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2019年8月11日 (日)

「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺

Oukyokindai2019
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』189回
真夏の灼熱の森を歩いて藝大美術館に行く。真夏の森の中、大乗寺の黄金の襖絵の空間にて瞑想すると、事事無礙法界、『因陀羅網』の境地(『即身成仏義』)に到るのか。高野山真言宗、大乗寺黄の金襖は圧巻である。
【大乗寺襖絵】円山応挙(1733-95)が一門十三人を率いて制作した兵庫香美町の大乗寺襖絵は、各室の空間全体を構成した傑作。165面。黄金襖は圧巻。「松に孔雀図」(1795)は、金屏風に墨一色で描かれた異彩を放つ屏風絵である。与謝蕪村の高弟だった呉春が担当した「群山露頂」は蕪村風の叙情性が色濃いが、8年後の「四季耕作図」には応挙の影響が強い。円山応挙、最晩年の境地に見たものは何か。
【円山応挙の謎】円山応挙は、なぜ、階級社会の中で、亀岡の農民の子から一級の絵師になることができたのか。円山応挙は、死の年、なぜ、一門十三人を率いて、大乗寺襖絵を描いたのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』  
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【農家の子から尾張屋】亀岡の農家に生まれた応挙は、京都に丁稚奉公に出て暮らす。15歳の時に玩具屋の尾張屋勘兵衛の世話になる。ビードロや覗き眼鏡を扱っていた尾張屋の元で、応挙は覗き眼鏡に使われる遠近が効いた眼鏡絵を描いた。
【狩野派から円山派】円山応挙は、狩野派の石田幽汀に学んだ、一方、西洋由来の遠近法の眼鏡絵、中国絵画の影響も受け、後に綿密な写生と伝統的な装飾性をあわせた独自の様式を確立した。応挙の元では息子の応瑞や山口素絢、長沢芦雪ら多くの絵師が育った。虎の絵を得意とする岩派、竹内栖鳳、上村松園に受け継がれていく。応挙の画風に南画の情趣を融合させて四条派を確立した呉春。円山・四条派の全容に迫る展覧会。
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展示作品の一部
円山応挙、重要文化財「松に孔雀図」(全16面のうち4面)寛政7年(1795)兵庫・大乗寺蔵 東京展のみ・通期展示
円山応挙、重要文化財「牡丹孔雀図」明和8年(1771)京都・相国寺蔵 京都展のみ・半期展示
円山応挙、重要文化財「写生図巻(甲巻)」(部分)明和8年~安永元年 (1771-72)株式会社 千總蔵 東京展:後期展示 京都展:半期展示
長沢芦雪、「薔薇蝶狗子図」寛政後期頃 (c.1794-99)愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 東京展:前期展示 京都展:半期展示
岸竹堂、「猛虎図」(右隻)明治23年(1890) 株式会社 千總蔵 東京展:前期展示 京都展:半期展示
円山応挙、重要文化財「保津川図」(右隻)寛政7年(1795) 株式会社 千總蔵 東京展:後期展示 京都展:半期展示
円山応挙、「狗子図」安永7年(1778) 敦賀市立博物館蔵 東京展:後期展示 京都展:半期展示
円山応挙、重要文化財「松に孔雀図」(全16面のうち4面)寛政7年(1795) 兵庫・大乗寺蔵 京都展のみ・通期展示
円山応挙、重要文化財「郭子儀図」(全8面のうち4面)兵庫・大乗寺蔵 京都展のみ・通期展示
円山応挙、重要美術品「江口君図」寛政6年(1794) 静嘉堂文庫美術館蔵 東京展のみ・前期展示
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参考文献
「円山応挙から近代京都画壇へ」求龍堂
時代が愛したリアリズム 「円山応挙から近代京都画壇へ」:朝日新聞
http://www.asahi.com/event/DA3S14119151.html
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18世紀、江戸時代中期から後期にかけて、京都で活躍した絵師・円山応挙。写生画による親しみやすい表現は京都で多大な影響力を持ち、「円山派」を確立した。応挙からはじまり、近世から近代にかけて引き継がれてきた画家たちの系譜をたどる。
与謝蕪村に学んだのち、応挙に師事した呉春によって「四条派」が誕生すると、その後ふたつの流派を融合した「円山・四条派」が京都で主流となり、日本美術史の中で重要な位置を示すようになる。
亀岡の農家に生まれた応挙は、京都に丁稚奉公に出て暮らす。15歳の時に玩具屋の尾張屋勘兵衛の世話になる。ビードロや覗き眼鏡を扱っていた尾張屋の元で、応挙は覗き眼鏡に使われる遠近が効いた眼鏡絵を描いた。
応挙は「ものを見て描くこと」、写生をはじめる。実際に自分が見たものを、見えた通りに絵に表現していく方法は、京都画壇に新たな風を吹き込み、瞬く間に大きな影響を持つようになる。その後も写生を重んじる伝統は、近代になっても円山・四条派の重要な特性として受け継がれた。「応門十哲」の中には奇想の系譜で有名になった長沢芦雪も含まれた。
江戸時代、京都では、伝統的な流派である京狩野、土佐派をはじめとして、池大雅や与謝蕪村などの文人画、近年一大ブームを巻き起こした伊藤若冲や曽我蕭白、岸駒を祖とする岸派や原在中の原派、大坂でも活躍した森派など、様々な画家や流派が群雄割拠のごとく特色のある画風を確立していました。しかし、明治維新以降、京都画壇の主流派となったのは円山・四条派でした。円山・四条派とは、文字通り円山派と四条派を融合した流派。
円山派の祖である円山応挙が現れたことで京都画壇の様相は一変しました。応挙が得意とした写生画は画題の解釈を必要とせず、見るだけで楽しめる精密な筆致が多くの人に受け入れられ、爆発的な人気を博しました。京都の画家たちはこぞって写生画を描くようになり、応挙のもとには多くの門下生が集まって、円山派という一流派を形成しました。
四条派の祖である呉春は、初め与謝蕪村に学び、蕪村没後は応挙の画風を学んだことで、応挙の写生画に蕪村の瀟洒な情趣を加味した画風を確立しました。呉春の住まいが四条にあったため四条派と呼ばれたこの画風は、弟の松村景文や岡本豊彦などの弟子たちに受け継がれ、京都の主流派となりました。呉春が応挙の画風を学んでいる上、幸野楳嶺のように円山派の中島来章と四条派の塩川文麟の両者に師事した画家も現れたこともあり、いつの頃からか円山派と四条派を合わせて円山・四条派と呼ぶようになりました。
応挙・呉春を源泉とする円山・四条派の流れは、鈴木百年、岸竹堂、幸野楳嶺等へと受け継がれ、それぞれの門下から、近代京都画壇を牽引した竹内栖鳳、山元春挙、今尾景年、上村松園等を輩出しました。彼らは博覧会や、日本で初めての公設美術展覧会である文部省美術展覧会で活躍し、全国に円山・四条派の名を広めました。一方で、栖鳳たちは、自身の塾や、教鞭を執った京都府画学校や京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で多くの近代京画壇の発展に資する後進たちを育てています。
東京藝術大学大学美術館
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2019/maruyama-shijo/maruyama-shijo_ja.htm
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★「円山応挙から近代京都画壇へ」
東京藝術大学大学美術館、8月3日(土)~9月29日(日)
京都国立近代美術館11月2日(土)~12月15日(日)

