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2019年4月

2019年4月25日 (木)

島薗進、講演会「死生学 ファンタジーと魂の物語」上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク

Miyazawa-ginga
20170628015
上智大学、6号館203教室、午後2時から4時
【講演】島薗進、【解説、質疑】大久保正雄【司会】畑中紀子【企画】大久保正雄
ソフィア文化芸術ネットワーク
――
島薗進 宗教学者、東京大学大学院名誉教授
「生と死の狭間の物語」の意味を、ファンタジー文学、宮澤賢治、古今東西の古典、仏教書、名作を通して考える。ファンタジーは生と死を超える物語。そのメッセージを読み解く。生死の意味、生とは何か。死とは何か。心の痛みをどう癒すのか。生死の問いに何を教えるのか。ファンタジーと宗教の意味を考える。「宗教は、物語の形で、人が生きるうえで大切な何かを伝えてきた」(島薗進『こころをよむ 物語のなかの宗教』)。死生学(Thanatology)の根本にある問いは「死を迎える人の心の痛みにどう応えるべきか」。
――
ソフィア文化芸術ネットワーク
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-6c7b.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
――
★問い合わせ 上智大学ソフィア会 Tel.03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図 
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsu

2019年4月16日 (火)

「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて

Moreau2019
Gustave-moreau-apparition-1876
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第179回
花吹雪、桜の花びら舞う道を歩いて、美術館に行く。夢を集める藝術家、パリの館に閉じ籠もる神秘家。ギュスターブ・モローは、ボードレール『悪の華』を愛読し、ギリシア神話、古代史を愛好した。幻の美女たちを求め、画きつづけた。生涯独身だったモローは、母親ポーリーヌと58年間共に暮らした。母親を描いた素描は40点。アレクサンドリーヌは、81歳で死す。10歳年下の女、穏やかで高潔な精神をもった女性アレクサンドリーヌとの親交は31年続いた。アレクサンドリーヌは、54歳で死す。愛する人の死、友人たちの死、ギュスターブ・モローは、自らの運命を意識し、72歳で死ぬまで絵画制作に没頭する。
【愛する人の死とギュスターブ・モロー美術館】
モローは、15歳と31歳の時、イタリアを旅する。「オイディプスとスフィンクス」(1861-64)を始めとして、ギリシア神話の主題を描く。恋人が1890年に死去。「エウリュディケの墓の上のオルフェウス(Orphée sur la tombe d'Eurydice)」(1890) )を制作。友人の死、愛する女性の死をへて、自らの運命を意識し、72歳で死ぬまで、自らの館を美術館にすることに努力する。ジャヤバルマン7世が自らの死を意識してバイヨン寺院を建設したように、ギュスターブ・モローは美術館をつくった。*
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。夢は現実を超え、現実を変革する。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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幻の美女を求めて
ギュスターヴ・モロー、ロセッティ(1828-82)、クリムト(1862-1918)、19世紀の画家たちは、なぜ運命の女を追求したのか。ルネサンス、バロックの藝術家は、ギリシア神話、古代史のイメージを探求した。レオナルド・ダ・ヴィンチ『レダと白鳥』、ミケランジェロ『レダ』、カラバッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』。藝術家は、幻の美女を求める。
【愛する人の死】ギュスターブ・モローは、2人の女性を愛した。「世界で一番大切な存在」母、ポーリーヌ・モロー(1884没)。最愛の恋人アレクサンドリーヌ・デュルー(1836-1890没)。悲しみに暮れたモローは「エウリュディケの墓の上のオルフェウス(Orphée sur la tombe d'Eurydice)」1890を制作。『パルカと死の天使』1890。
【運命の女(ファムファタール) 】ギュスターブ・モローは、魅力的な女を描きつづけた。男を狂わせる運命の女(ファムファタール)。1、男を破滅に導く女、セイレーン。レダ、ヘレネ、クレオパトラ。トラキアの乙女。2、欲望を求める女、皇妃メッサリーナ。3、無垢な美しさが人を狂わせる女の誘惑、エウロペ、一角獣を抱く貴婦人。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)
父、ルイ・モローは、建築家。
1841年、15歳 1回目のイタリア旅行。フィレンツェ、ピサを旅する。
1852年 モローの両親がギュスターブのために、ラ・ロシュフーコー通り14番に、土地と家を購入。
1856年 友人、テオドール・シャセリオーが37歳で死去。
1857年-58年、31歳から32歳。1857年10月から1859年まで、2回目のイタリア滞在。
