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2023年1月

2023年1月29日 (日)

エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才・・・ウィーン世紀末、分離派、象徴派、退廃藝術

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第312回
ハプスブルク帝国の遺産を旅したのは20年前の灼熱の夏、東欧4カ国の世界遺産の旅。チェスキークルムロフ城をめぐり、ベルベデーレ宮殿でクリムト『接吻』を見た。
オーストラリア・ハンガリー帝国の支配下、自由なきウィーン。多民族国家ハプスブルク帝国、解放したのは皇帝ではない。ハプスブルク帝国解体、感染爆発、サラエボ事件、第1次大戦。
【19世紀ウィーンに言論の自由はなかった。シラーは官憲の弾圧を恐れて、『自由賛歌』(Án die Freiheit)を『歓喜の歌』(Án die Freude)に書き換えた。】
【自由賛歌】シラーはフランス革命の4年前、1785年26歳の時友人の依頼により『自由賛歌』(Án die Freiheit)を書いた。封建的な政治形態と専制主義的な君主制に苦労した、ここで人類愛と何百万人の人達の団結による、人間解放を理想として歌った。官憲の弾圧を恐れて、『自由賛歌』(Án die Freiheit)を『歓喜の歌』(Án die Freude)に書き換えた。
【自由賛歌】ベートーベンはフランス革命からわずか3年後の1792年22歳の時、シラーの詩“歓喜に寄せて”(自由に寄す)と出会い深く感動、いつかこの詩に曲をつけたいと心に秘め、約30年後の54歳の時に完成、自らの指揮で初演。1824年5月7日ウィーン

