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2026年4月

2026年4月25日 (土)

生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ・・・蝶と花、世界に羽ばたくマダム・バタフライ、96歳で妥協を許さない

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第429回

マダム・バタフライの愛称で人々を魅了した、森英恵(1926-2022)。美しい蝶はブランドのシンボルとして長きに渡って作品に用いられてきた。まるで蝶か世界に羽ばたくように、揺るぎない志と好奇心を持ち続け、服の力で女性のライフスタイルを牽引した森英恵(1926-2022)、1954年28歳、銀座にひよしやを開店、2004年、最後のファッションショーを行う。96歳で化粧を何度も塗りなおし、妥協を許さない。(森英恵の長男、森顕)
1956年『狂った果実』、1967年『波止場の鷹』、同年に公開された『夜霧よ今夜も有難う』などの衣装を担当。日活映画の黄金期に大きく貢献した。
森英恵展で展示されていたハナエ・モリビル。1978年竣工で、2010年に解体。設計は丹下健三で、真上から見ると蝶の形になっている。
六道輪廻を救う、六観音菩薩、天道の使者、純粋な魂、美しい魂と美しい肉体を持つ者を如意輪観音が救う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
「ひよしや」開店の頃 1950年代半ば 撮影:石井幸之助 写真提供:森英恵事務所
森英恵 《イヴニングアンサンブル (ジャンプスーツ、カフタン「菊のパジャマドレス」)》1966 年 ハナヱ・モリ 島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝
設計:丹下健三、撮影:村井修 ハナヱ・モリビル 1978年 画像提供:村井久美(村井修 写真アーカイヴス)
森英恵《イヴニングアンサンブル (ジャケット、ブラウス、スカート)》1977 年秋冬 ハナヱ・モリ オートクチュール 撮影: 小川真輝
奈良原一高 《森英恵》 提供:島根県立美術館コピーライトNarahara Ikko Archives
アートディレクション:横尾忠則『流行通信』No.195、1980 年 4 月
株式会社流行通信 島根県立石見美術館
ハナヱ・モリ ファイナルオートクチュールコレクション 2004年7月7日 提供:森英恵事務所
右近テキスタイル デザインハウス テキスタイル「晩夏に咲く」四季ファブリックハウス 1972 年 森英恵事務所
森英恵 《ブランドラベル、帯地のコート》 1964年ハナヱ・モリ 島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝
森英恵《イヴニングアンサンブル》1968年 ハナヱ・モリ
メトロポリタン美術館、ニューヨーク 1975年森英恵氏寄贈 (1975. 86. 1a-c)コピーライトThe Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY
アートディレクション:江島任 『森英恵流行通信』No.10 1966年9月3日号
ファッションハウス 森英恵 島根県立石見美術館
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生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ プレスリリース
ニューヨーク、パリを魅了した日本のオートクチュール
圧巻の展示400点が語る森英恵のすべて
国立新美術館では、アジア人で初めてパリ・オートクチュール正会員となり、日本のファッションを牽引した森もり英恵はなえの没後初となる回顧展を、生誕100年を迎えた2026年春に開催いたします。1950年代にキャリアを開始した森英恵は、当初、映画衣装の制作を通じて頭角を現すようになります。戦後の高度経済成長期の日本において、家庭を持ちながらデザイナーとして社会的にも大きな仕事を成し遂げる姿は、新しい女性像の先駆けとして注目されるようになりました。そのような中で森が1961年、雑誌『装苑』にて新たに提唱したのが「ヴァイタル・タイプ」という人物像です。快活で努力を惜しまないその姿は、森のその後の生き方とも大きく重なるものでした。1965年にはニューヨークコレクションにデビューして以降、日本のみならず晩年まで世界を股にかけて活動を続けました。
本展はオートクチュールのドレス、資料、初公開となる作品を含む約400点を通じて、森のものづくりの全貌を明らかにします。デザイナーとしての表現だけではなく、生き方とその創造の根幹にまで迫るまたとない機会となるでしょう。
1章 日本の森英恵 ヴァイタル・タイプ
「ヴァイタル・タイプ」とは、森が1961年1月号の雑誌『装苑』で提唱した人物像です。生き生きとして生命力に溢れ、敏捷げに目を光らせた女性。そして、一生懸命になれる仕事を持ち、努力を惜しまない活動家。それはまさに森英恵自身の姿とも重なるものでした。ここでは当時の取材記事を取り上げ、森自身が「アーティストであり、働く女性であり、妻であり母である」という新しい女性イメージを牽引する存在だったこと、そうした姿を洋服を作ることを通して創出していた様子を辿ります。また、森自身がこの時期に中心的に取り組み、その後の活動を軌道に乗せる大きなきっかけとなった映画衣装の仕事についても紹介します。
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参考文献
生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ・・・蝶と花、世界に羽ばたくマダム・バタフライ、96歳で妥協を許さない
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-0a7135.html
生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ
https://www.nact.jp/exhibition_special/2026/hanaemori/
没後初、森英恵の大回顧展『ヴァイタル・タイプ』開催! オートクチュールのドレスや資料約400点を展示
https://www.vogue.co.jp/article/hanae-mori-100-exhibition
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生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ
HANAE MORI Vital Type: The 100th Anniversary of Birth
2026年4月15日(水) ~ 2026年7月 6日(月)
https://www.nact.jp/exhibition_special/2026/hanaemori/

