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2020年7月

2020年7月26日 (日)

「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」・・・浮き世の遊宴と快楽と美女

Ukiyoe2020-1
Utagawakuniyoshi-sanukiinkenzoku-1851
夏の森を歩いて、美術館に行く。浮世絵は、浮き世の遊宴と快楽と美女から生まれた。憂き世の憂いを忘れ、遊宴、劇場、歌舞伎役者、有名な英雄、有名な美女を愉しむ、江戸人の享楽。
菱川師宣「見返り美人図」1693から歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝を救ふ図」1851まで。歌川国芳(1798-1861)は、幕末の混沌のなかで、英雄の武勇を表現した。
【浮世絵と美人画】菱川師宣から始まる浮世絵は、錦絵創始期の第一人者鈴木春信、「春章一幅値千金」と謳われた勝川春章の肉筆画、八頭身美人の江戸のヴィーナスと呼ばれる鳥居清長、青楼の絵師と謳われた喜多川歌麿へと展開した、5人の絵師。美人画の歴史である。
【浮世絵の黄金時代】18世紀末、19世紀、浮世絵は黄金時代を極める。熾烈な競争と幕府の弾圧と我身の運命と戦う浮世絵師。歌麿、写楽、北斎、広重、国芳、5人の絵師は、波瀾のなかで偉大な作品を残した。歌川国芳(1798-1861)は、幕末の混沌のなかで、英雄の武勇を表現した。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【美人画の系譜】浮世絵の祖・菱川師宣から、鈴木春信、勝川春章、鳥居清長、喜多川歌麿、17世紀から19世紀
菱川師宣(1618-1694)、安房国 (千葉県) の縫箔を家業とする家に生れる。寛文年間 (1661~73) 、画家を志して江戸に出てから死没 (元禄7(1694).6.4、77歳) まで。菱川派の祖としてその配下の画工たちと,絵本、挿絵本、一枚絵の組物といった版画作品 (好色本)、遊楽の場面を描いた肉筆画を精力的に制作した。墨摺絵(万治年間 (1658~61)と呼ばれる墨一色の世界に、明暦の大火 (57) 以後、江戸庶民の生活、風俗を表現。美人のタイプは「菱川様の吾妻おもかげ」と呼ばれ、普及した。浮世絵の元祖。主要作品、版画『伽羅枕』 (1661~73)、『秘戯図』、肉筆画では『北楼及演劇図巻』 (1672~89,東京国立博物館) 、『見返り美人図』 (1693頃、東京国立博物館) 。76歳で死す。
五大、美人画絵師
鈴木春信(1725-1770)、錦絵の創始者。浮世絵師としての活動はわずか10年。江戸時代中期の浮世絵師であり、錦絵(多色摺木版画)の誕生に大きく寄与した。明和2 (1765) 年鈴木春信らが多色摺木版画である錦絵を創始し、浮世絵の黄金時代を迎える。人形のように華奢な春信美人は一世を風靡。45歳で死す。
勝川春章(1726-1792)、江戸中期、「春章一幅値千金」と謳われた勝川春章の肉筆画で有名である。葛飾北斎は、【春朗期(20~35歳)】勝川派として活動する。春章は、68歳で死す。
鳥居清長(1752-1815)、63歳で死す。江戸時代後期、鳥居清満の門人となり師没後に鳥居家4代目を襲名。美人画に転じて清長風と呼ばれる八頭身、長身で端麗な美人を描き、群像表現、風景との組合せ、天明期 (81~88) の浮世絵界で活躍。代表作『当世遊里美人合』『風俗東之錦』『美南見十二候』、三大揃物。
喜多川歌麿(1753-1806)は、反骨の絵師、寛政の改革の弾圧に抵抗、52歳まで描きつづけ、54歳で死す。
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展示作品の一部
史上初の3点同時出品となる鈴木春重(後の司馬江漢)「雪月花」
世界に唯一現存するとされる東洲斎写楽「曾我五郎と御所五郎丸」(重要美術品)
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」横大判錦絵、天保元~4年(1830-1833)頃
太田記念美術館
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」大判錦絵、寛政6年(1794)5月、日本浮世絵博物館
石川豊信「花下美人」重要文化財 大々判漆絵、延享期(1744-1748)、平木浮世絵財団
葛飾北斎「富岳三十六景」神奈川沖浪裏
安藤広重「名所江戸百景」深川万年橋
歌川国芳「人をばかにした人だ」大判錦絵、弘化4年(1847)頃、日本浮世絵博物館
歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝を救ふ図」 1951
歌川国芳「相馬の古内裏」
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参考文献
「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」・・・浮き世の遊宴と快楽と美女
https://bit.ly/30JCdd2 
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
https://bit.ly/35ywoAa
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
「新・北斎展」森アーツセンターギャラリー・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
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鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳まで、浮世絵の歴史を網羅する総勢約60名の絵師たちの代表作、450点。
浮世絵は、江戸時代の庶民たちに愛好された、日本を代表する芸術の一ジャンルです。その人気は海を渡り、印象派の画家をはじめとする欧米のアーティストたちに大きな影響を与え、ジャポニスム旋風を巻き起こしたことはよく知られています。また、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は、世界で最も有名な日本の絵として、多くの人々に愛されています。
本展覧会は、質、量ともに日本の三大浮世絵コレクションと言っても過言ではない太田記念美術館、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団の名品をはじめて結集し、選りすぐった約450点の浮世絵版画を展示します。浮世絵版画の名品は海外に流出したと言われることもありますが、実は日本国内に世界最高水準の浮世絵コレクションが存在するのです。浮世絵の初期から幕末まで、代表的な浮世絵師たちによる名品の数々をお楽しみください。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2020_ukiyoe.html
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「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」東京都美術館、7月23日—9月22日
前期展示:7月23日(木・祝)~8月23日(日)
後期展示:8月25日(火)~9月22日(火・祝)

