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仏教

2019年10月22日 (火)

「正倉院の世界」・・・螺鈿紫檀五絃琵琶、天平文化の香り

Shosoin2019-2
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』195回
大風が吹き荒れた嵐の秋の午後、多摩川を渡って、銀杏の実が落下して散り敷いた広場にて友人と会い、森を歩いて博物館西門に行く。
【螺鈿紫檀五絃琵琶、千二百年前からきた旅人】沙漠を超えて、千二百年前からきた旅人。琵琶に刻まれた、駱駝に乗って琵琶を演奏する人。裏面に散り乱れる宝相華文。琵琶を奏でる、千二百年の旅人。天平の音色が漂う。56歳で亡くなった聖武天皇の遺愛の品、五絃琵琶を光明皇后が東大寺盧遮那仏に献じた。苦悩から生まれた盧遮那仏の蓮華蔵世界。天平文化の偉大と頽廃。
【蘭奢待】天正二(1574)年3月27日、織田信長は正親町天皇の勅許をえて切らせ、四月三日畫相國寺にて蘭奢待を千宗易に下賜した(『天王寺屋会記』)。寛正6(1465)年、足利義政が蘭奢待を截り取り。天下の名香、天平の香りが立ち昇る。天平勝宝8(756)年、光明皇后が盧遮那仏に献じた黄熟香。『国家珍宝帳』記載。
【天平文化の偉大と頽廃】聖武朝は、長屋王の変、藤原四子の死、藤原広嗣の乱を経験、740恭仁京、742紫香楽宮、745難波京、3回にわたり遷都、天平17(745)年、平城京に戻り、盧遮那仏を造立、天平勝宝4(752)年開眼。天皇は56歳で死に、光明子は60歳で死す。王の栄光と苦悩。苦悩を癒すため、華厳経の教主、盧遮那仏に祈った。光明子の偉大と頽廃。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【天平時代 血に塗れた天平時代(729-749年) 】
729年、長屋王の変。737年、藤原四子の死(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)藤原四子が姉妹の光明子を聖武天皇と政略結婚させようとしたが、長屋王が反対した。そこで彼らは長屋王を謀殺。長屋王の変である。ところが新羅からやって来た天然痘で藤原四子は次から次へと死亡。聖武天皇は崇りを恐れた。その後、740年、藤原広嗣の乱が起り、聖武天皇の恐れは増大。天平勝宝元(749)年、孝謙天皇に譲位。 重祚した称徳天皇は道鏡に太政大臣禅師と法王の位を与えた。 
【天平文化】東大寺、盧遮那仏、天平勝宝4年(752年)開眼供養。東大寺を建立し、金光明最勝王経と妙法蓮華経を崇拝し配置、東大寺盧遮那仏、東大寺法華堂、転害門、薬師寺東塔、法隆寺東院夢殿が建立された。天平文化は、周(武周)の武則天や唐の玄宗皇帝の文化、爛熟した盛唐の文化の影響を受けた仏教文化である。
【阿修羅像】阿修羅像は、三面六臂、734年(天平六年)、脱活乾漆造。天平彫刻の最高傑作。憂いを秘めた顔貌。聖武天皇の后、光明皇后が母、県犬養橘三千代の冥福を祈って、天平六年に建立された西金堂に造立安置された八部衆のうちの一躯。
【阿修羅像の謎】女性か男性か、モデルはだれか。実在のモデルが存在する。光明子の娘、15才の少女、阿倍内親王(孝謙天皇)であるとする説あり。阿修羅像の三面、中央は、憂い、左は怒り、右は困惑を表す。749年孝謙天皇、即位。
【絶世の美女、美しき王妃】聖武天皇后、光明子。嵯峨天皇皇后、橘嘉智子。織田信長の愛妻、生駒吉乃、信長の娘、徳姫。信長の妹、お市の方、お市の娘、浅井三姉妹、茶々、初、江。*嵯峨天皇の后、橘嘉智子(檀林皇后嘉智子)は「法華寺十一面観音立像」(9世紀)のモデル。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【正倉院】756年に営まれた聖武天皇の七七忌(四十九日)に、光明皇后が大仏にささげた天皇の遺愛品六百数十点が起源。東大寺の正倉院宝庫に納められたが、薬物が治療用に使われたり、大量の武器が藤原仲麻呂(恵美押硝の乱(764年)で持ち出された。庫内に現存する宝物は約9千点。
【光明皇后】(701-760)。光り輝く美しさから光明子という。大宝元年生まれ。藤原不比等と県犬養美千代の娘。孝謙天皇の母。長屋王の変の後、天平元年(729)臣下からはじめて皇后となり、藤原氏の勢力拡大に寄与。仏教に帰依し、国分寺の建立、東大寺大仏の造営をすすめ、施薬院、悲田院をもうけて病人や孤児をたすけた。天平勝宝6年、聖武、孝謙と共に大仏殿前で唐僧鑑真より受戒。天平宝字4年6月7日死去。60歳。名は安宿媛(あすかべひめ)光明子。王羲之の書「楽毅論」を臨書した巻物は名筆として著名。
