無料ブログはココログ

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月

2019年8月29日 (木)

絶世の美女、地中海奇譚、戦国奇譚・・・『美と復讐の精神史』第1巻

Gerard_francoiscupid_psyche-part
Troy
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』190回
絶世の美女は、運命に翻弄され運命と戦い、波瀾の人生の果てに、何を得るのか。絶世の美女は、時間と空間と社会と富と戦い、前人未到の境地に辿りつく。
北方に佳人あり、絶世にして独立。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。
美しい者は美しいがゆえに、戦いと苦悩がある。智慧ある者は、美しい。智慧ある者、美しい魂をもつ者は、美しいゆえに、頂点に立つ者の苦悩がある。
――
偉大な王は、何を手に入れたのか。価値ある生とは何か。人生の冒険に破れた詩人。人生の戦いに卓越した哲人、理念を追求する思想家。輝く天の仕事をなし遂げる人。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『美と復讐の精神史』
――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ美しい魂に美しい女神が舞い下りる。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――
【王妃オリュンピアス】サモトラケ島のディオニュソスの密儀で、紀元前360年オリュンピアスは、マケドニアの王子フィリッポス2世と出会った。アレクサンドロスを生む。紀元前336年10月ヴェルギナにおける王子の妹クレオパトラの結婚式で、フィリッポス2世を暗殺。王妃オリュンピアスとその子アレクサンドロスが影で糸を引き、殺害を側近貴族パウサニアスに使嗾した。エウリピデス『メデイア』の詩を引用して示唆。プルタルコス『英雄伝』
――
【絶世の美女、ネフェルタリ】ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。紀元前13世紀【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうける。67年間王位。第19王朝。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳で薨去。
――
【絶世の美女、美しき女相続人、マリー】マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgougne, 1457年-1482年)は、父シャルル豪胆王が戦死し「遍在する蜘蛛」フランス王ルイ11世から求婚される。これを断るためにハプスブルク家マクシミリアン1世に求婚する。25歳で死す。ブリュッセルに生まれた、美的趣味にあふれる美女。美しく知的な女性だが25歳で亡くなる。フィリップ美公(フェリペ1世)、マルグリットを生む。絶世の美女だが、事故死。
――
【織田信長、美貌の一族】織田家は、戦国一の美貌で名高い。1、織田信長の姉、お市。お市の娘、浅井三姉妹、茶々、初、江。信長はお市と清州城で育った。2、織田信長の最愛の妻。生駒吉乃。永禄九年1566年5月31日38歳で死す。無償の愛を送った妻が死に信長は号泣。信忠、信雄、五徳をうむ。信長と生駒吉乃の娘、徳姫。
【絶世の美女、徳姫、織田信長に十二箇条の手紙】松平信康の正室・徳姫が、父である織田信長に送った十二箇条の手紙によって、夫、信康及び姑、築山殿との不仲を訴え、信康の不行状、信康の実母である築山殿が武田家と内通、信康にも武田家への内通を勧誘していると糾弾。家康は松平信康に切腹を命じる。
――
【『テンペスト』】プロスペローはミラノ大公であったが、学問に没頭したため、弟アントニオに侯爵位を奪われた。弟は敵対するナポリ王に従属し兄と娘を島流しにして侯爵位を奪った。12年間、孤島で暮らしたが、自分を陥れた弟とナポリ王を魔術によって復讐する。
【『テンペスト』ミランダ】妖精エアリアルの音楽に導かれてナポリ王子ファーディナンドは、ミランダと出会い恋に落ちる。ナポリ王アロンゾの弟セバスチャンは、アントニオと謀って王を殺害し王位を奪おうとするが、エアリアルが王を起す。結婚祝いの仮面劇を精霊たちに演じさせる。ファーディナンドとミランダは舞台裏でチェスをする。その場面をプロスペローは、アロンゾに見せる。プロスペローの娘の美女ミランダと王子、二人は婚約する。
――
★François Gérard, Amor et Psyche (1798)
★ヘレネ Helen of Troy, Diane Krüger ,Wolfgang Petersen ,Troy,2004
――
参考文献
アトレウス王家、血族の抗争、ギリシア悲劇『オレステス』
https://bit.ly/2kMMIFm
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2CQlxoY
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2FkeiJX
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
アモールとプシューケー エロースと絶世の美女プシューケー
https://t.co/I5hzrLUU2R
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
https://bit.ly/2zLyazA 