2026年4月19日 (日)

「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」・・・象徴主義の神秘と謎、隠者の森

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第428回

大紫躑躅咲く、風薫る、虹始現れる、午後、東京ステーションギャラリーに行く。冨田章館長の報道内覧会、説明会を聞く。スイス新ビール美術館館長が来ている。
カール・ヴァルザー(1877 - 1943)は、「美術史の中で見過ごされてきた、作品の価値は、その名が知られているかとは関係がない」冨田章・東京ステーションギャラリー館長。グスタフ・クリムト、ビアズリーらの象徴主義、世紀末の画家の仄暗さと、色彩に魅了される。カール・ヴァルザーはスイスのビールで生まれた、1903年にベルリン分離派に加わり、主導した。1908年半年ほど日本に滞在し、制作をしていた。
カール・ヴァルザー《婦人の肖像》1902年、読書する婦人、背後にある森の中に羊が6頭遊んでいる、婦人は室内で大きな帽子を被っている。何かが変である。《隠者》1907年、隠者は庭に座って中世の写本を読んでいる。隠者の背後の木に白い花が咲いている家があり、森があり、地平線の彼方に雲が湧いている。《森》1902-1903年、夕暮れの断崖の上に森がある。《テラスからの眺め》1900年頃、《人形の乳母車と少女》1905年以前、樹々の上に不思議な少女がいる。グスタフ・クリムト、ビアズリーらの象徴主義、世紀末の仄暗さ。偉大な絵画は極大にしても極小にしても価値がある。不朽の名画。象徴主義の神秘と謎を讃える。
森の隠者は、藝術家、思想家であり、詩人であり、著作家である。家と森を持ち、地平線の彼方に空を眺める。
虹始見、幸運の扉が開く、幸運の女神、美の女神が現れる。美の使徒、天道の使者、純粋な魂、美しい魂と美しい肉体を持つ者を如意輪観音が救う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
カール・ヴァルザー《テラスからの眺め》1900年頃 個人蔵
カール・ヴァルザー《婦人の肖像》1902年 ゴットフリート・ケラー財団(新ビール美術館寄託)
カール・ヴァルザー《森》1902-1903年、新ビール美術館
カール・ヴァルザー《人形の乳母車と少女》1905年以前、新ビール美術館
カール・ヴァルザー《テラスからの眺め》1900年頃 個人蔵
カール・ヴァルザー《夜の散歩》1905年、個人蔵
カール・ヴァルザー《隠者》1907年、チューリヒ美術館(H. E. マイエンフィッシュ博士コレクション、1946年収集)
カール・ヴァルザー《ゲルハルト・ハウプトマン作『グリゼルダ』舞台美術のための下絵:第1幕 第2場、ガレリア》1909年、ゴットフリート・ケラー財団(新ビール美術館寄託)
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カール・ヴァルザー(1877 - 1943) 略歴
スイスのベルン近郊の町ビール(ビエンヌ)に生まれる。1899年にベルリンに移住。1903年にベルリン分離派に加わり、審査員も務める。舞台美術家としても人気を集め、主にベルリンで舞台装置や衣装をデザインし、その仕事は生涯で28件に及んだ。挿絵画家・装幀家として出版界でも活躍し、室内装飾も手がけた。恋人がいたが失恋、その女性は自殺。その年、1908年に小説家ベルンハルト・ケラーマンとともに日本を旅行し、ケラーマンによる旅行記に挿絵を描いた。1925年に活動拠点をチューリヒに移してからは、主に壁画や室内装飾で評価を高めた。一歳下の弟ローベルト・ヴァルザー(1878 – 1956)は著名な文筆家。
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参考文献
「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」・・・象徴主義の神秘と謎、隠者の森
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-3ba202.html
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
https://bit.ly/2ZM5pyR
クリムト『ベートーベン・フリーズ』・・・理念を目ざす藝術家の戦い。黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う
https://bit.ly/2J1azBI
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
https://bit.ly/2QbsUwT
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
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★★★★★
「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」プレスリリース
全作品 日本初公開!
20世紀前半のスイスで活躍した異才カール・ヴァルザー(1877–1943)は、ベルン近郊のビールに生まれました。1歳下の弟ローベルトは作家になり、のちにその著作にカールが挿絵を描いています。20代でベルリンに出たヴァルザーは、革新的な表現を目指したベルリン分離派に加わり、象徴主義的な絵画作品をいくつも残しています。そこはかとない昏(くら)さと精妙な色彩をあわせもつその作品群は、謎めいた神秘性を湛え、見る者を惹きつけてやみません。