2019年8月 5日 (月)

島薗進×大久保正雄「死生学 魂の物語」ソフィア文化芸術ネットワーク

Shimazono20190526
201706160 
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、先生の見解について質疑応答しました。ここにその内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。ソフィア文化芸術ネットワーク
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』188回
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1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』について
大久保正雄
『雁の童子』は、天から降りてきた天の童子、天人がこの世で苦難を受け、輪廻転生で天界に戻る物語。『インドラの網』は、事事無礙法界の比喩『華厳経』を詩的イメージ化している。仏教用語を専門用語で説明すると感動がないが、宮澤賢治の詩的世界は美しい。生きる世界の真実を詩的世界で表現する。

島薗進
「雁の童子」はすばらしい作品です。仏教の諸理念が短い物語に埋め込まれ、奥深い宗教性に引き込まれていきます。とりわけ、暴力と別れと悲しみを体現した童子と、その童子を気遣う須利耶が父子として、また前生での悲しみを分かち合う者として心を通わせるいくつかの場面は珠玉といってよいでしょう。
「インドラの網」は物語というよりは散文詩のような作品で、賢治の心象風景を描いたもの、「華厳経」の世界、仏の神秘の到来、南無妙法蓮華経の題目体験、を表したものかと思います。類似の作品として「マグノリアの木」を思い出します。また、「十力の金剛石」も類似のものでしょう。
宮澤賢治は、修羅のように生きた。家業を受け入れず、苦しんだ。痛いこの世の経験の彼方に美しい世界への憧れを懐いた。