2019年8月11日 (日)

「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺

Oukyokindai2019
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』189回
真夏の灼熱の森を歩いて藝大美術館に行く。真夏の森の中、大乗寺の黄金の襖絵の空間にて瞑想すると、事事無礙法界、『因陀羅網』の境地(『即身成仏義』)に到るのか。高野山真言宗、大乗寺黄の金襖は圧巻である。
【大乗寺襖絵】円山応挙(1733-95)が一門十三人を率いて制作した兵庫香美町の大乗寺襖絵は、各室の空間全体を構成した傑作。165面。黄金襖は圧巻。「松に孔雀図」(1795)は、金屏風に墨一色で描かれた異彩を放つ屏風絵である。与謝蕪村の高弟だった呉春が担当した「群山露頂」は蕪村風の叙情性が色濃いが、8年後の「四季耕作図」には応挙の影響が強い。円山応挙、最晩年の境地に見たものは何か。
【円山応挙の謎】円山応挙は、なぜ、階級社会の中で、亀岡の農民の子から一級の絵師になることができたのか。円山応挙は、死の年、なぜ、一門十三人を率いて、大乗寺襖絵を描いたのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』  
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【農家の子から尾張屋】亀岡の農家に生まれた応挙は、京都に丁稚奉公に出て暮らす。15歳の時に玩具屋の尾張屋勘兵衛の世話になる。ビードロや覗き眼鏡を扱っていた尾張屋の元で、応挙は覗き眼鏡に使われる遠近が効いた眼鏡絵を描いた。
【狩野派から円山派】円山応挙は、狩野派の石田幽汀に学んだ、一方、西洋由来の遠近法の眼鏡絵、中国絵画の影響も受け、後に綿密な写生と伝統的な装飾性をあわせた独自の様式を確立した。応挙の元では息子の応瑞や山口素絢、長沢芦雪ら多くの絵師が育った。虎の絵を得意とする岩派、竹内栖鳳、上村松園に受け継がれていく。応挙の画風に南画の情趣を融合させて四条派を確立した呉春。円山・四条派の全容に迫る展覧会。
――
展示作品の一部
円山応挙、重要文化財「松に孔雀図」(全16面のうち4面)寛政7年(1795)兵庫・大乗寺蔵 東京展のみ・通期展示
円山応挙、重要文化財「牡丹孔雀図」明和8年(1771)京都・相国寺蔵 京都展のみ・半期展示
円山応挙、重要文化財「写生図巻(甲巻)」(部分)明和8年~安永元年 (1771-72)株式会社 千總蔵 東京展:後期展示 京都展:半期展示
長沢芦雪、「薔薇蝶狗子図」寛政後期頃 (c.1794-99)愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 東京展:前期展示 京都展:半期展示
岸竹堂、「猛虎図」(右隻)明治23年(1890) 株式会社 千總蔵 東京展:前期展示 京都展:半期展示
円山応挙、重要文化財「保津川図」(右隻)寛政7年(1795) 株式会社 千總蔵 東京展:後期展示 京都展:半期展示
円山応挙、「狗子図」安永7年(1778) 敦賀市立博物館蔵 東京展:後期展示 京都展:半期展示
円山応挙、重要文化財「松に孔雀図」(全16面のうち4面)寛政7年(1795) 兵庫・大乗寺蔵 京都展のみ・通期展示
円山応挙、重要文化財「郭子儀図」(全8面のうち4面)兵庫・大乗寺蔵 京都展のみ・通期展示
円山応挙、重要美術品「江口君図」寛政6年(1794) 静嘉堂文庫美術館蔵 東京展のみ・前期展示
――
参考文献
「円山応挙から近代京都画壇へ」求龍堂
時代が愛したリアリズム 「円山応挙から近代京都画壇へ」:朝日新聞
