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2020年11月

2020年11月28日 (土)

ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』230回

東欧の世界遺産をめぐる旅に行った時、ベルリン博物館を訪れた夏の日を思い出す。
近藤二郎先生の案内で、エジプト博物館の作品をみる。エジプトの謎が蘇る。なぜハトシェプスト (トトメス2世王妃) は、ひげをつけ男装して女王となったのか。【アマルナ美術の謎】アクエンアテン王の異様な容貌と姿は何故か。ネフェルティティ王妃はどこからきたのか。ツタンカーメンの母はだれか。ツタンカーメンはなぜ18歳で死んだのか。なぜアメンホテプ4世はアテン神を導入したのか。アメン神もアテン神も太陽神、どう違うのか。『死者の書』30章の呪文はどう導くのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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エジプトの宗教センターは、4か所、ヘリオポリス、メンフィス、ヘルモポリス、テーベ。ヘルモポリスとヘルモポリスは2大宗教都市。
【神々の系譜 9柱神】ヘリオポリスの創生神話
混沌ヌンから創造神アトゥムが生まれ、アトゥムから大気神シュウと湿気女神テフヌウトが生まれ、シュウとテフヌウトから大地ゲブと天空女神ヌフトが生まれ、ゲブとヌフトからオシリスとイシスとセトとネフティスが生まれ、オシリスとイシスからホルスが生まれ、オシリスとネフティスからアヌビスが生まれた。冥界王オシリスと母なる女神イシスから生まれたホルスはファラオとなる。
【冥界王オシリス神】オシリスは、弟セトに殺されバラバラにされるが、妻イシスの呪力によって復活を果たす。息子ホルスがセトに勝利し、地上の王として君臨する。
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【エジプト王朝、3大美女】ネフェルティティ、アメンホテプ4世の王妃。第18王朝。「美しき者来りぬ」。ネフェルタリ、ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。第19王朝。クレオパトラ7世39歳。紀元前30年。権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【エジプトの謎、ネフェルティティ(NeFeRTiTi)】【アマルナ革命、アメンからアテンへ】アクエンアテン(aKH-eN-aToN)王=アメンホテプ4世。王妃ネフェルティティ、アケトアテン(エル・テル・アマルナ)へ遷都。アメン神官、官僚たちが反撥。革命挫折。ツタンカーメン=トゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen) (アメン神の生きた似姿)、再びテーベへ復帰。
【ツタンカーメン(Tut-ankh-amen)】紀元前1356年頃、生まれ1324年死す。古代エジプト文明、最盛期といわれる第18王朝、第11代の王。9才にして王となったが18才の若さにして亡くなった。ネフェルテイティ王妃が自身の3女をツタンカーメンと結婚させたのは、ツタンカーメンが王アクエンアテンの血を引く息子だからである。ネフェルティティ は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアクエンアテンの正妃であり、ファラオ、トゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)の義母。
【ネフェルティティの娘、アンケセナーメン(Ankhesenamen)】ツタンカーメンと婚姻。*ファラオ・アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女であり、ファラオ・ツタンカーメンの妻。ツタンカーメンの母はだれか。
【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうけた。67年間王位につく。第19王朝。ネフェルタリ、ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳薨去。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【古代エジプトの4大美女】ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)、ネフェルティティ(アクエンアテン王妃)、ネフェルタリ(ラムセス2世王妃)、クレオパトラ7世(プトレマイオス15世、カエサリオン母)。エジプト文化の最高の瞬間に立つ。
【ハトシャプスト女王、夫はトトメス2世】ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」。ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)は、二重統治、禁じ手の女王となった。付け髭をつけて男装。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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アマルナ改革