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2、天正、織田信長、改元の目的は何か。
大久保正雄
「清静は天下を正と為す」。清い静けさ(自然の静寂)は天下を正しく在るようにあらしめる。出典『老子』45章。天、正義、武(=矛を止める)という老荘思想、古典の概念がある。既存の階級社会を打破する目的があると戦国史研究者は指摘する。これまでの信長像は、武力のみで改める必要があると思う。*【天正、織田信長】兵革(戦乱)の凶事を断ち切るために行われた【災異改元】。出典『老子』45章。
織田信長、宮澤賢治、二人は、修羅の道を歩いた。
まったく別の人生のように見えるが、まったく別の人生のように見えるが、織田信長は、階級社会との戦いの人生。宮澤賢治は、この世の苦と戦った。阿修羅は戦いの神。「唾し、はぎしり、行き来する、おれは一人の修羅なのだ」「修羅の涙は土に降る」(宮澤賢治『春と修羅』)

島薗進
織田信長は安土城の「天守」を作らせた人、これはゴシックの教会の影響を受け、天命を受けた帝王の幻覚にひたった人であったと思います。道教、仏教、儒教の壁画空間の上に、天主の間を作った。世界の諸思想の上に、天がいる。共鳴はしませんが、信長が長生きしていたら、日本はだいぶ違った世界になったと思います。信長以後、秀吉、徳川は、階級社会へ逆戻りした。
明清の中国の皇帝の強大な威信は、日本では織田信長から死後の明治天皇に引き継がれたような気がします。

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3、密教真言について
大久保正雄
密教真言について。「真言とは、祈りである。真言(mantra)とは、真実の言葉。人知人力には限りある以上、人は祈らずにはいられない。」自分の限界に気づいた人間の祈り。(宮坂宥洪『真釈般若心経』角川ソフィア文庫2004)*密教学者、宮坂宥勝氏の子息の著書。密教真言の呪文は、大日如来の降臨加護を招き、即身成仏、幸福への祈りである。
4、【藝術と魔術】
大久保正雄
祈りは、人間の心の願いのことばである。祈りは魔術である。藝術は、敵意にみちたこの世と戦うための、魔術である。
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ

島薗進
マックス・ウェーバーは、脱呪術「Entzauberung」=合理化と考えた。しかし今、「祈りと魔術」は復活しつつある。
芸術と魔術(呪術)は深く関わっています。それはまた、祈りの方へも向かいます。悲しみをたたえた芸術は祈りのように受け止められます。「雁の童子」はそのような作品。他方、無上の境地の顕現をもたらす祈りもあり、お題目はそうしたものでしょう。お題目と真言、お念仏はそのような唱え言葉でした。歌には呪文的な歌詞が多いです。「春よこい、早く来い」はよい例。「志を果たしていつの日にか帰らん」(故郷)と歌うとき、現代人はいのちの源へもどるための呪文のように感じているようでもあります。

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5、学問に重要な要素について、1、新しい価値は文化と文化の狭間から生まれる。2、権威、ブランドに依存してはならない。3、知を生みだす知、一次元上の知の体系、メタ知識を求めねばならない。
大久保正雄
私は、出版社の編集者から「あなたにしかできないものを作りだして下さい」と注文される。
建築家、梵寿綱氏は私に教えた。「創造的な思想、藝術を作りあげなさい。創造的な世界観であれば、人はそれを買いに来る。高度に普遍的な学問を追求しても、それは他にやっている人がいる。創造性がない」。
ある美術出版社の編集者は「なぜその作品が生みだされなければならないのか、その理由を解く人はいない。美術作品カタログなかり、出版される。」
学問の権威には欺瞞性がある。城は、権威とブランドの象徴。信長の名言がある。織田信長「人、城を頼らば、城、人を捨てん」。
ある映像プロデューサーは「生存競争の激しい社会、創造性がないと、厳しく追及される。わんわん、批判される」。
孫崎享氏から「学者は、先生の言ったことをそのまま写すと、出世する。憲法学者がその典型。だからTPPが憲法違反であることを判断できない」。
上野千鶴子の論点から。(1)新しい価値は異文化が摩擦するところに生まれる。(2)ブランドが通用しない世界。(3)知を生み出す知、メタ知識。
上野千鶴子「新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれる」「ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。」「すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。」2019年東京大学入学式祝辞より。

