「没後50年 鏑木清方展」 ・・・春園遥かに望めば、佳人あり
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』275回
桜の森の開花が始まり、春宵一刻、嵯峨天皇の詩を想う。美女の運命、藝術家の運命、儚く美しき美女、傾国の美女、美女の歴史に秘められた奇譚を想う。樋口一葉は「このよほろびざる限りわが詩は人のいのちとなりぬべき」と書き24歳で死す。鏑木清方は泉鏡花『一葉女史の墓』を描いた。
【嵯峨天皇は曲水流觴の宴を催した】青春が半ばを過ぎた頃、何がせき立てるのか、柔らかな風がしきりに吹いて、花がせかされるように咲く。芳しい花の香りは失せようとして、止めることはできない。私は文雄に呼びかけて詩人たちは花を愛でるこの宴にやって来た。『神泉苑花宴賦落花篇』「凌雲集」弘仁三年(812)二月十二日
【嵯峨天皇、神泉苑花宴賦落花篇「凌雲集」】春園遥かに望めば、佳人あり。乱雑繁花、相映じて輝き、点珠顏綴、駘鬟(たいかん)として吹く。人懐の中、嬌態閑(しず)かなり。朝に花を攀(よ)じり、暮に花を折る。花を攀じる力尽き、衣帶ゆるく。未だ芬芳(ふんぽう)を厭はず
【鏑木清方、明治後期の世界への想い、いくさより美人画】
鏑木清方は、挿絵画家として出発した。鏑木清方は1878(明治11)年、東京・神田に生まれた。幼い頃から文芸に親しみ、13歳で歌川国芳の孫弟子、浮世絵師・日本画家の水野年方に入門。挿絵画家としての活躍を経て、肉筆画を手がけるようになった。清方没後50年、美人画だけでなく、市井の人々の生活や人生の機微を描こうとした「ほんとうの清方芸術」を紹介する展覧会「没後50年 鏑木清方展」。鏑木清方は本格的に日本画を手掛ける以前、小説の口絵や挿絵で人気を博していた。美人画、挿絵、卓上藝術、清方が追求した世界は何か。美人画家として「西の松園、東の清方」と並び称された鏑木清方だが、本人は「需められて画く場合いはゆる美人画が多いけれども、自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かれる」と言った。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【鏑木清方の言葉】「明治は幸せな時代でした。いくさは描けませんよ。意地になって美人画を描いていました。微かなる反抗でしょうけれども。嫌いなものは描けないですよ。」と生前ラジオ番組に出演した時の鏑木清方の肉声あり。「願わくば日常生活に美術の光がさしこんで暗い生活をも明るくし、息つまるやうな生活に換気窓ともなり、人の心に柔らぎ寛ぎを与える親しい友となり得たい」鏑木清方の文章あり。
【浮世絵と美人画】菱川師宣から始まる浮世絵は、錦絵創始期の第一人者鈴木春信、「春章一幅値千金」と謳われた勝川春章の肉筆画、八頭身美人の江戸のヴィーナスと呼ばれる鳥居清長、青楼の絵師と謳われた喜多川歌麿へと展開した、5人の絵師。美人画の歴史である。美人画の歴史は、菱川師宣、喜多川歌麿が最大の源泉である。勝川春章、鳥文斎栄之、渓斎栄泉を師とする絵師もいる。葛飾北斎は勝川春章を師とした。
日本の美人画は、花柳界の女、江戸の青楼の美女、富裕層の妾妻、歴史物語の美女を描いてきた。庶民の娘、市井の女、女学生を描いてきたのは、明治以後か。
【表面的な美と内面的な美】日本の美人画は、表面的な美を描いているが、内面的な美を描いている例は少ない。内面的な美を描いている美人画は、だれか。上村松園「序の舞」は内面の美を表現しているのか。
【美人画の名人、鏑木清方、かをりの高い絵】鏑木清方は「かをりの高い絵を作りたい。作りたいより自ら生まれる絵を」鏑木清方「かをり」昭和9年1月。【
上村松園、伊藤深水】上村松園は自ら描く美人画を「艶かしくなく高尚に描いてみたい」「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところ」と言っていた。三人の美人画家。誰が好みか。代表作は何か。作家の特徴は何か。
【苦悩する美女、ルネサンス、象徴派】苦悩する美女を描く画家として、19世紀、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ギュスターブ・モローがロマン主義、象徴派の美を極めている。15-16世紀、レオナルド『レダ』『糸巻きの聖母』、ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』『マニフィカートの聖母』『ヴィーナスとマルス』『春』がルネサンスの美を極めている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ
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【佐藤康宏氏、昭和の鳥居清長】「美人画に関しては私は京都・大阪びいきで、恒富、神草、楠音らに比して清方をさほど好みません。それでも屛風絵の「遊女」(横浜美術館)など、見直しました。「築地明石町」は、いうまでもなく飛び抜けていいのですよね(三幅対に仕立てていますが、正直いって脇幅はなくてもいいです)。かつて彼を「昭和の清長」と称したことがありますが、実際に清長の錦絵を意識していなかったでしょうか。これを別にすれば、清方が「卓上藝術」と呼んだ小画面の作品に最も本領が発揮されている、というのが以前からの私の評価です。2022年3月24日
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展示作品の一部
鏑木清方、秋宵、1903、鎌倉市鏑木清方記念美術館
鏑木清方、嫁ぐ人、1907、鏑木清方記念美術館
鏑木清方、曲亭馬琴、1907、鎌倉市鏑木清方記念美術館
明治40年(1907)絹本着色・額116.3 × 172.8cm、第1回文部省美術展覧会 選外
目の見えない滝沢馬琴の執筆活動を娘が支えている図である。
江戸の戯作者・曲亭馬琴が失明した後に、息子の嫁・路に一字一句文字を教え、口述筆記により『南総里見八犬伝』を書き継いでいる場面です。このエピソードは『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』の「あとがき」にあたる「回外剰筆(かいがいじょうひつ)」に記されています。清方は、失明した馬琴でも、馬琴を支えた路でもなく、「回外剰筆」に記された、口述筆記による馬琴と路のエピソード(史実)を視覚化しました。その意味で、西洋における物語る絵画としての「歴史画」に近い作品であるといえます。本作で清方が試みたのは、かつて史実のなかに生きた人間としての馬琴と路の生々しいすがた、実在した人間の生き様そのもの。
