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日本美術史

2017年4月20日 (木)

茶の湯、東京国立博物館・・・曜変天目、漆黒の闇のなかに輝く瑠璃色の星

20170411Youhentenmoku桜満開の森を歩いて、春爛漫の博物館に行く。足利義政、織田信長、千利休、松平不昧、天下の武将や茶人たち。天下の名画、名碗は歴史の波を流転した。
戦国の趣味人は、茶会に何を求めたのか。天下布武、安土城、茶の湯。本能寺茶会。織田信長は、新しい価値観を創造した。
信長はなぜ本能寺で殺されたのか。
曜変天目茶碗、幻想的な虹色の斑紋、瑠璃色の輝き、青と藍、漆黒の闇の宇宙。
曜変天目茶碗は、天下の名器天目茶碗のうち、最上級とされる。(『君台観左右帳記』)八代将軍、足利義政が愛した天目茶碗。足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀、南宋時代(静嘉堂文庫蔵)は、三代将軍家光から稲葉家に下賜された。
織田信長が所持した天下の唐物肩衝茶入「初花」「新田」。「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)は、足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
牧谿「観音猿鶴図」「遠浦帰帆図」、「廬山図」玉澗筆。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者、時を超え黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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信長はなぜ本能寺で殺されたのか
織田信長と茶会・・運命の本能寺
【織田信長と茶会】天下布武
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年、元亀二年、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴会。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
運命の本能寺茶会
織田信長は、肩衝茶入「天下の三肩衝」(さんかたつき)を集めるため、本能寺にて、茶会を催す。2つは織田信長が持っていた。*
*「天下の三肩衝」といわれる「楢柴」「初花」「新田」。
博多豪商の島井宗室が「楢柴」をもっていた。
信長の5軍団のうち、明智光秀軍以外の4軍団は京都にいない。信長は70人の供の者だけであった。
【織田信長 最期の茶会】1582年(天正十年)6月1日、本能寺にて信長が茶会を催す。
利休60歳。信長48歳。1582年6月1日、本能寺にて信長が自慢のコレクションを一同に披露する盛大な茶会が催される。この夜、信長は明智光秀の謀反により、多数の名茶道具と共に炎に散った。
【本能寺の変】天正十年、6月1日夜。明智光秀、謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。
怨恨はあり得ない。小和田哲男、谷口克広『集中講義』P.166
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若き織田信長、苦闘の日々
病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、信長は返り討ち
弘治三1557年、11月2日、病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、清州城で返り討ちする。誅殺。家臣、池田氏。池田恒興らが殺害。信長24歳の時。
池田恒興の子、池田輝政が、姫路城大改修(1601—1609)。5層7階の連立式天守を完成。
1557年、生駒家宗の娘、芳野との間に嫡男、信忠、幼名、奇妙丸を得る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/M42reazRZU
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lbezTP
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曜変天目の再現に挑む陶芸家は、非業の死を遂げる。
なぜ陶芸家たちは、このあまりに高い壁に魅せられ、挑んでゆくのか。 京都の桶谷寧氏は「曜変は世界に残された神秘性の最後の砦」。制作方法は全くの謎、多くの日本の陶芸家が、妖しい宇宙に迫ろうと心血を注いでいる。林 恭助氏は曜変天目に挑み続けている。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀13世紀、南宋時代。東山文化、足利政義の時代から伝世。
★参考文献
曜変天目復元に挑む(2002/10/19日経新聞)
曜変天目誕生の謎に迫る(2004/11/13朝日新聞)
ひと 林 恭助さん(2007/3/16朝日新聞)
曜変の光に魅了され 謎の制作方法に挑む陶芸家たち(2007/6/17朝日新聞)
安藤 堅著『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)
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展示品の一部
油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)、国宝
大井戸茶碗 銘 喜左衛門(京都・孤篷庵蔵)、国宝。
志野茶碗 銘 卯花墻、国宝(三井記念美術館蔵)
天下の唐物肩衝茶入「初花」。「遅桜」
黄天目、珠光天目
白天目、竹茶杓
室町幕府8代将軍、足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」(ばこうはん)。
織田信長から贈られた柴田勝家所持の「青井戸茶碗 銘 柴田」。歴史上の著名人に所縁ある茶碗。
青磁輪花茶碗「銘 馬蝗絆」(東京国立博物館蔵)重要文化財 
青井戸茶碗「銘 柴田」(根津美術館蔵)重要文化財、織田信長から贈られた柴田勝家所持。
本阿弥光悦作「黒楽茶碗 銘 時雨」
赤楽茶碗「銘 無一物」(兵庫・頴川美術館蔵)重要文化財、楽焼の始祖、長次郎が作った。千利休好み。
黒楽茶碗「銘 時雨」長次郎(名古屋市博物館蔵)重要文化財 
「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)京都国立博物館蔵、重要文化財
本図を含む瀟湘八景図は、中国の洞庭湖に注ぎ込む瀟水と湘水一帯の景勝を描いたもの。足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
「廬山図」玉澗筆、中国 南宋時代・13世紀、岡山県立美術館蔵(4月11日〜5月7日)重要文化財
牧谿にならぶ中国の著名な画家の一人、日本で高く評価されてきた禅僧画家、玉澗の名品。かつて佐久間将監が茶掛けに合うように裁断したというエピソードがある。
「紅白芙蓉図」李迪筆、南宋時代・慶元3年(1197)国宝、東京国立博物館蔵。南宋の画院画家、李迪による花の絵。1日で白から紅に色を変える酔芙蓉を瑞々しく繊細に描く。
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流転の絵画、牧谿
牧谿「観音猿鶴図」大徳寺、国宝。長谷川等伯「枯木猿猴図」、数々の猿猴図に影響を与えた。牧谿「遠浦帰帆図」。
足利義満から織田信長まで、愛された画家、牧谿。宋末から元初の画僧。蜀 の人。
牧谿『瀟湘八景図』は、足利義満が切断した。『煙寺晩鐘図』は、13代将軍足利義輝を暗殺した松永久秀の手に渡り、続いて彼を降伏させた織田信長、徳川家康の元へ、権力の推移と伴に流転した。
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茶の湯、東京国立博物館
2017年4月11日(火) ~ 2017年6月4日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1828

