どうする家康・・・織田信長、運命の美女、信長の葬儀、天を追求する一族
運命の美女、織田家の天下一の美女たち。
織田信長、生駒吉乃、五徳、お市の方、浅井三姉妹、信雄、信忠、華麗なる一族。江と秀忠の娘・千姫。
小谷城陥落、北ノ庄城陥落、安土城炎上、大坂城陥落
【運命の美女、信長の妹、お市の方】天正元年(1573年)小谷城陥落、浅井長政が小谷城で自らの命を絶つ、お市とその娘たち(茶々、初、江)の行方、尾張国守山城主信長の叔父織田信次、天正2年、岐阜城に預けられる【北ノ庄城】天正11年4月24日、柴田勝家、秀吉によって北ノ庄城を包囲、お市の方とともに自害。市の3人の女子、城を出る。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』「この世は舞台、人はみな役者だ」『お気に召すまま』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【武田信玄の死、死を秘匿、勝頼の死、武田氏滅亡】元亀3年(1572)武田信玄は大軍を率いて西上の途につき、三方ヶ原の戦いで織田信長・徳川家康の連合軍を撃破。これにより窮地。信玄、度々喀血を呈する。ところが、翌年4月12日、信玄は信濃伊那郡駒場(下伊那郡阿智村)で病没。享年53。第1次信長包囲網瓦解。遺言、死を三年秘匿。天正3年(1575年)4月12日、信玄三周忌『甲陽軍鑑』菩提寺は恵林寺。
天正10年(1582)3月、勝頼は織田信忠によって滅ぼされる。
【信長の小袖】『甲陽軍鑑』によると、信長から小袖が贈られた際、梱包に漆箱が使われていた。ふと思い立った信玄が箱を割るなどして調べると、それは漆が何度も重ね塗りされた最高級であった。信玄は信長の、梱包にすら高価な漆箱を用いるその丁寧さから「これは織田家の誠意の表れであり、武田家に対する気持ちが本物だ」と周囲に語ったという。
【第六天魔王、信長】比叡山焼き討ちにより甲斐国に亡命してきた「天台座主の覚恕法親王の沙門(保護者)武田信玄」に対して、信長は「第六天魔王、信長」と返した。フロイス1573年4月20日(元亀4年)付け書簡(『日本耶蘇会年報』所収)。
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【織田信長、正親町天皇、勅命講和】
【本能寺の変と三職推任問題】天正10年(1582年)4月25日、5月4日両日付けの勧修寺晴豊の日記『晴豊公記』(天正十年夏記)。 4月、信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が、村井貞勝と武家伝奏・勧修寺晴豊とのあいだで話し合われた(三職推任問題)。
【織田信長、三職推任問題】勧修寺晴豊『天正十年夏記』(1582年)4月25日、5月4日に記載、その中の「御すいにん候て然るべく候よし申され候」太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずる。 5月、朝廷は、信長の居城・安土城に推任のための勅使を差し向けた。正親町天皇の皇子誠仁親王、信長の返答の内容は不明である。織田信長は、階級社会の地位に拘泥せず。これが悲劇を招いた。
6月1日、本能寺の茶会。6月2日、払暁、明智光秀の本能寺の変が起こる。
【明智光秀、計略と策謀の達人】「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」「裏切りや密会を好む」「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」ルイス・フロイス『日本史』
参考文献 今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』1992小和田哲男『明智光秀』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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織田信長の葬儀
【織田信長の法名「天徳院殿」】『言経卿記』の同年9月2日条から見える、外部の者にも知られた法名。同月11日の柴田勝家の妻お市による百日忌、それより前、8月18日の信長乳母(養徳院)による法事の時の記録によると、信長の法名全体は「天徳院殿二品前右相府龍巌雲公大居士」。阿弥陀寺の信長の墓に「百日弔」にあたって正親町天皇・誠仁親王、山科言経ら知識人の公家たちもお参り
【織田信長の法名、総見院殿贈大相国一品泰巌大居士】10月15日、秀吉が喪主になり、京都大徳寺において信長の葬儀を大々的に行ってみせた。遺骸はないので、棺の中には沈香を用いた信長の像が納められていた。この後の信長の法名は、「相国」は太政大臣、「一品」は一位。「巌」は織田弾正忠家の法名の通字
【お市の方、36歳で死す】天文16年(1547年)の生まれ、信長が天文3年(1534年)生まれ、実は13歳も歳の離れた兄妹。天正10年6月2日、本能寺の変、清洲会議(6月27日)承諾を得て、柴田勝家と再婚。9月、妙心寺で、織田信長の百日忌。喪主。天正11(1583年)年4月24日、柴田勝家、秀吉によって北ノ庄城落城、お市の方、自害。
