ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第313回
旅する哲学者、美への旅。詩の国、黄昏の国、愛の国、美の国、本質の国、海を超え、砂漠を越えて、愛を語る夕べの宴。美しい人と歩く黄昏の地中海。この世の最も美しいものは何か。
在りし日の己を愛するために思い出は美しくある。遠い過去よりまだ見ぬ人生は夢を実現するためにある。運命の扉を開けるのはあなた。鍵はもう手のひらの上に。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。本質は目で見えない。人が本当に見ることができるのは心によってだけである。
黄昏の密教寺院、大日如来、愛染明王、密教真言を唱える。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊が天人を救う。美しい魂は、輝く天の仕事を成し遂げる。
運命の美女が現れる。諦めずに鍛えてきたことが、次のステージへ、運命の扉を開く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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フランソワ1世とルネサンス、フランソワ1世とレオナルド、シャンボール城、アンボワーズ城、フォンテーヌブロー宮殿、カトリーヌ・ド・メディシスとシュノンソー城
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1、フランソワ1世とルネサンス、フランソワ1世とレオナルド、シャンボール城
【シャンボール城】ロワール渓谷の森に聳える。フランスルネサンスの最高傑作。狩猟の館、365の塔、440個の部屋に、282基の暖炉、暖炉へと繋がる365本の煙突に83の階段。フランソワ1世は20歳にして1515年即位。1516年レオナルドを招いてアンボワーズ城の館
【シャンボール城】ロワール渓谷の森に聳える。フランスルネサンスの最高傑作。狩猟の館、365の塔、440個の部屋に、282基の暖炉、暖炉へと繋がる365本の煙突に83の階段。フランソワ1世は20歳にして1515年即位。1516年、イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招いてアンボワーズ城の近くにあるクロ・リュセ城に、住まわせる。レオナルド設計構想、1519年から20年近くの月日をかけ1536年に完成。二重の螺旋階段は、万能の天才と呼ばれた「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が設計した。二重の螺旋階段は、人と人がすれ違わずに昇降できるデザイン。
太陽王ルイ14世、5歳にして王に即位してから72年間にもわたって国王の座についていたルイ14世。絶対王政を確立し、フランスの絶対王制の象徴であるヴェルサイユ宮殿を建てることを計画した。
【火とかげ(サラマンダー)】フランソワ1世のイニシャル「F」 の文字と、彼の紋章である火とかげ(サラマンダー)、母親のルイース・ドュ・サヴォアの紋章、修道士の縄帯の結び目がデザインになっている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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2、アンボワーズ城
【アンボワーズ城】シャルル8世には男性の相続人がいなかったため、従兄弟のオルレアン公爵がルイ12世としてヴァロワ朝第8代目王となり、フランソワ・ダングレーム(後のフランソワ1世)はアンボワーズ城で育てられる。1515年、ヴァロワ朝第9代目、王フランソワ1世が即位、ルイ12世の建設した翼棟を改築。
フランソワ1世は、アンボワーズ城の近くにあるクロ・リュセ城に、イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招いて住まわせる。
【フランソワ1世】宮廷文化を開花させ、藝術にも明るくレオナルド・ダ・ヴィンチの庇護者。一方で、繰り返しイタリア戦争を起こし野心家。クロ・リュセ城はアンボワーズ城から約400mの距離にあり地下道でつながっている
【アンボワーズ城】フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチを招き、クルー館に住ませる。1516年にフランソワ1世に招かれ、3年間暮らす。1519年、アンボワーズ城クルーの館(クロ・リュセ)で死去。
1519年、レオナルド、アンボワーズ城に、3枚の絵画、『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者ヨハネ』を残す。
その他、フランスに残された絵画。