偉大な芸術家たち(ミケランジェロ、ヴェロネーゼ、ラファエロ、コレッジョ等)の作品を模写する。ローマに滞在した後、モローはフィレンツェ、ミラノ、ベネチアを訪れ、そこでカルパッチョを知る。若いエドガー・ドガと親交を結ぶ。両親とナポリに滞在した後、
1859年9月パリに戻る。デッサンのモデルとなったアレクサンドリーヌ・デュルーに出会う。モロー33歳、アレクサンドリーヌ23歳。彼女は1890年に54歳で他界するまで、モローの「最高でたった一人の女友達」となる。
1862年 父、ルイ・モロー72歳で死去。「私は己の死と、私の作品の行く末を案じている」ギュスターブ・モロー
1864年『オイディプスとスフィンクス(Oedipe et le Sphinx)』1864
1865年『オルフェウス Orpheus』1865 オルフェウスはギリシアの吟遊詩人。最愛の妻エウリュディケが亡くなり、冥界まで行って連れ帰ろうとしたが、失敗した。トラキアの乙女たちがオルフェウスの気を引こうとしたが、彼は拒んだ。ディオニュソスの祭の最中、娘は槍を掴むとオルフェウスに投げつけ、他の娘たちも加わり、彼は八つ裂きにされた。頭と竪琴は河に投げ込まれ河をさまよい、ニンフたちに発見された。
1884年、母、ポーリーヌ・モロー、81歳で死去。
1890年、64歳 恋人アレクサンドリーヌ・デュルー、54歳で死去。
1892年、66歳、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)、教授となる。
1895年、69歳、自邸を美術館にするため、建築家アルベール・ラフォンに依頼する。改築を開始。
1898年、ギュスターブ・モロー、72歳で死去。
――
参考文献
「ギュスターヴ・モロー ギュスターヴ・モロー美術館所蔵」図録Bunkamura、2005
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」図録2019
貴婦人と一角獣展・・・タピスリーの謎、五感と「我が唯一の望み」
https://bit.ly/2pwbOwY
運命の女
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
https://bit.ly/2UoqUWz
ベルギー、奇想の系譜、Bunkamura・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/2u6J1nr
高階秀爾、中山公男『象徴派の絵画』朝日新聞社1992
【三島由紀夫『癩王のテラス』】肉体の崩壊と共に、大伽藍が完成してゆくといふ、そのおそろしい対照が、あたかも自分の全存在を芸術作品に移譲して滅びてゆく芸術家の人生の比喩のやうに思はれたのである。生がすべて滅び、バイヨンのやうな無上の奇怪な芸術作品が、圧倒的な太陽の下に、静寂をきはめて存続してゐるアンコール・トムを訪れたとき、人は芸術作品といふものの、或る超人的な永生のいやらしさを思はずにはゐられない。壮麗であり又不気味であり、きはめて崇高であるが、同時に、嘔吐を催されるやうなものがそこにあつた。三島由紀夫
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展示作品の一部
ギュスターヴ・モロー「出現」(L'Apparition)1876頃 キャンバスに油彩 142×103cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo ©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF。
ヘロデ王の前で踊るサロメの目の前に出現したヨハネの首の幻影。聖なるものの出現。神秘の出現。
モロー「エウロペの誘拐」(L'enlèvement d'Europe)(1868)
モロー「一角獣」1885年頃 油彩/カンヴァス 115×90cm ギュスターヴ・ モロ一美術館蔵 Photo ©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMFギュスターヴ・ モロ一美術館蔵
モローが1883年にパリのクリュニー中世美術館で6枚のタピスリー《貴婦人と一角獣》を見たことから生み出された作品、モロー芸術の傑作。
――
象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、神話や聖書をテーマにした作品で知られています。産業の発展とともに、現実主義的、物質主義的な潮流にあった19世紀後半のフランスにおいて彼は、幻想的な内面世界を描くことで、真実を見いだそうとしました。本展は、そのようなモローが描いた女性像に焦点をあてた展覧会です。出品作品は、パリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する、洗礼者ヨハネの首の幻影を見るサロメを描いた名作《出現》や、貞節の象徴とされた幻獣を描いた《一角獣》を含む油彩・水彩・素描など約70点によって構成されます。神話や聖書に登場する、男性を死へと導くファム・ファタル(宿命の女)としての女性、誘惑され破滅へと導かれる危うい存在としての女性、そしてモローが実生活において愛した母や恋人。展覧会では、彼女たちそれぞれの物語やモローとの関係を紐解いていき、新たな切り口でモロー芸術の創造の原点に迫ります。
https://panasonic.co.jp/ls/museum/
――
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」
パナソニック汐留ミュージアム、4月6日~6月23日
あべのハルカス美術館. 7月13日(土)~9月23日(月・祝)

2019年4月 3日 (水)