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2020年7月15日 (水)

織田信長の苦悩、織田信長と斉藤道三、復讐の嵐。連動する美濃と尾張、帰蝶と絶世の美女、生駒吉乃

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第219回
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
「この世は舞台であり、人は役者にすぎぬ」『お気に召すまま』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【天人午睡 :世界の果てへの旅】
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、夕暮れのアポロン神殿に行く。糸杉の丘、仏陀の智慧が覚醒する。奇想の画家、若冲は「千歳、具眼の士をまつ」といった。
天人はこの世に舞い降りて、餓鬼道の者に嫉妬され虐げられることがある。如意輪観音菩薩は、この世に生きる天人を救う。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――
1、
【織田信長と斉藤道三、復讐の嵐】尾張守護代織田彦五郎の家老坂井大膳が守護斯波義統を暗殺。義統の嫡男義銀が織田信長を頼る。信長の叔父信光が彦五郎を暗殺。親信長派の斎藤孫四郎・喜平次が勢いづく。反信長派の斎藤高政が孫四郎・喜平次を暗殺。斎藤道三と高政、全面戦争へ。孫四郎様と喜平次様の亡骸を確認して悲嘆、そして狂乱する斉藤道三。
【斉藤道三と斎藤高政の戦い】
斎藤道三に反旗を翻した後、斎藤高政は一時期「范可」と名乗る。これは中国の故事で父親殺しを行った人物の名に因んだもの。逆に言えば、高政は道三を実の父親だと認識していた。長良川の戦い、弘治2年(1556年)4月、道三、死去。
【斉藤道三の最後】孫四郎と喜平次の亡骸を確認して、悲嘆し、そして狂乱する道三、リア王。リア王は生来の気性の荒さと老いからくる耄碌で、2人の娘の腹の底を見抜けず、裏切られ、悲嘆と狂乱のうちに哀れな最期を遂げる。
道三の状況とよく似ている。「麒麟がくる」
――
2、
【織田信長の逆境、連動する尾張と美濃】長良川の戦い、弘治2年(1556年)4月、斎藤道三が自身の嫡男・義龍との戦に敗れて死去。織田信勝は林秀貞・林通具・柴田勝家らを味方につけて信長に対して挙兵。8月24日、稲生で柴田勝家が敗れ、次いで林通具が討死(稲生の戦い)。信長、報復を果たす。弘治3年(1557年)弟信勝、信長を殺害しにくる。信長、返り討ち。
――
3、
【織田信長の妻。帰蝶、生駒吉乃】
帰蝶は、ただの政略結婚。帰蝶は斉藤龍興と対立、斉藤道三は龍興に敗れ、闇に消える。
【絶世の美女、生駒吉乃】吉乃の子。信忠(1557-82)26歳で非業の死。徳姫(1559-1636)は松平信康に嫁ぐ。76歳で死ぬ。織田信雄(1558-1630)は徳川家康とともに豊臣秀吉と戦う。信雄72歳で死す、信長の血を残す。
【織田信長3人の妻:帰蝶、生駒吉乃、お鍋の方】道三の娘、帰蝶、奇蝶・濃姫、行方不明。生駒家宗の娘、生駒吉乃(1527-1566)、信忠・信雄・徳姫。お鍋の方、側室、七男の信高と八男の信吉、娘・於振の母。近江の豪族・高畑源十郎の娘。本能寺の後、いち早く岐阜城へ戻り、信長の遺品を「龍興申さるゝは、信長は、故道三の聟なれば、信長妻の爲には姪なれば、其妻死後に遺し難し」
【織田信忠】信長の長男。母は側室の生駒吉乃。信長の後継者として、甲斐武田家を滅ぼした甲州征伐(1582年)では織田軍の総大将を務めた。
【蝮の道三の娘、帰蝶、奇蝶・濃姫】美濃国の戦国大名、守護代、斎藤道三(利政)と正室である小見の方の唯一の子、政略結婚で尾張国の織田信長に嫁ぐ。信長の正室であるが『信長公記』にその名は無く、後半生の逸話が極めて少ない。早くから死別、或いは離縁されたとの説が立つ。謎の人生
【蝮の道三の娘、帰蝶、奇蝶・濃姫】斎藤道三(利政)は、稲葉山城を斎藤義龍(高政)に譲って出家、再び道三と号して鷺山城に退く。翌年、この城から古渡城の織田信長のもとに嫁いだため、鷺山殿とも呼ばれた。江戸時代に成立した「美濃国諸旧記」では帰蝶、歸蝶、奇蝶、「武功夜話」では胡蝶。
【織田信長13人の子、政権争い】清州会議
――
4、尾張と美濃、連動する戦い
【道三と高政、美濃を二分する戦い、高政と帰蝶、敵対】斉藤道三、大桑城から出陣、明智軍、明智城から出陣、鶴山に集結。稲葉山城の高政、岩倉城の織田信賢と内通、さらに今川義元と内通。清州城の織田信長、織田信賢と敵対。【桶狭間の戦い】信長と義元の戦いに発展する。
――
参考文献
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、元亀の争乱。武田信玄の死。絶世の美女、生駒吉乃
https://bit.ly/2oacbQH
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城
https://bit.ly/2FkeiJX
織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2MP00UY