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織田信長、明晰透徹、信長の人間性 『回想の織田信長』ルイス・フロイス『日本史』
【織田信長、戦を好み、名誉心に富み、正義において厳格】「彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、ヒゲは少なく、はなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。いくつかの事では人情味と慈愛を示した。
織田信長【貪欲でなく、決断を秘め、戦術に極めて老練】彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術に極めて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はほとんど全く家臣の忠言に従わず、一同から極めて畏敬されていた。
【酒を飲まず、食を節し、王侯を軽蔑し】酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。そして人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
【善き理性と明晰な判断力】彼は戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者
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【富は、苦労してかいた汗からではなく、深い思考から生まれる】人生に最も重要なのは俯瞰と設計。人生の方向性を考えること。設計図を持たない人、人生を飛躍させるためには、些細な事に時間を浪費してはいけない【壮大な計画を考えよ。人生の究極目的は魂を磨くことである】
【利益重視の女はどんなにきれいでも嫁にしてはいけない。カマキリの雌は交尾後、雄を食べる。ハリガネムシとなって寄生する】アル中の向上心のない男と結婚する女はクズ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は万病の元。ガン、脳梗塞、痴呆症の原因は飲酒癖
秘密を風に教えてはいけない、森全体に伝わる。お金には敏感になれ、一気に与えると腐る、棘がある良い人になれ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は毒薬。見栄張りの人の心は小さい、真相バラされると憎しみ付きまとう。不公平は当たり前。行きたくない会合は、喜んで行くか、断れ。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
本多隆成『徳川家康の決断』2023
本多隆成『定本 徳川家康』2010
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
ルイス・フロイス『回想の織田信長』ルイス・フロイス『日本史』12巻
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書2022
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書2019
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
『NHK大河ドラマ どうする家康』図録、三井記念美術館2023
【織田信長、麒麟、小牧山城、足利義輝あて書状】麒麟の「麟」の字を用いたと言われる織田信長の花押。この花押の文字、どうも同時代から何の文字が書かれているのか全く不明で、おそらく麒麟の「麟」だろうと比定されたのは、戦後の事
織田信長【西狩獲麟】孔子は、衝撃を受けた。太平とは縁遠い時代に本来出てきてはならない麒麟が現れた上、捕まえた人々がその神聖なはずの姿を不気味だとして恐れをなすという事態に、孔子は自分が今までやってきたことは何だったのかと失望から、自分が整理を続けてきた魯の歴史書の最後にこの記事を書いて打ち切った。『春秋』「哀公十有四年春、西に狩して麟を獲たり」
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変、三職推任
どうする家康、三井記念美術館・・・孤独な少年、竹千代、家康10の決断
特別展、どうする家康、三井記念美術館、4月15日~6月11日
【岡崎展】2023年7月1日(土)~8月20日(日)
会場:岡崎市美術博物館
主催:岡崎市美術博物館、NHK名古屋放送局、NHKエンタープライズ中部
【静岡展】2023年11月3日(金・祝)~12月13日(水)
会場:静岡市美術館
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