カール・ヴァルザーの生涯で特筆すべきことは、彼が日本を訪れて制作をしていたことでしょう。1908年にドイツの小説家ベルンハルト・ケラーマンとともに来日したヴァルザーは、東京や宮津(京都府)などに滞在して、熱心に日本の風景や風俗を描きました。これらの作品は当時の様子を伝える貴重な資料であると同時に、美術的にも非常に優れた見応えのあるものばかりです。その多くは水彩で描かれていますが、これまでほとんど公開されてこなかったために、驚くほど鮮やかで美しい色彩を残しています。本展は、これらの仕事に加えて、挿絵や舞台美術、壁画でも活躍したヴァルザーの全貌を伝える画期的な試みです。全作品約150点が日本初公開となります。
謎めいた神秘性を湛える、初期の象徴主義的作品群
知られざる画家
カール・ヴァルザーの名を知る人は、美術業界においても決して多くはありません。母国スイスでは、近年その再評価が始まっていますが、知名度のかなり低い画家と言っていいでしょう。東京ステーションギャラリーでは、これまでも美術史の中で見過ごされてきたアーティストの展覧会を数多く開催してきました。*1) 作品の価値や魅力は、その名が知られているかどうかとは関係がありません。最初に彼の作品を見たとき、わたしたちはその鮮烈さにすっかり魅了されました。そして多くの人とこの感動を分かち合いたいと思ったのです。会場に足を運んでいただければ、その魅力を理解いただけるはずです。
初期ベルリン時代
1877年に、スイスのベルン近郊にあるビールで生まれたカール・ヴァルザーは、シュトラスブルク*2) の美術工芸学校で学んだあと、1899年からベルリンを中心に活動しました。1902年に、マックス・リーバーマンが会長を務めるベルリン分離派*3) の展覧会に初出品し、翌年には会員になります。本の装幀や挿絵、舞台美術、壁画などの仕事をする一方で、この時期には象徴主義的な絵画にも取り組みました。鮮烈でありながら、世紀末の残照とでも言うべき昏(くら)さをともなう、寓意や含意を感じさせる神秘的な作品群は、観る者を強く惹きつける力をもっています。
日本の風景と風俗、芸妓や歌舞伎を描いた美しい水彩画
120年前の日本が鮮やかに甦る
日本滞在
1908年、ヴァルザーはドイツの出版社に依頼されて、小説家のケラーマン*4) とともに日本を訪れます。ケラーマンが書く日本紀行のための挿絵を描くのが目的でした。*5) 4月から約半年に及ぶ滞在期間中にふたりは日本各地を巡りますが、大いに気に入って長逗留したのが宮津(京都府)です。ヴァルザーはこの街で、芸妓や舞妓、歌舞伎役者や市井の人々の姿を、生き生きとした筆致と美しい水彩で描きとめています。これらの作品は、京都の風景や祭を描いた重厚な油彩画とともに、120年前の日本の姿を鮮やかに甦らせます。
領域を超えた多彩な仕事
挿絵と舞台
ヴァルザーは生涯を通じて、挿絵や舞台美術、室内装飾や壁画の仕事で生計を立てていました。ドイツとスイスにはいくつもの壁画が現存していますし、舞台美術の分野ではシェイクスピアはじめ多くの作品でセットやコスチュームのデザインを担当しました。コスチュームのデザイン画は、まるでファッション画のような華やかさをまとっています。また、装幀や挿絵でも、ひとつ下の弟で詩人として名を馳せたローベルト*6) の本をはじめ、少なくない仕事を残しました。多くはエッチングによるものですが、その巧みな線描表現も本展の見どころのひとつです。
*1 「大野麥風展」(2013年)、「幻の画家 不染鉄展」(2017年)、「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜」展(2021年)、「宮脇綾子の芸術」展(2025年)など
*2 現在のストラスブール(フランス)、当時はドイツ領だった
*3 アカデミックな伝統から離脱して、新しい造形芸術を志向した分離派は、最初ミュンヘンで創設され(1892年)、ウィーン(1897年)、ベルリン(1898年)へと波及した
*4 ベルンハルト・ケラーマン(1879-1951)、ドイツの作家。資本主義を批判した『トンネル』(邦訳は国書刊行会から出版)が有名
*5 『さっさよやっさ』(カッシーラー書店、1911年)
*6 ローベルト・ヴァルザー(1878-1956)、邦訳に『日々はひとつの響き ヴァルザー=クレー詩画集』(平凡社、2018年)などがある
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202604_karl.html
https://www.artpr.jp/tsg/karlwalser26
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スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏(くら)き残照
2026年4月18日(土)~2026年6月21日(日)
会場 東京ステーションギャラリー
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「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」、東京ステーションギャラリー、4月18日(土)~6月21日(日)