2020年7月 3日 (金)

特別展「きもの KIMONO」・・・織田信長の陣羽織「黒鳥毛揚羽蝶模様」、戦国一の美女と落城

Kimono2020
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第218回
深緑の森を歩いて、博物館に行く。「人間、衣裳を剥ぎとれば、おまえのように、あわれな裸の二本足の動物にすぎぬ」『リア王』。時の関節が外れた、価値体系の崩壊した混沌の時代、王は王の衣装を身につけ、貴族は官僚の衣装を身につけ、武人は甲冑を身につけ、詐欺師の司祭は僧衣を身につけた。衣装は階級社会の象徴である。
16世紀、安土桃山時代、武将たちは、旗幟鮮明にし、権謀術数を尽くして都市と都市が戦う、階級闘争、下剋上の時代。エリザベス朝演劇のように、復讐が繰り広げられた。正義を奪う者に対する復讐、『ハムレット』『テンペスト』、復讐劇に彩られた世界。織田信長の弟、信勝は、なぜ、信長を2度、殺しにきたのか。
――
【バロックと戦国】織田信長は、戦場で揚羽模様の陣羽織を纏って指揮した。信長は、西洋甲冑を着て、世界制覇を狙うイエズス会士フランシスコ・カブラルと対峙。宣教師から武器調達、タイ製弾丸。1563年ルイス・フロイス来日、1571年レパントの海戦、1575年長篠の戦、石山本願寺戦争1570-80、「宣教師の征服計画」秀吉、グネツキ・オルガンティノ、高山右近説得(聖イグナシオ洞窟教会)、国友の火縄銃、石山戦争終結。「われは神である」信長、1582年本能寺の変。
1598年9月13日、ハプスブルグ帝国フェリペ2世の死後、5日後に、秀吉は死ぬ。
――
【思想家のことば 孔雀のプライド】孔雀は、人前でその美しい尾羽根を隠す。これは、孔雀の矜持と呼ばれる。孔雀のような動物でもそうなのだから、わたしたちは人間として、一層の慎みと矜持を持つべきである。『善悪の彼岸』
――
戦国の美しい姫は、政略結婚の道具に過ぎない、天下人に嫁ぎ、戦乱の狭間に散る、城とともに死す。
【織田信長、絶世の美女、生駒吉乃】信長の嫡男、信忠、五徳、信雄を生む。信忠、本能寺の変で二条城にて自刃。徳姫、家康の嫡男、松平信康に嫁ぐ、信康死に、76歳まで生きる。織田信雄は徳川家康とともに豊臣秀吉と戦う。信雄72歳で死す、信長の血を残す。
【信長の妹、戦国一の美貌、お市】美女の娘は美女、浅井三姉妹、茶々(淀)、初、江。豊臣秀吉の寵愛を受けた淀、京極高次の正室・初、徳川秀忠の正室・江。大坂夏の陣1615年(慶長20年)で、淀君と豊臣秀頼は、大阪城炎上とともに死ぬ。
【千姫、家康の孫、政略結婚】秀忠の正室・江の娘。千姫は、家康の命で、7歳で豊臣秀頼に嫁入り。夏の陣で、祖父、家康の命令で救出される。
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【千姫、本多忠刻に2度目の嫁入り】江戸に送り届けられる途中、七里の渡し船中で、桑名城主本多忠刻に一目惚れ、家康が千姫の気持ちを汲んで本多忠刻と結婚。翌年、元和3年(1617)本多忠政が姫路城主となり、千姫には10万石の化粧料が与えられ、 姫路城西の丸御殿で幸福な日々を過ごす。長男の幸千代はわずか3歳で病没、さらに夫の忠刻もその数年後病で世を去り、千姫の二度目の結婚生活わずか11年。この時、千姫は30歳。江戸に戻った千姫は、仏門に入って天樹院と称し、寛文6年(1666)2月、70歳の生涯を終えた。
【姫路城】池田輝政、信長の家臣、池田恒興の二男。織田、豊臣、徳川に仕える。
慶長5年(1600)天下分け目の関ケ原の合戦で軍功をあげ、家康の娘婿でもある池田輝政が播磨一国52万石の大大名となって姫路城主となって築城。池田輝政は大坂城と豊臣恩顧の西国大名に備えるため、家康の支援の下、慶長6年(1601)から姫路城の大改築に着工、慶長14年(1609) 完成。姫路城は城郭建築の技術の粋を結集、五層七階の大天守と三層の小天守が連結した本丸、二の丸、大規模で防備と造形美を兼備した名城。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示作品の一部
