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2016年4月

2016年4月27日 (水)

島薗進『死生学 日本人の死生観を考える』上智大学5月29日

Sugiyama_1986島薗進『死生学 日本人の死生観を考える』上智大学5月29日
2016年5月29日、午後2:00-4:00  上智大学1号館204教室
島薗進 宗教学者、東京大学大学院名誉教授
死生学(Thanatology)とは何か。死生学の根本にある問いは「死を迎える人の心の痛みにどう応えるべきか」。「魂とは何か」「善い生きかたとは何か」「死にゆくことには如何なる意味があるのか」「生老病死とは何か」。病院の医師や看護師に死生学を教える授業がある。
【講演】島薗進、【解説、質疑】大久保正雄、【司会】畑中紀子、【企画】大久保正雄
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島薗進『日本人の死生観を読む』朝日選書、『死生学1死生学とは何か』東京大学出版会、『宗教学の名著30』ちくま新書、他。
大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社、「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」、「プラトン哲学と空海の密教」、「魂の美学」、「幻の花の都、京都」、「花盛りの京都、幻の都へ」他。
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ソフィア文化芸術ネットワーク
★問い合わせ 上智大学ソフィア会 Tel.03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

2016年4月18日 (月)

カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術

Caravaggio_20160301Caravaggio_2016大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
花の蕾がふくらみ、羽化する春、桜の森を歩いて、美術館に行く。秘書は黒いドレスを着てやってきた。敵の首を切る美女、自己陶酔する美青年、エロティックで暴力的なバロック趣味の様式。闇と光の藝術をみて、彼女は興奮していた。
初夏、灼熱のローマを旅した日々の思い出。緑深い森の中の館、ローマのバルベリーニ宮殿(Palazzo Barberini)でみたカラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」(1598)を思い出す。美しき壮絶。イタリアは、詩と藝術、恋愛とエロスの王国である。
敵将の首を切る美女、恍惚の聖者、自己の美貌に溺れる美青年、いかさま師、朽ち果てる果実、犯罪者として殺される聖者と首を切る役人。この世の流血の惨劇。
『エマオの晩餐』(1606)の深い闇の中の光、『果物籠をもつ少年』(1593-94)の朽ち果てていく果実。殺人、首切、いかさま、流血、涙、恍惚、陶酔。闇の中の美女。なんでもありのこの世。闇の中の光。カラヴァッジョは、殺人事件(1606年5月)後、コロンナ家に潜伏して『エマオの晩餐』を描き逃走資金を作った。
神から贈られた卓越した才能をもちながら、人を殺した理由は何か。カラヴァッジョの殺意の原因は何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
■カラヴァッジョの破滅的生涯
カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)は、北イタリアで生まれ、6歳の時父が死に、13歳の時画家の修業を開始し、20代でローマに行く。作品が人気となり支援者を得る。25歳の時、デル・モンテ枢機卿が『女占師』(1496)を買い上げ、枢機卿の館に住む許可を与えられ、上流階級に紹介される。
35歳の時、人を殺害し死刑判決を受ける。絵を描いて逃走資金を作り、ナポリへ逃亡。支援者の援助を受けながら、マルタ島、シチリア島へ逃亡をつづける。恩赦を得るためローマへ戻る途中38歳で病死した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
■バロックの巨匠たち
ベラスケスの宮廷画、ルーベンス、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。カラヴァッジョは17世紀の画家に深い影響を与えた。
■ルネサンスの血とバロックの闇
メディチ家は、卓越した美的趣味、知性をもち理想主義(Idealism)を探求した。フィレンツェは対教皇庁戦争で包囲される(1474年-1480年)。ジュリアーノ・デ・メディチは25歳で暗殺され、ロレンツォは1492年43歳で死に、ルネサンスの詩人ポリツィアーノは40歳で毒殺され、思想家ピコ・デラ・ミランドラは31歳で毒殺され、フィチーノは1499年死んだ。メディチ家は、旧権力と戦い破れた。
カラヴァッジョは、ルネサンス藝術が追求しない残酷な現実を直視し、現実主義(Realism)を探求した。カラヴァッジョの深い闇は、ルネサンスの過酷な現実を100年の時をへて形象化した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
■緑陰深い森の中の館
緑陰深い森の中の館でみた絵画を思い出す。カラヴァッジェスキとカラヴァッジョの敵たち。カラヴァッジオ『愛は全てを征服する』(1601)は、敵対するジョヴァンニ・バリオーネ『肉体の愛と精神の愛』*によって批判され、カラヴァッジョ『ホロフェルネスの首を切るユディト』(1598)は、アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を切るユディト』*に深い影響を与える。
Giovannni Baglione,Amor sacro e Amor profane(1602–1603)
Artemisia Gentileschi, Giuditta che decapita Oloferne(1614–20)

