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2024年5月 5日 (日)

デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第366回
美術探訪、美への旅、デ・キリコ、形而上絵画の謎            
デ・キリコ「形而上絵画」1910は、ピカソ、サルバドール・ダリ『記憶の固執』1931、ポール・デルヴォー『眠れるヴィーナス』19044に影響を与えた。
20世紀を代表する巨匠の一人、ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)。彼の約70年にわたる画業をたどる回顧展「デ・キリコ展」が、東京都美術館で2024年4月27日〜8月29日、開催されている。
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彼が1910年頃から描き始めた「形而上絵画」は、幻想的な風景や静物によって非日常的な世界を表現する絵画。サルバドール・ダリや、ピカソ、ルネ・マグリット、ポール・デルヴォー、シュールレアリスムの画家をはじめ、多くの芸術家や国際的な芸術運動に衝撃を与えた。本展では、デ・キリコの画業を「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」などのテーマに分けて紹介する。初期から描き続けた自画像や肖像画から、デ・キリコの代名詞ともいえる「形而上絵画」、西洋絵画の伝統に回帰した作品、そして晩年の新展開である「新形而上絵画」まで、世界各地から集まった80点以上の作品が展示される。1910年代の「形而上絵画」は世界中に散らばっている、一挙に見られるのは貴重な機会である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【形而上絵画の謎、2010】2010年、デ・キリコは、フィレンツェに移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受け「ある秋の午後の謎」「神託の謎」「時間の謎」「自画像」4点、絵画を描く。日常空間と古代建築が同時存在。画面の左右で、遠近法の焦点が分裂している。長い影。人間が描かれていないか、微小。彫刻、マネキンなどの特異な静物。画面内の時計が示している時刻と長い影が矛盾する。地平線に汽車が走る、煙はまっすぐ上に向かう。なぜ、遠近法の焦点は分裂するのか、影と時計は矛盾するのか。なぜ地平線に汽車が走るのか。
【デ・キリコ、パリへ】1911年、パリへ移住。1912年「ある秋の午後の謎」3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。列柱の並ぶ古典的な建築、古代ギリシア風の彫刻、煙を吐いて走る機関車などを配した風景画は当時の流行とは全く異質で、理解されなかった。
1913年その数か月後、描き上げた30点の絵画の展覧会を開催。企画した詩人・評論家のギョーム・アポリネールに見出され「形而上絵画」と呼ばれる。親交を結び、ピカソに紹介され交際した。初めて絵の買い手が現れる。
アンドレ・ブルトンは、ジョルジュ・デ・キリコの「形而上絵画」の影響を受け、ジークムント・フロイトの深層意識、無意識領域に目を向ける。「今まで人間が作ってきた制約を離れて、思考の裏側にある無意識の世界を表現しよう。理性による支配を受けず、美学や道徳的先入観を無視して記述される思考」と評価された。アンドレ・ブルトンは、1924年「シュールレアリスム宣言―溶ける魚」を発表。
【神秘と憂鬱】「通りの神秘と憂鬱」「イタリア広場」(1914年)を描く。1915年、第一次世界大戦。「ダダ」の創始者であるトリスタン・ツァラやイタリア未来派のカイロ・カッラと知り合う。ツァラは翌年ジュネーヴに逃れ、ダダの活動を始めた。一方、デ・キリコは戦争がはじまると弟とともにイタリア軍に従軍しフェラーラに駐屯した。ストレスで神経衰弱となり、入院した。『出発の苦悩』(1917)、列車、そして高い塔、デ・キリコが頻繁に人間、特に彼の父親への象徴的な参照として利用したモチーフ。2005年父の死後、デ・キリコはアテネを去った。ギリシア、彼が育ち、旅行を始めた場所、これは最終的に彼を彼に齎した。両親のネイティブイタリア、そこで彼は広いルネサンス広場とアーケードのある建物に魅了された。
【古典への回帰、シュールレアリストたちと決別】ブルトンは、古典に回帰したキリコを非難した。デ・キリコは、自分のスタイルを貫き、1926年にブルトンをはじめとするシュールレアリストたちと決別。その後、ネオバロック絵画を経て1960年以降は形而上絵画へと回帰。若い頃の作品を自己模倣する。
【幸せな形而上画家】1924年、ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚。1944年、66歳、ローマへ移住。ローマ、スペイン広場付近に移住。ここで妻であるイザベラ・ファーと晩年の30年を過ごす。1978年、90歳の誕生日を祝う。11月20日心臓発作のため没した。
【形而上絵画、哲学的な世界】デ・キリコは、1907年、ミュンヘンに移住、ミュンヘンの美術アカデミーに入学した。ニーチェ、ショーペンハウエルの哲学に影響を受け、永劫回帰の思想に傾倒。2010年サンタ・クローチェ広場で霊感を受け至高体験に啓示を受けた世界である。「イタリア広場」シリーズはデ・キリコの原体験が源泉であり、柱廊のある建築、長い影、歪んだ遠近法、地平を走る汽車、影のような人物によって、ノスタルジア、不安、空虚、憂愁、謎の空間を生み出す。「肖像画・肖像」は、デ・キリコがその初期から取り組んできた、過去の巨匠たちの作品との対話のテーマである。
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展示作品の一部