2026年4月15日 (水)

チュルリョーニス展 内なる星図・・・生のすべては、芸術という永遠にして無限、そして全能なる祭壇の上で燃え尽きる。

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第427回
虹始見(にじはじめてあらわる)、七十二候の第十五候の季節(略本暦による呼び名)。清明の末候となり、「雨の後に虹が出始める」中国(宣言暦)七十二候。虹始見、幸運の扉が開く、幸運の女神、美の女神が現れる。美の使徒、天道の使者、純粋な魂、美しい魂と美しい肉体を持つ者を如意輪観音が救う。
「僕たちの生のすべては、芸術という永遠にして無限、そして全能なる祭壇の上で燃え尽きる」チュルリョーニス
大国の影として属する人質国家、陽炎のように儚く、陽炎のように燃え尽きる。
ロシア帝国の支配下にあったリトアニアは、18世紀から20世紀、属国に甘んじ、国民を人質に、利権階級が私利私欲を貪る。
紀元前15世紀、エジプト新王国、トトメス3世、ミタンニ王国と戦い、ヌビアのクシュ王国を保護することにより金(防衛費)を獲得。永禄12年(1569)、織田信長、豊臣秀吉を派遣、堺の会合衆に矢銭2千貫(防衛費)、要求。
ペルシア帝国と戦い、帝国の奴隷になることを拒んだアテナイ、「ギリシア人は奴隷とならない」アイスキュロス『ペルサイ』。
テーバイの人質フィリッポス2世は、アテナイが哲学者が理念を教えていたのを知り、アリストテレスをアレクサンドロスの師に迎える。【アレクサンドロス大王、東方遠征(紀元前334年~紀元前323年)】マケドニア軍3万8000の兵士を引き連れ、【グラニコス川の戦い(紀元前334年)】にてペルシアの小アジアの防衛軍を撃破。この勝利により、小アジア全域を征服する足がかり。【紀元前333年、イッソスの戦い】ペルシアの王ダレイオス3世と対峙。ダレイオス3世は10万の大軍を率いて対抗、アレクサンドロスは天才的な戦術によって勝利を収めた。ダレイオスは逃亡。ティルスやガザなどが反抗し、この地域を征服、エジプトに進出。エジプトではペルシア支配に対する不満が高まり、無血でエジプトを征服。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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オリバー・ストーン、日本はかつて持っていた主権を持っていない。帝国の衛星国家(Hostile State)、人質を取られた国である。主権の欠如: 日本は、かつて持っていたような真の主権を持っておらず、米国の「同盟国」ではなく、実質的に「衛星国」または「人質を取られた国」であると指摘。
オリバー・ストーン監督は、日本がおかれた状況の最大の理解者。
「偉大で素晴らしい文化を持つ日本には、ひとつだけ問題がある。日本は自らの国家主権を持たない国、アメリカの従属国、いわば人質なのです」(News23 2017年1月19日)
http://dailymotion.com/video/x58y7zi
https://www.huffingtonpost.jp/foresight/snowden-movie-interview_b_14787326.html
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リトアニアを代表する芸術家、ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875-1911)。祖国リトアニアにおける生誕150周年の祝賀ムードを引き継いで開催される本展は、日本では34年ぶりの回顧展。国立M. K. チュルリョーニス美術館が所蔵する主要な絵画やグラフィック作品、約80点を紹介します。人間の精神世界や宇宙の神秘を描いた幻想的な作品の数々のうち、謎に包まれた最大の代表作《レックス(王)》が日本で初公開。また、音楽形式を取り入れた連作や、自身の手になる楽譜、展示室に流れる旋律をとおして、優れた作曲家でもあった画家の個性と感性を体感していただきます。2000年以降、オルセー美術館(パリ)をはじめヨーロッパ各地で展覧会が開催されるなど再評価の機運が高まるチュルリョーニスの世界をぜひご堪能ください。
Mikalojus Konstantinas Čiurlionis
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス
絵画と音楽というふたつの領域で類まれな才能を示し、35歳の若さで亡くなるまでのわずか6年ほどの画業で、300点以上もの作品を手がけました。世紀末のアール・ヌーヴォーや象徴主義、ジャポニスムといった国際的な芸術動向に呼応しつつも、作曲家ならではの感性と、当時ロシア帝国の支配下にあったリトアニア固有のアイデンティティに根差した作品群は、唯一無二の個性を放っています。
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【担当学芸員の解説、朝倉南】報道内覧会
日本では34年ぶりの大回顧展となる本展は、祖国リトアニアにおけるチュルリョーニス生誕150周年(2025年)の祝賀ムードを引き継いで開催される。現存する作品の大部分を所蔵する国立M.K.チュルリョーニス美術館(カウナス、リトアニア)の全面協力のもと、厳選された約80点の絵画やグラフィック作品が来日した。謎に包まれた代表作《レックス(王)》をはじめ、日本初公開の作品が複数含まれる。担当学芸員は朝倉南(国立西洋美術館研究員)。
朝倉南(国立西洋美術館研究員)
ーー
展示はテーマごとに区切った全3章とプロローグ、エピローグから構成されており、短くも濃密な画業の軌跡をたどることができる。プロローグではまず、画業の出発点を紹介する。
オルガン奏者の父を持ち、幼い頃から音楽の才能を示したチュルリョーニスは、18歳のときに作曲を学ぶためポーランドのワルシャワ音楽院に入学。さらにドイツのライプツィヒの音楽院で学んだのち、1902年頃から絵画の道を本格的に志すようになる。絵画制作に集中的に取り組んだのは1903年頃~1909年の6年ほどのことだ。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 森の囁き 1904
作家は、1904年の春に新たに開校したワルシャワ美術学校に入学した。初期作品の大部分は失われており、ここで展示されている《森の囁き》(1904)は数少ない現存する作品のひとつ。暗い森の中で立ち並ぶ木々の上に、かすんだ人の手が浮かび上がる。木立と竪琴の弦、森のざわめきと竪琴の音色を重ね合わせたこの作品には、絵画と音楽、視覚的なものと聴覚的なものの融合というテーマがすでに見てとれる。