【分離派、装飾藝術、象徴派、表現主義、1898年】19世紀末、ウィーン、自由の始まり
1897年、グスタフ・クリムト率いるオーストリア造形芸術家組合(ウィーン分離派)を結成。1903年ウィーン工房設立。ウィーン分離派やウィーン工房の重要なパトロンはユダヤ人富裕層。芸術家たちの実験的な精神や妥協のない創作が、この時代の傑作の数々を生み出した。
【1898年、第1回、分離派展】フェルナン・クノップフ、女性像展示。6つ年下の妹マルグリット・クノップフを描いた。【ベルギー象徴派フェルナン・クノップフ】フェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff 1858年-1921年)は、フランス象徴派のモローに傾倒し、ラファエル前派のバーン=ジョーンズと親交を結び、ウィーン分離派のクリムトに影響を与えた。6つ年下の妹マルグリット・クノップフを多数描いた。
【世紀末の藝術家と女たち】
グスタフ・クリムトとエミーリエ・フレーゲ、フェルナン・クノップフと妹マルグリット、エゴン・シーレとエーディト
【エゴン・シーレ、クリムトと出会い】1907年、シーレ17歳、クリムトと出会い、その才能を認められた。
【1915年シーレ25歳、エーディト・ハームスと結婚、第一次大戦】エゴン・シーレ(1890-1918)、表現主義的絵画、次第に画壇で成功し始めた。アトリエの建物の向かいに住んでいた裕福なハームス家の姉妹と親しくなる。長年の恋人ワリーと別れ、25歳で妹のエーディトと結婚した。
アトリエの向かいにあるハームス姉妹の住んでいた家。シーレは結婚後すぐに第一次大戦に招集されるが、前線に送られることは免れた。
【1918年、エゴン・シーレ、28歳で死す】戦争から戻り、第49回分離派展に出品、成功をつかみかけたシーレ。しかし1918年10月31日、世界的に流行したスペイン風邪に罹り、シーレの子供を身籠ったまま妻エーディトは病に罹患し帰らぬ人となり、後を追うようにシーレも28歳の若さでこの家で亡くなった。28歳。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【エゴン・シーレの生涯と藝術(1890-1918)】
16歳で学年最年少の特別扱いでウィーン美術アカデミーに入学。
1907、17歳クリムトと出会い、17才にしてその才能を認められた。
シーレ「僕には才能がありますか」クリムト「才能がある?それどころかありすぎる」
【クリムトから離別】
クリムトや表現主義の影響を受けながら、20歳の若さで独自の画風を確立し、自画像や人物画をときには裸体で赤裸々に描き出した。
「僕はクリムトを知り尽くした。それはこの3月までのことで、いまの僕はその頃とまったく違っていると思う。」
【クルマウ(チェスキークルムロフ)】21歳
モルダウ湖畔の町クルマウ(現在のチェスキークルムロフ)へ移住するも、ヌードモデルが出入りする生活が住民に受け入れられず、3か月で町を去る。
「僕は早くウィーンから離れたい。この醜悪な町。(中略)僕は1人になりたい。ボヘミアに行きたい。」
【ノイレングバッハ、禁錮3日間の有罪】21歳
クルマウを去ったウィーン郊外のノイレングバッハに家を見つけました。静かな環境ながら、汽車を使えばウィーンまで1時間もかかりません。意外に便利です。
21歳の貧しいシーレは平屋の一戸建ての半分だけを借りました。暖房もトイレもな休暇小屋のような家で、シーレは一冬を過ごし、多くの作品を描きました。
ある日14歳の家出少女がシーレを訪れます。彼女をかくまったシーレは、誘拐などの疑いで訴えられてしまいます。シーレは留置所に20日以上も拘束されました。
最終的には「わいせつ画の掲示」の罪のみで禁錮3日間の有罪になったシーレ。ノイレングバッハ にはシーレが収監された留置所の部屋が今でも遺されている。
人々の目につく場所にわいせつ画を掲示したとして有罪となり、3日間収監される。
「偉大な世界観を獲得するためには、ナイーヴで純粋な目で世界を観察し、経験する必要がある。」
判決の際には「わいせつ画」として素描が燃やされる。シーレは傷つき、創作意欲を失いますが、恋人のワリーが留置所に通い、シーレを支えた。
22歳のシーレはウィーンに戻り、なんとか13区にアトリエを見つけた。後ろ盾だった クリムト のアトリエは目と鼻の先。最上階がシーレのアトリエ。
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展示作品の一部
エゴン・シーレ《自分を見つめる人Ⅱ(死と男)》1911年 油彩/カンヴァス レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna
エゴン・シーレ《頭を下げてひざまずく女》1915年 鉛筆、グワッシュ/紙 レオポルド美術館蔵 Leopold Museum, Vienna
エゴン・シーレ《自画像》1912年レオポルド美術館蔵
グスタフ・クリムト《シェーンブルン庭園風景》1916レオポルド美術館蔵
エゴン・シーレ
ハームス姉妹の住んでいた家
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参考資料
フェルナン・クノップフ《愛撫》1986
フェルナン・クノップフ《マルグリット・クノップフの肖像画》(1887年)
エゴン・シーレ《スカートを上げた黒髪の少女》1911年、レオポルド美術館所蔵
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参考文献