http://www.asahi.com/event/DA3S14119151.html
――
18世紀、江戸時代中期から後期にかけて、京都で活躍した絵師・円山応挙。写生画による親しみやすい表現は京都で多大な影響力を持ち、「円山派」を確立した。応挙からはじまり、近世から近代にかけて引き継がれてきた画家たちの系譜をたどる。
与謝蕪村に学んだのち、応挙に師事した呉春によって「四条派」が誕生すると、その後ふたつの流派を融合した「円山・四条派」が京都で主流となり、日本美術史の中で重要な位置を示すようになる。
亀岡の農家に生まれた応挙は、京都に丁稚奉公に出て暮らす。15歳の時に玩具屋の尾張屋勘兵衛の世話になる。ビードロや覗き眼鏡を扱っていた尾張屋の元で、応挙は覗き眼鏡に使われる遠近が効いた眼鏡絵を描いた。
応挙は「ものを見て描くこと」、写生をはじめる。実際に自分が見たものを、見えた通りに絵に表現していく方法は、京都画壇に新たな風を吹き込み、瞬く間に大きな影響を持つようになる。その後も写生を重んじる伝統は、近代になっても円山・四条派の重要な特性として受け継がれた。「応門十哲」の中には奇想の系譜で有名になった長沢芦雪も含まれた。
江戸時代、京都では、伝統的な流派である京狩野、土佐派をはじめとして、池大雅や与謝蕪村などの文人画、近年一大ブームを巻き起こした伊藤若冲や曽我蕭白、岸駒を祖とする岸派や原在中の原派、大坂でも活躍した森派など、様々な画家や流派が群雄割拠のごとく特色のある画風を確立していました。しかし、明治維新以降、京都画壇の主流派となったのは円山・四条派でした。円山・四条派とは、文字通り円山派と四条派を融合した流派。
円山派の祖である円山応挙が現れたことで京都画壇の様相は一変しました。応挙が得意とした写生画は画題の解釈を必要とせず、見るだけで楽しめる精密な筆致が多くの人に受け入れられ、爆発的な人気を博しました。京都の画家たちはこぞって写生画を描くようになり、応挙のもとには多くの門下生が集まって、円山派という一流派を形成しました。
四条派の祖である呉春は、初め与謝蕪村に学び、蕪村没後は応挙の画風を学んだことで、応挙の写生画に蕪村の瀟洒な情趣を加味した画風を確立しました。呉春の住まいが四条にあったため四条派と呼ばれたこの画風は、弟の松村景文や岡本豊彦などの弟子たちに受け継がれ、京都の主流派となりました。呉春が応挙の画風を学んでいる上、幸野楳嶺のように円山派の中島来章と四条派の塩川文麟の両者に師事した画家も現れたこともあり、いつの頃からか円山派と四条派を合わせて円山・四条派と呼ぶようになりました。
応挙・呉春を源泉とする円山・四条派の流れは、鈴木百年、岸竹堂、幸野楳嶺等へと受け継がれ、それぞれの門下から、近代京都画壇を牽引した竹内栖鳳、山元春挙、今尾景年、上村松園等を輩出しました。彼らは博覧会や、日本で初めての公設美術展覧会である文部省美術展覧会で活躍し、全国に円山・四条派の名を広めました。一方で、栖鳳たちは、自身の塾や、教鞭を執った京都府画学校や京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で多くの近代京画壇の発展に資する後進たちを育てています。
東京藝術大学大学美術館
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2019/maruyama-shijo/maruyama-shijo_ja.htm
――
★「円山応挙から近代京都画壇へ」
東京藝術大学大学美術館、8月3日(土)~9月29日(日)
京都国立近代美術館11月2日(土)~12月15日(日)

2019年8月 5日 (月)