【アメンホテプ4世(Amenhotep IV、紀元前1362年? - 紀元前1333年?) 】彼の行った改革は、アマルナ改革として有名である。アテン神(Aten)を崇拝し、治世5年目(前1367年ごろ)にアテン信仰の導入を始めたが、まだ伝統的な神々への崇拝を禁止しなかった。
即位5年目に名前をアクエンアテン(Akhenaten)に改名、即位7年目に首都をテーベから、アトン神へ捧げる首都アケトアテン(Achetaten)(アマルナ)を建設。王朝発祥の地テーベ(Θῆβαι, Thēbai)を放棄し、遷都した。
即位9年目に入ると、アメンホテプⅣ世は旧来のエジプトの神々を排斥し、アテンが唯一の神であると宗教改革を推し進めた。アメン・ラーの力に対抗する王の試みの一つであった。
アメン(Amen、アモン(Ammon)、アムン(Amun)(テーベの町の守護神)を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことをアメンホテプ4世が嫌い、宗教的権力を王権と一本化することを狙った。アメンホテプ4世自身がアトンを称える詩を執筆している。
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展示作品の一部
「ネフェルティティ王妃」ベルリン博物館、BC1351‐1334
「アクエンアテン王頭部、レリーフ断片」ベルリン博物館、BC1351‐1334
「アクエンアテン王とネフェルティティ王妃、ステラ断片」ベルリン博物館、BC1351‐1334
「ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)のスフィンクス像」ベルリン博物館、BC1479‐1458
「ホルス神に授乳する女神イシス」BC664‐525
「セクメト女神座像」BC1388‐1351
「タレメチェンバステトの『死者の書』」BC332‐246
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ベルリン国立博物館群のエジプト博物館
ベルリン国立博物館群は、ドイツの首都・ベルリンに流れるシュプレー川に浮かぶ「博物館島」にある5つの博物館を中核とする総合博物館群です。プロイセン王国歴代のコレクションを礎とし、先史時代から現代にいたるまで、世界的な規模と質を誇るコレクションを擁しています。
さらに、第二次世界大戦や東西ドイツ分裂の時期を経て、1999年には「博物館島」全体がユネスコの世界文化遺産に登録され、2000年代からは各博物館の改築やコレクションの整理が急ピッチで進められています。
エジプト博物館は、「博物館島」にある5つの博物館のうち、2009年に改修を終えた「新博物館」内にあり、世界で最も有名な女性像の一つとして知られる「ネフェルトイティ(ネフェルティティ)の胸像」を所蔵している博物館として有名です。
紀元前3000年頃の動物の彫像から、古代エジプトに終焉を告げたローマ皇帝の肖像まで、壮大なエジプト史を網羅する同館のコレクションは、17世紀のブランデンブルク選帝侯の所蔵品を発端とし、その後のプロイセン王が主導した発掘や購入により、世界有数のエジプトコレクションとなりました。とりわけ、宗教改革によって個性的な芸術が生まれたアマルナ時代の充実した所蔵品と6万点にものぼるパピルス・コレクションは必見です。
展示構成
第1章 天地創造と神々の世界
「天地創造と終焉の物語」世界の始まりは混沌とした原初の海「ヌン」であった。
その海から、すべてのものが生まれ、育まれた。しかし、世界の終わりがやってくると、すべてのものは再び原初の海へ飲み込まれていく。
古代エジプト社会においては、全知全能の神々の力によって、空や雲、砂漠、風などの自然や、人間や獣、昆虫などの生物、太陽や月、星ぼしに至るまで、この世の全てが創造されたと考えられていました。原初の海「ヌン」と呼ばれる暗闇が支配する混沌とした状態から神々の意思により秩序ある世界が創造されたのです。古代エジプト人は、この秩序をマアトと呼びました。この章では、神々の姿や、神々が創った森羅万象を見ていきます。
第2章 ファラオと宇宙の秩序
宇宙の全体を支配する秩序・摂理(マアト)は、絶対であり、個々の人間が遵守すべき最も重要な規範・道徳としても考えられていました。人間社会のリーダーであるファラオは、社会の中でマアトを守り、実行する最高責任者でした。異民族の侵入やファラオに対する謀反といったようなマアトを揺るがす大きな事件に対しては、「善き神」であるファラオ自身が、強いリーダーシップをもってマアトを実践していくことが必要とされていたのです。
第3章 死後の審判
死者は、墓地の守護神でミイラ作りの神でもあるジャッカルの頭をしたアヌビスにより、「二つのマアト(正義)の広間」に導かれます。ここで死者の審判が行われ、死者の心臓は天秤ばかりにかけられ、マアトを象徴する羽根と釣り合うか計られます。古代エジプト人は考えたり思ったりする器官は脳ではなく心臓だと考えていました。 江戸東京博物館
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参考文献
近藤二郎「エジプト美術、世界一周 芸術新潮2009年9」
「国立ベルリン・エジプト博物館 古代エジプト展 天地創造の神話」図録
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
https://bit.ly/2zLyazA
クレオパトラとエジプトの王妃展・・・生と死の秘密、時の迷宮への旅
https://bit.ly/2Uve73e
石浦章一「ツタンカーメンの謎に新説!正体不明のミイラが彼の母親だった!?、「王家のDNA」解析からわかったこと

ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎

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「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」、江戸東京博物館、2020年11月21日(土) ~2021年4月4日(日)
京都市京セラ美術館(2021年4月17日[土]~6月27日[日])、静岡市の静岡県立美術館(7月10日[土]~9月5日[日])、東京・八王子市の東京富士美術館(秋開幕予定)へ巡回

2020年11月16日 (月)

「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と幻想派、ロマン主義の苦悶

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』229回
19世紀はリアリズムの世紀であり、20世紀はアンチリアリズムの世紀である。(奥泉光『漱石の孤独』)。その境界に、印象派と幻想派、象徴派の藝術家が活躍した。ロマン主義の苦悶の時代である。
【ファムファタール、運命の女】ギュスターヴ・モロー、クリムト、ロセッティ、ラファエロ前派、アルフォンス・ミュシャ、幻想の藝術家たち。印象派の時代に反旗を翻した、ロマン主義、象徴派、幻想派の画家たちは運命の女を探求した。
オディロン・ルドンは、20世紀のシュールレアリスムを予言する幻想派である。《神秘的な対話》(1896)は、蒼穹の古代神殿で美女と対話する。魂は果てしなく蒼穹を飛翔する。眼は奇妙な気球のように無限に向かう。ルドンは、ジョルジョ・デ・キリコ、サルヴァドール・ダリ、ポール・デルヴォー、超現実主義の先駆者である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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主な展示作品
三菱一号館美術館はロートレック作品約260点を所蔵しており、岐阜県美術館はルドン作品約250点からなる世界有数のルドン・コレクションを所蔵している。
【「NOIR—ルドンの黒」】ルドンが木炭を使って制作した作品群。1840年にフランスの南西部の町ボルドーで生まれたルドンは、79年にリトグラフの作品集『夢のなかで』を刊行、版画家としてデビュー。動物と植物、夢と現実、意識と無意識が交錯する奇怪な形態、木炭画作品は、ルドンの独自の幻想世界を構築した。
【画家、版画家 トゥールーズ・ロートレック】後期印象派の画家とされる。パリの逸楽と憂鬱。トゥールーズ・ロートレック《アリスティド・ブリュアン》1895
【ゴーギャン「ノア ノア」(1893-94)。木版画シリーズ】「楽園」を求めてタヒチに滞在していたゴーギャンは、1893年にパリに一度戻り、タヒチの作品を披露した。しかし、人々の反応は期待を裏切った。ゴーギャンは、再びタヒチに旅立つ。作品をより良く理解してもらうため、ゴーギャンは木版画集『ノア ノア』を刊行。
ポール・ゴーギャン《『ノアノア』ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》《『ノアノア』ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》(1893-94)
【山本芳翠】1878年パリ万博のためにパリを訪れた山本芳翠は、博覧会終了後、ルドンが学んだ国立美術学校教授ジャン=レオン・ジェロームに師事。約10年間に滞在していた。その時期に制作した作品のほとんどは航海中に失われた。
山本芳翠《裸婦》(1880)重要美術品、現存する数少ない作例。
山本芳翠《浦島》1895
【ルドンの色彩画】「近代—彼方の白光」では、ルドンの色彩作品。20世紀の幕開け目前に、ルドンは黒の世界から色彩の世界へと完全に移行。当時、ルドン最大の支援者であり収蔵家のロベール・ド・ドムシー男爵は、1900年に城館の大食堂全体の装飾をルドンに委ねた。16点におよぶ巨大な壁画は、15点が1978年に取り外され、最終的にオルセー美術館に所蔵。
ルドン《グラン・ブーケ(大きな花束)》(1901)は2010年に当初の設置場所から外され、後に三菱一号館美術館に収蔵された。高さ2.5メートルにおよぶ色鮮やかに際立つ作品は、ルドンの装飾絵画のなかで最も突出した規模を誇る。
ルドンがパステルを用いて制作した作品ルドン《神秘的な対話》(1896頃)、ルドン《翼のある横向きの胸像(スフィンクス)》(1898-1900頃)、ルドン《オフィーリア》(1901-02頃)、
そして亡くなったルドンの追悼作品。ポール・セリュジエ《消えゆく仏陀—オディロン・ルドンに捧ぐ》(1916)1916年にポール・セリュジエが哀悼の意を示して制作した
人間の精神と夢を表現したルドンと人間の本質を突いたロートレックの世界を、同時代の画家たちの作品とともに展示する。
――
三菱一号館美術館の開館10周年の最後を飾る本展覧会は、丸の内初のオフィスビルとして三菱一号館が竣工した年、「1894年」を軸に、同館のコレクションの中核をなす画家である、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの時代に焦点を当てる。
1894年はルドンが色彩の作品を初めて発表した年であり、ロートレック、ルドン、ゴーガンが参加した『レスタンプ・オリジナル』の刊行年(1893-95)とも重なる。一方、同時代の日本では、フランスへ留学し、ルドンと同じ師のもとで学んだ山本芳翠が、代表作《浦島》を制作した時代でもあった。日本の洋画家と欧州の美術史の関係にも着目する。
本展は岐阜県美術館との共同企画であり、同館が誇る世界有数のルドン・コレクションから貴重な木炭とパステル画、ゴーガンの多色刷りの木版画を中心とした作品群、山本芳翠をはじめとする明治洋画の旗手たちの作品を出品。国内外あわせて140点を超える作品で構成する。
――
参考文献
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』Mario Ptaz:RomanticAgony(ロマン主義の苦悶)。
オディロン・ルドン 夢の起源・・・「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」
https://bit.ly/3lCXLAQ
奥泉光『漱石の孤独』