【盧舎那仏像】東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像。聖武天皇の発願で天平17年(745年)紫香楽宮にて制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会。
【聖武天皇】701-756。在位724-749。大宝元年生まれ。文武天皇の皇子。母は藤原不比等の娘宮子。元正天皇の譲位をうけ即位。蝦夷の反乱、長屋王の変、天然痘の大流行、藤原広嗣の乱、政情・世情が安定せず、たびたび都を遷した。仏教に帰依して諸国に国分寺、国分尼寺、,東大寺の大仏造立。天平勝宝(756)8年5月2日死去。56歳。
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【聖武と天平文化】遣唐使を2回送って唐の文化をとり入れ、その治世に天平文化が頂点に達した。仏教に深く帰依。国分寺・国分尼寺、東大寺を建て、東大寺の盧遮那仏を造立。その造営事業は740恭仁京、742紫香楽宮、745難波京と3回にわたる遷都とともに膨大な費用を要し、国家財政は乱れた。749年孝謙天皇に譲位。
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★展示作品の一部
『国家珍宝帳』東大寺献物帳、奈良時代・天平勝宝8歳(756)正倉院宝物[前期展示]
「宝物はみな聖武天皇の御遺愛品などです。昔のことを思い出し、目を触れるたび悲しみでくずれそうになります。謹んで盧遮那仏に奉納します」光明皇后は天皇が早く盧遮那仏の世界「花蔵の宝刹」に安住されることを願って、東大寺の盧遮那仏に天皇ご遺愛の品々をはじめとする、六百数十点の宝物を献納。
平螺鈿背八角鏡、中国 唐時代・8世紀 正倉院宝物[後期展示]
黄熟香、東南アジア 正倉院宝物[通期展示]
【「蘭奢待」】天下の名香。この雅名の中には「東」「大」「寺」の三文字が組み込まれている。足利義政や織田信長らがこの香木を得たいと熱望し、一部を切り取った出来事は有名、近代になっても明治天皇が行幸した折に切り取られている。沈丁花科のジンコウ属植物に樹脂が沈着することで出来た沈香(じんこう)であり、いまだに高い香りを放っている。『国家珍宝帳』記載
螺鈿紫檀五絃琵琶、中国 唐時代・8世紀 正倉院宝物 [前期展示]
【螺鈿紫檀五絃琵琶】古代インドに起源を持つ五絃琵琶。その唯一の作例として著名な本作は、紫檀を刳り抜いた本体に別材の腹板をあて、全体に玳瑁(たいまい、ウミガメの甲羅)と螺鈿で装飾を施している。背面に表わされた宝相華文は圧巻の造形美。撥を受ける部分にはラクダに乗って琵琶を演奏する人物が表され、シルクロードを通じて遠い異国の音楽が伝えられたことを象徴する。『国家珍宝帳』記載の品、古代東洋の工芸史上、最高の傑作と言うべき至宝。
紫檀木画槽琵琶したんもくがのそうのびわ中国 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物 [後期展示]
伎楽面 酔胡王、奈良時代・8世紀 正倉院宝物 [前期展示]
漆胡瓶、中国 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物 [後期展示]
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★参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
東大寺大仏-天平の至宝・・・蓮華蔵世界、蓮の花弁に香る天平文化.
https://bit.ly/2xC6IE4
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2CQlxoY
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
林陸朗著『光明皇后』1961
『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
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★「正倉院の世界-皇室がまもり伝えた美-」東京国立博物館、10月14日(月)~ 11月24日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1968

