえた紅梅と、老練さを感じさせる白梅、その間を、暗く輝く流水が画面を縦に分断する。対立する諸要素による緊迫した造形を見せる、光琳最晩年の傑作。
『雁金屋衣裳図案帳』小西家文書、17世紀、大阪市立美術館。小西家文書=小西家伝来・尾形光琳関係資料。尾形光琳(1658-1716)の子・寿市郎が養家の小西家にもたらしたもの。昭和18年に武藤金太氏より寄贈された当館収蔵の33件と、京都国立博物館収蔵の257件があり、一括して重要文化財に指定。徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮である東福門院の呉服御用をつとめた光琳の生家呉服商雁金屋で作られた小袖を記録した衣裳図案帳や資料、光琳や弟尾形乾山に関わる記録、そして絵師光琳の下絵・画稿・粉本、諸文書など多岐にわたり、光琳の芸術と生活を如実に伝えます。 絵画、書、染織、蒔絵、陶磁器など美術工芸、また当時の芸能や文化、経済を考える上で重要な資料です。
重要文化財 円型図案集のうち 鹿図 尾形光琳(1658-1716)江戸時代17後半-18世紀初期
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2015年は、享保元年(1716)に59歳で没した尾形光琳の300年忌にあたります。それを記念して、当館が所蔵する「燕子花図屏風」とMOA美術館が所蔵する「紅白梅図屏風」、光琳が描いた2点の国宝の屏風を中心とする特別展を開催します。
このふたつの屏風にもうかがわれる光琳のデザイン性に、あらためて注目したいと思います。光琳は、京都の高級呉服商を生家として美しい衣裳に囲まれて育ち、また縁戚にもあたる本阿弥光悦や俵屋宗達によって生みだされた江戸初期の装飾芸術に親しみ、かつ新しい時代の感覚も取り込んで、独自の世界をつくりあげました。
 本展では、光琳の「模様」のような屏風の系譜を宗達からたどり、光悦に関わりのある雲母や金銀泥による木版摺りが光琳に与えた影響を探り、さらに漆器の図案や弟・乾山の陶器の絵付けなども含めたデザイナー・光琳の営みを総覧します。
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/

「大琳派展 ―継承と変奏―」尾形光琳生誕350周年」東京国立博物館2008/10/7-11/16
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=559
重要文化財『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』本阿弥光悦筆、俵屋宗達料紙、江戸時代・17世紀。
光琳「燕子花図屏風」六曲二隻屏風。
光琳「波図屏風」二曲一隻屏風、メトロポリタン美術館

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