鏑木清方、築地明石町1927(昭和2)年、東京国立近代美術館
近代美人画を代表する絵の一つ。1927年の第8回帝展で帝国美術院賞を受賞した。清方にとっては思い出深い明治30年代半ばの明石町の光景と合わせ、物思う表情で振り返る女性に明治回顧の心情を託している。時代もちょうど関東大震災と昭和改元を経て、明治ブームが起きていた。
新富町、1930、東京国立近代美術館
浜町河岸、1930、東京国立近代美術館
鏑木清方、京鹿子娘道成寺、1928
有名な舞踊「京鹿子娘道成寺」と「鷺娘」の一場面。清姫の化身である白拍子と鷺の化身の鷺娘が妄執にとらわれる姿を、片やしっとりと、片や激しく表現している。
鏑木清方、一葉女子の墓、1902、鎌倉市鏑木清方記念美術館
泉鏡花の『一葉の墓』を読んでその墓を訪ねた時、清方は線香の煙の向こうに『たけくらべ』のヒロイン・美登利の幻を見たと言う。その体験に想を得て描かれた。
小説家と挿絵画家、1951
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参考文献
没後50年、鏑木清方展図録、2022、東京国立近代美術館
鶴見香織「鏑木清方 生活を描いた画家」2022
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
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「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
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清方/Kiyokata ノスタルジア―鏑木清方の美の世界・・・美女の姿態
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「あやしい絵展」東京国立近代美術館
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「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」東京都美術館・・・浮き世の遊宴と享楽と美女
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東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人
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上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智
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「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
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ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
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「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」パナソニック汐留美術館・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
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鏑木清方記念美術館
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「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館・・・花の宴
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ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
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織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
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「没後50年 鏑木清方展」 ・・・春園遥かに望めば、佳人あり
https://bit.ly/3DgzoTJ
鏑木清方(1878-1972)
鏑木清方(1878-1972)の代表作として知られ、長きにわたり所在不明だった《築地明石町》(1927年)と、合わせて三部作となる《新富町》《浜町河岸》(どちらも1930年)は、2018年に再発見され、翌年に当館のコレクションに加わりました。この三部作をはじめとする109件の日本画作品で構成する清方の大規模な回顧展です。
浮世絵系の挿絵画家からスタートした清方は、その出自を常に意識しながら、晩年に至るまで、庶民の暮らしや文学、芸能のなかに作品の主題を求め続けました。本展覧会では、そうした清方の関心の「変わらなさ」に注目し、いくつかのテーマに分けて作品を並列的に紹介してゆきます。関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことでしょう。
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『没後50年 鏑木清方展』東京国立近代美術館3月18日(金)~5月8日(日)
京都国立近代美術館、5月27日~7月10日
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