レオナルド『レダ』17世紀1694年まで、フォンテーヌブロー宮殿所蔵品目録に存在した記録がある。
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3、フォンテーヌブロー宮殿
【フォンテーヌブロー宮殿、フランソワ1世の回廊】イタリア・ルネサンス藝術に魅せられたフランソワ1世が、その想いを込めて創らせた夢の空間。国王の住居棟と聖王ルイの建てた三位一体礼拝堂を結ぶ目的で1528年に建てられた翼館の中にある。藝術家ロッソ・フィオレンティーノ。
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4、カトリーヌ・ド・メディシスとシュノンソー城
【カトリーヌ・ド・メディシス】長男フランソワを筆頭に10人の子供を産む。39歳の時、娘の祝婚の馬上槍試合にて、王アンリ2世、モンゴメリ伯に刺され死す。40歳。ノストラダムスの予言の成就。王の愛人ディアーヌ・ド・ポワティエへ復讐開始。
【カトリーヌ・ド・メディシスの陰謀】ローマ法王クレメンス7世の画策により、14歳にして、フランス王家に嫁いだカトリーヌは、フィレンツェ商人の娘と冷笑された。1559年、娘エリザベートの婚礼の馬上槍試合で夫アンリ2世死亡。25年の結婚生活に終止符。
【シュノンソー城、3人の女の城】ディアーヌ・ド・ポワティエ、カトリーヌ、フランス王アンリ2世(1519〜1559)の寵姫であった2人目の城主ディアーヌ・ド・ポワティエ(1499~1566)と、王の正妻であった3人目の城主カトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589)が織りなした愛憎劇。愛妾のディアーヌは、「60歳を過ぎても30代にしか見えなかった」という逸話、「美魔女」。アンリ2世より20歳も年上でありながら、王の寵愛を一身に集めた。正妻カトリーヌが、喉から手が出るほど欲しがっていたシュノンソー城を贈られ、2人目の城主となった。カトリーヌ・ド・メディシスは、その名の通り世界的な大富豪でフィレンツェの名門メディチ家の娘である。カトリーヌは、アンリ2世を一目見た瞬間から恋に落ち、それからずっと熱愛し続けた。1559年に夫が亡くなると立場が逆転する。カトリーヌは、ディアーヌにシュノンソー城とショーモン城を交換させ、自らが3人目の城主。ディアーヌ・ド・ポワティエはアーチ型の石橋を造らせ、カトリーヌ・ド・メディシスが石橋の上にルネッサンス様式の回廊を建設。
【シュノンソー城、6人の奥方の城】「マルクの塔」、シュノンソー城の建設前からあったマルク家の塔を、1人目の女性城主とされるカトリーヌ・プリソネとその夫が、ルネッサンス様式に造り替えた。ディアーヌ・ド・ポワティエ、カトリーヌ。塔側にカトリーヌ・ド・メディシス庭園、その反対側にディアーヌ・ド・ポワティエ庭園、愛憎劇を演じた2人の城主の名を冠した2つのフランス式庭園が、競うように対峙。円形の池と5つの芝生の庭からなるカトリーヌ庭園、造園当時の噴水が再現されたディアーヌ庭園、三角関係の愛憎劇。4人目の城主は、フランス王アンリ3世の妃ルイーズ・ド・ロレーヌ(1553~1601年)だ。アンリ3世は、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子。ロレーヌは、1589年に夫が暗殺されると、シュノンソー城に引きこもり、王家の喪服である白い服をまとい続けた。ロレーヌを、人々は「白い王妃」と呼んだ。
そのため、白い喪服の幽霊が出るという噂がある、ロレーヌが死後も夫を忘れられず、城内をさまよっているのかもしれない。ロレーヌ以後は、王族以外の女性が城主の座に就く。5人目の城主ルイーズ・デュパン(1706~1799年)は、フランスの作家ジョルジュ・サンドの祖母。デュパン夫人はフランス革命時に、城の礼拝堂を薪の貯蔵庫として使って宗教性を隠すという機知を働かせ、城を破壊から守った。6人目の城主マルグリット・ペルーズ(1836~1902年)は、産業資産家の出身。
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参考文献
レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』・・・レオナルド最後の旅
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第79回ロワールの古城めぐりP38-42
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス
https://bit.ly/40wwlBW
https://bit.ly/40wwlBW
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
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