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道、国立新美術館・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」東京都美術館・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
クリムト『ベートーベン・フリーズ』・・・理念を目ざす藝術家の戦い。黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う
「ユリイカ」(青土社)2023年2月号 特集=エゴン・シーレ ―戦争と疫禍の時代に―
「芸術新潮」2023年2月号100年前のパンデミックで逝ったあの男が、いま甦る!エゴン・シーレ特集
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
フェルナン・クノップフ☆謎多き巨匠|madameFIGARO.jp(フィガロジャポン)
エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才・・・ウィーン世紀末、分離派、象徴派、退廃藝術
ウィーン史【ウィーン1740から1916】
1 啓蒙主義時代のウィーン 女帝マリア・テレジア、皇帝ヨーゼフ2世
女帝マリア・テレジアとその息子、皇帝ヨーゼフ2世が統治した1740年代から90年代のハプスブルク帝国の首都ウィーンでは、啓蒙主義に基づいた社会の変革が行われました。理性や合理主義に基づき、社会の革新を目指す啓蒙主義の思想がウィーンに入ってきたのは、他のヨーロッパ諸国に比べ早くはありませんでしたが、この思想の熱烈な支持者であったヨーゼフ2世は、宗教の容認、死刑や農奴制の廃止、病院や孤児院の建設など、行政や法律、経済、教育においてさまざまな改革を実行しました。
2 ビーダーマイアー時代のウィーン 1814ウィーン会議
ナポレオン戦争終結後の1814年には、各国の指導者たちが集まったウィーン会議が開催され、ヨーロッパの地図が再編されます。以降、1848年に革命が勃発するまでの期間は、「ビーダーマイアー」と呼ばれます。
3 リング通りとウィーン 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1848年-1916年)
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世(1848年-1916年)に、ウィーンは帝国の近代的首都へと変貌を遂げます。人口は、150万人から220万人にまで増加しました。
近代的な大都市への変貌は、1857年に皇帝が都市を取り囲む城壁の取り壊しを命じ、新しいウィーンの大動脈となる、「リング通り(リングシュトラーセ)」を開通させたことに始まります。沿道には帝国の要となる建築物が次々と建設されました。
4 1900年―世紀末のウィーン 建築家オットー・ヴァーグナー(1897年-1910年)
カール・ルエーガーがウィーン市長として活躍した時代(1897年-1910年)には、さらに都市の機能が充実します。路面電車や地下鉄など公共交通機関も発展し、建築家オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを数多く提案しました。計画のみに終わったものもありますが、今日のウィーンの街並みは、実現されたヴァーグナーの建築によって印象付けられています。
絵画の分野では、1897年にグスタフ・クリムトに率いられた若い画家たちのグループが、オーストリア造形芸術家組合(ウィーン分離派)を結成しました。1903年には、工芸美術学校出身の芸術家たちを主要メンバーとして、ウィーン工房が設立されました。
ウィーン分離派やウィーン工房の重要なパトロンはユダヤ人富裕層でした。芸術家たちの実験的な精神や妥協のない創作が、この時代の傑作の数々を生み出したのです。
参考文献
日本・オーストリア外交樹立150周年記念、ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
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エゴン・シーレ(1890-1918)は、世紀末を経て芸術の熟期を迎えたウィーンに生き、28年という短い生涯を駆け抜けました。シーレは最年少でウィーンの美術学校に入学するも、保守的な教育に満足せず退学し、若い仲間たちと新たな芸術集団を立ち上げます。しかし、その当時の常識にとらわれない創作活動により逮捕されるなど、生涯は波乱に満ちたものでした。
孤独と苦悩を抱えた画家は、ナイーヴな感受性をもって自己を深く洞察し、ときに暴力的なまでの表現で人間の内面や性を生々しく描き出しました。表現性豊かな線描と不安定なフォルム、鮮烈な色彩は、自分は何者かを問い続けた画家の葛藤にも重なります。
本展は、エゴン・シーレ作品の世界有数のコレクションで知られるウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイング40点以上を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。
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レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才、東京都美術館、1月26日(木)~4月9日(日)