陣羽織 黒鳥毛揚羽蝶模様 織田信長所用  安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
腰から上の部分をすべて山鳥の毛で覆った陣羽織。信長の家紋といわれる揚羽蝶の模様には、山鳥の白い羽毛を一本一本刺しこんだ上で、カッティングを施しています。衿や裾には 南蛮風の襞(ひだ)が施され、外国趣味だった信長の趣向がうかがえます。戦国武将たちは、珍しい素材で突飛な技術を用いて比類ない衣装を誂え、その勇姿を誇示しました。
陣羽織淡茶地獅子模様唐織豊臣秀吉所用 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
獅子が駆ける姿をいきいきと織り出した唐織で仕立てた陣羽織。衿には戦国武将が好んだヨーロッパ産の猩々緋の羅紗が用いられています。華やかで豪壮な意匠を好んだ秀吉にふさわしい1領です。
重要文化財
縫箔 白練緯地四季草花四替模様 安土桃山時代・16世紀 京都国立博物館蔵
全身を4つに区切った大胆な構成は「四替(よつがわり)」と称され、安土桃山時代を象徴する流行デザインの1つでした。梅模様が春、藤の花房が夏、紅葉が秋、雪持笹が冬を表わします。地を埋め尽くすように、黄緑や紅といった明るい色調の絹糸で刺繡しています。
重要文化財
小袖 黒綸子地波鴛鴦模様 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
腰部分を空けて弧を描くような躍動的なデザインが、町方の経済力を背景に寛文期(1661-1673)に流行しました。大胆に孤を描く網干(あぼし)模様は、波のようにデフォルメされ、また筍のようにも見える、遊び心を感じさせるデザインです。
重要文化財
振袖 紅紋縮緬地束熨斗模様 江戸時代・18世紀 京都・友禅史会蔵
熨斗模様(のしもよう)そのものも豪華ですが、熨斗の一筋一筋に施された友禅染の繊細な色挿しは、江戸時代中期における最高の友禅染の技術を駆使しています。
前期展示 4月14日(火)~5月10日(日) 京都・友禅史会蔵
重要文化財 小袖 白綾地秋草模様 尾形光琳筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
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参考文献
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、元亀の争乱。武田信玄の死。絶世の美女、生駒吉乃
https://bit.ly/2oacbQH
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
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日本の美意識を色と模様に表わした「きもの」。その原型である小袖(こそで)は、室町時代後期より、染や刺繡、金銀の摺箔(すりはく)などで模様を表わし、表着(おもてぎ)として花開きました。きものは、現代に至るまで多様に展開しながら成長し続ける日本独自の美の世界を体現しています。
本展では、信長・秀吉・家康・篤姫など歴史上の著名人が着用したきものや、尾形光琳直筆の小袖に加え、狩野秀頼「観楓図屏風」「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」きものが描かれた国宝の絵画作品、 さらに現代デザイナーによるきものなど約300件の作品を一堂に展示。800年以上を生き抜き、今なお新たなファッション・シーンを繰り広げる「きもの」を、現代を生きる日本文化の象徴として展覧し、その過去・現在・未来を見つめる機会とします。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1987
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特別展「きもの KIMONO」、東京国立博物館 平成館にて、2020年6月30日(火)から8月23日(日)まで