島薗進×大久保正雄「死生学 魂の物語」ソフィア文化芸術ネットワーク

Shimazono20190526
201706160 
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、先生の見解について質疑応答しました。ここにその内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。ソフィア文化芸術ネットワーク
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』188回
――
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』について
大久保正雄
『雁の童子』は、天から降りてきた天の童子、天人がこの世で苦難を受け、輪廻転生で天界に戻る物語。『インドラの網』は、事事無礙法界の比喩『華厳経』を詩的イメージ化している。仏教用語を専門用語で説明すると感動がないが、宮澤賢治の詩的世界は美しい。生きる世界の真実を詩的世界で表現する。

島薗進
「雁の童子」はすばらしい作品です。仏教の諸理念が短い物語に埋め込まれ、奥深い宗教性に引き込まれていきます。とりわけ、暴力と別れと悲しみを体現した童子と、その童子を気遣う須利耶が父子として、また前生での悲しみを分かち合う者として心を通わせるいくつかの場面は珠玉といってよいでしょう。
「インドラの網」は物語というよりは散文詩のような作品で、賢治の心象風景を描いたもの、「華厳経」の世界、仏の神秘の到来、南無妙法蓮華経の題目体験、を表したものかと思います。類似の作品として「マグノリアの木」を思い出します。また、「十力の金剛石」も類似のものでしょう。
宮澤賢治は、修羅のように生きた。家業を受け入れず、苦しんだ。痛いこの世の経験の彼方に美しい世界への憧れを懐いた。

――
2、天正、織田信長、改元の目的は何か。
大久保正雄
「清静は天下を正と為す」。清い静けさ(自然の静寂)は天下を正しく在るようにあらしめる。出典『老子』45章。天、正義、武(=矛を止める)という老荘思想、古典の概念がある。既存の階級社会を打破する目的があると戦国史研究者は指摘する。これまでの信長像は、武力のみで改める必要があると思う。*【天正、織田信長】兵革(戦乱)の凶事を断ち切るために行われた【災異改元】。出典『老子』45章。
織田信長、宮澤賢治、二人は、修羅の道を歩いた。
まったく別の人生のように見えるが、まったく別の人生のように見えるが、織田信長は、階級社会との戦いの人生。宮澤賢治は、この世の苦と戦った。阿修羅は戦いの神。「唾し、はぎしり、行き来する、おれは一人の修羅なのだ」「修羅の涙は土に降る」(宮澤賢治『春と修羅』)

島薗進
織田信長は安土城の「天守」を作らせた人、これはゴシックの教会の影響を受け、天命を受けた帝王の幻覚にひたった人であったと思います。道教、仏教、儒教の壁画空間の上に、天主の間を作った。世界の諸思想の上に、天がいる。共鳴はしませんが、信長が長生きしていたら、日本はだいぶ違った世界になったと思います。信長以後、秀吉、徳川は、階級社会へ逆戻りした。
明清の中国の皇帝の強大な威信は、日本では織田信長から死後の明治天皇に引き継がれたような気がします。

――
3、密教真言について
大久保正雄
密教真言について。「真言とは、祈りである。真言(mantra)とは、真実の言葉。人知人力には限りある以上、人は祈らずにはいられない。」自分の限界に気づいた人間の祈り。(宮坂宥洪『真釈般若心経』角川ソフィア文庫2004)*密教学者、宮坂宥勝氏の子息の著書。密教真言の呪文は、大日如来の降臨加護を招き、即身成仏、幸福への祈りである。
4、【藝術と魔術】
大久保正雄
祈りは、人間の心の願いのことばである。祈りは魔術である。藝術は、敵意にみちたこの世と戦うための、魔術である。
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ

島薗進
マックス・ウェーバーは、脱呪術「Entzauberung」=合理化と考えた。しかし今、「祈りと魔術」は復活しつつある。
芸術と魔術(呪術)は深く関わっています。それはまた、祈りの方へも向かいます。悲しみをたたえた芸術は祈りのように受け止められます。「雁の童子」はそのような作品。他方、無上の境地の顕現をもたらす祈りもあり、お題目はそうしたものでしょう。お題目と真言、お念仏はそのような唱え言葉でした。歌には呪文的な歌詞が多いです。「春よこい、早く来い」はよい例。「志を果たしていつの日にか帰らん」(故郷)と歌うとき、現代人はいのちの源へもどるための呪文のように感じているようでもあります。