2023年1月26日 (木)

佐伯祐三 自画像としての風景・・・世紀末の旅人

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第311回
【美神を追い求めた青春の光芒】佐伯祐三(1898-1928)は、世紀末の旅人。画家ヴラマンクから、怒声を浴びたことが、佐伯祐三を覚醒させた。ヴラマンク、ゴッホ、ユトリロに影響を受けた。パリの家の窓、ポスターが貼られた壁、プラタナスの並木道、カフェ、教会。画家活動4年、パリ郊外の病院で、30歳で死す。19世紀、リアリズムの世紀、世紀末の亡霊。印象派の残光。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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探検家、分析家のための7つの教え
【利益重視の女はどんなに奇麗でも嫁にしてはいけない】アル中の向上心のない男と結婚する女はクズ。秘密を風に教えてはいけない、森全体に伝わる。お金には敏感になれ、一気に与えると腐る、棘がある良い人になれ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は毒薬。見栄っ張りの人の心は小さい、真相バラされると憎しみ付きまとう。不公平は当たり前。行きたくない会合は、喜んで行くか、断れ。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【世紀末の旅人 夏目漱石 アンチリアリズムへの旅】
夏目漱石(1867-1916)は、リアリズムの世紀からアンチリアリズムの世紀へ、時代の転換期、ロンドン留学した旅人。
【夏目漱石、1900年、倫敦留学】1900年は、ヨーロッパ文化の転換期。19世紀リアリズムから、20世紀アンチリアリズムへ。物語は崩壊、幻想へ。
【夏目漱石、作家活動11年間、49歳で死す】アンチリアリズムを生涯追求した。『草枕』(1906)。三十歳の画家が温泉に行き女、那美と出会う。「小説は、何となくよい感じが残ればよい」「面白い部分だけ読めばよい」漱石。物語は崩壊している。現実は漱石の理想と隔絶。
【夏目漱石、作家活動11年間、『猫』】千駄木の家に猫くる。1904年12月『猫』第1章を書く。高浜虚子「山会」で「猫伝」朗読。1905年「ホトトギス」に発表。1907年40歳、早稲田南町に転居。漱石山房にて9年、作家生活。1916年49歳で死す。
【夏目漱石、漱石山房9年、漱石山脈】木曜会、漱石の家に小宮豊隆、鈴木三重吉・森田草平・寺田寅彦・阿部次郎・安倍能成、さらに芥川龍之介や久米正雄、内田百・野上弥生子らが集う。漱石山脈とよばれる。作家活動11年間、49歳で死す。
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【20世紀、アンチリアリズムの世紀】19世紀ヨーロッパ文学はリアリズムを追求したが、20世紀はアンチリアリズムの世紀。18世紀小説、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』に夏目漱石は、深い影響を受けた。これを実験したのが『草枕』(1906)。
【ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』】アンチリアリズムの実験をした夏目漱石『草枕』
(*未完の小説。全9巻1759年の末から1767年)。この18世紀小説に、20世紀文学、アンチリアリズム文学は深い影響を受けた。アンドレ・ジイド、カフカ、ジェイムズ・ジョイズ『フィネガンズ・ヴェイク』、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルースト。他方、日本の明治文学は、1900年以降、やっとリアリズム文学に辿りつく。花袋『布団』藤村『破戒』。
【漱石山房記念館、開館1周年記念講演会、奥泉光『漱石の孤独』】2018年10月8日
【奥泉光『夏目漱石の孤独』【人間関係を構築できない漱石】『吾輩は猫である』猫の雌猫は、2回で死ね。『こゝろ』友人を裏切る。『門』『それから』『三四郎』『こゝろ』人間関係を取り結べない孤独。「主人公の孤独」は近代小説の特徴。漱石「みんなから離れて一人になる」孤独ではなく「誰かと関係を結ぼうとして失敗する」孤独。
【奥泉光『夏目漱石の孤独』】人間関係を構築できない漱石。『明暗』の孤独。『明暗』は夫婦間のぎくしゃくする緊張を描く。夫婦は主導権を握ろうと存在レヴェルで争う。和解のしようがない対立が無限に続く。耐えて生きて行くしかない。未完になったのは仕方がない。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【夏目漱石、不幸な少年時代】本名は夏目金之助。母親が高齢出産だったこと、漱石誕生の翌年に江戸が崩壊し夏目家が没落しつつあったことなどから、漱石は幼少期に数奇な運命をたどる。生後4ヶ月で四谷の古具屋(八百屋という説も)に里子に出され、更に1歳の時に父親の友人であった塩原家に養子に出される。その後も、9歳の時に塩原夫妻が離婚したため正家へ戻るが、実父と養父の対立により夏目家への復籍は21歳まで遅れる。
 漱石は、家庭環境の混乱からか、学生生活も転校を繰り返す。小学校をたびたび変え、12歳の時に東京府第一中学校に入学するが、漢学を志すため2年後中学校を中退、二松学舎へ入学。しかし、2ヶ月で中退。その2年後、大学予備門の受験には英語が必須であったため神田駿河台の英学塾成立学舎へ入り、頭角をあらわしていく。17歳のとき、大学予備門(のちに第一高等中学校と改称)に入学。ここで、のちに漱石に文学的・人間的影響を与えることとなる正岡子規(まさおかしき) と出会い、友情を深める。学業にも励みほとんどの教科において主席であった。特に英語はずば抜けて優れていた。
【漱石山房記念館】
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ヴラマンク(Maurice de Vlaminck 1876年4月4日 - 1958年10月11日)野獣(フォーヴ)の檻
1905年、ドラン、ヴラマンク2人のアトリエを訪れたアンリ・マティスの勧めでサロンに出品。マティス、ドラン、ヴラマンクの作品が展示された一室の色彩が強烈だったことから「野獣(フォーヴ)の檻」と批評され、「フォーヴィスム(野獣派)」が誕生するが、それは短命に終わる。
藤田 嗣治(1886年11月27日-1968年1月29日)パリの寵児となった藤田 嗣治と佐伯祐三(1898-1928)は一部重なるが、リアリズムの世紀の残光である。
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展示作品の一部
《コルドヌリ(靴屋)》1925年、石橋財団アーティゾン美術館
《ガス灯と広告》1927年、東京国立近代美術館
《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》1927年、大阪中之島美術館
《郵便配達夫》1928年、大阪中之島美術館
《モランの寺》1928年、東京国立近代美術館
《下落合風景》1926年頃、和歌山県立近代美術館
《汽船》1926年頃、大阪中之島美術館
《滞船》1926年、ENEOS株式会社
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参考文献
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌・・・旅路の果て、戦争の果て、人生の果て
「没後50年 藤田嗣治
展」東京都美術館・・・乳白色の肌、苦難の道を歩いた画家
『佐伯祐三 自画像としての風景』図録、2023
酒井忠雄『早世の天才画家 日本近代洋画の十二人』2009
佐伯祐三 自画像としての風景・・・世紀末の旅人
https://bit.ly/3wx4tQw
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街に生き 街に死す、描くことに命を捧げた伝説の洋画家
大阪、東京、パリ。3つの街で、画家としての短い生涯を燃焼し尽くした画家、佐伯祐三(1898-1928)。2023年に生誕125年を迎える佐伯の生涯は、多くのドラマと伝説に彩られています。彼が生み出した作品群は、今なお強い輝きを放ち、見る人の心を揺さぶらずにはおきません。
1898年に大阪で生まれた佐伯祐三は、25歳で東京美術学校を卒業し、その年のうちにパリに向かいます。作品を見せたフォーヴィスムの画家ヴラマンクから、「このアカデミック!」と怒声を浴びたことが、佐伯を覚醒させます。2年間の最初のパリ滞在中に、ユトリロやゴッホらからも影響を受け、佐伯の作品は大きな変貌を遂げていきます。1年半の一時帰国を経て、再渡欧したのは1927年のこと。このとき佐伯は29歳になっていました。パリに戻った佐伯は、何かに憑かれたかのように猛烈な勢いで制作を続けますが、結核が悪化して精神的にも追い詰められ、1年後にパリ郊外の病院で亡くなりました。
佐伯にとってパリは特別な街でした。重厚な石造りの街並み、ポスターが貼られた建物の壁、プラタナスの並木道、カフェ、教会、さらには公衆便所までが、傑作を生み出す契機となりました。また、多くの画家たちや作品と出会い、強い刺激を受けたのもパリでのことです。一方で、生誕の地・大阪、学生時代と一時帰国時代を過ごした東京も、佐伯芸術を育んだ重要な街でした。本展では3つの街での佐伯の足跡を追いながら、独創的な佐伯芸術が生成する過程を検証します。
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佐伯祐三 自画像としての風景、東京ステーションギャラリー、1月21日(土)〜年4月2日(日)