第1章「自然のリズム」
生命の本質、自然の動的な移ろいを描く
第1章「自然のリズム」では、チュルリョーニスが描いた自然の表現を紹介している。
ワルシャワを拠点にしながらも、祖国リトアニアの豊かな自然はチュルリョーニスにとって創造の源であり続けた。1905年のコーカサス地方への旅で壮大な山々に触れたことも、自然の力への眼をさらに開かせた。雪に覆われた山がひとつの塊のようにダイナミックに描かれた《山》(1906)は、その旅で得た印象をもとに制作された作品だ。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 山 1906
本章ではエッチングの作品も展示。左から、《庭(噴水)》(1905/06)、《雪に埋もれた小屋(冬)》(1905)
ただし、ここに並ぶ作品群は、いわゆる写実的な風景画とは異なっている。チュルリョーニスの絵画作品に地誌的な風景表現はほとんど存在せず、作家が関心を抱いたのは、自然の「動的な移ろい」だったという。担当学芸員の朝倉は、「自然の内部に流れるリズムや生命の循環そのものを、抽象的、時には擬人的にとらえて、そこに叙情性や象徴性を与えている」と説明する。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 春 1907
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 夏 1907
雪解けの大地、芽吹く若葉など、春の自然を題材とした作品群や、連作《冬》(1907)は、そうした自然のリズムへの関心が結実したもの。
8点から成る《冬》では、生命の象徴である樹木が様々なかたちで変奏され、雪が降りしきる情景から生と死の対比、燭台のように描かれた樹木を経て、雪片が幾何学的な星や矩形となった抽象的な風景へと変化していく。同時代の作家が冬の静謐でメランコリックな側面に着目したのに対し、チュルリョーニスは自然の内なる力を可視化したという。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス《冬》(1907)の展示
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 冬VIII[8点の連作より] 1908
また《閃光》(1906)では、光の群れの移ろいとともに「門」のモチーフが登場する。現実と幻想、此岸と彼岸を隔てながら結びつける通過点の象徴として、門はチュルリョーニスの絵画に繰り返し現れる。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス《閃光》(1906)の展示

「交響する絵画」
音楽の構造を絵画の構造に取り入れた《フーガ》《ソナタ》
「交響する絵画」は、チュルリョーニスを近代美術史における独創的な作家に位置付ける特徴である「絵画と音楽の融合」に焦点を当てる。作家がこのテーマに集中的に取り組んだのは1907年から09年にかけて。当時は同時代の多くの芸術家が絵画と音楽の融合に取り組んだが、チュルリョーニスの最大の特徴は、音楽の構造を絵画の構造に取り入れようとしたこと。ここで紹介される作品は、フーガ、ソナタといった音楽用語を作品タイトルに冠している。
《プレリュード》《フーガ》(1908)の2連画では、未完の《プレリュード》が導入となり、水面に映るモミの木の変奏が描かれた《フーガ》へとつながる。フーガは複数の声部で主旋律が展開される多声音楽の一形式だが、水平に分割された画面に描かれたモミの木の層は複数の声部に該当し、多声の共鳴を想起させる構図になっているという。離れて見てみると、線を成す木のシルエットが、音符の連なった楽譜のようにも感じられる。

ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス、二連画《プレリュード、フーガ》(1908)
いっぽうのソナタは3、4つの複数の楽章から構成される音楽形式。チュルリョーニスはソナタ形式を取り入れた作品を7点制作しており、本展ではうち3点《第3ソナタ(蛇のソナタ)》《第5ソナタ(海のソナタ)》《第6ソナタ(星のソナタ)》(いずれも1908)を展示している。

薄い緑のモノトーンで統一された連作《蛇のソナタ》は、「アレグロ」「アンダンテ」「スケルツォ」「フィナーレ」の4楽章から成る。蛇はリトアニアの神話や民間信仰で神聖視される存在であり、家に豊穣をもたらすとして人々のあいだでも大切に飼われていたという。蛇の体が蛇行、水平、垂直とかたちを変え、フィナーレに向けて楽章は場面を展開させていく。

ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス《第3ソナタ(蛇のソナタ》(1908)、左から「アレグロ」「アンダンテ」「スケルツォ」「フィナーレ」
《海のソナタ》は「アレグロ」「アンダンテ」「フィナーレ」の3点から構成。輝く泡の粒がリズムを作り出す「アレグロ」から、涙のように泡の粒が落ち、下から大きな手が伸びる神話的な「アンダンテ」へと移り、「フィナーレ」では葛飾北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》を参照したとされる、大きな波で劇的に締めくくる。なお《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は、隣の展示室で同時開催されている「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」展で見ることができる。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス《第5ソナタ(海のソナタ》(1908)、左から「アレグロ」「アンダンテ」「フィナーレ」
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス《第6ソナタ(星のソナタ》(1908)、左から「アレグロ」「アンダンテ」
本章ではチュルリョーニス作曲の交響詩「海」が展示室に流れ、「絵画と音楽の融合」をより立体的に感じられる。