島薗進
『あしながおじさん』を最近、読みました。あの本には、17歳の少女が、人間教育を受けて成長する姿が、描かれている。あのような大学教育を失ってしまった。支援者の男性と少女は最後に結婚する。
上野千鶴子さんは、金沢で、14歳のころから知り合いです。
学問は、知る心(マインド)の側面と感じる心(ハート)の側面とがともに備わり、統合されることを目指していると思います。しかし、近代の学問は知る心の方に偏っていて、感じる心を組み込むのが難しくなっているように思います。かつての「教養」は人格完成を目指していたので、両側面が統一されることが前提でした。「子曰く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。」
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【解説】注『死生学 ファンタジーと魂の物語』
大久保正雄
1、【宮澤賢治『雁の童子』】沙車に須利耶圭という人が、名門ではあるが落ちぶれて静かに暮らしていた。雁の群れが、弾丸に撃たれて、落ちてくるのを眺めた。「赤い焔に包まれて、嘆き叫んで手足をもだえ落ちてくる五人。ただ一人完いものは可愛らしい天の子供。次々に雁が地面に落ちてきて燃えた。天の眷属でございます。私どもは天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。どうぞあなたの子にしてお育てをお願いします。」須利耶は雁の子供をつれて町を通った。石が一つ飛んできて童子の頬を打った。須利耶圭が、沙車の町のはずれの古い沙車大寺のあとから掘り出された。一つの壁がまだそのままで見つけられ、三人の天童子が描かれ、その一人はまるで生きたようだ。「わたしはあなたの子です。この壁は前にお父さんが描いたのです」
【宮澤賢治『インドラの網』】ツェラ高原を歩いているうちに「天の空間」に入り込み、天人、蒼い孔雀、天界の太陽、あらゆる美の極致を目にする主人公、青木晃。「天の子供らのひだのつけようからガンダーラ系統なのを知りました。于闐大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なのを知りました。」「お早う。于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。」「私は于闐(コウタン)大寺を沙の中から掘り出した青木晃といふものです。」インドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな蒼い孔雀が。『インドラの網』
【因陀羅網】インドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界の比喩としてよく用いられる。『華厳五教章』
【四法界】華厳宗で説く、世界の四つの世界観。 すべての事物が個々に存在するものとして把握する事法界、すべての事物の本体は真如であると把握する理法界、眼前の現象の世界と真如の世界は同一であると把握する理事無礙法界、現象するすべての事物は互いに縁起し合う存在であるとする事事無礙法界。『大辞林 第三版』

2、天正、織田信長、
*【天正、織田信長】兵革(戦乱)の凶事を断ち切るために行われた【災異改元】。出典『老子』45章。反織田勢力による包囲網が破綻し、信長の覇権が確定。1573年(元亀4)7月21日、信長が天皇に奏上。7月28日改元。義昭は1573年(天正1)7月に織田信長によって京都から追放された。
*【織田信長、天正】改元を朝廷に内奏。元亀4年7月21日。信長は、改元を内覧した。四位、身分低い信長が内覧したのは異例である。改元時に朝廷では信長に勘文を見せてその意向に応じて元号を「天正」と定め、信長が武家政権の長として改元に容喙した。28日決定。今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』
【織田信長、天正1573】大成(たいせい)は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は屈(くっ)するが若く、大功(たいこう)は拙(つた)なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。清静(せいせい)は天下の正(せい)たり。『老子』第四十五章
【織田信長、安土城、狩野派】この世から消滅した狩野派絵画、安土城。天主閣、6階は儒教、「孔門十哲」「三皇五帝」、5階は仏教、「釈迦十大弟子」「釈迦説法」、3階は花鳥図、「岩の間」「竹の間」「松の間」。2階は道教、「呂洞賓図」「西王母」。天正七年、安土城。天主閣完成。天正十年6月2日、本能寺の変の後、炎上する。太田牛一『安土日記』『信長公記』
*、修羅の道について、六道輪廻と天人五衰
六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を廻り続けるという輪廻思想。「六道輪廻」は死後の世界としてではなく、生きている人間の有様を分析する言葉と考える時、哲学的な意味がある。(天道・人道・修羅道は三善趣。畜生道・餓鬼道・地獄道は三悪趣)。
「天人五衰」天人は衰えて死ぬ。(『倶舎論』『大槃涅槃経』)五衰の中心は「本坐を楽しまず」(不楽本坐)。今、ここに生きている事実そのこと(本坐)、いのちそのものに満足し得ない。
*、六道輪廻と天人五衰
*泉惠機「天」。http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qzn.html
*【天人五衰】天人五衰、『大槃涅槃経』によれば、1衣裳垢膩(衣服が垢で油染みる)、2頭上華萎(頭上の華鬘が萎える)、3身体臭穢(体が薄汚れて臭くなる)、4脇下汗出(脇の下から汗が流れ出る)、5不楽本座(自分の席に戻るのを嫌がる)の五つとされている。
*「存在するものは五蘊だけである。五蘊も存在しない(五蘊皆空)」(『般若心経』)という思想とは矛盾するが。五蘊(skanda)とは、色・受・想・行・識。