2018年10月 7日 (日)

「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」・・・純粋な美しい魂に舞い降りる

Kaikeijoukei2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第158回
金木犀の香る森を歩いて、博物館に行く。夕暮れの森、夕暮れの諧調、夕暮れの寺院、観音菩薩は、純粋な美しい魂に舞い降りる。
【六観音菩薩】聖観音菩薩、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、四苦八苦の人道を救う。如意輪観音菩薩、神通力をもつ天人を救う。
この世は、競争社会。弱肉強食の畜生、怒りと争いの修羅。強奪と詐欺と殺戮と裏切りの悪鬼に満ち充ちている。神通力をもつ天人を救うのは、如意輪観音である。
競争社会のフランスを逃れて、ポルトガルに移住するフランス人。金権社会のイギリスを逃れて、イタリアに移住するイギリス人。織田信長は、階級社会の日本を嫌悪して、天下布武、既存の階級社会、価値観を拒否、戦いと茶会を展開した。天道を追求した織田信長。
【信長の弟信行、病いの織田信長を殺しにやってくる】信行、弘治3 (1557)年11月2日、二度目の謀反を企て、清洲城へ信長の見舞いに行った。清洲城北櫓天主、次の間で信長の命を受けた河尻秀隆ら、あるいは池田恒興らによって返り討ち。復讐する信長24歳。
【織田信長、天下布武、茶会】織田信長は、1567(永禄10年) 天下布武から、戦いと茶会を展開する。1568(永禄11年)9月26日、信長、入京。1571年(元亀二年)、織田信長、東福寺にて茶会。
*大久保 正雄『戦う知識人の精神史』
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【六観音菩薩】聖観音菩薩、千手観音菩薩、馬頭観音菩薩、十一面観音菩薩、准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、如意輪観音菩薩
六観音菩薩は、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音。*六観音菩薩は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道。六道から生きものを救う。(天台智顗『摩訶止観』)
衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(境涯)、六趣、六界。
【六道輪廻】天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道、
【死生学】【六道輪廻】責め苦の地獄道、飢えと渇きの餓鬼道、弱肉強食の畜生道、争い殺し合う修羅道、四苦八苦の人間道、天人は神通力が使えるが苦に悩む天道。六道輪廻から生きものを救う観音菩薩。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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天台僧の義空(1172~1241)は、釈迦は永久にこの世に存在し法を説くという『法華経』の教えにもとづいて、1220(承久2年)大報恩寺を創建した。快慶作の十大弟子立像と、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像は、法華経の世界を表現する。
運慶一門の慶派仏師、定慶作の六観音菩薩像が伝来する。貞応三年(1224)に、定慶が造ったと准胝観音の像内墨書銘にある。運慶の長男である湛慶より十歳ほど若い定慶は、運慶の弟子。
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展示作品の一部
運慶の晩年の弟子、定慶が41歳の時に制作した「六観音菩薩像」。大報恩寺の秘仏本尊、快慶の弟子、行快作「釈迦如来坐像」、快慶作「十大弟子立像」、運慶の弟子、行快とほぼ同じ世代である肥後定慶作「六観音菩薩像」。
行快作「釈迦如来坐像」、鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵
快慶作「十大弟子立像」、鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵
阿難陀(あなんだ)、羅睺羅(らごら)、優婆離(うぱり)、阿那律(あなりつ)、迦旋延(かせんえん)、富楼那(ふるな)、須菩提(すぼだい)、大迦葉(だいかしょう)、目犍連(もくけんれん)、舎利弗(しゃりほつ)
肥後定慶作「六観音菩薩像」、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音 鎌倉時代・貞応3年(1224)京都・大報恩寺蔵
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★参考文献
法華寺「十一面観音」の美・・・純粋な魂に舞い降りる
https://bit.ly/2NKS5IP
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
「栄西と建仁寺」・・・天下布武と茶会、戦国時代を生きた趣味人
https://bit.ly/2OAhnsz
妙心寺展・・・禅の空間、近世障屏画の輝き
https://bit.ly/2OACxXq
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京都市上京区に所在する大報恩寺は、鎌倉時代初期に開創された古刹です。釈迦如来坐像をご本尊とし、千本釈迦堂の通称で親しまれています。本展では、大報恩寺の秘仏本尊で、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像、快慶作の十大弟子立像、運慶の弟子で、行快とほぼ同じ世代である肥後定慶作の六観音菩薩像など、大報恩寺に伝わる鎌倉彫刻の名品の数々を展示いたします。
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特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」、東京国立博物館
2018年10月2日(火) ~12月9日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914