イイネ!0)大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第218回
深緑の森を歩いて、博物館に行く。「人間、衣裳を剥ぎとれば、おまえのように、あわれな裸の二本足の動物にすぎぬ」『リア王』。時の関節が外れた、価値体系の崩壊した混沌の時代、王は王の衣装を身につけ、貴族は官僚の衣装を身につけ、武人は甲冑を身につけ、詐欺師の司祭は僧衣を身につけた。衣装は階級社会の象徴である。
16世紀、安土桃山時代、武将たちは、旗幟鮮明にし、権謀術数を尽くして都市と都市が戦う、階級闘争、下剋上の時代。エリザベス朝演劇のように、復讐が繰り広げられた。正義を奪う者に対する復讐、『ハムレット』『テンペスト』、復讐劇に彩られた世界。織田信長の弟、信勝は、なぜ、信長を2度、殺しにきたのか。
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【バロックと戦国】織田信長は、戦場で揚羽模様の陣羽織を纏って指揮した。信長は、西洋甲冑を着て、世界制覇を狙うイエズス会士フランシスコ・カブラルと対峙。宣教師から武器調達、タイ製弾丸。1563年ルイス・フロイス来日、1571年レパントの海戦、1575年長篠の戦、石山本願寺戦争1570-80、「宣教師の征服計画」秀吉、グネツキ・オルガンティノ、高山右近説得(聖イグナシオ洞窟教会)、国友の火縄銃、石山戦争終結。「われは神である」信長、1582年本能寺の変。
1598年9月13日、ハプスブルグ帝国フェリペ2世の死後、5日後に、秀吉は死ぬ。
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【思想家のことば 孔雀のプライド】孔雀は、人前でその美しい尾羽根を隠す。これは、孔雀の矜持と呼ばれる。孔雀のような動物でもそうなのだから、わたしたちは人間として、一層の慎みと矜持を持つべきである。『善悪の彼岸』
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戦国の美しい姫は、政略結婚の道具に過ぎない、天下人に嫁ぎ、戦乱の狭間に散る、城とともに死す。
【織田信長、絶世の美女、生駒吉乃】信長の嫡男、信忠、五徳、信雄を生む。信忠、本能寺の変で二条城にて自刃。徳姫、家康の嫡男、松平信康に嫁ぐ、信康死に、76歳まで生きる。織田信雄は徳川家康とともに豊臣秀吉と戦う。信雄72歳で死す、信長の血を残す。
【信長の妹、戦国一の美貌、お市】美女の娘は美女、浅井三姉妹、茶々(淀)、初、江。豊臣秀吉の寵愛を受けた淀、京極高次の正室・初、徳川秀忠の正室・江。大坂夏の陣1615年(慶長20年)で、淀君と豊臣秀頼は、大阪城炎上とともに死ぬ。
【千姫、家康の孫、政略結婚】秀忠の正室・江の娘。千姫は、家康の命で、7歳で豊臣秀頼に嫁入り。夏の陣で、祖父、家康の命令で救出される。
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【千姫、本多忠刻に2度目の嫁入り】江戸に送り届けられる途中、七里の渡し船中で、桑名城主本多忠刻に一目惚れ、家康が千姫の気持ちを汲んで本多忠刻と結婚。翌年、元和3年(1617)本多忠政が姫路城主となり、千姫には10万石の化粧料が与えられ、 姫路城西の丸御殿で幸福な日々を過ごす。長男の幸千代はわずか3歳で病没、さらに夫の忠刻もその数年後病で世を去り、千姫の二度目の結婚生活わずか11年。この時、千姫は30歳。江戸に戻った千姫は、仏門に入って天樹院と称し、寛文6年(1666)2月、70歳の生涯を終えた。
【姫路城】池田輝政、信長の家臣、池田恒興の二男。織田、豊臣、徳川に仕える。
慶長5年(1600)天下分け目の関ケ原の合戦で軍功をあげ、家康の娘婿でもある池田輝政が播磨一国52万石の大大名となって姫路城主となって築城。池田輝政は大坂城と豊臣恩顧の西国大名に備えるため、家康の支援の下、慶長6年(1601)から姫路城の大改築に着工、慶長14年(1609) 完成。姫路城は城郭建築の技術の粋を結集、五層七階の大天守と三層の小天守が連結した本丸、二の丸、大規模で防備と造形美を兼備した名城。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示作品の一部