カラヴァッジョ展、国立西洋美術館
2016年3月1日(火)~2016年6月12日(日)
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

2016年4月 5日 (火)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』・・・レオナルド最後の旅

Da_vinci_madonna_with_the_yarnwindeLeonardo_da_vinci_madonna_of_the_yaDavinci_giovanni00大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
春雷の鳴る午後、桜咲く道を散歩して、博物館に行く。『糸巻きの聖母』を編集長と一緒にみる。春の川は黄昏の光をうけ、春の海ひねもすのたりのたり。幻のレオナルド『レダ』を求めて、ヨーロッパの古城を探索した日々。失われた時の思い出。私は魂の果てを探求したが、魂には果てがない。哲学者は永遠を旅する。美への旅。アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェの中庭で流れる水の囁きを聴き、ロワールの古城をめぐりレオナルドの孤影に逢い、フォンテーヌブローの森の貴族の館で幻の『レダ』をみる。ロレンツォの弟ジュリアーノ・デ・メディチは、レオナルドの唯一のメディチ家の庇護者だった。森のなかの城館で、夢の中にロレンツォとジュリアーノが立ち現われ、プラトン哲学の奥義を語る。「汝の敵はだれか、考えよ。汝の敵は師だ。化けの皮を被った詐欺師だ」。私は敵がだれか察知した。違いが分かる人が創造的世界を作る。偽物は世界を腐敗させる。ルネサンスは、コジモ・デ・メディチがプラトン哲学の奥義を受けた時(1439) *に始まる。メディチ家は運命の扉を開いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
■レオナルド最後の旅
3枚の絵画
『糸巻きの聖母』(1501)はフランス王ルイ12世の秘書官フロリモン・ロベルテによって発注され、ブロワ城に渡る(1507)。レオナルド(1452-1519)とフランス王家との接触の始まりである。1516年秋、メルツィとサライを連れてアンボワーズ城に移り住む。「主席画家、技師、並びに建築家」の称号をアンボワーズの宮廷で与えられる。レオナルド64歳。
フランソワ1世(1494-1547)は、『聖アンナと聖母子』の下絵に彩色させるために、レオナルドをフランスに呼んだ。
1517年10月10日、レオナルドは、訪問した枢機卿ルイジ・アラゴーナに3枚の絵を見せる。『ジュリアーノ・メディチ(1453-1478)*のために描かれたあるフィレンツェの婦人の肖像』(モナリザ1503-1505)*『洗礼者聖ヨハネ』(Leonardo,San Giovanni,1514)『聖アンナと聖母子』(1510)。1519年4月23日付け遺言書のなかで、レオナルドは「画家の技術と仕事に関するすべての道具類と肖像画」をフランチェスコ・メルツィ(1493-1570)に遺贈する。メルツィは最後まで師と行動をともにする。*ロレンツォ(1479-1492)の弟。
『岩窟の聖母』
『岩窟の聖母』(Vergine delle Rocce, louvre)は、1483-1486年の間に制作されたが、注文主の満足を得ることができず、その結果ルイ12世が1500-1503年頃に作品を取得した。フランソワ1世コレクションに所蔵される。(louvre)
ヴァザーリ『藝術家列伝』は「フランス王にみとられてレオナルドは亡くなった」と書くが。フランソワ1世はサンジェルマン・アン・レーにいて会えなかった。
レオナルド派『レダ』
レオナルド『レダ』(Leonardo,Leda,1506*)は、フォンテーヌブロー宮殿に17世紀まで所蔵された。所蔵品目録に1692,1694まで記録がある。*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』より
★主な展示作品
『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版 Leonardo, Madonna with yarnwinder
レオナルド派、ロンバルディアの画家『洗礼者聖ヨハネ』1530-1535年、カポディモンテ美術館、Leonardo, San Giovannni,Capodimonte
■「レオナルド・ダ・ヴィンチ」天才の挑戦「糸巻きの聖母」
2016年1月16日(土) ~4月10日(日)、江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
★【城から消えたダ・ヴィンチ ~「糸巻きの聖母」の数奇な旅~】
02月11日(木) 08:15 ~08:59【NHK総合テレビ】
レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」の数奇な旅。イギリス・ノーサンプトンシャー地方に、現在の「糸巻きの聖母」の所有者 第10代バクルー公爵リチャード・スコットがいる。ボートンハウスはバクルー公爵家が所有する館のひとつで、「イギリスのベルサイユ」とも称される。バクルー公爵家の歴史をたどると、フランスの縁の深いレイフ・モンタギューへと繋がる。この館にはフランスから渡ってきた品が数多く残されている。公爵家が所蔵するコレクションは英国王室のコレクションに並び称される。
その中には、レンブラントの「読書する老女」など世界的に知られる名作があり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」も含まれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」など数々の名作を残したが「糸巻きの聖母」は、彼が49歳と円熟期に描いた作品。レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長(*アレッサンドロ・ヴェッツォシ)はこの絵に、巨匠の哲学や精神が込められていると話す。イタリア・フィレンツェ。この街にはルネサンスという大輪の花が咲いた。ウフィツィ美術館にはルネサンス期を代表する芸術家の石像が並ぶ。
1507年「糸巻きの聖母」はフランス王ルイ12世の側近の手に渡る。フランス国王が居城としていたブロワ城。ここでの聖母と国王についての記録が残っていた。レオナルドはその後、国王に招かれ、晩年をフランスで過ごした。
★『糸巻きの聖母』(1501) ランズダウン版Leonardo, Madonna with yarnwinder
★『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版Leonardo, Madonna with yarnwinder 
★レオナルド『洗礼者聖ヨハネ』1513-1516、ルーヴル美術館、Leonardo, San Giovannni,Capodimonte