2017年9月29日 (金)

「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵

Unkei2017大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第126回
秋の午後、銀杏の森を歩いて博物館に行く。運慶の全作品31点のうち22点が勢揃いする。運慶の魂の深淵にあるものは、何か。魂は何に葛藤したのか。20代の運慶が作った「大日如来」と、40代の「大日如来」との間にある時間は何を意味するのか。
「金剛力士像 阿吽、東大寺南大門」制作に挑む運慶は、怪物に挑む者のようだ。
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが深淵を覗くならば、深淵もまたおまえを見返すのだ。(『善悪の彼岸』146節)
平安後期の定朝様式、平等院鳳凰堂、阿弥陀如来。これに革命をもたらしたのが奈良仏師、康慶・運慶親子による慶派。玉眼を入れる写実的でリアリティある造形、筋肉描写が力強く衣の襞の彫りが深い。運慶の最初の作品は、「大日如来坐像」(圓城寺1176)。一年かけて一人で製作した。
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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「大日如来坐像」(光得寺)、光背の太陽光線、雲に乗る菩薩、蓮華座の4頭の獅子、蓮弁の水の滴り。運慶「大日如来」(光得寺)、鑁阿寺より伝来。1196年(建久7年)。足利義兼が制作依頼した像で、義兼が自ら背負って諸国を歩いたとされる。
運慶は、建久八年(1197)、東寺講堂(839)の立体曼荼羅の二十一体を修復した。このとき、三百年前の奈良仏師の息づかいに触れ、弘仁貞観の密教仏から学んだ。東寺の立体曼荼羅は、雲に乗る36躯体の菩薩、蓮華座の8頭の獅子、中心に大日如来、「金剛界曼荼羅」成身会を表している。
「毘沙門天立像」(願成就院蔵)鎌倉時代・文治2年(1186)を作ったころから、運慶の作風は研ぎ澄まされたようだ。
運慶の刻印として仏像の内側に納められている「像内納入品」、「五輪塔」、「心月輪」は何を意味するのか。
興福寺北円堂の無著・世親菩薩立像(1212年)は、日本彫刻史上の最高傑作といわれる。
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平重衡による南都焼討1180年、興福寺が全焼、東大寺は主要伽藍が焼け落ちる。平家、壇ノ浦にて滅亡1185年。承久の変1221年、北条義時が後鳥羽上皇を破る。激動の嵐のなかで、運慶は何を考えたのか。
藤原定家、妖艶の極致を示す御室五十首の歌は、建久七年の政変(1196年11月)の無慚の世の不遇の中で詠まれた。 
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら 新古今三八
藤原定家、御室五十首は、憂愁と妖艶の極致である。