「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と幻想派、ロマン主義の苦悶

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「ルドン、ロートレック 1894Vision展」、三菱一号館美術館、10月24日~1月17日

2020年11月 3日 (火)

「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、秀吉、楽長次郎

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【失われた美】織田信長は、足利義政が所持した耀変天目茶碗(『君台観左右帖記』記載)を手に入れていたが、本能寺の変で消失した。天正10(1582)年6月2日。耀変天目茶碗は、天下に3碗伝わるのみ。

【織田信長と千宗易(利休)】永禄11(1568)年、織田信長が上洛、茶の湯に対して異常なほどの興味を示して名物狩りをくりかえした。松永久秀から九十九茄子茶壺が献上される。信長の茶頭として津田宗及、今井宗久と共にとりたてられ、天下一の茶頭の地位を築く。
【織田信長と耀変天目茶碗】永禄11(1568)年、織田信長が上洛。天王寺屋、津田宗及の屋敷で、会合衆の集まり。永禄12年(1569)信長の家臣・柴田勝家と佐久間信盛など百人余りが終日宴を張った。本能寺の茶会、天正10(1582)年6月2日、信長は足利義政所伝の耀変天目茶碗を所持していたが本能寺の変で焼失した。
【織田信長と津田宗及】天正元年(1573)11月23日、妙覚寺の信長の茶会、津田宗及、塩屋宗悦、松江隆仙の3人の商人が招かれ、信長から手厚いもてなしを受ける(宗及『他会記』)。天正2年(1574)2月3日、信長岐阜城の茶会に宗及一人出席、大歓待を受ける(宗及『他会記』)。
【織田信長と蘭奢待、津田宗及】天正2年(1574)4月3日、信長の相國寺茶会、梅雪の手前のあと正倉院から切り取った蘭奢待を扇子にのせて楽しみ、津田宗及と利休に分け与えた。これについて宗及は自慢げに書き遺している(宗及『他会記』)。
【大徳寺龍光院、耀変天目茶碗、津田宗及】龍光院秘蔵の「耀変天目茶碗」は津田宗及所蔵の茶道具の名品の一つ、慶長17年(1612)、堺の天王寺屋が断絶したため宗及の次男で龍光院の開祖・江月宗玩に渡った。以来400年の眠りについた。
参考文献 (『なにわ大阪を作った100人』中村修也『戦国茶の湯倶楽部』大修館書店、永島福太郎編『天王寺屋会記』影印本 淡交社)
――
【東山文化、わび・さび・幽玄】室町時代中期、8代将軍足利義政(在位1443~73)の時代に義政が営んだ東山山荘(慈照寺銀閣)を中心にして生み出された文化。書院造り、茶の湯・華道・水墨画・能・連歌など新しい芸術が興り、わび・さび・幽玄の境地が重んじられた。連歌に飯尾宗祇が出た。水墨画が禅僧の間に行われ、相阿弥、雪舟によって完成の域に達し、また大和絵(土佐光信)に漢画の技法をとり入れた狩野派、狩野正信が生まれた。金工では後藤祐乗、蒔絵では幸阿弥が有名。建築には唐(から)様と和様をあわせた新和様も発達,住宅に書院造が作られた。公家文化と武家文化の融合、後世の日本文化の源流となる。
【能阿弥著『君台観左右帖記』秘伝書】書名の君台は将軍の御座所で、その飾り方についての左右の侍者の帳記(記録)という意味。原本はなく写本として残る。能阿弥本系には数種あり、文明8年(1476)3月12日の日付があり、大内左京大夫にあてて書かれたとする『群書類従』巻361に所収された。内容は1.六朝~明の中国画家を上中下に品等別して画題,画体,姓氏号等を注記した部分、2.座敷飾の方法を図入りで説明(いわゆる御飾記)、3.茶器・諸道具の種類・性質を解説。足利義政の同朋衆、能阿弥の著と伝えられる。
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千利休と豊臣秀吉の確執
【千宗易(利休)】本名は田中与四郎、号は宗易。1522年大阪堺の魚問屋、田中与兵衛の子に生まれた。父は堺で高名な商人、宗易は店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に入る。18歳の時に当時の茶の湯の第一人者・武野紹鴎の門を叩き23歳で最初の茶会を開いた。