2016年5月 3日 (火)

若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界

20160422花吹雪、花も嵐も踏み越えて、緑深い森を歩いて、美術館に行く。牡丹、躑躅の花咲く。春爛漫。花の匂い漂う森。永遠を旅する哲学者は、守護精霊の豹に導かれて、智慧の羅針盤の指す方向に、歩いていく。新緑の森を森の奥へ、白いドレスの女は森を彷徨い歩く。『老松鸚鵡図』の鸚鵡のように。
瞬間の中に、永遠の今、生命の宇宙と個の宇宙の融一。戦国武将の競争世界を生きてきた、旅する哲学者。陥れる策略、謀反、嫉妬、詐欺、詭計、殺意うずまく階級社会、生き残りをかけて戦い敗れた日々。蘇る哲学者。
愚者よ、外見で無用と決める愚かさに気づけ。「大盈若沖、其用不窮」『老子』。恨血千年土中碧、恨みの血は千年地中に凝結し碧玉となる。花ゆらゆら夕べに散る。森の残照。
見果てぬ夢を見る人は、どのように希望をつなぐのか。「千載具眼の徒を竢つ」(若冲)。千年の後、具眼の士が現われるのを待つ。と絵師はいう。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若冲は35歳の時、相国寺にて、僧、大典顕常(1719年—1801年)に出会う。売茶翁(1675年—1763年)とも出会う。若冲という名を得て、若冲『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成する(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)。人知れず隠れて、寺院の秘密の部屋で超絶技巧を磨き貫き、技を駆使して、革新的技法、創造的芸術を探求した。裏彩色、色彩の魔術師。8万6千の方眼の中に描かれている極彩色の屏風、『鳥獣花木図屏風』。枡目描きは、西陣織物商、金田忠兵衛がいた。
若冲の超絶技巧の超細密画、微細な生きものの神秘な世界。マクロコスモスとミクロコスモスの調和、宇宙と小宇宙の融一を観照する。寺院の秘密の部屋。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――――――――――
永遠を旅する哲学者は、千年後に具眼の士が現われるのを待つ。旅する哲学者は、瞬間の永遠、永遠の今のなかに、美と真理を探求する。美は真であり、真は美である。詩人の魂は、怨みにある。李白の美の源泉は、恨みである。
若冲が『動植綵絵』で追求したものは何か。作品を評価してくれる人が現れるまで千年待つ。天上の宇宙と心の中の宇宙。天上の宇宙と心の中の宇宙。若冲は、生きものの神秘と美に魅入られたのか。若冲の絵画『動植綵絵』の方法とは何か。「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」「いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、わが天上の星の輝きと我が心の内なる道徳律」。内なる宇宙は、何を志向したのか。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
――――――――――
伊藤若冲、謎の生涯
伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。相国寺、大典に出会い、人生が一変する。師なき領域で独創的藝術を探求した。
南蘋派の絵師、鶴亭に影響を受けて1000点に及ぶ中国絵画の臨写(模写)をするが、模写を止め独創性を追求する。「旭日鳳凰図」(1755)から始まる創造的藝術の探求。
若冲は10年の歳月をかけて『動植綵絵』『釈迦三尊像』『釈迦三尊像』を描き、京都、相国寺に寄進した。
*『動植綵絵』「群鶏図」「老松孔雀図」「老松鳳凰図」「牡丹小禽図」「雪中錦鶏図」「芍薬群蝶図」、鳥、植物、微細な生きものの輝く宇宙。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――――――――――