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美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【彫刻1600年の旅】紀元前334年アレクサンドロス大王の東征によって、1世紀ガンダーラ彫刻が生まれ、南北朝の北魏様式、南梁、飛鳥白鳳の彫刻に辿りついた。7世紀、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、9世紀、弘仁貞観文化、国風文化、13世紀、運慶にいたる彫刻史。
法隆寺夢殿救世観音菩薩像、薬師寺金堂薬師三尊像、東大寺法華堂、不空検索観音、日光月光菩薩像、東寺講堂立体曼荼羅、仁王経曼荼羅の二十一体の仏像。平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像。
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運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日))73歳で亡くなる。
定朝の流派は、3つに分かれる。院派、円派、奈良仏師。慶派は、定朝の孫弟子、頼助から始まる奈良仏師の流派である。慶派の祖、康慶の子、運慶。
運慶の父・康慶、運慶の実子・湛慶、康弁ら親子3代が慶派の盛期である。
運慶・快慶「東大寺南大門、金剛力士像 阿吽」1203、湛慶「蓮華王院、千眼千手菩薩像」、慶派の頂点である。
「四天王立像」(興福寺南円堂)は、運慶の父・康慶の作とされてきたが、運慶作と判明している興福寺北円堂の無著・世親陵菩薩立像などと同じ桂材製であることから、運慶作の可能性がある。
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展示作品の一部
国宝 大日如来坐像、 運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵
重要文化財 仏頭、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、興福寺蔵
国宝 運慶願経(法華経巻第八)、平安時代・寿永2年(1183)
国宝 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、静岡・願成就院蔵
国宝 八大童子立像のうち恵光童子・制多伽童子、運慶作、鎌倉時代・建久8年(1197)頃、和歌山・金剛峯寺蔵
重要文化財 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像、重要文化財 不動明王立像、重要文化財 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治5年(1189)、神奈川・浄楽寺蔵
国宝 無著菩薩立像・世親菩薩立像、運慶作、鎌倉時代・建暦2年(1212)頃、興福寺蔵
重要文化財 聖観音菩薩立像、運慶・湛慶作、鎌倉時代・正治3年(1201)頃、愛知・瀧山寺蔵
重要文化財 十二神将立像、京都・浄瑠璃寺伝来、鎌倉時代・13世紀
静嘉堂文庫美術館蔵(子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神)
東京国立博物館蔵(辰神・巳神・未神・申神・戌神)
国宝 天燈鬼立像・龍燈鬼立像、康弁作(龍燈鬼立像)、鎌倉時代・建保3年(1215)、興福寺蔵
大日如来坐像  1軀 鎌倉時代・12~13世紀 栃木・光得寺
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★ 特別展「運慶」 東京国立博物館、 平成館 特別展示室
2017年9月26日(火) ~ 2017年11月26日(日)
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運慶の生年は不明ですが、息子・湛慶が承安3年(1173)生まれであること、処女作と見られる円成寺の大日如来坐像(国宝)を安元元年(1175)に着手していることから、おおよそ1150年頃と考えられます。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれましたが、運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属していました。院派、円派の保守的な作風に対して、奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概があったようです。ここでは、運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若き運慶の作品を展示し、運慶独自の造形がどのように生まれたのか、その源流をたどる。東京国立博物館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861

2017年7月18日 (火)

