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2021年12月 4日 (土)

イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜・・・水辺の風景、光あふれる田園、陽光の効果

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』261回

【水のある風景画の系譜】印象派に先駆ける人々、バルビゾン派のカミーユ・コロー「川沿いの町、ヴィル・ダヴレー」、レアリスム宣言したギュスターヴ・クールベ「海景色」、フランソワ・ドーヴィニー、海景画家ウジェーヌ・ブーダンは、印象派へとへと展開する先駆である。パリ近郊セーヌ川沿岸での生活風景、波の荒いノルマンディーの海岸の断崖、水面の反映、繊細な表情、鋭い観察眼で叙情的に描いた。
カミーユ・ピサロの描く、光あふれる田園、陽光の効果、日没は、黄金色の幸福な世界が垣間見える。ピサロはカリブ海セント・トーマス島に生まれ1903年パリにて73歳で死す。印象派はリアリズムの世界である。
印象派が追求するのは、見える世界である。印象派に対抗したのは、象徴派、幻想派、超現実主義、ギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドンである。
第1回印象派展、1874年モネらによって開催された。第8回1886年まで、全回、参加したのはカミーユ・ピサロだけである。ドガは気難しく友人は少なかった。
モネ43歳、ジベルニーに庭を作り、隠棲。睡蓮、等、描き続ける。モネ「睡蓮:水の風景連作、48点」(1903年から1908年)。晩年のモネは、印象派を超えて、アンチリアリズムの世紀へ迷い込んだ。1907年、相対性理論、1913年プルースト「失われた時を求めて」。
画家は悲惨な人生と引き換えに傑作を生みだす。「この世界という広大な劇場は、我々が演じている場面よりもっと悲惨な見世物を見せてくれる」。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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【藝術家と運命との戦い】画家は、普通の幸せを手に入れるのは幻想である。天才たちでも不可能である。画家は悲惨な人生と引き換えに傑作を生みだす。富豪画家は、ルノワールのみであり、アリーヌと結婚後、世界的成功を収めた。リュウーマチの苦痛に苦しみ、薔薇色の女たちを描き、亡き妻の思い出に生きる。78歳で死す。クロード・モネは、1875年7月、カミーユは不治の病結核にかかり、32歳の若さで死ぬ、モネ39歳。カミーユの死後、人物は描かなかった。ジヴェルニーの庭に籠り、晩年の風景画を描く。「睡蓮」連作は生前、評価されず。ジヴェルニーにて86歳で死す。
ゴッホ、ゴーギャンは、破滅型。ゴッホは37歳で拳銃自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めて画家になりブルターニュに行きアルルでゴッホと破綻、タヒチからブルターニュに帰り再びタヒチに行き54歳で死す。ジョルジュ・スーラは、早熟な天才、点描画法を生み出したが夭折、32歳で死す。秘密主義で死因も不明。マネ、セザンヌ、親が銀行家で金持ち、だが不幸だった。セザンヌは、妻オルタンスを従順なモデルとして肖像画に描き、67歳でプロヴァンスに死す。
「不幸せなのは我々だけではないようだ。この世界という広大な劇場は、我々が演じている場面よりもっと悲惨な見世物を見せてくれる」『お気に召すまま』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ゴッホとゴーギャン、破局の物語】ゴーギャン「ひまわりを見ると、君を想い出す」タヒチにて。ゴッホ「君のために、椅子を買った」。1887年出会う。1888年アルルでぶつかり合い すれ違う、ゴッホはなぜ「ひまわり」を描いたのか。耳切事件、なぜ耳を切ったのか。ゴッホはハーグ派、バルビゾン派を経て印象派へ。「宗教は廃れ、神は残る」。1990年自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めバルビゾン派からピサロの影響で印象派へ。ゴーギャンはテオの資金目当てでアルルへ行く、2ヶ月でゴッホと破局。ゴッホの弟テオは、ゴッホの死後、半年で死ぬ。作品は、テオの妻に託される。ヘレーネ・クレラーミュラーはテオの遺族から購入した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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参考文献
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
https://bit.ly/2W3o6RF
ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス ・・・印象派からエコール・ド・パリ
https://bit.ly/3B9SF7l
イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜・・・水辺の風景、光あふれる田園、陽光の効果
https://bit.ly/3lBauGS
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展示作品の一部
カミーユ・コロー「川沿いの町、ヴィル・ダヴレー」1856
ギュスターヴ・クールベ「海景色」1869
ウジェーヌ・ブーダン《港に近づくフリゲート艦》1894年
クロード・モネ《睡蓮の池》1907年
カミーユ・ピサロ《エラニーの日没》1890年
カミーユ・ピサロ《朝、陽光の効果、エラニー》1899年
レッサー・ユリィ《冬のベルリン》、《雨のポツダム広場》1920年代半ば
レッサー・ユリィ《風景》 1900年頃 油彩/カンヴァス 101.5 × 71.0 cm
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レッサー・ユリィ《夜のポツダム広場》
1920年代半ば、油彩/カンヴァス、79.6 x 100.0 cm、イスラエル博物館蔵 
Photo コピーライト The Israel Museum, Jerusalem by Avshalom Avital
レッサー・ユリィは旧プロセインのポーゼン(現ポーランドのポズナン)近郊の小さな村に生まれた。早くに父を失い、母と二人の兄弟と一緒にベルリンに出てきたのが11歳の時だった。1879年からデュッセルドルフのアカデミーで絵を学び、1887年にベルリンに戻るまでにブリュッセル、パリ、シュトゥットガルトなどの都市で研鑽を積んだ。パリではボナに師事した。美術史上はドイツ印象派として位置づけられているが、作風は時代によって変遷し、多様だ。
当時のドイツ画壇の巨匠、マックス・リーバーマン(1847~1935)の作品の光の効果は、実はユリィが描いたなどと発言したことで疎遠になり、評価の機会を逸したという。生活に困窮し、気難しい性格で「人間嫌い」と評され、私生活も恵まれなかったという。1922年、60歳になって開催した大規模な展覧会でようやくその名声は揺るぎないもになり、油彩のほか、パステル作品も人気を集めた。
1926年に発表された同作は数年後、ベルリンのユダヤ人団体の美術品コレクションに収蔵された。このコレクションをもとに1933年、ベルリンにユダヤ博物館が設立されるが、同年に成立したナチス・ドイツによる弾圧で、同博物館は1938年に閉鎖の憂き目に遭い、《夜のポツダム広場》も他の作品とともに没収された。そして終戦後の1945年、あのゲッベルスが総裁を務めた旧帝国文化院の地下室で再発見。やがてベルリンのユダヤ人返還継承組織を通じて、エルサレムの美術館に送られた。最終的に1965年に開館したイスラエル博物館に収蔵。@art_ex_japanより
――
イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜ーモネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン
三菱一号館美術館、2021年10月15日(金)~2022年1月16日(日)
https://mimt.jp/
あべのハルカス美術館、2022年1月28日(金)~ 4月3日(日)

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