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2026年8月

2026年8月29日 (土)

クリストファー・ノーラン監督「オデュッセイア」・・・叙事詩の謎、神々の企みは何か

Cinema-5-2026
Cinema-4-2026
Cinema-3-2026
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第446回

【トロイ戦争の原因は何か。ヘレンの略奪、パリスの審判、三女神の争い、神々の饗宴、ではない。神々の企みは何か】大久保正雄「旅する哲学者、美への旅」
【「オデュッセイア」】
「オデュッセイア」は、紀元前8世紀、吟遊詩人ホメロスが書いた、紀元前1200年のトロイ戦争の叙事詩「イリアス」の後日談。トロイの木馬の計略を発案したオデュッセウスのイタケーへの帰還。トロイからイタケーは近い。なぜ、10年かかったのか。魔女たち、怪物に襲われた。
【オデュッセウスの失敗】酒で酔わせたポリュペモスの唯一の目を潰し、オデュッセウスは最後に重大な失敗を犯す。彼は逃げる際、自分の本名を叫んでしまった。すると、ポリュペモスは父である海神ポセイドンへ復讐を願う。ポセイドンの報復が、10年漂流の原因の一つ。
【美しい魔女】仙女カリュプソ、永遠の命を与え、自分の島で永遠に暮らすよう望む。甘美な誘惑の魔女。カリュプソとオデュッセウスは7年間暮らす。キルケと1年暮らす。放浪していたのは2年間。魔女キルケ―、部下を豚に変えた。オデュッセウスは神ヘルメスから薬草を授かり、キルケの魔法は効かず、逆にオデュッセウスは剣を抜き、キルケを屈服させる。セイレーンは美女の鳥、美しい声で船を難破させる。美しい声の人魚に変形した。キルケの島から筏で脱出、10代のナウシカ、美しい姫に出会い、次に、女神アテナに出会う。【魔女、美女が次々、オデュッセウスたちを誘惑し悩ませる。】「オデュッセイア」の美女たちはラファエル前派によく描かれた。オデュッセウスの妻ペネロペは、10年間、機を織り、ほどいて、彼の帰りを待つ。ペネロペも。ラファエル前派によく描かれた。クリストファー・ノーランでは、アン・ハサウエイが演じる。
【魔女カリュプソの、永遠の命と甘美な生活よりも、ペネロペが待つイタケーを選ぶのは何故か】
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、若い美しい姫ナウシカに出会い、オデュッセウスが回顧する。オデュッセウスだけ生き残り回想する。オデュッセウスの作り話かもしれない。トロイ戦争は【ヘレンの略奪】に始まる10年戦争であり、オデュッセウスの帰還は【カリュプソと7年間キルケと1年、8年間】。オデュッセウスの漂流は2年間。【女が人類を滅亡、女が人類を漂流】
 【ゼウスの掟】クリストファー・ノーランは、「異国人を大切すること」。【パレスチナ人イラン人絶滅】を批判。「オッペンハイマー」原爆作製者が後悔して罪悪感に苛まれる。「オデュッセイア」トロイを滅亡させた英雄の苦しみ。【ゼウスは異国人の守護神】神が異邦人の物乞いとして現れる。【よきサマリア人】【蘇民将来子孫也】スサノオノミコト(牛頭天王)が旅の途中、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)に宿を断られた際、貧しい兄の蘇民将来が手厚くもてなしました。喜んだ神様は蘇民将来に、「将来、疫病が流行ったときには『蘇民将来子孫也』と書いた札を掲げれば難を逃れられる」と約束した。
オデュッセウスの妻はペネロペ、美しいペネロペに多くの求婚者が現れる。老人の姿で帰還したオデュッセウスは12の斧の穴を弓矢で射貫く。ホメロスの「斧の穴」は何を意味するのか。青銅の斧が発刊されて決着した。
「イリアス」は、イリオン落城の物語。スパルタ王の王妃、ヘレンをトロイの王子、パリスが、誘拐し、トロイに連れ帰ったためトロイ戦争が起こった。ギリシアの総大将・アガメムノンは、ヘレンを奪還するためにギリシア連合軍を率いてトロイに向かった。トロイ戦争は、海辺に疫病が蔓延し、10年間膠着状態に陥り、一計を案じたのがオデュッセウスのトロイの木馬である。アガメムノンの弟はメネラオス、その妻ヘレンがパリスに略奪された。アガメムノンは、妻クリュタイムネストラと愛人によって殺害される(アイスキュロス「アガメムノン」)。
参考文献 町山智浩@TomoMachi 『オデュッセイア』が100倍楽しくなる、オデッセイ映画の世界!
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2、クリストファー・ノーラン監督:帰還というコンセプトを、ギリシア人たちは”Nostos”(英雄の帰還)と呼んでいました。この物語は登場人物の帰還、そして感情の変化を描いています。その人物にも変化が訪れ、故郷にも変化は見られる。長く故郷を離れることの意味、長旅が人や環境に与える影響を語っている。「モンテ・クリスト伯」は、実はもとは「オデュッセイア」だった。ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」は1920年代ダブリンを舞台にした「オデュッセイア」。「2001年、スペース・オデッセイ」。1つ目の巨人キュクロプスや6つの頭を持つ怪物スキュラ、。西洋文学の原点である「オデュッセイア」が愛されてきた魅力の一つは、ファンタジー要素や登場するクリーチャー。映画作りがなかったら、正直どうしていいか分かりません。それ以外にやりたいと感じたものがないからです。人生の目的を見つけられたことは、非常に幸運だと思っています。
参考文献
クリストファー・ノーラン監督インタビュー 韓国・ソウル取材会場
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参考文献
クリストファー・ノーラン監督「オデュッセイア」・・・叙事詩の謎、神々の企みは何か
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/08/post-82522f.html
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2022/03/post-062e20.html
https://bit.ly/3C2fXNP
【叙事詩の円環】
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
大久保正雄『地中海紀行』第61回トロイア戦争 パリスの審判P29
岡道男『ホメロスにおける伝統の継承と創造』
岡道男『ホメロスと叙事詩の環』1976 京都大学文学部紀要1976.16.55-338,
安村 典子『ゼウスの覇権 反逆のギリシア神話』京都大学学術出版会
城江良知「ガイアの嘆願と『イリアス』」西洋古典学研究
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68585/1/KJ00004263559.pdf