陣羽織 黒鳥毛揚羽蝶模様 織田信長所用  安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
腰から上の部分をすべて山鳥の毛で覆った陣羽織。信長の家紋といわれる揚羽蝶の模様には、山鳥の白い羽毛を一本一本刺しこんだ上で、カッティングを施しています。衿や裾には 南蛮風の襞(ひだ)が施され、外国趣味だった信長の趣向がうかがえます。戦国武将たちは、珍しい素材で突飛な技術を用いて比類ない衣装を誂え、その勇姿を誇示しました。
陣羽織淡茶地獅子模様唐織豊臣秀吉所用 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
獅子が駆ける姿をいきいきと織り出した唐織で仕立てた陣羽織。衿には戦国武将が好んだヨーロッパ産の猩々緋の羅紗が用いられています。華やかで豪壮な意匠を好んだ秀吉にふさわしい1領です。
重要文化財
縫箔 白練緯地四季草花四替模様 安土桃山時代・16世紀 京都国立博物館蔵
全身を4つに区切った大胆な構成は「四替(よつがわり)」と称され、安土桃山時代を象徴する流行デザインの1つでした。梅模様が春、藤の花房が夏、紅葉が秋、雪持笹が冬を表わします。地を埋め尽くすように、黄緑や紅といった明るい色調の絹糸で刺繡しています。
重要文化財
小袖 黒綸子地波鴛鴦模様 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
腰部分を空けて弧を描くような躍動的なデザインが、町方の経済力を背景に寛文期(1661-1673)に流行しました。大胆に孤を描く網干(あぼし)模様は、波のようにデフォルメされ、また筍のようにも見える、遊び心を感じさせるデザインです。
重要文化財
振袖 紅紋縮緬地束熨斗模様 江戸時代・18世紀 京都・友禅史会蔵
熨斗模様(のしもよう)そのものも豪華ですが、熨斗の一筋一筋に施された友禅染の繊細な色挿しは、江戸時代中期における最高の友禅染の技術を駆使しています。
前期展示 4月14日(火)~5月10日(日) 京都・友禅史会蔵
重要文化財 小袖 白綾地秋草模様 尾形光琳筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
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参考文献
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、元亀の争乱。武田信玄の死。絶世の美女、生駒吉乃
https://bit.ly/2oacbQH
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
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日本の美意識を色と模様に表わした「きもの」。その原型である小袖(こそで)は、室町時代後期より、染や刺繡、金銀の摺箔(すりはく)などで模様を表わし、表着(おもてぎ)として花開きました。きものは、現代に至るまで多様に展開しながら成長し続ける日本独自の美の世界を体現しています。
本展では、信長・秀吉・家康・篤姫など歴史上の著名人が着用したきものや、尾形光琳直筆の小袖に加え、狩野秀頼「観楓図屏風」「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」きものが描かれた国宝の絵画作品、 さらに現代デザイナーによるきものなど約300件の作品を一堂に展示。800年以上を生き抜き、今なお新たなファッション・シーンを繰り広げる「きもの」を、現代を生きる日本文化の象徴として展覧し、その過去・現在・未来を見つめる機会とします。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1987
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特別展「きもの KIMONO」、東京国立博物館 平成館にて、2020年6月30日(火)から8月23日(日)まで

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