2023年1月22日 (日)

不変/普遍の造形—中国青銅器名品選・・・饕餮文、鴟鴞文、殷周の謎の文様

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第310回
殷周時代の青銅器には、謎の器、謎の楽器、謎の文様が刻まれている。紀元前1600年~256年、殷周時代、行われた儀式何か。殷は、神権国家で、王は上帝(天)に仕える宗教的最高権威者として、卜占をもって天意を窺った。孔子は周公旦を理想とした「吾復夢に周公を見ず」(述而篇7-5)。
【夏】司馬遷『史記』によれば、三皇五帝に次いで出現し、殷(商)王朝に先立つ王朝。その始祖の禹は、黄河の治水に功績があり、先帝の舜から天子の位を譲られた。最後の天子の桀は暴君であったため人心が離れ、湯王に倒され殷王朝に交代した。
【殷】(前16世紀~前11世紀)「史記」殷本紀によれば、成湯王が夏の悪政で名高い桀王を滅ぼして創始し、前1050年第30代の紂王のとき周の武王によって滅ぼされた。神権国家で、王は上帝(天)に仕える宗教的最高権威者として、卜占をもって天意を窺った。
【周】 (前1050頃~256) 。伝説上の祖を后稷という。もともと陝西または山西の奥にいた部族、古公亶父 (ここうたんぽ) のとき,犬戎 (けんじゅう) の圧迫で渭水盆地に臨む岐山の麓に移り、子の季歴から西伯昌 (文王) 、武王の3代で体制を整備。
武王が殷を滅ぼし前 11世紀に建国した。都は鎬京。2代成王が東都洛邑 (河南省洛陽付近) を建設。3代康王にかけ天下は安定。10代 厲王 (れいおう) の失政により、一時王統が絶え、11代宣王が中興した。
【褒姒の一笑国を傾く】 12代幽王は褒姒 (ほうじ) への愛に溺れて暴政を行い戎狄の侵入を受け殺され、13代平王が洛邑に遷都した (前 770) 。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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遷都以前を西周 (前 1050~770) 、以後を東周 (前 770~256) と呼ぶ。東周期は春秋・戦国時代で、王の実権はなくなり、37代赧王 (たんおう) のとき、秦の昭王に滅ぼされた (前 256)。
【「周の粟は食まず」】前1024殷から周への王朝交替の時「周の粟(ぞく)は食まず」(不食周粟)という故事成句が生まれた。武王が殷の暴君紂王を倒そうとしたとき、武王の家臣の伯夷と叔斉は武王の行く手をさえぎり「父君が亡くなられ、葬儀もすまさずに戦争をすることは孝行の道にはずれます。臣下の身で主君(紂王)を征伐するのは仁義にもとります」と制止した。しかし武王はその制止を振り切り、軍勢を動かして紂王を討って殷を滅ぼし、周王朝を建てた。すると伯夷・叔斉の二人は「周の粟は食まず」との言葉を残し、首陽山に引きこもり、薇(わらび)を採って飢えを凌いだが、ついに餓死してしまった。周の粟を食まずとは、周の臣下となって俸禄を受けることを拒否する、という意味。つまり二人は、孝行と仁義の道にはずれた周の武王には仕えない、と筋を通したのだった。この話は司馬遷の『史記』列伝の最初に取り上げられて有名になった。「不食周粟」は、日本では旧幕臣が明治政府に出仕するのを拒んだときなどにも使われたが、もとの意味は「道に反する主君には仕えない」ということであり、2018年の日本でいえば、財務相や文科省の役人に不食周粟の気概のある人はいないのか?というのが正しい使い方となる。<井波律子『故事成句でたどる楽しい中国史』2004 岩波ジュニア新書 p.17-18
【周、封建制度】有力者に諸侯として領土をあたえて「封」じ、国を「建」てること、つまり封侯建国を略して封建制。周代は邑制(邑土)国家の時代。王室の直接支配地(王畿(おうき))は「郷遂制度」を中心にして、郊外の地には卿大夫(けいたいふ)の采邑や公邑が設置されていた。封建諸侯(貴族)は周王室を大宗(本家)として、それぞれの封地に城市(邑)を営み、これを国と称した。諸侯はこの国都を中心にして、周囲の諸邑を支配し、これを鄙邑(ひゆう)とした。国には宗廟(そうびょう)、社稷(しゃしょく)を奉ずる貴族(公、卿大夫)のほか士、農、工、商の民が住し、彼らは国人とよばれ、軍事、政治の面でも活躍した。これに対し鄙邑の民は野人とよばれ、貴族の采邑とされ、国都へのさまざまな義務を課せられた。[宇都木章]
【「吾復夢に周公を見ず」】「子曰く、甚だしいかな、吾が衰えたることや。久しいかな、吾復夢に周公を見ず」(述而篇7-5)孔子は周公旦を理想とした。【周公旦】周の文王の第4子、武王の弟。武王が殷を滅ぼしてのち、魯に封じられたが、封地におもむかず首都鎬京にとどまって武王を助け、次の成王即位後は摂政として国事にあたった。三監の乱を鎮定してより封建制度を確立し、特に東方経営に力を注ぎ、新しく洛邑に東都成周を建設した。
『史記』によれば周王の第10代厲王は、外征と祭祀を盛んにするため国民に重税を課し、暴虐な行為が多かった。国民が蜂起して厲王を追放、その後は王を置かず召公と周公という二人の大臣が政務を執り、共に和して政治を執ったので「共和政」といわれ、前841年に始まり14年にわたって続いた。これが世襲王政ではない共和政の政体の最初だとされている。佐藤信也『周―理想化された古代王朝』2016中公新書p.115-120
宮本一夫『中国の歴史1 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝』 (講談社学術文庫) 2020 p.354-358
白川静著『金文の世界――殷周社会史』平凡社・東洋文庫
岡村秀典『夏王朝 中国文明の原像』2003初版 講談社学術文庫版 2007年p.266-273