予言者 1914-15 ニューヨーク近代美術館蔵(James Thrall Soby Bequest) © Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Firenze © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
赤い塔のあるイタリア広場 1934 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵(L.F.コレクションより長期貸与) © Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
風景の中で赤い布を敷いて水浴する女 1945 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
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開館情報 デ・キリコ展、東京都美術館
2024年4月27日(土)〜8月29日(木)、9:30 〜 17:30 金曜日は20:00まで開館
休館日 月曜日 5月7日、7月9日~16日は休室  4月29日、5月6日、7月8日、8月12日は開室 土曜・日曜・祝日及び8月20日以降は日時指定予約制
入場料 一般 2200円、大学生・専門学校生 1300円、65歳以上 1500円、高校生以下・障がい者手帳提示と付き添い1名 無料
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著者 大久保正雄 プラトン哲学、美学、密教の比較宗教学、宗教図像学。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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参考文献
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
クロード・モネ『日傘の女』・・・藝術家と運命の女、カミーユの愛と死
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派、ジョルジュ・スーラ
ミラクル エッシャー展、奇想版画家の謎を解く8つの鍵・・・迷宮の旅人
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
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【ジョルジョ・デ・キリコの生涯と藝術1888-1978】
【ジョルジョ・デ・キリコ1888-1900】デ・キリコは、1888年イタリア人の両親の子、ギリシア、テッサロニキの都市ヴォロスで生まれ、家族とともに様々な街を転々とした。父エヴァリスト・デ・キリコは、イスタンブール生まれギリシアを起源に持つ富裕層イタリア人。鉄道建設を担当する鉄道技師として多くの事業を実現。母ジェンマは、ギリシアとトルコの混血のイタリア人、イズミールで生まれた。1900年、アテネの理工科学校に通う。この頃最初の静物画を描く。
【デ・キリコ、1905-1913】1905年、父死去。1906年、家族とともに、ギリシアを離れミュンヘンに移住する。1907年、ミュンヘンの美術アカデミーに入学。この頃、ニーチェやショーペンハウエルの思想に影響を受ける。1909年、ミラノに移住。1910年、フィレンツェに移住。弟はパリへ移住、1910年、最初の形而上絵画を手がける。1911年、パリへ移住。1912年、3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。1913年、パリのアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品。詩人で評論家のギョーム・アポリネールに注目され、「形而上絵画」と呼ばれる。後に親交をむすぶ。初めて絵の買い手が現れる。2024年シュールレアリスム宣言。2026年シュールレアリストと決別。
【ジョルジョ・デ・キリコ「ある秋の午後の謎」1910】1905年、父死去。1910年フィレンツェ移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受けて描いた「ある秋の午後の謎」を1912年のサロン・ドートンヌに出品、賞賛を受け、1913その数か月後、描き上げた30点の絵画の展覧会を開催。企画した詩人・批評家のギョーム・ド・アポリネールによって「形而上絵画」と呼ばれ、デ・キリコの名声は高まる。
【ジョルジョ・デ・キリコ、形而上絵画の謎2010】2010年、フィレンツェに移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受けて「秋の午後の謎」「神託の謎」「時間の謎」「自画像」4点絵画を描く。日常空間と古代建築。画面の左右で、遠近法の焦点が分裂している。長い影。人間が描かれていないか、微小である。彫刻、または、マネキンなどの特異な静物。画面内の時計が示している時刻と長い影が矛盾する。地平線に汽車が走る、煙はまっすぐ上に向かう。
【形而上絵画と古典絵画の間を往還するデ・キリコ】
【デ・キリコ、結婚、ローマ、スペイン広場】1924年、ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚。1947年、60歳の時にスペイン広場の家にアトリエを構え、ここで妻であるイザベラ・ファーと晩年の30年を過ごす。デ・キリコはその後、古典的な作風に転じたが、晩年には幻想的な作風に回帰した。
スケジュールP27
反乱史P204

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