「タイ、仏の国の輝き」東京国立博物館・・・暁の寺、唯識の幻

20170704大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
深緑の森を歩いて、博物館に行く。ナーガ上の仏陀坐像、熱帯の森の沈黙。バンコクの暁の寺(Wat Arun)の幻想が蘇る。
永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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高校時代の読書、三島由紀夫『暁の寺』(1970)を思い出す。第一部の時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで。本多繁邦は、バンコクで7歳の王女・月光姫と出会う。月光姫は主人公を見ると懐かしがる。黙って死んだお詫びがしたいと言う。仏教の輪廻転生、唯識の世界に足を踏み入れ、戦争中、宗教書を読みあさり研究に没頭する主人公の憂愁。
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ナーガ上の仏陀坐像、火焔飾りの黄金の仏陀像、仏陀遊行像をみると詩を思い出す。
思想は一つの意匠であるか 鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで. ひとつの思想を歩ませながら. 佛は蒼明の自然を感じた. どんな瞑想をもいきいきとさせ. どんな涅槃(ねはん)にも溶け入るやうな. そんな美しい月夜をみた。「思想は一つの意匠であるか」佛は月影を踏み行きながら かれのやさしい心にたづねた。*萩原朔太郎「思想は一つの意匠であるか」
上座部仏教(Theravada Buddhism)の国タイ。タイ族前史の古代国家、タイ黎明期のスコータイ朝、国際交易国家アユタヤー朝、現王朝のラタナコーシン朝における仏教美術の名品。
仏教の原始教団は、多くの部派に分裂し、部派仏教がうまれた。その中で、最も厳格に戒律を守り、伝統を継承しようとした保守派を上座部という。上座(thera)とは教団内の指導的な長老を意味する。
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展示作品の一部
「ナーガ上の仏陀坐像」スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来
シュリーヴィジャヤ様式 12世紀末~13世紀、バンコク国立博物館蔵
「法輪」スパンブリー県ウートーン遺跡第11号仏塔跡出土、ドヴァーラヴァティー時代 7世紀、ウートーン国立博物館蔵
「仏陀坐像」スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来、スコータイ時代 15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
「仏陀遊行像」スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来
スコータイ時代 14 ~15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
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識体の転変
第八識、阿頼耶識は、大円鏡智に転じる。
第七識、末那識は、平等性智に転じる。
★転識得智 9識は、金剛頂経の説く瞑想法(五相成身観)によって各々五智に転じる。
大日如来の知恵 五智如来の知恵
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-0e2c.html
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★タイ、仏の国の輝き、東京国立博物館
2017年7月4日(火) ~ 8月27日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1848

2016年11月 7日 (月)