2026年8月23日 (日)

大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画・・・談山神社と狩野宗眼「秋冬花鳥図襖」「春景花鳥図襖」の謎

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第445回

なぜ、狩野宗眼(そうげん)重信による一連の襖絵、奈良の談山(たんざん)神社にあったのか。
「襖は17世紀初頭の談山神社再建時に制作されたと考えられる。襖絵4面の表と裏は分けられた。四季花鳥図(秋冬景)は大英博物館のコレクションに収蔵され、残りの襖絵は1951年にシアトル美術館に収蔵された。作者の比定は時代とともに変化し、狩野山楽から狩野孝信、そして最近では狩野宗眼重信へと変わってきた。これは狩野派の作者についての議論を反映している。」狩野宗眼重信筆 琴棋書画仙人図(國華1569号〈特輯 宮越家詩夢庵の襖絵とステンドグラス〉要旨)
江戸幕府が開かれた直後の1612年、徳川家康の命によって「賢盛法印(けんじょうほういん)」という僧侶が初代学頭(山内の最高責任者)に任じられました。これにともない、多武峰妙楽寺(現在の談山神社)の本格的な再建・復興プロジェクトが始動。学頭の住まいであった屋敷「竹林坊」を格調高く飾り立てるために、当時の一流絵師集団であった狩野派へ襖絵の制作が依頼された。
多武峰は、京都の最高級公家である九条家と深い結びつきがありました。この一連の襖絵は、九条家が談山神社の再建・復興を支援するために、お抱え、あるいは縁のあった実力派絵師の狩野宗眼重信に描かせ、寺へ寄進。
襖絵には「琴棋書画仙人図」や「名所風俗図」などが描かれていましたが、中には富士山を望む名所(駿府など)が描かれた「富士の間」の襖絵もありました。駿府は家康ゆかりの地であり、家康の命で始まった多武峰復興の象徴、そして幕府への敬意を表すためである。
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第2部には、浮世絵が展示されている。
喜多川歌麿《文読む遊女》江戸時代・1805~1806年 大英博物館蔵
葛飾北斎《万物絵本大全図》版下絵 江戸時代・1820年代~1840年代 大英博物館蔵
葛飾北斎《万物絵本大全図》版下絵 江戸時代・1820年代~1840年代 大英博物館蔵
コピーライト The Trustees of the British Museum
版下絵とは版画にするための原画のこと。本の挿絵として描かれたが、本が出版されなかったため貴重な版下絵103点が残りました。長く行方不明になっていましたが、2020年に大英博物館が103点をまとめて購入し、世界的に話題に。本展ではうち8点を展示。
円山応挙《虎の子渡し図屏風》江戸時代・1781~1782年 大英博物館蔵
コピーライト The Trustees of the British Museum
母虎が三匹の子を産むと、必ず一匹は彪(ヒョウ)である、という古代中国の伝説に着想を得た応挙中期の作品。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示構成
展示作品の一部
東京都美術館
https://www.tobikan.jp/exhibition/2026_britishmuseum.html
1章:華やかな江戸絵画の世界へ」
狩野宗眼(そうげん)重信による一連の襖絵です。これらはかつて奈良の談山(たんざん)神社にありましたが、明治以降の廃仏毀釈(きしゃく)のあおりをうけて流出し、世界各地に離散してしまいます。
狩野宗眼重信「春景花鳥図襖」(17世紀初、個人蔵)
このうち「秋冬花鳥図襖」が大英博に、「春景花鳥図襖」が青森・津軽の旧家に分かれて所蔵されていましたが、最近の研究により、これらの花鳥図が一連の作品であることが判明。本展の開催をきっかけに、じつに150年ぶりの再会を果たし、隣り合っての奇跡の展示が実現しています。
いずれも狩野宗眼重信による「秋冬花鳥図襖」(左)と「春景花鳥図襖」(ともに17世紀初め)
このほか、大英博所蔵の花鳥図とかつて一組(両面仕立ての片側)だった襖絵があり、現在は花鳥図と分かれてアメリカのシアトル美術館所蔵となっていますが、今回この作品も特別出品されています。
かつて同じ場所に収められていた襖絵が、150年の時と場所を越えて日英米から集結。元々の襖絵の配置を再現した立体的な展示で、じっくりと味わうことができます。
展示されている2点の花鳥図の反対側に回ると、さらに同じ談山神社伝来の、狩野宗眼重信による襖絵が。左は「名所風俗図襖(三保松原・清見寺)」(17世紀初、個人蔵)、右は「琴棋書画仙人図襖」(17世紀初、シアトル美術館蔵)。かつて神社の屋敷にあった実際の配置を再現する形で展示され、当時のようすに思いをはせることができる
朝日新聞
https://www.asahi.com/and/w/article/16788324