★主要作品
『動植綵絵』全30幅(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)、『釈迦三尊像』3幅、相国寺。(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)
伊藤若冲『象と鯨図屏風』紙本墨画 六曲一双 寛政9年(1797年)MIHO MUSEUM
大阪西福寺蔵『仙人掌群鶏図襖絵』(重要文化財)。金地の襖の上に描かれた鶏とサボテンの極彩色の美。「若冲の鶏」。
『菜蟲譜』(佐野市立吉澤記念美術館)。青物問屋の長男として生まれた若冲の動植物への愛情があふれ出ている作品。横10メートル以上に及ぶ作品の中に98種類の野菜、果物、そして56種類の昆虫が描かれている。若冲の画力とユーモア。
『百犬図』(個人蔵)、縦1.4メートルの大画面に、様々な表情と容姿の犬が描き込まれた。
重要文化財『葡萄小禽図襖絵』『松鶴図襖絵』(金閣鹿苑寺)、重要文化財『蓮池図』(西福寺)。
『鳥獣花木図屏風』(18世紀、プライス・コレクション) *日本美術史上、最も謎に満ちた作品*
参考文献
*狩野博幸『その絵師、若冲なり』2016、辻惟雄『奇想の系譜』1970
――――――――――
★3点の若冲屏風に作者帰属問題がある。*『白象群獣図』( 1772-87年個人蔵)、*『樹花鳥獣図屏風』(18世紀、六曲一双・紙本著色、各137.5×355.6cm)静岡県立美術館
*佐藤康宏(東京大学教授)は「樹花鳥獣図屏風」を「工房作」、「鳥獣花木図屏風」を「作者不明の模倣作」と指摘した。若冲作とされる桝目描きの作品は、ほかに「白象群獣図」がある。白象は若冲作とした。*(佐藤康宏「若冲・蕭白とそうでないもの」『美術史論叢』2010東京大学)
*「若冲屏風」は本人の作? 朝日新聞2010/05/01
――――――――――
★ これまでの若冲展
*没後200年「若冲展」京都国立博物館、平成12年(2000)
*「若冲ワンダーワールド」、MIHO MUSEUM、2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
*プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、
*愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
*伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
*「皇室の名宝 日本美の華」、若冲『動植綵絵』、東京国立博物館、2009年10月6日~11月3日
*「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日
*「Kawaii 日本美術」山種美術館、伊藤若冲《樹花鳥獣図屏風》(静岡県立美術館)、2014年2月4日(金)~3月2日(日)
*「若冲と蕪村」生誕三百年同い年の天才絵師、サントリー美術館、2015年3月18日(水)~5月10日(日)「象と鯨図屏風」伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵、「白象群獣図」個人蔵
*わが名は鶴亭―若冲、大雅も憧れた花鳥画、神戸市美術館
「桐に鳳凰図」鶴亭筆 宝暦3年(1753年)個人蔵
2016年4月9日(土)~5月29日(日)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html
――――――――――
若冲展 生誕300年記念、東京都美術館
2016年4月22日(金)~5月24日(火)
http://www.tobikan.jp/

2015年6月 6日 (土)