禅-心とかたち、東京国立博物館・・・不立文字

Sesshu_ekadanpi_15c大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
秋の森を歩いて、博物館に行く。禅の美は、無の美である。龍安寺の石庭の枯山水。雪舟「秋冬山水図」「慧可断臂図」「山水長巻」を思い出す。
落花は意ありて流水に随い、流水は心なくして落花を送る。禅の言葉には「不立文字」「以心伝心」「八風吹不動」「一期一会」「無」がある。心を以って心を伝える。伝えられる心とは何か。『無門関』『涅槃経』『碧巌録』『臨済録』、無の思想の源泉は何か。
禅の言語活動は、問答という形をとって展開するが、問答形式では禅の無意味性がむき出しになる。ある僧が趙州禅師に問うた。「如何なるか是れ祖師西来の意」。趙州答えて曰く「庭前の柏樹子」。(井筒俊彦「禅における言語的意味の問題」『意識と本質』)
禅の思想は「不立文字」、「言無展事」である(洞山守初)。言語は存在をあますところなく提示することができない。(井筒俊彦「禅における言語的意味の問題」『意識と本質』)ここから、禅は言語不信の迷路を迷走する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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仏教の修業は、戒定慧、その一つ禅定。六波羅蜜における布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智は、菩薩行である。達磨が印度から中国に伝来し、唐時代、臨済義玄によって広げられ、鎌倉時代、日本に伝来した。禅は、禅定、精神統一の教えである。密教の身密、口密、意密の一つ。
戦国時代、武将たちは、臨済宗の僧に知恵を求めた。織田信長は比叡山延暦寺焼討を行ったが、信長の名は、僧沢彦宗恩による。信長「天下布武」は臨済宗妙心寺派の僧沢彦宗恩の教示による。旧制度、公家寺家の利権を破壊することが目的である。策彦周良は、禅と中国文化を教えた。南化玄興は、「山を安土と名づくは、太平の兆し」と述べた。北条早雲には以天宗清、武田信玄には快川紹喜、徳川家康には以心崇伝、禅僧のブレーンがいた。
雪舟
禅宗、臨済宗ゆかりの藝術家には、雪舟、若冲がいる。雪舟は至高の画家と呼ばれ、若冲は奇想の画家と呼ばれる。雪舟は、臨済宗、宝福寺で出家した。和尚に柱に縛りつけられる。雪舟は、涙を足でこすって鼠の絵をかいた。(狩野山雪、永納『本朝画史』)
雪舟の真筆は、23件36点。山下裕二(逸脱の画聖、ほんとうの雪舟へ『芸術新潮』2002、3)
雪舟(応永27年(1420年)-永正3年8月8日(1506年))、室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱は「等楊」と称した。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防に移る。その後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、李在より中国の画法を学んだ。
代表作、「四季山水図(山水長巻)」1486「秋冬山水図」「天橋立図」「破墨山水図」1495「慧可断臂図」15世紀。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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■展示作品
「慧可断臂図」雪舟等楊筆 室町時代 明応5年(1496)愛知・齊年寺蔵
坐禅をする達磨に向かい、神光(のちの慧可)という僧が弟子となるべく己の左腕を切り落とす場面。画面全体を覆い尽くす重々しい岩壁と、刻まれたレリーフの如く微動だにしない両者の姿。異様な静寂が緊張感を生み出し、隔絶した雰囲気。雪舟77歳の大作。
「臨済義玄像」一休宗純賛 伝曾我蛇足筆 室町時代 15世紀 京都・真珠庵蔵
臨済宗の宗祖、臨済義玄(?-867)は、棒や喝を用いる峻烈な家風、「臨済将軍」とも評される。この臨済像は、通常の禅僧肖像画の穏やかな表情と異なり、怒るように眉間に皴を寄せ、眼を剝いている。口を開いて一喝し、拳でこちらの胸を突く雰囲気。顔や手の表現により、臨済禅の激しい家風が示されている。
「織田信長像」狩野永徳筆 安土桃山時代 天正12年(1584)京都・大徳寺蔵
足利義昭から許された桐紋と織田家の木瓜紋を配した肩衣袴姿に脇差をさし、扇子を握って上畳に座る信長の肖像。細面に切れ長の目、眉間の皺が意志の強さと神経質な性格をあらわす。信長の葬儀が行われた大徳寺塔頭総見院に伝来し、信長と豊臣秀吉の寵愛を受けた狩野永徳が、信長の三回忌法要のために描いたと考えられる。本図の下に別の信長像が描かれていたことが確認され、何らかの理由で描き直された姿で完成された。
「十八羅漢坐像の羅怙羅尊者」范道生作 江戸時代 寛文4年(1664)京都・萬福寺蔵
羅漢(阿羅漢)はアルハットを音写した、釈尊の弟子のなかで、その教えをよく理解した優れた修行者。その一人の羅怙羅尊者は、釈尊の実子。顔が醜かったとも伝えられる羅怙羅だが、心には仏が宿っていることを自分の胸を開いてみせる。本像は、中国人仏師・范道生の作。黄檗宗を日本に伝えた隠元が求めたのは、このような中国風の像。
「瓢鮎図」大岳周崇等三十一僧賛 大巧如拙筆 室町時代 15世紀 京都・退蔵院蔵
禅に傾倒した室町幕府第四代将軍、足利義持が「丸くすべすべした瓢簞で、ぬるぬるした鮎をおさえ捕ることができるか」というテーマを出して、絵を如拙に描かせ、詩を五山の禅僧たちに詠ませ、衝立に仕立て座右に置いていた。この作品の当初の姿。現在は掛幅に改装。如拙は応永年間(1394-1428)に京都の相国寺を拠点に活躍した禅僧画家。この作品は室町時代初期の水墨画の名作、禅宗界の絵画様式と主題が、将軍家や武家社会など禅宗界の外縁に広がる。
「大仙院障壁画 四季花鳥図」狩野元信筆 室町時代・永正10年(1513) 京都・大仙院蔵
「南禅寺本坊小方丈障壁画 群虎図」狩野探幽筆 江戸時代・17世紀  京都・南禅寺蔵
「呂洞賓図」雪村周継筆 室町時代・16世紀 奈良・大和文華館蔵
「油滴天目」建窯 中国 南宋時代・12~13世紀 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
「無準師範像」国宝 自賛 中国 南宋時代・嘉煕2年(1238)京都・東福寺蔵
「蘭渓道隆坐像」重要文化財 鎌倉時代・13世紀 神奈川・建長寺蔵
「達磨像」白隠慧鶴筆 江戸時代・18世紀 大分・萬壽寺蔵
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1807
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臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念
特別展「禅―心をかたちに―」東京国立博物館
平成館2016年10月18日(火) ~ 2016年11月27日(日)
http://zen.exhn.jp/
★雪舟「慧可断臂図」15世紀。