2016年4月 3日 (日)

ボッティチェリ展、「書物の聖母」・・・蘇るルネサンス

Botticelli2016Botticelli_adorazione_dei_magi_uffi大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
桜の蕾が膨らむ森を歩いて、啓蟄の日、美術館に行く。春のイタリア、トスカーナの野を彷徨い歩いた日々、百花繚乱のイタリアの旅を思い出す。友人は黄色のドレスを着て黄色い靴と黄色いバッグをもってやってきた。ルネサンスは、コジモ・デ・メディチが、プラトン哲学の奥義を受けた時(1439)に始まる。メディチ家は運命の扉を開いた。美しい魂は蘇る。春爛漫、再会と再生と蘇り。美の女神、幸運の女神が舞い降りてくる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
プラトン・アカデミーの人々
ボッティチェリ(Botticelli,1444-1510)は、数少ない純粋なルネサンス絵画を描いた。ルネサンス藝術の源泉である。プラトン・アカデミーの詩人から教えを受けた。
ボッティチェリ『春』1482、『ヴィーナスの誕生』1485、『ミネルヴァとケンタウロス』1482、『ヴィーナスとマルス』1483、『ナスタジオ・オネスティの物語』1483。
ボッティチェリの美しい聖母子像は、美人画と聖母子像の源泉である。
『マニフィカートの聖母』1480-81、『書物の聖母』1480-81、『石榴の聖母』1485。『東方三博士の礼拝』(1475)に、コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、プラトン・アカデミーの人々の顔が刻まれている。
ルネサンスの死
1492年ロレンツォが死に、プラトン・アカデミーの詩人、思想家たちが次々に死ぬ。1499年、ルネサンスは終焉する。1494年イタリア戦争が勃発、フランス王シャルル8世がフィレンツェに入城し、メディチ家を追放した。サヴォナローラは、1494年から98年までフィレンツェの実権をにぎり神政政治を行い「虚飾の焚刑」(97)を行ったが、教皇アレクサンデル6世によって破門され、焚刑に処せられる。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美への旅』より
★ボッティチェリ『書物の聖母』1480-81
★ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』(Adorazione dei Magi)1475
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ボッティチェリ展、東京都美術館
2016年1月16日(土) ~ 4月3日(日)
http://www.tobikan.jp/

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