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2015年5月

2015年5月19日 (火)

「燕子花と紅白梅 ―光琳デザインの秘密―」・・・春爛漫の庭に佇む

201503180黄昏の丘、花ざかりの森を歩いて、黄昏の街に行く。夢を語る、夕暮れの美術館、夕暮れの諧調。友に思いやり、慈愛を持つ人は、守護霊に救われる。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
春爛漫、杜若の庭に佇み、光琳の藝術と生涯を想う。尾形光琳『光琳百人一首歌かるた』「猿丸太夫」(奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき)には、本阿弥光悦筆、俵屋宗達画『鹿下絵新古今和歌巻』、『鶴下絵和歌巻』(桃山時代17世紀)の影響が著しい。光悦は、京都、鷹が峯に芸術家のコミュニティを築いた。尾形光琳(1658-1716)は、若き日々、遊蕩三昧に明け暮れる、29歳の時、父尾形宗謙が死去し、雁金屋は倒産の危機に陥る。『燕子花図屏風』は、小袖の連続模様、『雁金屋衣裳図案帳』による。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
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■尾形光琳300年忌記念特別展「燕子花と紅白梅 ―光琳デザインの秘密―」、根津美術館
★展示作品
『燕子花図屏風』尾形光琳筆、江戸時代 18世紀、根津美術館蔵。総金地に青と緑のみによって、なかば模様化された燕子花の群れが、左右隻で異なる構図を描きながらリズミカルに配置される。光琳40歳代なかば、画業の最初の到達点。
『紅白梅図屏風』尾形光琳筆、江戸時代、18世紀 MOA美術館蔵。若々しい息吹をたたえた紅梅と、老練さを感じさせる白梅、その間を、暗く輝く流水が画面を縦に分断する。対立する諸要素による緊迫した造形を見せる、光琳最晩年の傑作。
『雁金屋衣裳図案帳』小西家文書、17世紀、大阪市立美術館。小西家文書=小西家伝来・尾形光琳関係資料。尾形光琳(1658-1716)の子・寿市郎が養家の小西家にもたらしたもの。昭和18年に武藤金太氏より寄贈された当館収蔵の33件と、京都国立博物館収蔵の257件があり、一括して重要文化財に指定。徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮である東福門院の呉服御用をつとめた光琳の生家呉服商雁金屋で作られた小袖を記録した衣裳図案帳や資料、光琳や弟尾形乾山に関わる記録、そして絵師光琳の下絵・画稿・粉本、諸文書など多岐にわたり、光琳の芸術と生活を如実に伝えます。 絵画、書、染織、蒔絵、陶磁器など美術工芸、また当時の芸能や文化、経済を考える上で重要な資料です。
重要文化財 円型図案集のうち 鹿図 尾形光琳(1658-1716)江戸時代17後半-18世紀初期
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2015年は、享保元年(1716)に59歳で没した尾形光琳の300年忌にあたります。それを記念して、当館が所蔵する「燕子花図屏風」とMOA美術館が所蔵する「紅白梅図屏風」、光琳が描いた2点の国宝の屏風を中心とする特別展を開催します。
このふたつの屏風にもうかがわれる光琳のデザイン性に、あらためて注目したいと思います。光琳は、京都の高級呉服商を生家として美しい衣裳に囲まれて育ち、また縁戚にもあたる本阿弥光悦や俵屋宗達によって生みだされた江戸初期の装飾芸術に親しみ、かつ新しい時代の感覚も取り込んで、独自の世界をつくりあげました。
 本展では、光琳の「模様」のような屏風の系譜を宗達からたどり、光悦に関わりのある雲母や金銀泥による木版摺りが光琳に与えた影響を探り、さらに漆器の図案や弟・乾山の陶器の絵付けなども含めたデザイナー・光琳の営みを総覧します。
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/

「大琳派展 ―継承と変奏―」尾形光琳生誕350周年」東京国立博物館2008/10/7-11/16
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=559
重要文化財『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』本阿弥光悦筆、俵屋宗達料紙、江戸時代・17世紀。
光琳「燕子花図屏風」六曲二隻屏風。
光琳「波図屏風」二曲一隻屏風、メトロポリタン美術館

2015年5月 5日 (火)

「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館

20150318黄昏の丘、黄昏の森を越えて、黄昏の街に行く。黄昏の美術館、夕暮れの諧調。愛を語る星降る夜、花の森。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
夕暮散歩して、出雲大社分祀の道を歩き、美術館に行く。彷徨える藝術家、蕪村の「夜色楼台図」「鳶・烏図」には、苦難に耐える孤高な旅人の美しい姿がある。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
夕暮れの美術館、ソファで図録を読みながら、うたた寝すると、隣の女性が話しかけてきた。「美術館で図録を買っても、開いて見ることはないんです。深いことは何も書いてないんですよ。表面的な浅い事しか、書いてないんです。」と彼女。「若冲ワンダーワールド展を見に、MIHOミュージアムに行ったら、ギリシア彫刻やガンダーラ美術があった。どうしてですか」
大久保正雄『ふしぎな美術館』より
★主要展示作品「若冲と蕪村」
「象と鯨図屏風」、伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵
紙本拓本「乗興舟」、伊藤若冲筆 大典顕常跋 明和4年(1767)頃
「猿猴摘桃図」、伊藤若冲 伯珣照浩賛
「夜色楼台図」国宝 与謝蕪村 18世紀 個人蔵
与謝蕪村「鳶・烏図」18世紀 北村美術館
「山水図屏風 」与謝蕪村筆 六曲一双 天明2年(1782) MIHO MUSEUM蔵
「蜀桟道図」与謝蕪村筆 一幅 安永7年(1778) LING SHENG PTE. LTD(Singapore)
■生誕三百年同い年の天才絵師 若冲と蕪村、サントリー美術館
2015年3月18日(水)~5月10日(日)
正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/index.html

これまでの主な若冲展
若冲ワンダーワールド、MIHO MUSEUM、 2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日

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