民族の記憶と精神世界の旅
第3章「リトアニアに捧げるファンタジー」は、チュルリョーニスの作品において重要な要素であったリトアリアの民族性がテーマ。
ロシア帝国支配下で民族解放運動が高まる1900年代のリトアニアで、チュルリョーニスは「リトアニア美術展」を組織した最初のメンバーになるなど、この運動に積極的に関わった。彼は祖国に息づく民話や民謡、民芸などの民衆文化の再評価こそがリトアニア固有の芸術様式の構築に不可欠であると考え、しばしばそれを作品の着想源とした。
たとえば《リトアニアの墓地》(1909)に描かれた十字架はその象徴だ。リトアニアでは、自然崇拝を現す記念柱や祈りの場が古くから存在し、その伝統とキリスト教の象徴が融合して民間信仰となった。ロシア帝国支配下では十字架制作が伝統的な民族アイデンティティの象徴として弾圧の対象にもなったが、それゆえに民族独立の象徴的なイメージとしても広がった。本作では、緑の背景にリズミカルに浮かび上がる十字架のシルエットと上空の北斗七星が、民族的な記憶と結びついた精神的な風景を表している。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス リトアニアの墓地 1909
また深い緑で故郷近くの谷間を描いた3連作《ライガルダス》は、完成されたチュルリョーニスの絵画作品としては唯一の地誌的な風景画だが、この地に古来から伝わる民間伝承に関係しているという。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 三連画《ライガルダス》(1907)
本章では、「リトアニア美術展」のカタログ表紙や、活動家で作家の妻ソフィヤ・キマンタイテと共著したエッセイ集のための表紙デザイン、頭文字のヴィネット(本文を飾る装飾図案)など、チュルリョーニスが手がけたグラフィック作品の数々も見どころだ。リトアニアの自然や伝統、文化と結びついた装飾的なモチーフが緻密に描かれている。
ソフィヤ・キマンタイテ=チュルリョーニエネ著『リトアニアにて』(1910年出版)のための表紙デザイン(1909)
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 頭文字のヴィネット 1908
オペラ「ユラーテ」の舞台背景のための下絵 1908
チュルリョーニスはこの時代、神智学や天文学といった国際的な思想潮流にも関心を寄せており、人間の精神世界や宇宙の神秘をめぐる幻想的な作品を多数制作した。1907年以降は童話や民間伝承の語りの構造を主題とした「おとぎ話」をタイトルに含む独自の形式を確立し、魔法の世界や王、王女、騎士、旅、道といった典型的なモチーフを取り入れた物語性のある作品を手がけた。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス おとぎ話(城のおとぎ話) 1909
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス おとぎ話(王たちのおとぎ話) 1909
オレンジの明るい色彩と、見下ろすような視点で描かれた階段状の祭壇が目を引く《祭壇》(1909)は、祭壇の壁面に8つの場面が描かれ、下から上へ物語が展開していく。下の段に小さく描かれた騎士の旅が、人間の精神の旅を表していると見られている。展覧会のメインヴィジュアルに採用されたこの作品は日本初公開。実際に見てみると想像よりも小型の作品で、だからこそ細部に込められた象徴性の密度に引き込まれる。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 祭壇 1909

火・水・大地・大気を描く、最大の野心作《レックス(王)》
展覧会を締めくくるのは、こちらも日本初展示となる《レックス(王)》だ。大きなキャンバス作品を展覧会に出品すべく制作された本作は、チュルリョーニス作品のなかで唯一1mを超える最大の絵画作品にして、「最大の野心作」(朝倉研究員の説明)。
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス レックス(王) 1909
「王」は初期から一貫して取り組んだ主題のひとつだ。ここでも象徴的なモチーフが無数に描かれているが、最下部の水面から、炎をあげる祭壇、木々が立ち並ぶ地平線、天に浮かぶ太陽と月へと、画面は多層的な構造を重ねていく。火・水・大地・大気という四大元素が揃い、世界の構成要素がひとつの画面に凝縮されている。その中心に透明に浮かび上がる「王」の姿が、各層を貫くようにそびえ立っている。
本作は、ロシア芸術界の重鎮アレクサンドル・ベヌアの絶賛を受けたが、チュルリョーニス自身はそれを知ることはなく、過酷な制作活動や伴わない名声に傷つき心身を病んでいった。そして1911年4月10日、35歳でその生涯を閉じた。

