大阪の日本画・・・北野恒富、妖艶、退廃的、悪魔派、白耀社
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第328回
北野恒富《宝恵籠》、島成園《祭りのよそおい》、生田花朝《天神祭》、大坂の画家たちの美的感覚は、鏑木清方、上野公園、横山大観、下村観山、速水御舟とどこが違うのか。
大坂の富裕層は、カネを数える実業屋、酒に溺れる飲んだくれ、自慢に溺れる自惚れ屋の印象である。*だが、大坂の富裕層は、東京、京都の権力主義、階級主義、権威主義に対して、富によって、自由主義を謳歌しようとしたのかもしれない。大坂の富裕層の美的判断の基準はどこにあるのか。藝術は、西方浄土、阿弥陀如来の本願か。
――
平安京の王侯貴族、学問僧、嵯峨天皇、沙門空海の美的判断の基準は、無位無号にして山水に逍遥することにあった。
【嵯峨天皇の遺詔】余昔し不徳を以て久しく帝位を忝うす。夙夜兢兢として黎庶を済はんことを思ふ。然れども天下なる者は聖人の大宝なり。あに但に愚憃微身の有のみならんや。故に万機の務を以て、賢明に委ぬ。一林の風、素より心の愛する所。無位無号にして山水に詣りて逍遥し、無事無為にして琴書を翫び以て澹泊ならんと思欲す。「続日後本紀」承和九年条
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【星の王子さま6つの星めぐり】命令する王様、探検家の報告を利用するだけの地理学者、カネを数える実業屋、酒に溺れる飲んだくれ、自慢に溺れる自惚れ屋、日常業務に従事する点燈夫。偏奇な星の主たち。
――
展示作品の一部
北野恒富《宝恵籠》1931年頃、大阪府立中之島図書館
北野恒富《五月雨》1938年、大阪中之島美術館[展示期間:5/16~6/11]
河邊青蘭《武陵桃源図》1908年、大阪中之島美術館
菅楯彦《阪都四つ橋》1946年、鳥取県立博物館
矢野橋村《不動窟》1951年、矢野一郎氏(愛媛県美術館寄託)[展示期間:5/16~6/11]
中村貞以《朝》1932年、京都国立近代美術館[展示期間:4/15~5/14]
中村貞以《失題》1921年、大阪中之島美術館
生田花朝《天神祭》1935年頃、大阪府立中之島図書館
平井直水《梅花孔雀図》1904年、大阪中之島美術館
島成園《祭りのよそおい》1913年、大阪中之島美術館
――
1、ひとを描く―北野恒富とその門下
大阪の「人物画」は、明治時代後半から昭和初期、北野恒富とその弟子、樋口富麻呂や中村貞以、女性画家の島成園や木谷千種らの活躍によって花開いた。当時「悪魔派」と揶揄された、妖艶かつ頽廃的な雰囲気をもつ恒富の人物表現など、多彩な人物画表現が大阪で生み出された。
2、文化を描く―菅楯彦、生田花朝
古き良き大阪庶民の生活を温かく表現した「浪速風俗画」を確立した菅楯彦は、四条派と文人画を融合させたスタイルは、江戸時代より続く大阪人独特の洗練された感性に響くものとして広く愛されました。
弟子の生田花朝は楯彦の作風を受け継ぎながら、同時代の風俗を積極的に描きました。活気に満ちた浜辺をパノラマで色彩豊かに表現した「泉州脇の浜」など、軽やかでユーモラスな作品を多く残しました。
3、新たなる山水を描く―矢野橋村と新南画
日本の風土に基づく日本南画をつくることを目指した矢野橋村は、江戸時代より続く伝統的な文人画に近代的感覚を取り入れた革新的な「新南画」を積極的に推し進めます。
4、文人画―街に息づく中国趣味
江戸時代、京都への玄関口の大阪では、煎茶をはじめとする中国趣味が栄え、文人画が流行した。大阪では漢詩や漢文の教養を身に付けた市民が多かった、文人画人気は明治以降も続き、各地から文人画家が集まり、優れた作品が生まれた。
5、船場派―商家の床の間を飾る画
大阪で広く市民に受け入れられた、四条派の流れをくむ絵画「船場派」。セントルイス万国博覧会に出品、銀メダルを獲得した平井直水の「梅花孔雀図」、京都生まれの「四条派」を淡麗に描くのが大阪「船場派」の作風である。