織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第178回
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【死生学 復讐劇】復讐劇の傑作、『オレステス』、『ハムレット』、『モンテ・クリスト伯』、ウィリアム・ブレイク『有心の歌』「毒のある木」、『スウィーニー・トッド』。復讐する人は、絶望に立ち向かう。絶望を超えて、
美の理念を成し遂げる。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1、天下布武
【天下布武】「武とは戈を止め(止戈)て用いない」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力行使を禁じ、武器をおさめ、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させる)七徳を備えるべき」『春秋左氏伝』宣公12年「武有七徳」楚の荘王の「七徳の武」。
――
2、第六天魔王
【第六天魔王 織田信長】延暦寺の座主、覚恕法親王は難を逃れ、仏教に帰依する甲斐の武田信玄に保護を求め、彼の元に身を寄せていた。その時、信玄から信長への書状の署名「天台座主沙門信玄」と書かれた。それに対し信長は返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。「天正元(1573)年4月20日付、ルイス・フロイスの書簡」
 【第六天魔王 織田信長】信長は武田信玄に対する返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。天正元(1573)年4月20日フロイス『日本史』。信長40歳。「三界(無色界、色界、欲界)」のうち、欲界の最上天が「第六天(他化自在天)」であり、その欲界を支配しているのが「第六天魔王」である。空海『秘密曼荼羅十住心論』第三住心、嬰童無畏心『秘蔵宝鑰』第三章。
★『完訳フロイス日本史 織田信長篇 3 安土城と本能寺の変』
【織田信長、敦盛を舞う】「思へばこの世は常の住み家にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。」永禄三(1560)年五月18日、信長27歳。
――
幸若舞では「化天」で、「下天」は『信長公記』の記載である。
 化天(楽変化天)は六欲天の第五位で一昼夜は人間界の八百年。
 下天(四天王衆天)は六欲天の最下位で一昼夜は人間界の五十年。
なぜこの違いが出たのか、元来、生の儚さを謳った『敦盛』に比べ、
 生を精一杯生きる信長の『敦盛』は人間の一生の50年を表すものとして「下天」であったのか。
――
『般若理趣経』経典の《教主》は五智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・清浄法界智)を具えた大毘盧遮那如来であり、《時》はあるとき、《住処》は三界(欲界、色界、無色界)のうち欲界の最頂上にある他化自在天である。
――
3、堺と茶の湯と鉄砲
【織田勝長、堺、鉄砲、茶の湯】津田宗及と今井宗久、千宗易
 信長は、かつての同朋衆に代わる「茶堂(さどう)」として、堺の政商である津田宗及と今井宗久をまず起用。津田宗及は貿易商、今井宗久は千宗易の師である武野紹鷗の娘婿で、武具と鉄砲とを商いとする。津田宗及と今井宗久が、千宗易を信長に推薦した。
 堺は鉄砲の火薬の原料である硝石を独占輸入し、鉄砲を生産する技術もあった。堺の商人たちは逸早く為替システムを創って、各地の情報も色々入ってきた。今日で言う金融・経済、流通、情報を一手に握っていたのが堺という町。
 天正元年(1573年)、最後の将軍、足利義昭を追放した後、妙覚寺での茶会で、千宗易が「濃茶(こいちゃ)」の担当になる。茶堂のトップに位置付けられた。利休52歳。
 信長の茶会は、信長が入京した永禄十一年(1568年)から安土城が出来る天正四年(1576年)までは、禅宗か日蓮宗の大寺院で催されていた。
 信長の茶会は、「天目台」に茶碗を載せて出す格式の高い作法。
★生形貴重「信長と秀吉、そして利休の至高の美意識」
*千宗易:利休の名は、天正13年(1585年)の禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から与えられた居士号。
――
4、戦いと茶会
【織田信長と茶会、本能寺の変】天下布武、天下の三肩衝
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
 岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年(元亀二年)、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
 天正元年(1573年)、最後の将軍、足利義昭を追放した後、妙覚寺で茶会。
1574(天正2)年、相国寺、茶会が開かれ、松井友閑、千利休、今井宗久、津田宗及らが集い、織田信長は方丈で点前を披露した。(『津田宗及茶湯日記』)。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
 千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
 羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
【信長、物欲に執着せず】
 【織田信長と茶の湯】岐阜城と家督を嫡男、信忠に譲って、お気に入りの茶器だけを持って出て行った。尾張、美濃を譲る。『信長公記』。織田信忠へ初花肩衝・松花茶壷・竹子花入・藤波の釜・道三茶碗・珠徳茶杓を譲る。天正三(1575)年、11月28日、信長42歳。
――
5、復讐する織田信長
【織田信長、壮絶な生涯】父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける。18歳。稲生の戦い、弟信行の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。信行2度目の謀反、清州城天主次の間で返り討ち、24歳。本能寺の変、信長70人に光秀1万3千人。自刃。49歳。
――
参考文献
大久保正雄『織田信長、戦う知識人の精神史』
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・『戦う知識人の精神史』『旅する哲学者 美への旅』
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2MP00UY
織田信長、復讐する精神、卓越した情報力、壮絶な精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2x8ZNBm
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2FkeiJX
「上兵は謀を討つ。最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇
 権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
若き織田信長、親は敵、兄弟は第一の敵、復讐する精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2lbezTP
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84

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