【堺、地下の茶】今井宗久、千宗易、16世紀。【侘茶の完成、楽焼、美濃焼、高麗茶碗】千宗易、楽長次郎、古田織部
【正親町天皇】天正13(1585)年(63歳)秀吉が関白就任の返礼で正親町天皇に自ら茶をたてた禁裏茶会を利休は取り仕切り、天皇から「利休」の号を勅賜される。(それまで宗易)。
その名は天下一の茶人として全国に知れ渡る。
【山上宗二、処刑】天正18 (1590)年利休(68歳)、秀吉が小田原で北条氏を攻略した際、利休の愛弟子・山上宗二が、秀吉への口の利き方が悪いとされ、その日のうちに処刑。
【黒楽茶碗】天正19(1591)年1月13日の茶会で、派手好みの秀吉が黒を嫌うことを知りながら、「黒は古き心なり」と平然と黒楽茶碗に茶をたて秀吉に出した。(69歳)2月23日、利休は突然秀吉から「京都を出て堺にて自宅謹慎せよ」と命令を受ける。利休が参禅している京都大徳寺の山門を2年前に私費で修復した際、門の上に木像の利休像を置いたことが罪に問われる。
天正19(1591)年2月28日、(69歳)秀吉から切腹を命じられる。
天正19(1591)年、利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる。前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、
【利休切腹】天正19(1591)年京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年69。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図るおそれがあり、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだ。死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形で晒された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
志野茶碗、卯花墻「国宝」16-17世紀、三井記念美術館
 安土桃山時代に美濃で焼かれた茶碗。国宝指定された茶碗の内、国内産は2碗、その1つ。志野釉と呼ばれる、意外にも人工的に金属を使用しない(原料は長石という天然石のみ)釉薬を使った白色が特徴。
志野茶碗 銘 振袖 美濃 安土桃山~江戸時代・16-17世紀、東京国立博物館蔵
 白色の釉薬を掛けた志野の茶碗。白肌を透かしてすすきの文様が見え隠れ。美濃(岐阜県)では、16世紀後半、白い釉薬の下に鉄絵具で日本初の下絵付けを行う志野を作り出した。
重要文化財「油滴天目」南宋、12-13世紀、九州国立博物館
古田織部 が所持したと伝わる。黒い釉に浮かぶ銀色の粒子状の模様が幻想的、油滴天目のなかでも名椀。
重要文化財「泰西王侯騎馬図」神戸市美術館、17世紀に描かれた洋風画、神聖ローマ皇帝、トルコ皇帝、モスクワ大公、タタール王が描かれている。
花鳥蒔絵螺鈿聖龕、16-17世紀、九州国立博物館
――
参考文献
「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq
「桃山―天下人の100年」2・・・金碧障壁画、織田信長と狩野永徳、秀吉と長谷川等伯
https://bit.ly/31DlCc0

「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、秀吉、楽長次郎

織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
――
特別展「桃山―天下人の100年」東京国立博物館 平成館 特別展示室
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2043
2020年10月6日(火) ~ 2020年11月29日

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