チュルリョーニス展会場
音楽と絵画の融合を探究し、リトアニアのアイデンティティと精神的な象徴性に満ちた唯一無二の作品群を残したチュルリョーニス。生涯で手がけた作品数が300点超であることを考えると、そのうち約80点が一堂に会する本展は貴重である。
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展示作品の一部
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス《リトアニアの墓地》1909年、テンペラ/厚紙、国立M. K. チュルリョーニス美術館(カウナス)所蔵
《ライガルダスⅠ[三連画「ライガルダス」より]》、《ライガルダスⅡ[三連画「ライガルダス」より]》、《ライガルダスⅢ[三連画「ライガルダス」より]》 いずれもミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 1907年
《フーガ[二連画「プレリュード、フーガ」より]》1908年
《ライガルダスⅠ[三連画「ライガルダス」より]》、《ライガルダスⅡ[三連画「ライガルダス」より]》、《ライガルダスⅢ[三連画「ライガルダス」より]》 いずれもミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス 1907
《レックス(王)》1909年、テンペラ/カンヴァス、国立M. K. チュルリョーニス美術館(カウナス)所蔵
《「第6ソナタ、星のソナタ、アレグロ」1908年》
《第五ソナタ(海のソナタ):フィナーレ》1908年
《森の囁き》1904年
おとぎ話(王たちのおとぎ話)》1909年
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参考文献
チュルリョーニス展 内なる星図・・・生のすべては、芸術という永遠にして無限、そして全能なる祭壇の上で燃え尽きる。
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-9f1e4f.html
「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」国立西洋美術館・・・神奈川沖浪裏、凱風快晴、赤富士、青富士、山下白雨
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-4d1d99.html
仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王

http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-388540.html
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
エジプト新王国、紀元前16世紀~紀元前11世紀
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-041.html
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チュルリョーニス展 内なる星図
2026年3月28日[土]-6月14日[日]
国立西洋美術館 [東京・上野公園] 企画展示室B2F

2026年4月 3日 (金)

「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」国立西洋美術館・・・神奈川沖浪裏、凱風快晴、赤富士、青富士、山下白雨