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展示作品の一部
虎卣(こゆう)殷後期(前11世紀)泉屋博古館蔵
饕餮文方罍(とうてつもんほうらい)殷後期(前12-11世紀)泉屋博古館蔵 以下全て
饕餮文平底爵(とうてつもんへいていしゃく)殷前期(前14世紀)泉屋
螭文方炉(ちもんほうろ)春秋前期(前8-7世紀)泉屋
金銀錯獣形尊(きんぎんさくじゅうけいそん)北宋 (10-12世紀)泉屋
鴟鴞尊(しきょうそん)殷後期(前13-12世紀)泉屋
夔神鼓(きじんこ)殷後期(前12世紀)泉屋
見卣(けんゆう)西周前期(前10世紀)泉屋
虎鴞兕觥(こきょうじこう)殷後期(前13-12世紀)泉屋
方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)前漢末(前1世紀)泉屋
戈卣(かゆう)殷後期(前12世紀)泉屋
犠首方尊(ぎしゅほうそん)殷後期(前12-11世紀)泉屋
鼎父己尊(ていふきそん)殷後期(前11世紀)泉屋
円渦文敦(えんかもんたい)戦国前期(前5世紀)泉屋
画文帯同向式神獣鏡(がもんたいどうこうしきしんじゅうきょう)重要文化財、後漢末~三国(3世紀)泉屋
――
参考文献
「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」・・・秦始皇帝の謎
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨
天皇
不変/普遍の造形—中国青銅器名品選・・・饕餮文、鴟鴞文、殷周の謎の文様
https://bit.ly/3HmqojF
――
第1章 神々の宴へようこそ
今から約3,000年前、日本では長かった縄文時代も終わりにさしかかった頃、中国大陸では殷や周といった古代王朝が栄え、世界史上にもまれなほどの高度な青銅器文化が発達しました。中国の青銅器文化の最大の特徴は、神々に捧げるまつりのための器が発達した点にあります。なかでも、もっとも重視されていた祖先神をもてなす各種の器をつくるために、当時貴重であった青銅が惜しげもなく使われました。本章では、こうした性格をもつ中国青銅器のさまざまな種類を、その用途に着目してご紹介します。なかには日常生活ではまず使われることのない難読漢字も出てきますが、そうした名前がなぜつけられたのか、どういう意味があるのか、という点も詳しく解説していきます。
第2章 謎多き文様の世界
中国青銅器の最大の特徴のひとつは、器の表面を埋め尽くすようにあらわされた文様やモチーフの数々でしょう。器の機能という観点からは説明しがたい繊細複雑な造形には、中国古代の人々の思想や信仰があらわれていると考えられます。まつりのための器の表面を飾る文様であれば、さぞかしおめでたい意味合いがあったと考えたくなるところですが、後世に流行する吉祥文様とは異なり、実は中国青銅器の文様は、人間にとって危険であるがゆえに聖性を帯びているという、「二面性」が特徴となっています。しかも、実在の動物をそのままあらわすのではなく、動物のパーツをさまざまに組み合わせて、この世ならざる文様をつくりあげるという、「キメラ」としての性格もはっきりと認められます。本章では、謎多き中国青銅器の文様を、「二面性」と「キメラ」という2つのキーワードで読み解いていき、中国古代の人々の豊かなイマジネーションの世界を探っていきます。
第3章 古代からのメッセージ―金文―
青銅器の造形、文様の数々を一通り堪能した後は、続けて器の内側を見ることもお忘れなく。そこに深々と鋳込まれた文字は金文と呼ばれ、現在の私たちが使用している漢字の直接の祖先にあたる文字です。この金文を通じて、中国古代の人々がどのような思いをこめて青銅器を鋳造していたのかを多少なりとも知ることができます。そこに記されている内容はさまざまで、王から褒美をもらったことや、いくさで手柄を挙げたことなど、記念すべきことがらを後世にまで伝えるべく、そのことを青銅器の表面に鋳込んだのでした。古代からのメッセージを解読すると、器そのものからはなかなかわからない当時の人々の姿がぼんやりと見えてきます。展示会場では釈文・現代語訳もつけて丁寧に解説します。
第4章 中国青銅器鑑賞の歴史
殷周時代に盛んにつくられた祭祀儀礼用の器は、秦漢時代には衰えて、次第に日用品としての性格を強めていきました。しかしながら、宋代に入ると古器物に対する関心が高まり、殷周青銅器のリバイバルが起きるようになります。徽宗皇帝の命で宮中の青銅器コレクションの調査がおこなわれ、その成果をまとめた図録『宣和博古図録』(泉屋博古館の名称の由来)が刊行されるなど、研究も大いに進展しました。こうした背景の下、宋代では殷周青銅器を模した「倣古銅器」が数多くつくられるようになり、それらは交易を通じて中世日本にももたらされ、「唐物」として珍重されるようになります。本章では、中国青銅器の鑑賞の歴史と、それが美術工芸品に与えた影響について詳しく見ていきます。まったくの別世界に思える中国青銅器が、実は日本文化にも深く関係していたことをご紹介し、その存在をより身近に感じていただければと思います。
泉屋博古館東京にて、「泉屋博古館東京リニューアルオープン記念展Ⅳ 不変/普遍の造形 —住友コレクション中国青銅器名品選―」を開催いたします。東京館のリニューアルオープン記念展の掉尾を飾るのは、住友コレクションの象徴、中国青銅器の名品たちです。およそ3000年前の古代から受け継がれ、東アジアの美術工芸の源となった中国青銅器。造形や文様、銘文、鑑賞の歴史など、さまざまな角度からその魅力を余すことなくご紹介すべく、住友コレクションの選りすぐりの名品を一堂に会する特別な機会となっています。
――
「不変/普遍の造形 —住友コレクション中国青銅器名品選―」泉屋博古館東京、1月14日(土)〜2023年2月26日(日)