2章:スター絵師、大集合 浮世絵の傑作が競演
展示作品の一部
尾形光琳「松島図屏風」円山応挙「虎の子渡し図屛風」、葛飾北斎「『万物絵本大全』版下絵」
肉筆浮世絵、葛飾北斎「為朝図」、喜多川歌麿「文読む遊女」、
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参考文献
大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画・・・狩野宗眼「秋冬花鳥図襖」「春景花鳥図襖」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/08/post-bac856.html
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴2012
https://bit.ly/2C5NsU6
ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」2017
https://bit.ly/3Of7s6v
ボストン美術館、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006
ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討
https://bit.ly/3cMgcUC
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1753年に創立したイギリス・ロンドンの大英博物館は、世界を代表するミュージアムのひとつです。同館の日本美術コレクションは、海外では最も包括的なもののひとつと評されるほど量・質ともに充実しています。そのコレクション形成を支えてきたのは、ジャポニスムが流行した19世紀後半以来、海を隔てた異国の地・日本の文化に魅了された人々でした。
数々の収集家や学芸員が築いたつながりは、国境や時代を越えて広がり、今日まで受け継がれています。
本展では、4万点に及ぶ同館の日本コレクションから、江戸時代の屏風、掛軸、絵巻の絵画作品と、歌麿、写楽、北斎、広重など代表的な8人の浮世絵師による版画を中心に、優れた作品を厳選してご紹介いたします。さらに、近年の調査成果や収集の背景にも光をあてることで同館が日本美術の収集・研究・保存の第一線で果たしてきた役割をたどります。それは、国際的な文化交流の歴史を振り返ると同時に、大英博物館に受け継がれてきた日本美術の名品と、今日を生きる私たちとのあいだに新たな対話をひらく機会ともなるでしょう。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2026_britishmuseum.html

――
世界有数の規模を誇る大英博物館の日本コレクションは約4万点。そのうち日本絵画だけでも4,000点を超える。本展では、江戸時代の作品を中心に、屏風、掛軸、絵巻、浮世絵版画、肉筆画などが幅広く紹介される。
尾形光琳「松島図屏風」円山応挙「虎の子渡し図屛風」、葛飾北斎「『万物絵本大全』版下絵」等、イギリスから初めて里帰りした作品、多数。
青森県中泊町の宮越家、大英博物館、シアトル美術館に分かれていた狩野宗眼重信の襖絵が、約150年ぶりに再会した。別々の土地で守られてきた作品が並ぶことで、本来ひとつの空間を飾っていた頃の姿が偲ばれる。
浮世絵版画は、肉筆浮世絵、葛飾北斎「為朝図」、喜多川歌麿「文読む遊女」、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、初代歌川豊国、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳の8人を作家ごとに展示。非常に状態がよく、鮮やかな色彩や繊細な彫り、摺りまで観察できる。作品に合わせて壁の色を変え、展示方法にも細やかな工夫が施されている。
名高い絵師の傑作から、知られていない絵師の優品まで、大英博物館の歴代収集家や学芸員が作品そのものの価値を見極めてきたことが伝わりました。海を渡った日本美術がどのように集められ、守られ、研究されてきたのか。
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東京都美術館開館100周年記念
大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画
会期2026年7月25日(土)~10月18日(日