6、新しい表現の探究と女性画家の飛躍
明治時代以降、新聞社や出版社が集積した大阪には、挿絵画家などとして全国から多くの画家が集まった。大阪では江戸時代から女性画家が活躍。加えて、富裕層を中心に教養として子女に絵画を習わせた、上村松園、池田蕉園とともに「三園」と称された島成園、島成園に学び、のち中村貞以に師事した吉岡美枝など優れた女性画家たちが大阪で登場した。大阪に集まった人々や女性画家たちの新しい感性は、魅力的な表現を生み出した。
――
大坂本願寺 大坂の始まり
【妖怪、本願寺蓮如、5度婚姻、27人の子を生じた精力家。85歳】妻の死別を4回に渡り経験、生涯に5度の婚姻をする。子は男子13人・女子14人。1488年蓮綱(三男)・蓮誓(四男)・蓮悟(七男)率いる【加賀一向一揆】は国人衆と共に守護富樫政親を討ち滅ぼして加賀一国を制圧、以後90年続く「百姓の持ちたる国」を現出。浄土真宗大谷派、1496年晩年、大坂本願寺、建設。3月25日(1499年)、山科本願寺において85歳で没【曾孫顕如の代に摂津・加賀の戦国大名へ繁栄、顕如、織田信長に降伏】
【石山本願寺戦争 本願寺顕如、摂津・加賀の戦国大名、織田信長に降伏】本願寺証如 と顕能尼の子。諱は光佐。天文23(1554)年12歳で継職。本願寺11世、教団を経営。1570年(元亀1)9月、浅井朝倉と呼応して織田信長と対立、諸国の門徒に挙兵を促し、以来、1580年(天正8)まで信長と戦う(石山戦争)。天正8年4月9日、正親町天皇の勅命によって講和し石山本願寺を退出。豊臣秀吉から天正19(1591)年3月京都西六条の地を寄進され、同年8月顕如・教如父子はこれに移る。現在の西本願寺の地である。文禄1 (1592)年50歳で没す。
【親鸞、2人の妻、7人の子。親鸞王朝の始まり】『日野一流系図』に記される九条兼実の娘である玉日姫、『恵信尼文書』で知られる三善為教の娘である恵信尼、六角堂の夢告で親鸞が恵信尼を観音菩薩の化身と考え『恵信尼文書』『日野家一流系図』。
――
参考文献
東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人
「没後50年 鏑木清方展」 ・・・春園遥かに望めば、佳人あり
上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智
東洋陶磁、安宅コレクション名品選101・・・狂気と礼節のコレクター、美的な価値の基準はどこにあるのか
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ
« 親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ | トップページ | 「恐竜博2023」、装盾類、鎧竜ズール、ティラノサウルス・タイソン »
「日本画」カテゴリの記事
- 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、熱帯の光芒(2024.09.24)
- 犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫(2024.06.12)
- 「日本画聖地巡礼 ―東山魁夷の京都、奥村土牛の鳴門―」・・・速水御舟 『名樹散椿』、美の根拠はどこに(2023.10.26)
- 日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―(2023.08.20)
- 虫めづる日本の人々・・・喜多川歌麿「夏姿美人図」鳴かぬ蛍が身を焦がす(2023.07.29)
« 親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ | トップページ | 「恐竜博2023」、装盾類、鎧竜ズール、ティラノサウルス・タイソン »
コメント