2023年1月15日 (日)

美術館スケジュール2023年・・・旅する哲学者、美への旅

Lisboa-nact-2023
Love_louvrefrago2023
Bretagne-nmwa-2023
Fuhen-senoku-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第309回
黄金のような国々を、沢山旅してきた。詩の国、美の国、黄昏の国、愛の国、本質の国、美と戦いの国。地中海の黄昏、ヨーロッパの果ての国。美しい人と、旅立つ。地中海、愛を語る夕べの宴。海を超え、砂漠を越えて、幻の国への旅、美への旅。美しい人と歩く黄昏の海辺。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。人が本当に見ることができるのは心によってだけである。本質は、目で見えない。
黄昏の密教寺院、大日如来、愛染明王、密教真言を唱えて祈る。
美しい夕暮れ。黄昏の神殿、美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が天人を救う。美しい魂は、輝く天の仕事を成し遂げる。
運命の美女が現れる。諦めずに鍛えてきたことが、次のステージ、運命の扉を開く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1、密教真言
空海『三教指記』797。上巻では亀毛先生が儒教の立身出世の道を説き、中巻では虚亡隠士が道教の不老不死の神仙術を教える。下巻は空海の自画像と思われる仮名乞児が登場して、無常の賦、受報の詞、生死海の賦などを唱え、すべてのものに対する仏の慈悲の教えこそ最も優れたものと説く。
【空海『聾瞽指帰』序】ここに一の沙門あり。余に虚空蔵聞持の法を呈す。その経に説く。若し人、法によってこの真言一百万遍を誦すれば、即ち一切の教法の文義暗記すること得。ここに大聖の誠言を信じて、飛燄を鑽燧に望む。阿国大滝嶽に躋攀し、土州室戸崎に勤念す。
【『理趣経』】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず(第三段)」不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されている。空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならない
空海【聖なる者は悪を滅ぼす】【『理趣経』「第三段」】『理趣経』「第三段」の教説に関して不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されているが、当該注釈の方向性は空海にも継承され、空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならない。三毒=貪瞋痴。
――
2、シェイクスピア復讐劇
【復讐悲劇】ルネサンス復讐悲劇の先駆、ストア派哲学者セネカの作品『テュエステス』が起源である。復讐悲劇を定義づけた。1、人に知られない殺人、通常、悪人が善人の統治者を殺す。2、犠牲者の亡霊が若い親類、主に息子のところに訪れる。
【復讐悲劇】3、殺人者と復讐者がお互いに対して計画を進める中での偽装と策略。じわじわと死者の数が増える。4、復讐者または支援者が本当のあるいは偽りの狂気に陥る。5、最後にはバイオレンスの爆発。嘘の仮面劇や祭。6、復讐者を含め登場人物の多くが死ぬカタストロフ。
――
1月
特別企画「大安寺の仏像」、東京国立博物館、1月2日(月・休) ~ 3月19日(日)
初春を祝う 七福うさぎがやってくる、静嘉堂文庫美術館、1/2(月・振休)〜2/4(土)
クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ、東京都現代美術館、2022年12月21日 ~2023年5月28日
諏訪敦「眼窩裏の火事」、府中市美術館、12月17日(土)〜2月26日(日)
江戸絵画の華 第1部 若冲と江戸絵画、出光美術館、1月7日〜2月12日
不変/普遍の造形—住友コレクション中国青銅器名品選―、泉屋博古館東京、1月14日(土)〜2月26日(日)
佐伯祐三 自画像としての風景、東京ステーションギャラリー、1月21日(土)〜年4月2日(日)
レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才、東京都美術館、1月26日(木)~4月9日(日)
ますむらひろしの銀河鉄道の夜―前編、八王子市夢美術館、1月28日(土)〜3月26日(日)
2月
ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END、森アーツセンターギャラリー、2月3日(金)〜4月10日(月)
マリー・ローランサンとモード、Bunkamura ザ・ミュージアム、2月14日(火)〜4月9日(日)
お雛さま―岩﨑小彌太邸へようこそ、静嘉堂文庫美術館、2/18(土) ~ 3/26(日)
江戸絵画の華 京都画壇と江戸琳派 出光美術館、2月21日(火)~3月26日(日)
芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル、三菱一号館美術館、2月25日(土) 〜 4月9日(日
アートを楽しむ ー見る、感じる、学ぶ、アーティゾン美術館、2月25日[土] 〜5月14日[日]
ダムタイプ|2022: remap、アーティゾン美術館、2月25日(土)〜5月14日(日)
3月
ルーヴル美術館展、愛を描く、国立新美術館、3月1日〜6月12日
特別展「東福寺」、東京国立博物館、3月7日(火) ~ 5月7日(日)
特別展「恐竜博2023」、国立科学博物館、3月14日(火)~6月18日(日)
東京国立近代美術館70周年記念展、重要文化財の秘密、東京国立近代美術館、3.17~ 5.14
さばかれえぬ私わたくしへTokyo Contemporary Art Award2021-2023 受賞記念展、東京都現代美術館 企画展示室 3F、3月18日(土)〜2023年6月18日(日)
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝、京都国立博物館、3月25日(土)~5月21日(日)
4月
大阪の日本画、東京ステーションギャラリー、4月15日(土)〜6月11日(日)
マティス展、東京都美術館、4月27日(木)~8月20日(日)
憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷、国立西洋美術館、3月18日(土)〜6月11日(日)
大阪市立東洋陶磁美術館、安宅コレクション名品選101、泉屋博古館東京、3月18日(土)〜5月21日(日)
5月
「恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造」、上野の森美術館、5月31日(水)〜7月22日(土)
6月
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ、アーティゾン美術館、6月3日[土] 〜8月20日[日]
ガウディとサグラダ・ファミリア展、東京国立近代美術館、6月13日[火]~9月10日[日]
7月
甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性、東京ステーションギャラリー、7月1日(土)〜8月27日(日)
ソール・ライターの原点 ニューヨークの光、ヒカリエホール9F、Bunnkamura主催、7月8日〜8月23日
テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ、国立新美術館、7月12日(水)~10月2日(月)
ディヴィッド・ホックニー展、東京都現代美術館、7月15日〜11月5日
9月
石橋財団コレクション×山口晃ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン、アーティゾン美術館、9月9日[土] 〜11月19日[日]
「横尾忠則 寒山百得」展 開催決定、東京国立博物館、9月12日(火) ~ 12月13日(水)
春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ、東京ステーションギャラリー、9月16日(土)〜11月12日(日)
イヴ・サンローラン展、国立新美術館、9月20日~12月11日
10月
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ、東京国立近代美術館、10月6日[金]~2023年12月3日[日]
12月
みちのく いとしい仏たち、東京ステーションギャラリー、12月2日(土)〜2024年2月12日(月)
マリー・ローランサン ―時代を写す眼、アーティゾン美術館、12月9日[土] 〜2024年3月3日[日]
英英紅綠 第48回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊
2024年
マティス 自由なフォルム、国立新美術館、2024年2月14日(水)~5月27日(月)
――
★★★★★
参考文献
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
大久保正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
――
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
――
2022年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
2023 長楽万年 蘇る不滅の精神 美と戦い
美術館スケジュール2023年・・・旅する哲学者、美への旅
https://bit.ly/3ZDQ9De
――
3、【カネと地位で買えない価値】
【カネと地位で買えない価値】富とは、お金で買えないものをどのくらい持っているかである。お金で家は買えるけれど家庭は買えない。お金で学校は買えるけれど学問は買えない。知性は買えない。お金で地位は買えるけれど人格は買えない。美は買えない。魂の美は買えない。
【最高権力者にも手に入れることができない4つの秘宝】
【アレクサンドロス大王】20歳でマケドニア王。グラニコス河の戦い、イッソスの戦い、ガウガメラの戦いでペルシア帝国を滅亡。蜂に刺されある夜の祝宴中に倒れる。10日間高熱病に伏し「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言。紀元前323年6月10日、32歳で死去。
4,自由賛歌
19世紀ウィーンに言論の自由はなかった。シラーは官憲の弾圧を恐れて、『自由賛歌』(Án die Freiheit)を『歓喜の歌』(Án die Freude)に書き換えた。
【自由賛歌】シラーはフランス革命の4年前、1785年26歳の時友人の依頼により『自由賛歌』(Án die Freiheit)を書いた。封建的な政治形態と専制主義的な君主制に苦労した、ここで人類愛と何百万人の人達の団結による、人間解放を理想として歌った。官憲の弾圧を恐れて、『自由賛歌』(Án die Freiheit)を『歓喜の歌』(Án die Freude)に書き換えた。
【自由賛歌】ベートーベンはフランス革命からわずか3年後の1792年22歳の時、シラーの詩“歓喜に寄せて”(自由に寄す)と出会い深く感動、いつかこの詩に曲をつけたいと心に秘め、約30年後の54歳の時に完成、自らの指揮で初演。1824年5月7日ウィーン