2026年8月17日 (月)

マリー・アントワネット・スタイル・・・ハプスブルク家とヴァロワ家の戦争

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Marie-antoinette-zuroku-ym-2026
Marie-antoinette-1-ym-2026
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第444回
サラ・グラント研究員ヴィクトリア・アルバート美術館の記者発表会を聴く。マリーアントワネットのファッション・スタイルの展覧会であり、ハプスブルク家の政略結婚の背景についての説明はない。
マリー・アントワネット(1755–1793)は、14歳でハプスブルク家から、フランス王家に嫁ぎ、19歳で、王妃、37歳で断頭台の露と消えた。

マリー・アントワネットは、マリア・テレジアの第15子。
ハプスブルク家、マリアテレジアの15番目の娘、ハプスブルク家の政略結婚の一環として、マリー・アントワネットは、フランスに派遣。
イタリア戦争、ハプスブルク家とヴァロワ家の戦争、15世紀
マクシミリアン1世とマリー・ド・ブルゴーニュの結婚からハプスブルク家、始まる。15世紀
ハービヒツブルク城、ハービヒツブルク辺境伯、神聖ローマ帝国の選帝侯。
フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト(1837-1898)の結婚と破綻。
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1886年、ルートヴィッヒ2世、41歳の時、シュタルンベルク湖で、謎の溺死を遂げた。
ヴィスコンティ『ルートヴィヒ 神々の黄昏』に美しく描かれる。
1916年、フランツ・ヨーゼフ1世、死去。
1918年、オーストリア皇帝カール1世、死す。ハプスブルク帝国、滅亡。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★★★★★
概要
—彼女が刺激的なわけ。横浜美術館
歴史上もっともファッショナブルな王妃、マリー・アントワネット(1755–1793)。彼女の装いやインテリアは、18世紀から現代にいたるまで、ファッションやデザイン、映画などに広く影響を与えてきました。本展は、あらゆる点で新しい様式(スタイル)をうちたてた王妃の革新性と人物像に迫るとともに、その「スタイル」が、いかに時代を超えて人びとを魅了し、今日のクリエーターたちにも示唆を与え続けているかについて紹介します。
詳細は「展覧会特設サイト」をご覧ください。
https://yokohama.art.museum/exhibition/202608_marie2026/
構成 
展示作品の一部
1 マリー・アントワネット:スタイルの源泉 1770–1793
オーストリア皇女マリー・アントワネット(1755–1793)は、1770年春、14歳の時に王太子妃としてフランスに嫁ぎました。以来、宮廷に新たな視点をもちこみながら、ルイ16世下フランスにおける高級産業、とりわけ ファッションと織物産業の発展に、多大な影響を与えました。
当時のフランスは、植民地と奴隷制を基盤とした国際的なプレゼンスに加え、文化においても中心的な役割を担っていました。そうしたなか、アントワネットは、堅苦しい宮廷の慣習に挑み、あらゆる面で自らの意向を形にしていきました。衣裳のみならずインテリアから音楽、ライフスタイルまで、よりシンプルで洗練された王妃の趣向は、またたく間に国内外で流行します。一方で、そのスタイルは斬新ゆえに取り沙汰され、民衆には想像もつかないほどの贅沢の象徴と受けとめられるようになっていきました。
革命の気運が高まるなか、アントワネットは次第に反体制派の標的となり、ギロチンへと導かれていくのです。
ローブ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風ドレス)フランス製 1760年代(1770年代に加工) 絹、光沢をつけた麻 ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London
通称「サザーランド・ダイヤモンド」1780年代にネックレスに加工 金、銀、プラチナ、ダイヤモンド 長さ 35.8 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London
https://artexhibition.jp/topics/news/20260731-
マリー・アントワネットの肘かけ椅子(4点組の1点)
ジャン゠バティスト゠クロード・スネ(作) 1788年 木(クルミ)に着彩、絹で刺繍した綿(近年の上張り) H. 97.5 × 63.5 × 63.0 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London