「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」・・・闇に眠りつづける謎

2015042801花ざかりの森を歩き、百花繚乱の丘を越えて、新緑の博物館に行く。夕暮れの森、夕暮れの諧調。風薫る春、夜の森、木々は囁く。
支配体制が揺らぐ下剋上の時代、支配階級との戦い、支配階級を戯画化する絵師。「兎と蛙の相撲。兎の耳に噛みつく蛙。」禁じ手を使う弱者。支配階層への抵抗と諧謔。作者はだれか。何を戯画化しているかは謎である。寺院の暗闇で八百年間、眠りつづける謎。
★美への旅、大久保正雄、『旅する哲学者』より
甲巻、「鳥獣戯画」を代表する巻。動物を擬人化、遊戯と儀式に興じる姿を描く。兎と蛙の相撲。兎の耳に噛みつく蛙、禁じ手である。兎と蛙が、猿を追いかける。
乙巻、ほえ合うイヌやつかみ合いをするイヌ。蝶を追う獅子と、後ろ足で頭を掻く獅子。
丙巻、動物を擬人化、囲碁、闘犬などの遊戯に興じる。
丁巻、カエルが描かれた本尊を前に法会が営まれる。甲巻の法会の場面をもとに描かれている。
■展示作品
国宝 鳥獣戯画 甲巻 1巻 平安時代・12世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 乙巻 1巻 平安時代・12世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 丙巻 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 丁巻 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
国宝 明恵上人像(樹上坐禅像)、鎌倉時代・13世紀
国宝 華厳宗祖師絵伝 義湘絵 巻三、鎌倉時代・13世紀
――――――――――
誰もが一度は目にしたことのある、日本で最も有名な絵巻、国宝・鳥獣戯画。墨線のみで動物や人物たちを躍動的に描いた、日本絵画史上屈指の作品です。全巻の修理を終え、その魅力を一新した鳥獣戯画の全貌を紹介します。国宝の甲・乙・丙・丁4巻とともに、この4巻から分かれ、国内外に所蔵される断簡5幅も集結。現存する全ての鳥獣戯画をご覧頂けます。
また、鳥獣戯画の伝来した京都・高山寺は、鎌倉時代のはじめに明恵上人によって再興され、今なお多くの文化財が伝わります。本展覧会では、高山寺ゆかりの至宝とともに、明恵上人の信仰と深く関わる美術作品を、かつてない規模で展観します。
――――――――――
特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」東京国立博物館
2015年4月28日(火) ~ 2015年6月7日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1707
http://chojugiga2015.jp/ 

2015年5月 5日 (火)

「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館

20150318黄昏の丘、黄昏の森を越えて、黄昏の街に行く。黄昏の美術館、夕暮れの諧調。愛を語る星降る夜、花の森。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
夕暮散歩して、出雲大社分祀の道を歩き、美術館に行く。彷徨える藝術家、蕪村の「夜色楼台図」「鳶・烏図」には、苦難に耐える孤高な旅人の美しい姿がある。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
夕暮れの美術館、ソファで図録を読みながら、うたた寝すると、隣の女性が話しかけてきた。「美術館で図録を買っても、開いて見ることはないんです。深いことは何も書いてないんですよ。表面的な浅い事しか、書いてないんです。」と彼女。「若冲ワンダーワールド展を見に、MIHOミュージアムに行ったら、ギリシア彫刻やガンダーラ美術があった。どうしてですか」
大久保正雄『ふしぎな美術館』より
★主要展示作品「若冲と蕪村」
「象と鯨図屏風」、伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵
紙本拓本「乗興舟」、伊藤若冲筆 大典顕常跋 明和4年(1767)頃
「猿猴摘桃図」、伊藤若冲 伯珣照浩賛
「夜色楼台図」国宝 与謝蕪村 18世紀 個人蔵
与謝蕪村「鳶・烏図」18世紀 北村美術館
「山水図屏風 」与謝蕪村筆 六曲一双 天明2年(1782) MIHO MUSEUM蔵
「蜀桟道図」与謝蕪村筆 一幅 安永7年(1778) LING SHENG PTE. LTD(Singapore)
■生誕三百年同い年の天才絵師 若冲と蕪村、サントリー美術館
2015年3月18日(水)~5月10日(日)
正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/index.html

これまでの主な若冲展
若冲ワンダーワールド、MIHO MUSEUM、 2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日

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