2023年1月 1日 (日)

2023 長楽万年 蘇る不滅の精神 美と戦い

Botticellimadonnamgnificat1485-2023
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第308回
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
美と戦いの2500年
私は大学院博士課程で哲学、美学を専攻、その後20年間、哲学史、プラトン哲学を講義した。哲学史2500年の論争を分析、大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社を刊行した。30年間プラトン哲学を研究して論文多数を執筆。その後10年間、地中海都市、ハプスブルク帝国の都市を旅して『地中海文明 美と戦いの4000年』を研究した。その後、美術記者として美術館の取材活動を行い『旅する哲学者 美への旅』を執筆している。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1、美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
2、【理念と現実の一致】思想家は、理念を現実において成就することを追求する。プラトン哲学は、国家において知恵が実現することを追求する。空海は、即身成仏を追求する。
3、【空海、悪を滅ぼす】不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
4、【愛と復讐の叙事詩】アレクサンドロス大王、父フィリッポス2世を暗殺。クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン18歳。アンケセナーメン27歳。美しきネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
5、【理念を探求する精神、美と復讐の精神史】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年80歳。空海835年61歳。李白 762年61歳。孔子紀元前479年74歳。織田信長1582年49歳。アレクサンドロス大王紀元前323年33歳。嵯峨天皇842年56歳
【思想家の死、詩人の死、藝術家の死】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年80歳。アリストテレス紀元前322年62歳。孔子紀元前479年74歳。空海835年61歳。藤原定家1241年79歳。李白 762年61歳。北斎1849年90歳。
6、【東西文化交渉史】ミケーネ文明、ミノア文明とトロイア文明を滅ぼす。ギリシア美術、紀元前5-4世紀、最盛期、BC334アレクサンドロス大王の遠征、ペルシア帝国征服、インド遠征、ガンダーラ美術、ペルガモン王国誕生、シルクロード経由、7世紀北魏南梁から飛鳥彫刻、8世紀天平彫刻、9世紀、弘仁貞観、密教美術、12世紀、運慶彫刻
7、【六道輪廻と六観音菩薩】如意輪観音菩薩、天道の天人を救う。聖観音菩薩、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道の者を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、人道の者を救う。
8、【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、強み弱み、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
――
参考文献
大久保正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
――
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
2022年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
2023 長楽万年 蘇る不滅の精神 美と戦い
https://bit.ly/3X1OwNz
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ボッティチェリ『マニフィカートの聖母』
ツタンカーメン黄金のマスク
ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』
東寺『インドラ天』9世紀、運慶『大日如来』

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