無料ブログはココログ

« 祈り・藤原新也・・・旅の始まりには、いつも犬の遠吠えが聞こえる | トップページ | 挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧 »

2022年12月21日 (水)

「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎

Genji-met-2022
Genji-met-4-2022
Genji-met-3-2022
大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第304回
「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」藤原俊成『六百番歌合』という程、基準となる。俊成『千載和歌集』の美の基準である。
【『源氏物語』の謎】
【光源氏の謎】光源氏のモデルは源融(嵯峨天皇の皇子)か藤原道長か。源融(822-895)は天皇の皇子だが、天皇になれなかった美貌の貴公子。源融は左大臣になり、天皇候補となったが、藤原基経に反対された。藤原道長(966-1028)は中宮彰子の父であり、紫式部は藤原道長の召人(愛人)。藤原道長は右大臣として君臨、栄華を極める『御堂関白記』、関白になった記録はない。
【源氏物語の時代背景】源氏物語の時代背景は、醍醐天皇(885生まれ、897-930)の時代、紫式部の曽祖父、藤原兼輔である。
【光源氏の生涯最愛の女】ヒロインは若紫(紫の上)。光源氏の生涯最愛の女は若紫(紫の上)、光源氏22歳のとき若紫14歳に出会った。若紫は走っていた。『若紫』、光源氏は14歳の幼女若紫を誘惑した、他の多数の女たちはどんな意味があるのか。若紫(紫の上)は死顔も美しい。
【紫式部の謎】父、藤原為時、花山天皇の退位(986年6月)とともに職を失い蟄居する父の傍らで娘盛りを迎えた式部。999年(長保1)初春に藤原宣孝と結婚、1001年4月、宣孝が他界、式部は若き寡婦としてほうり出された。『源氏物語』は現実の絶望を乗り越える手段として紡ぎ出された。紫式部はなぜ清少納言に反感を抱いたのか。『紫式部日記』1010。
曽祖父、藤原兼輔は、有力貴族。紫式部の歌や文章に、家の荒廃を嘆き、身の程の口惜しさを思うものが目だつ。その家は兼輔が建て『大和物語』などにその風流ぶりをうたわれた、賀茂川べりの堤第であった公算が強い。京都市上京区の廬山寺あたりがその跡地。
1006年(寛弘3)暮れ(5年説も)、一条天皇中宮彰子(藤原道長娘)のもとに出仕した。
【紫式部】973年(天延1)生まれ、1014年(長和3)春ごろに没したらしい(1019年以降説もある)伊藤博。これによると紫式部は41歳で没した。
【『桐壺』】桐壺の更衣への虐めはなぜエスカレートするのか。父のない最下位の妃の更衣を熱愛するミカド、皇子を産む桐壺。桐壺天皇の皇子が光源氏。
【六条河原院『夕顔』】源融の幽霊はなぜ六条邸に出るのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【感染爆発と平安文学】
【一条天皇は31歳で死す。中宮定子は24歳で死。中宮彰子88歳まで生きる】一条天皇は2人の皇后を持った(一帝二后)、一人の后でが中宮彰子(988-1074)、彼女に仕えたのが清少納言のライバル、紫式部(970頃-1019頃以降)。
中宮彰子は、藤原道隆の弟でのちに位人身を極める藤原道長(966-1028)の娘として生まれ、後一条天皇、後朱雀天皇の2人の帝を産み「国母」と称され、系図上では現在の明仁・徳仁天皇の祖先。
【インフルエンザ肺炎、中宮定子、中宮彰子、一条天皇】彰子の夫である一条天皇は《980-1011》31歳で亡くなり、死因は「咳逆=しわぶき」、インフルエンザ肺炎と伝えられる。清少納言が仕えた「年上の后」中宮定子は《977-1001》24歳で産褥のため亡くなる。
【中宮彰子と藤原道長】
大酒のみの父道隆が995年糖尿病のために42歳で死んだ後、にわかに権力を掌握した道長によって、12歳で「皇后」となっていた彰子は後一条天皇(1008-1036)と後朱雀天皇(1009-1045)を生んだ後、半世紀以上も生きながらえ、米寿まで存命する。
皇后彰子は20-21歳にかけての1008-1009年には、28-29歳だった一条天皇と同衾して子供を作っているが、1011年、一条天皇がインフルエンザに罹患した後は、その感染を免れ、その後63年間生き続ける。
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かげ『紫式部集』
――
参考文献
大塚ひかり『源氏物語 平安王朝のロマンと時代背景の謎』2001
大塚ひかり『男は美人の嘘が好き ひかりと影の平家物語』
大塚ひかり『ブス論で読む源氏物語』講談社+α文庫
角田文衛『紫式部とその時代』(1966・角川書店)
前田 雅之「藤原俊成の古典意識」2012
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
https://bit.ly/3hIroVg
――
主な展示作品
鷹野理芳《垣間見 玉鬘「蛍の巻」より》2022年 作家蔵
高木厚人《ふぢつぼのゆめ》2012年 作家蔵
玉田恭子《紫之にき》2019年 作家蔵
青木寿恵《源氏物語》1976年頃 寿恵更紗ミュージアム蔵
石踊達哉《真木柱》1997年 講談社蔵
守屋多々志《澪標「住吉詣」》1991年 個人蔵
渡邊裕公《千年之恋~源氏物語~》2016年 作家蔵
――
「上野アーティストプロジェクト」は、「公募展のふるさと」とも称される東京都美術館の歴史の継承と未来への発展を図るために、2017年より開始したシリーズです。その第6弾となる本展は、「源氏物語」がテーマです。
平安時代に紫式部が執筆した源氏物語には、四季折々の美しい情景とともに、多数の登場人物が魅力的に描かれています。主人公の光源氏を中心に紡がれる人間模様は、現代の私たちにも通じるものがあります。読者は登場人物と自分とを重ね合わせ、物語に感情移入することができるからこそ、約1000年の間、変わらず読み継がれてきたのではないでしょうか。そして、長い間広く親しまれてきたことにより、美術工芸や芸能など他のジャンルにも影響を与え、源氏物語は時代や文化を超えて人びとを魅了してきました。
本展では、絵画・書・染色・ガラス工芸という多彩なジャンルの作家をご紹介します。人との出会いはもちろん、美術館で作品とめぐり逢うことも、ひとつの「えに(縁)」と言えます。人や社会とのつながり方が変化しているコロナ禍において、本展が私たちの生活を見つめ直す機会となれば幸いです。
――
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」、東京都美術館、11月19日(土)~2023年1月6日(金)

« 祈り・藤原新也・・・旅の始まりには、いつも犬の遠吠えが聞こえる | トップページ | 挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧 »

日本美術史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 祈り・藤原新也・・・旅の始まりには、いつも犬の遠吠えが聞こえる | トップページ | 挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧 »

最近のトラックバック

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31