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2021年12月19日 (日)

「聖徳太子 日出づる処の天子」・・・四天王寺『聖徳太子絵伝』、聖徳太子伝説の虚構

Shotoku-2021
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』263回

聖徳太子は、思想家か、指揮官か、番人か、官僚か、探検隊か、聖人か、権力者であるか。河内国渋川郡の物部守屋の館襲撃、斑鳩宮山背大兄王殺害、飛鳥板葺宮にて蘇我入鹿殺害、近江宮大友王子を、美濃国不破関にて破る。乱の歴史が蘇る。
【丁未の乱から壬申の乱】丁未の乱、乙巳の変、山背大兄王一族殺害、壬申の乱、殺人が権力の源泉である。仏教は権力の神聖化の手段として利用された。暴力を仏教で神聖化し糊塗した。天皇制の本質は、殺人暴力と階級社会である。聖徳太子は権力者であり、最澄は官度僧、官僚である。空海は沙門、私度僧、思想家であり、指揮官である。
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
理念を探求する精神は、邪知暴虐と対峙し、悪鬼と戦う。価値あることを為すには、犠牲と苦労と忍耐が必要である。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【思考と言葉と運命】心は思考となり、思考は言葉となり、言葉は思想となり、思想は行動となり、行動は習慣となり、習慣は性格となり、性格は運命となる。人生の目的は、人格を磨くことである。
【ルネサンス復讐悲劇】復讐悲劇の先駆、ストア派哲学者セネカ『テュエステス』が起源である。復讐悲劇を定義。1、人に知られない殺人、通常、悪人が善人の統治者を殺す。2、犠牲者の亡霊が若い親類、主に息子のところに訪れる。3、殺人者と復讐者が互いに対し偽装と策略。4、復讐者または支援者が本当のあるいは偽りの狂気に陥る。5、最後にバイオレンスの爆発。ルネサンス期は嘘の仮面劇や祭で起こる。6、復讐者を含め登場人物の多くが死ぬカタストロフ。
【人生は舞台。人はみな大根役者】慢心は人間最大の敵だ。運命をはねつけ、死を嘲り、野望のみを抱き、知恵も恩恵も恐怖も忘れてしまう。シェイクスピア『マクベス』
人生は舞台。人はみな大根役者。消えろ、消えろ、つかのまの燭火、人生は歩いている影にすぎぬ。人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ。『マクベス』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【『聖徳太子絵伝』四天王寺】母妃、夢に黄金の僧を見て懐妊。母妃、厩前で産気に気づき太子を出産する。2歳太子、東に向かって合掌し「南無仏」と唱える。11歳子供たちと遊び、超人的能力を発揮する。12歳、百済より帰国した高僧・日羅が大使を救世観音と見抜き、礼拝する。16歳、蘇我馬子、物部守屋と戦い蘇我軍として参戦、四天王像を彫って戦勝を祈願する。16歳、蘇我軍を大勝に導く。19歳、天皇の前で戴冠し、群臣が称賛する。22歳、四天王寺創建する。27歳、甲斐の国から太子の愛馬となる黒駒を献上される。27歳、黒駒に乗り富士山に登る。34歳、仏師鞍作登利に仏像を作らせる。35歳、推古天皇の求めに応じて『勝鬘満経』を講義すると蓮華が降る。36歳、太子は遣隋使として派遣される小野妹子に前世で所持していた経典を持ち帰るように命じる。37歳、妹子が持ち帰った経典は違うものだった、太子は夢殿に籠り瞑想する。37歳、夢殿から魂を青龍車に乗せ自ら隋の衡山へ経典を取りに行く。40歳、狩猟を楽しむ推古天皇に殺生を戒める。41歳、百済の未摩子が伎楽を伝える。48歳、人形が献上され禍の前兆と考えられる。49歳、天に赤気が現れ百済僧が太子の一族・上宮王家滅亡を予言する。50歳、太子薨去する。薨去の年、河内の磯長廟へ葬送される。『聖徳太子絵伝』には66のエピソードが描かれている。
【聖徳太子伝説】『日本書紀』
養老4年(720)に成立した『日本書紀』によれば「母が宮中の厩の戸にあたった時に安産で生まれた。生まれながら言葉を話すことができ、聖人の智を持っていた。耳がよく、成人後は十人の訴えを聞き分けた。未来のことを予言できた。父の用明天皇に寵愛され、幼少期は特別に上宮とよばれる宮殿に住まわされた。」
『日本書紀』よりも8年前に成った『古事記』には超人伝説はみられない。
【聖徳太子の正式な名前、上宮厩戸豊聡耳太子】
「上宮」とは、太子が壮年以降に営んだ斑鳩宮であり、これが太子のむすこの山背大兄王に相続された後に上宮とよばれるようになった。斑鳩宮は実際には太子の父・用明の没後に造営された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
重要文化財『聖徳太子絵伝』 第1幅~6幅、遠江法橋筆 鎌倉時代、元亨3年(1323)大阪・四天王寺
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参考文献
聖徳太子と法隆寺、東京国立博物館・・・世間虚仮。唯仏是真
https://bit.ly/3kVnJSX
聖徳太子と法隆寺、東京国立博物館・・・法隆寺の謎、厩戸皇子の謎
https://bit.ly/3yCIpDo
聖徳太子と法隆寺、東京国立博物館・・・美術史の謎、飛鳥、白鳳、天平
https://bit.ly/2XE6s7q
理念を探求する精神、エンペドクレス・・・古代ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義は、なぜ失われたのか
https://bit.ly/3sIf3RW

「聖徳太子 日出づる処の天子」・・・四天王寺『聖徳太子絵伝』、聖徳太子伝説の虚構
https://bit.ly/3sit9Lv
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令和4年(2022)、聖徳太子(574~622)が没して1400年を迎えます。聖徳太子ゆかりの寺院では、聖霊会をはじめ太子の偉業を偲ぶ大規模な法会が催されます。このような100年に一度の節目にあわせて、太子の生涯をたどり、没後の太子信仰の広がりを紹介する展覧会です。
用明天皇の皇子として生まれた聖徳太子は、推古天皇の摂政として十七条憲法の制定や遣隋使の派遣など国家体制の確立に大きく貢献したことで知られます。さらに、大阪・四天王寺や奈良・法隆寺の創建に代表されるように仏教を篤く信奉し、現在まで続く日本仏教の礎を築きました。
現在でも、その名を知らない人がいない聖徳太子ですが、最澄や親鸞をはじめとする日本仏教諸宗の名だたる開祖・祖師は、なぜ太子を篤く尊んだのでしょうか。太子ゆかりの寺院は、なぜ1400年もの長きにわたり参詣が絶えないのでしょうか。
本展覧会では、こうした聖徳太子にまつわる問いを解くべく、太子信仰の中核を担ってきた大阪・四天王寺の所蔵品を中心に、太子にかかわる美術の全貌を紹介します。
千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」サントリー美術館
【「聖徳太子絵伝」で読み解く太子の生涯】
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2021_4/index.html
――
サントリー美術館 開館60周年記念展「千四百年御聖忌記念特別展 聖徳太子 日出づる処の天子」、サントリー美術館、2121年11月17日~2022年1月10日

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