2 マリー・アントワネット:追憶と偶像化 1800–1940
マリー・アントワネットは、死後も人びとの記憶のなかに生き続けました。ナポレオン3世の后ウジェニー(1826–1920)を筆頭に、19世紀には王党派の支持者たちが彼女のスタイルを懐古しました。スペインからフランスに嫁いだ皇后は、同じく外国から嫁いだアントワネットに心を寄せ、自らのイメージづくりにおいても王妃を参照しました。

3 永遠に新しく — マリー・アントワネット・スタイル
映画『マリー・アントワネット』(ソフィア・コッポラ監督、2006年)より
Photo: Courtesy of I WANT CANDY LLC. and Zoetrope Corp.
ソフィア・コッポラ脚本・監督、キルスティン・ダンスト主演の映画『マリー・アントワネット』。ピンヒールのパンプス、ポップミュージック、色とりどりのマカロンなど、18世紀の宮廷に「現代」を織り込んだ

主な出品作

コートドレスのマリー・アントワネット
フランソワ=ユベール・ドルーエ(画) 1773年
油彩、カンヴァス 63.5 × 52.0 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London


ローブ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風ドレス)
フランス製 1760年代(1770年代に加工)
絹、光沢をつけた麻
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London


通称「サザーランド・ダイヤモンド」
1780年代にネックレスに加工
金、銀、プラチナ、ダイヤモンド 長さ 35.8 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London


イヴニングドレス「ローブ・ド・スティル」
ジャンヌ・ランバン(作) 1922–23年頃
絹オーガンザ、絹の花かざり、パニエ
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London


目隠し鬼(流行年鑑『襞かざりと縁かざり』より)
ジョルジュ・バルビエ(画) 1924年(1925年刊行/
メニアル、パリ) ポショワール(ステンシル)による手彩色の挿絵本 冊子:26.5 × 18.0 × 3.0 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
コピーライト Victoria and Albert Museum, London / George Barbier
ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)の展示風景
コピーライト Victoria and Albert Museum, London
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★★★★★
マリー・アントワネット・スタイル 横浜美術館、
2026年8月1日(土)~11月23日(月・祝)
https://yokohama.art.museum/exhibition/202608_marie2026/
★★★★★
参考文献
マリー・アントワネット・スタイル・・・ハプスブルク家とヴァロワ家の戦争
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/08/post-b6ba4e.html
THEハプスブルク 華麗なる王家と美の巨匠たち・・・黄昏のウィーンの思い出
https://bit.ly/2obtPA4
「プラド美術館 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
美しき女相続人、マリー、ベルギー、奇想の系譜・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/349ffME
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
http://bit.ly/2zGK4N2
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
https://bit.ly/31UvEmm
ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇
https://bit.ly/2PqaVUV
ハプスブルク家 マリー・アントワネット 革命に散る
https://bit.ly/2opYnlB
「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界」・・・ハプスブルグ家の悪趣味の館
https://bit.ly/2JtpinR
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国、旅の思い出
https://bit.ly/2C7rE7K
マクシミリアン1世(1459-1519)からオーストリア・ハンガリー二重帝国「最後の皇帝」フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)まで
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
★日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史
10月19日(土)~2020年1月26日(日)国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019haus_habsburg.html
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マリー・アントワネットは、マリア・テレジアの第15子。
政略結婚で、14歳の時、フランス王ルイ16世に嫁がせられる。フランス王妃となる。しかし、フランス革命勃発。37歳で、断頭台の露と消える。
マリー・アントワネットは、本当に愛したのはだれか。
マリーの死を悲しんだのは、スウェーデン貴族フェルセン伯爵だけだった。
「私は生きています。それは奇跡なのです」マリー・アントワネット1792年
ヨーロッパ最大の権力、ハプスブルク帝国。最も豊かで、自由なき人々、

2026年8月12日 (水)

「空海と真言の名宝」・・・密教美術、後七日御修、秘仏、『三十帖策子』、空海の思想の表現

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Kukai-125002-tnm-2026
Kukai-125001-tnm-2026
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第443回