2015年3月19日 (木)

「インドの仏 仏教美術の源流」・・・仏陀の秘密

Gupta_buddha黄昏の丘を越えて、桜の森に行く。午後の博物館。愛を語る午餐の宴。ガンダーラ美術はギリシア的美があり、微笑みを湛えて美しい。グプタ彫刻は洗練の美がある。
黄昏時にはこの世が、苦悩する者も楽しめる者も、夢か幻のように、溶けて消え、夕闇の空に霧のように昇る。夕暮れの諧調。
美への旅、大久保正雄『ふしぎな美術館』より
仏陀は、カピラ城に生まれた。29歳の時、出家する。6年間修行して、菩提樹の下で悟りを開いた。「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦」。
仏陀は、人生を苦と見た。シッダルタは、カピラ城の城門を出て、老病死に出会う。北門を出て修行僧に出会い、出家の意思を固める。シッダルタは、人生を苦と見た。『四門出遊』。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦。出典「瑜伽師地論」『四法印』。生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。四苦八苦がある『四苦八苦』。苦の原因は、十二縁起。無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→(無明に繋がる)。『十二縁起』。
仏陀の秘密、大久保正雄『旅する哲学者』より
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★主要な展示作品
9 仏伝「出家踰城」 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
19 仏坐像 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
20 仏頭 パキスタン・タキシラ、チルトープ クシャーン朝・2世紀頃
24 仏立像 インド・ウッタルプラデーシュ州、サールナート グプタ朝・5世紀頃
30 弥勒菩薩坐像 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
50 カサルパナ観音立像 バングラデシュ・ラージシャーヒー、チョウラパーラ パーラ朝・11-12世紀頃
53 金剛法菩薩坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・9世紀頃
54 金剛薩埵菩薩坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・11世紀頃
55 摩利支天立像 インド・ビハール州 パーラ朝・11世紀頃
56 仏頂尊勝坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・11世紀頃
59 八千頌般若波羅蜜多経 女尊 東インド、バレンドラ・ブーミ派 パーラ朝・11世紀頃
72 五護陀羅尼経 不空成就如来 東インド、バレンドラ・ブーミ派  14世紀頃
74 五護陀羅尼経 密呪随持明妃 東インド、バレンドラ・ブーミ派  14世紀頃
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特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」東京国立博物館
3月17日(火)~5月17日(日) 表慶館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701
アジア有数の規模を誇る、コルカタ・インド博物館の所蔵品。仏教の生まれた地・インドの美術品を通して、美術の源流をたどる展覧会。
東京国立博物館「インドの仏 仏教美術の源流」プレスリリース
http://www.tnm.jp/uploads/r_press/114.pdf
★これまでのインド仏教美術展
インド・マトゥラー彫刻展、パキスタン・ガンダーラ彫刻展、東京国立博物館
2002年10月29日(火)~12月15日(日)
☆gupta buddha

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