――
5、学問に重要な要素について、1、新しい価値は文化と文化の狭間から生まれる。2、権威、ブランドに依存してはならない。3、知を生みだす知、一次元上の知の体系、メタ知識を求めねばならない。
大久保正雄
私は、出版社の編集者から「あなたにしかできないものを作りだして下さい」と注文される。
建築家、梵寿綱氏は私に教えた。「創造的な思想、藝術を作りあげなさい。創造的な世界観であれば、人はそれを買いに来る。高度に普遍的な学問を追求しても、それは他にやっている人がいる。創造性がない」。
ある美術出版社の編集者は「なぜその作品が生みだされなければならないのか、その理由を解く人はいない。美術作品カタログなかり、出版される。」
学問の権威には欺瞞性がある。城は、権威とブランドの象徴。信長の名言がある。織田信長「人、城を頼らば、城、人を捨てん」。
ある映像プロデューサーは「生存競争の激しい社会、創造性がないと、厳しく追及される。わんわん、批判される」。
孫崎享氏から「学者は、先生の言ったことをそのまま写すと、出世する。憲法学者がその典型。だからTPPが憲法違反であることを判断できない」。
上野千鶴子の論点から。(1)新しい価値は異文化が摩擦するところに生まれる。(2)ブランドが通用しない世界。(3)知を生み出す知、メタ知識。
上野千鶴子「新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれる」「ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。」「すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。」2019年東京大学入学式祝辞より。

島薗進
『あしながおじさん』を最近、読みました。あの本には、17歳の少女が、人間教育を受けて成長する姿が、描かれている。あのような大学教育を失ってしまった。支援者の男性と少女は最後に結婚する。
上野千鶴子さんは、金沢で、14歳のころから知り合いです。
学問は、知る心(マインド)の側面と感じる心(ハート)の側面とがともに備わり、統合されることを目指していると思います。しかし、近代の学問は知る心の方に偏っていて、感じる心を組み込むのが難しくなっているように思います。かつての「教養」は人格完成を目指していたので、両側面が統一されることが前提でした。「子曰く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。」
――
【解説】注『死生学 ファンタジーと魂の物語』
大久保正雄
1、【宮澤賢治『雁の童子』】沙車に須利耶圭という人が、名門ではあるが落ちぶれて静かに暮らしていた。雁の群れが、弾丸に撃たれて、落ちてくるのを眺めた。「赤い焔に包まれて、嘆き叫んで手足をもだえ落ちてくる五人。ただ一人完いものは可愛らしい天の子供。次々に雁が地面に落ちてきて燃えた。天の眷属でございます。私どもは天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。どうぞあなたの子にしてお育てをお願いします。」須利耶は雁の子供をつれて町を通った。石が一つ飛んできて童子の頬を打った。須利耶圭が、沙車の町のはずれの古い沙車大寺のあとから掘り出された。一つの壁がまだそのままで見つけられ、三人の天童子が描かれ、その一人はまるで生きたようだ。「わたしはあなたの子です。この壁は前にお父さんが描いたのです」
【宮澤賢治『インドラの網』】ツェラ高原を歩いているうちに「天の空間」に入り込み、天人、蒼い孔雀、天界の太陽、あらゆる美の極致を目にする主人公、青木晃。「天の子供らのひだのつけようからガンダーラ系統なのを知りました。于闐大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なのを知りました。」「お早う。于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。」「私は于闐(コウタン)大寺を沙の中から掘り出した青木晃といふものです。」インドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな蒼い孔雀が。『インドラの網』
【因陀羅網】インドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界の比喩としてよく用いられる。『華厳五教章』
【四法界】華厳宗で説く、世界の四つの世界観。 すべての事物が個々に存在するものとして把握する事法界、すべての事物の本体は真如であると把握する理法界、眼前の現象の世界と真如の世界は同一であると把握する理事無礙法界、現象するすべての事物は互いに縁起し合う存在であるとする事事無礙法界。『大辞林 第三版』