弘法大師と真言寺院の密教空間
空海(774-835)は、774年、讃岐の豪族・多度郡、佐伯家に生まれ、学問を志して上京するが、大学寮の儒学にに倦み、【大学寮退学】山野で修行に明け暮れ、【虚空蔵求聞持法】一人の沙門と出会い、虚空蔵求聞持法を学び、正式な僧となり空海を名乗るのは31歳のとき。【入唐求法】難破で1年延期されていた遣唐使船に乗り込み、唐に渡る。【長安で青龍寺の恵果に師事】恵果は空海と会った瞬間「汝を待っていた」と告げた。
体系化された密教のすべてを受け継いで帰国。本来、20年をかけて学ぶべき立場でありながら、わずか3年ほどで戻った。嵯峨天皇により入京勅許。【平城上皇の乱】、嵯峨天皇、征夷大将軍・坂上田村麻呂を、
空海は、その後、嵯峨天皇より東寺を与えられ、真言道場を開き、体系的密教を日本に定着させる。人生の最期には宮中での密教修行の実施を奏上し、勅許を得た翌835年の正月、「後七日御修法ごしちにちみしほ」が宮中祭祀として勤修された2カ月後、高野山奥の院にて入定。921年「弘法大師」の諡号しごうが下賜される。
空海の思想は、「即身成仏義」不空「般若理趣釈」に表されている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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各地の仏像をと集めている。中には「如意輪観音菩薩坐像」(大阪、大門寺)や「十一面観音菩薩立像」(三重、観菩提寺)のような公開されること稀な秘仏も含まれています。前者は平安時代11世紀の一木造。板光背には墨で宝相華唐草を描くなど、書画に興味のある方にも見逃せません。 快慶「深沙大将立像」(和歌山、金剛峯寺)大きなものから圓勢・長圓「薬師如来坐像」(京都、仁和寺)のような小さなものまで、周知の仏像のうちには、いつも京博に置いてあるのでありがたくない安祥寺の「五智如来坐像」5軀もあり、ほかに珍しいものが多いです。もちろん仏画や密教法具の名品も並びますが、「信貴山縁起」(朝護孫子寺)が出ているを。
第1章 空海と真言密教
空海の事跡は、密教にとどまらず、それまで支配階級の子弟のみを対象としていた学問を庶民に開き、各地の土木工事に手腕を発揮、文筆家としても多くの詩文や著作を残しています。自身の思想を言語化する才に加え、三筆に謳われた能筆家であったことはよく知られているでしょう。また、密教の教義理解には、視覚的訴求が必要と喝破し、多くの仏教美術の創造に貢献した。こうした深く大きな才と活動は、のちに空海自身への信仰も生み出します。聖徳太子同様、弘法大師もまた、いまも生き続ける日本の巨人。
特別公開の金剛峯寺の秘仏、「弘法大師坐像」でその面影を確認して、空海と真言密教の世界へと踏み入っていきます。
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https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2760
展示構成
第1節「空海ゆかりの名宝」
空海直筆の冊子や唐から持ち帰った法具、
【『三十帖策子』仁和寺】師。恵果の言葉や経典、サンスクリット語を弟子が書写したもの、天皇宸筆による空海の伝記など。

第2章 後七日御修法の世界
毎年正月8日から14日まで勤修される後七日御修法は、空海の奏上によって嵯峨天皇の宮中に初めて密教の修法が実行された、真言宗最大の儀式。玉体(天皇)の安穏と国家安寧、五穀豊穣を祈る、長い歴史のなかで、ときに中断し、場所やかたちを変えつつも今日まで継承されてきた。明治以降は、京都・教王護国寺[東寺]を会場に、玉体に代わり御衣を加持する。
後七日御修法は秘儀であり、一般には公開されない。本年の予行の様子を写した貴重な写真パネルとともに、御修法のうち観音供で本尊となる秘仏や、御修法の設えを伝える図像、御修法に使用されていた十二天像などで、知られざる密儀を垣間る。

第3章 真言宗各派の名宝
空海が開いた真言宗は、さまざまに分派、各派の独立の原因は多様ながら、主なひとつに修法や儀式の実践面での相違があった。
根底は空海の伝えた密教の教えに基づく。重要な儀式は、後七日御修法であり、各山会の存在、現在十八本山に連なる寺院数は、12,000を超える。各地でそれぞれに守り伝えてきた寺宝に、変わらぬ信仰のかたちと、各派の個性を見出する。
国宝 「一字一仏法華経序品(部分)」 平安時代・11世紀 香川・善通寺蔵 ※前期展示 法華経と仏像を一行おきに配する経文巻は、それぞれ異なる表情を持つ仏像。