Hokusai-nmwa-2026

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第425回

葛飾北斎(1760-1849)は、最初期、勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)、勝川派を離れて浮世絵画派とは一線を画した作画活動を行った宗理期(36~44歳頃)、読本の挿絵に傾注した葛飾北斎期(46~50歳頃)、多彩な絵手本を手掛けた戴斗期(51~60歳頃)、錦絵の揃物を多く制作した為一期(61~74歳頃)、自由な発想と表現による肉筆画に専念した画狂老人卍期(75~90歳)、鳳凰図屛風、富士越龍図へと飛翔する。
【葛飾北斎、苦節五十年】北斎(1760年~1849年)は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『富岳三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
★葛飾北斎『冨嶽三十六景』天保1–4年頃(1830–33年頃)北斎為一
【葛飾北斎、苦難の旅立ち】北斎最初期、19歳で勝川春章に弟子入り、20歳で勝川春朗として絵師となる。勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)。弟弟子に追い出される。勝川派を離れて浮世絵画派と一線を画した作画活動、俵屋宗理となる(36~44歳頃)。
【葛飾北斎、苦難の人生】北斎、画狂老人卍期(75~90歳)。72歳で絵は売れても、実生活は貧困。孫が不良で神奈川浦賀に逃れる。店屋物をとり絵画制作に没頭。引越し93回、画号を30回変える。80歳の時、火事に遭う、大八車一台の絵画資料を失う。90歳まで絵画藝術を追求する。
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己六才より物の形状を写の癖ありて
半百の此より数々画図を顕すといへども
七十年前描く所は実に取るに足ものなし
七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十六才にしては益ゝ進み九十才にて猶其奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならん歟
百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願くは長寿の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし
画狂老人卍述
— 『富嶽百景』初編跋文⋆天保5年(1834年)初編
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*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026hokusai.html
本展は、2024年に井内コレクションより国立西洋美術館に寄託された、北斎の『冨嶽三十六景』(1830~33年頃)を初披露する展覧会です。北斎の代表作である本シリーズ全46図を一挙に公開します。さらに、特に高い人気を誇る「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」については、それぞれ異なる摺りがもう1点ずつ併せて紹介されます。「神奈川沖浪裏」は、現存する中でも類を見ないほど摺り・保存状態に優れた一枚が加わります。
また、“赤富士”として知られる「凱風快晴」は、極めて希少な藍摺版、通称“青富士”も特別に展示します。これら全48点を、モネをはじめとする西洋美術コレクションを誇る国立西洋美術館で堪能できるまたとない機会となります。
「凱風快晴」
「凱風快晴」(通称“青富士”)
本展の見どころ
井内コレクションの『冨嶽三十六景』の特徴は、全般に摺られた時期が早いことにあると言えます。浮世絵版画は摺りが数多く重ねられると、版木が摩滅したり、欠損したりしてしまうことがあります。本コレクションには、細い線がシャープであるものが多く含まれていますが、これは版木が摩滅していないフレッシュな状態で摺られたことを示しています。
また、浮世絵版画は、補強のためにしばしば背面に裏打ち紙を貼ることがありますが、本コレクションの多くは裏打ちが施されていません。そのため、背面からも絵具の色の鮮やかさが確認でき、摺師が力を込めたバレンの跡も残されています。本展では、いくつかの作品で表裏両面から見ることのできる展示方法が採用される予定です。
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主な展示作品の一部
「神奈川沖浪裏」
「凱風快晴」
「山下白雨」
「常州牛堀」
「五百らかん寺さゞゐどう」
「江都駿河町三井見世略図」
「東海道程ヶ谷」
「甲州三坂水面」
※掲載作品はすべて葛飾北斎『冨嶽三十六景』より、1830-33(天保1-4)年頃、横大判錦絵、国立西洋美術館(井内コレクションより寄託)
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参考文献
「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」国立西洋美術館・・・神奈川沖浪裏、凱風快晴、赤富士、青富士、山下白雨
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-4d1d99.html
「新・北斎展」・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
https://bit.ly/3sfpb35
【葛飾北斎、美人画、勝川春朗、宗理型美人、亀毛型美人】「江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」・・・浮世絵師の偉大と退廃
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/06/post-72fdeb.html
北斎とジャポニスム、国立西洋美術館・・・『富嶽三十六景』『北斎漫画』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-aea6.html
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国立西洋美術館企画展「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」
メディア内覧会、監修者の十文字学園女子大学の樋口一貴教授が見どころを報道陣に詳しく解説した。
樋口一貴教授の解説
1. 葛飾北斎と「冨嶽三十六景」について
葛飾北斎は1760年に生まれ1849年に没するまで、90歳の長寿を全う。そのうち約70年間、没年まで画業を続けた浮世絵師。
長いキャリアの中で何度も画号を変え、版画・版本・肉筆画に取り組み、役者絵、美人画、風景画、花鳥画など様々な画題を描いた。「冨嶽三十六景」は、北斎が「為一いいつ」と名乗っていた70代前半頃の作品。
タイトルは「三十六景」、余りの人気に10図が追加され、全46図で完結。井内コレクションは、この全46図すべてを網羅している。
2. 井内コレクションの見どころ1:摺りの違いを比較できる
本展では、同じ図柄でも「摺りの違い」を楽しめるよう、贅沢な展示が行われている。手摺りの浮世絵は、摺り師の具合、絵の具の濃淡や摺った時期によって、同じ版木でも微妙に表情が異なります。
「神奈川沖浪裏」
「神奈川沖浪裏」:このシリーズで最も有名で「グレート・ウェーブ」の名で世界的に知られている「神奈川沖浪裏」を2枚展示(4月21日から追加で3枚目を展示)。
「凱風快晴」
「凱風快晴」:”赤富士”で知られる「凱風快晴」も2枚を展示。2枚目は山肌の赤い版を使わず青く仕上げた、世界的にも希少な”青富士”です。同じ輪郭線でありながら全く違った作品になっている。
3. 井内コレクションの見どころ2:驚異的な保存状態の良さ
井内コレクションは全体的に摺られた時期が早く、版木の摩滅が少ないため、北斎が意図したシャープな線が残っている。さらに、大変に薄い紙を使う浮世絵は補強のために裏に紙を貼る「裏打ち」をされていることが多いが、井内コレクションには裏打ちを1回もしていない、当時のままの薄い状態で残っている作品がいくつかある。
両面展示の試み: この裏打ちの無い紙の薄さを実感してもらえるよう、中央に3つの独立ケースで「神奈川沖浪裏」「甲州石班澤」「東海道品川御殿山ノ不二」の3点を両面展示している。
裏から見ることで、ベロ藍の浸透具合や、摺り師がバレンで強くこすった痕まで観察できます。これは江戸時代の人々が裏返したり、日に透かしたりして楽しんだ感覚を追体験する試み。
中央に3つの独立ケースが並び裏側からも見ることができる
4. 展示構成:署名の書体から紐解く出版順の6グループ
展示は A~Fの6つのコーナーで構成されています。これは北斎が版元へ下絵を渡した順番(出版順)を推定して分けたものです。
この時期の作品はベロ藍が多く使われたことがわる(Bコーナー)
「北斎改為一筆」といった署名の書体の変化に基づいてグループを分類している。なお、一番わかりやすいのは追加で作られた10図(Fコーナー)で、署名がベロ藍でなく「墨」で摺られているため、一目で判別可能。それ以外の36図は「ベロ藍」で摺られている。
5. 3枚目の極めて早い摺りの「神奈川沖浪裏」
開幕直前に井内コレクションに加わった、3枚目の「神奈川沖浪裏」が4月21日から追加展示される。この作品は、画題を囲む二重枠に欠損がなく、線が非常に鋭く、極めて早い摺り。
また多くの「神奈川沖浪裏」の摺りでは、船の荷物を覆う「菰こも(むしろ)」が墨が濃く輪郭線が塗りつぶされて見えなくなっているが、この追加の作品は薄い墨で摺られており、下の輪郭線がくっきりと見える。この仕様のものは非常に数が少なく、貴重な「神奈川沖浪裏」となる。
追加展示される場所はすでに用意されている。
※作品はすべて葛飾北斎『冨嶽三十六景』天保1–4年頃(1830–33年頃)井内コレクション(国立西洋美術館に寄託)
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北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより

会場:国立西洋美術館 企画展示室B3F(東京都台東区上野公園7番7号)
会期:2026年3月28日(土)~6月14日(日)※巡回予定無し
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026hokusai.html

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