2、天正、織田信長、
*【天正、織田信長】兵革(戦乱)の凶事を断ち切るために行われた【災異改元】。出典『老子』45章。反織田勢力による包囲網が破綻し、信長の覇権が確定。1573年(元亀4)7月21日、信長が天皇に奏上。7月28日改元。義昭は1573年(天正1)7月に織田信長によって京都から追放された。
*【織田信長、天正】改元を朝廷に内奏。元亀4年7月21日。信長は、改元を内覧した。四位、身分低い信長が内覧したのは異例である。改元時に朝廷では信長に勘文を見せてその意向に応じて元号を「天正」と定め、信長が武家政権の長として改元に容喙した。28日決定。今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』
【織田信長、天正1573】大成(たいせい)は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は屈(くっ)するが若く、大功(たいこう)は拙(つた)なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。清静(せいせい)は天下の正(せい)たり。『老子』第四十五章
【織田信長、安土城、狩野派】この世から消滅した狩野派絵画、安土城。天主閣、6階は儒教、「孔門十哲」「三皇五帝」、5階は仏教、「釈迦十大弟子」「釈迦説法」、3階は花鳥図、「岩の間」「竹の間」「松の間」。2階は道教、「呂洞賓図」「西王母」。天正七年、安土城。天主閣完成。天正十年6月2日、本能寺の変の後、炎上する。太田牛一『安土日記』『信長公記』
*、修羅の道について、六道輪廻と天人五衰
六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を廻り続けるという輪廻思想。「六道輪廻」は死後の世界としてではなく、生きている人間の有様を分析する言葉と考える時、哲学的な意味がある。(天道・人道・修羅道は三善趣。畜生道・餓鬼道・地獄道は三悪趣)。
「天人五衰」天人は衰えて死ぬ。(『倶舎論』『大槃涅槃経』)五衰の中心は「本坐を楽しまず」(不楽本坐)。今、ここに生きている事実そのこと(本坐)、いのちそのものに満足し得ない。
*、六道輪廻と天人五衰
*泉惠機「天」。http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qzn.html
*【天人五衰】天人五衰、『大槃涅槃経』によれば、1衣裳垢膩(衣服が垢で油染みる)、2頭上華萎(頭上の華鬘が萎える)、3身体臭穢(体が薄汚れて臭くなる)、4脇下汗出(脇の下から汗が流れ出る)、5不楽本座(自分の席に戻るのを嫌がる)の五つとされている。
*「存在するものは五蘊だけである。五蘊も存在しない(五蘊皆空)」(『般若心経』)という思想とは矛盾するが。五蘊(skanda)とは、色・受・想・行・識。

3、「真言とは、祈りである。真言(mantra)とは、真実の言葉。」宮坂宥洪『真釈般若心経』角川ソフィア文庫2004
密教真言の呪文は、大日如来の降臨加護を招き、即身成仏、幸福への祈りである。
【密教真言】前期密教の真言・陀羅尼が除災招福を中心とする現世利益であったのに対し、中期密教の真言・陀羅尼は悟りを求め成仏するための手段としての性格を強め、それまで別箇であった印契・真言・観法の「三密」を統合した組織的な修行法。
 真言は三密(身・口・意)の中の口密に相当し、極めて重要な密教の実践要素。真言や陀羅尼の多くは、呪句の前に「帰命句」と呪句の終末に「成就句」が加わる。陀羅尼の多くは、仏尊や三宝に帰依する宣言文+Tadyathā+帰命句+本文+成就句で構成される。

4、【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。
【アンドリュー・ワイエス『クリスチーナの世界』1948】海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウス。人間の境遇について描いている。人生で困難な状況に置かれた人々がそれをどう生き抜くのか。どう乗り越えていくのか。希望と絶望。クリスティーナは55歳。
目指すところにたどり着けない。悪夢の世界。でも、這っていく。

5、上野千鶴子「新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれる」
【要旨】東大入学式で女性学の名誉教授、上野千鶴子さんが贈った祝辞
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。
よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
――
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018
https://bit.ly/2NPYAX5
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016
https://bit.ly/2AeU3Hv

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

最近のトラックバック

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30