第4章 真言宗各派の彫刻と秘仏
最後に真言宗各派が所蔵する仏像が紹介される。空海が拝した奈良時代の古仏から、快慶、影響と土地の味わいが混合された作例、近世に僧が自ら作成した像まで、多彩な造形。
重要文化財 快慶作 「不動明王坐像」 鎌倉時代・建仁3年(1203) 京都・醍醐寺蔵 像内の銘文により快慶作とわかっている作品。顔を左に、目を正面に向け、下唇を噛む表情が火焔と相まって迫力の一作
「秘仏」たち。
重要文化財 「如意輪観音菩薩坐像」 平安時代・11世紀 大阪・大門寺蔵 なまめかしい観音菩薩像。台座から本体まで一木から彫り出している。彩色がなく、顔や宝冠、光背の文様を墨で描いている。
重要文化財 「十一面観音菩薩立像」 平安時代・9~10世紀 三重・観菩提寺蔵。
「厨子入十一面観音菩薩立像」 江戸時代・19世紀 京都・泉涌寺蔵 小さな厨子に納められた仏像は、和宮内親王の念持仏と伝わる。像は伽羅製、明治天皇から贈られた銘木・蘭奢待も収められている
国宝 「薬師如来坐像」 平安時代・康和5年(1103) 京都・仁和寺蔵 総高約25㎝小さな坐像は白檀製。台座や光背にも仏像が彫られ、細やかな截金が多彩に刻まれる。360度から見られる展示なので、驚嘆の超絶技。
重要文化財 「愛染明王坐像」 平安時代・12世紀 山梨・放光寺蔵 天を射る、顔の前で弓を構える「天弓愛染」。彫像では珍しい。
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展示作品の一部
国宝
1 三十帖冊子 平安時代・9世紀 京都・仁和寺 前期:第六帖・第十八帖/後期:第二十二帖・第二十四帖
国宝 三十帖冊子 平安時代・9世紀 京都・仁和寺 前期(7/14~8/9):第六帖・第十八帖/後期(8/11~9/6):第二十二帖・第二十四帖
2 後宇多天皇宸翰 弘法大師伝 鎌倉時代・正和4年(1315)京都・大覚寺 前期
(左)国宝 後宇多天皇宸翰 弘法大師伝 鎌倉時代・正和4年(1315)京都・大覚寺 前期(7/14~8/9)
3 後宇多天皇宸翰 御手印遺告 鎌倉時代・14世紀 京都・大覚寺 後期(8/11~9/6)
4 金銅錫杖頭 中国・唐時代・8世紀 香川・善通寺 通期
国宝 金銅錫杖頭 中国・唐時代・8世紀 香川・善通寺 通期
5 閻魔天像 平安時代・12世紀 京都・醍醐寺 前期
国宝 閻魔天像 平安時代・12世紀 京都・醍醐寺 前期(7/14~8/9)
6 十二天屛風 平安時代・建久2年(1191) 京都・教王護国寺[東寺]①7/14~7/26:伊舎那天・帝釈天・火天/②7/28~8/9:閻魔天・羅刹天・水天/③8/11~8/23:風天・毘沙門天・梵天/④8/25~9/6:地天・日天・月天
国宝 十二天屛風 平安時代・建久2年(1191) 京都・教王護国寺[東寺]①7/14~7/26:伊舎那天・帝釈天・火天/②7/28~8/9:閻魔天・羅刹天・水天/③8/11~8/23:風天・毘沙門天・梵天/④8/25~9/6:地天・日天・月天
7 五大尊像 鎌倉時代・12~13世紀 京都・醍醐寺 前期:不動明王・降三世明王/後期:軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王
国宝 五大尊像 鎌倉時代・12~13世紀 京都・醍醐寺 前期:不動明王・降三世明王/後期:軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王
8 十二天像(羅刹天・水天・風天) 平安時代・9世紀 奈良・西大寺 前期:羅刹天/後期:水天・風天
国宝 十二天像(羅刹天・水天・風天) 平安時代・9世紀 奈良・西大寺 前期:羅刹天/後期:水天・風天
9 一字一仏法華経序品 平安時代・11世紀 香川・善通寺 前期
国宝 一字一仏法華経序品 平安時代・11世紀 香川・善通寺 前期(7/14~8/9)
10 泉涌寺勧縁疏 鎌倉時代・承久元年(1219) 京都・泉涌寺 後期
国宝 泉涌寺勧縁疏(部分) 俊芿筆 鎌倉時代 承久元年(1219) 京都・泉涌寺蔵 後期(8/11~9/6) 画像提供:奈良国立博物館
11 金銅透彫舎利塔 鎌倉時代・13世紀 奈良・西大寺 通期
国宝 金銅透彫舎利塔 鎌倉時代・13世紀 奈良・西大寺 通期(7/14~9/6)
12 信貴山縁起絵巻(飛倉巻・延喜加持巻)平安時代・12世紀 奈良・朝護孫子寺 前期:飛倉巻/後期:延喜加持巻
国宝 信貴山縁起絵巻(飛倉巻・延喜加持巻) 平安時代・12世紀 奈良・朝護孫子寺 前期:飛倉巻/後期:延喜加持巻
13 地蔵菩薩立像 鎌倉時代・貞応3年(1224) 京都・大報恩寺 通期
国宝 地蔵菩薩立像 鎌倉時代・貞応3年(1224) 京都・大報恩寺 通期(7/14~9/6)
14 薬師如来坐像 平安時代・康和5年(1103)京都・仁和寺 通期
国宝 薬師如来坐像 平安時代・康和5年(1103)京都・仁和寺 通期(7/14~9/6)
15 五智如来坐像 平安時代・9世紀 京都・安祥寺 通期
国宝 五智如来坐像 平安時代・9世紀 京都・安祥寺 通期(7/14~9/6)※撮影可
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重要文化財
重要文化財 十一面観音菩薩立像(部分)平安時代 9~10世紀 三重・観菩提寺蔵 通期展示 撮影:佐々木香輔
国宝 五智如来坐像 平安時代 9世紀 京都・安祥寺蔵 通期展示
重要文化財 愛染明王坐像 平安時代 12世紀 山梨・放光寺蔵 通期展示 画像提供:山梨県立博物館
国宝 薬師如来坐像 円勢・長円作 平安時代 康和5年(1103) 京都・仁和寺蔵 通期展示
重要文化財 如意輪観音菩薩坐像 平安時代 11世紀 大阪・大門寺蔵
宮中行事、御七日の御修法の本尊も
かつて宮中の仁寿殿で行われた、天皇の身体健全を祈る儀式の本尊である重要文化財『聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音)』 。その精巧極まりない造作に魅了される。
重要文化財『聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音)』 鎌倉時代・13世紀 京都・教王護国寺[東寺]蔵
のちに清涼殿二間に場所を移したことから「二間観音」と呼ばれる。江戸時代に真言宗最大の儀式である後七日御修法に組み込まれた。本体、光背、台座などすべてに一流の技術が凝縮されている。
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参考文献
「空海と真言の名宝」・・・密教美術、後七日御修、秘仏、『三十帖策子』、空海の思想の表現
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/08/post-1ec44e.html
美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-2f9322.html
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
https://t.co/MIXigqe3xH
空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
https://bit.ly/2O8YtbU
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金剛峯寺(和歌山県)や教王護国寺[東寺](京都市)、善通寺(香川県)など真言宗の主要な総本山・大本山である18寺院で構成される「真言宗各派総大本山会(各山会)」所属の十八本山と関係寺院から、
国宝「信貴山縁起絵巻」(奈良・朝護孫子寺蔵)や国宝「十二天像」(奈良・西大寺蔵)など国宝15件、重要文化財60件を含む88件の貴重な名宝が一堂に会します。

出展数の「88」は弘法大師(空海)の御跡を巡礼する「お遍路」で知られる「四国遍路八十八ヶ所」と合わせた数字

また、各山会各派の山主らによって営まれる真言宗最高の法会「後七日御修法ごしちにちみしほ」。この秘められた儀式の世界が、ゆかりの仏像や図像を通して紹介されるのも注目である。
そして「弘法大師坐像」(和歌山・金剛峯寺蔵)や重要文化財「十一面観音菩薩立像」(三重・観菩提寺蔵)、重要文化財「如意輪観音菩薩坐像」(大阪・大門寺蔵)といった、普段は目にすることのできない各地の秘仏9件が並びます。
みどころ①弘法大使生誕1250年!
みどころ②至宝集結88件
みどころ③後七日御修法ごしちにちみしほ
みどころ④秘仏開帳!

真言宗各派総大本山会(各山会)所属の十八本山
長谷寺(真言宗豊山派総本山)、仁和寺(真言宗御室派総本山)、寳山寺(真言律宗大本山)、智積院(真言宗智山派総本山)、朝護孫子寺(信貴山真言宗総本山)、勧修寺(真言宗山階派大本山)、大覚寺(真言宗大覚寺派大本山)、醍醐寺(真言宗醍醐派総本山)、根來寺(新義真言宗総本山)、中山寺(真言宗中山寺派大本山)、金剛峯寺(高野山真言宗総本山)、西大寺(真言律宗総本山)、教王護国寺[東寺](東寺真言宗総本山)、清荒神清澄寺(真言三宝宗大本山)、泉涌寺(真言宗泉涌寺派総本山)、善通寺(真言宗善通寺派総本山)、須磨寺(真言宗須磨寺派大本山)、隨心院(真言宗善通寺派大本山)※いろは順
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弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2760
東京国立博物館 平成館(東京都台東区上野公園13-9)

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