3、「真言とは、祈りである。真言(mantra)とは、真実の言葉。」宮坂宥洪『真釈般若心経』角川ソフィア文庫2004
密教真言の呪文は、大日如来の降臨加護を招き、即身成仏、幸福への祈りである。
【密教真言】前期密教の真言・陀羅尼が除災招福を中心とする現世利益であったのに対し、中期密教の真言・陀羅尼は悟りを求め成仏するための手段としての性格を強め、それまで別箇であった印契・真言・観法の「三密」を統合した組織的な修行法。
 真言は三密(身・口・意)の中の口密に相当し、極めて重要な密教の実践要素。真言や陀羅尼の多くは、呪句の前に「帰命句」と呪句の終末に「成就句」が加わる。陀羅尼の多くは、仏尊や三宝に帰依する宣言文+Tadyathā+帰命句+本文+成就句で構成される。

4、【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。
【アンドリュー・ワイエス『クリスチーナの世界』1948】海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウス。人間の境遇について描いている。人生で困難な状況に置かれた人々がそれをどう生き抜くのか。どう乗り越えていくのか。希望と絶望。クリスティーナは55歳。
目指すところにたどり着けない。悪夢の世界。でも、這っていく。

5、上野千鶴子「新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれる」
【要旨】東大入学式で女性学の名誉教授、上野千鶴子さんが贈った祝辞
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。
よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
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島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018
https://bit.ly/2NPYAX5
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016
https://bit.ly/2AeU3Hv

2019年7月20日 (土)

「みんなのミュシャ展」・・・ミュシャ様式、線の魔術、運命の扉、波うつ長い髪の女

Mucha-2019
Mucha-1898 
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』187回
初夏の風そよぐ午後、美術館に行く。ミュシャは、運命の女を追求した。運命の女と呼ばれる理由は何故か。運命の女(Femme fatale)の源泉は、トロイの王子パリスが選択したヘレンである。*
【藝術家と運命の戦い、運命の扉】アルフォンス・ミュシャ、27歳で、挿絵画家になる。34歳の時、サラ・ベルナールのポスターを描く。パリで、ミュシャ様式、アール・ヌーヴォーが隆盛する。1900年、アール・ヌーヴォーが終息する。1910年、50歳の時『スラヴ叙事詩』に着手。プラハにて78歳で死す。
――
デッサン、イラストレーター、ポスター藝術、ミュシャ様式の頂点へ上り詰めた画家。1860年、アルフォンス・ミュシャ、ハプスブルク帝国下のモラヴィア、イヴァンチッツェに生まれる。アルフォンス・ミュシャは、1887年、27歳でパリ、アカデミー・ジュリアン入学。この年、日本の浮世絵、ジャポニスムが流行した。経済的困窮で、挿絵画家になる。
【運命の扉、サラ・ベルナールとの出会い、『ジスモンダ』】
世紀末のパリに出たが、鳴かず飛ばずだったミュシャが一夜にしてアール・ヌーヴォーの寵児に躍り出るきっかけとなった作品。当時すでに生きた伝説の大女優サラ・ベルナールのポスターがなぜ無名のミュシャに発注されたのか。印刷工場で働いていたミュシャが版画を制作した。
1895年のサラの正月公演のため、1894年のクリスマスの夜、一夜にして作られた。『ジスモンダ』はサラの戯作者ヴィクトリアン・サルドゥーの中世を舞台とする宗教劇。ジスモンダが手にしたシュロの枝は「シュロの日曜日」というキリスト教の祭日に因む。当時ポスター作家として人気を博していたロートレックにもシェレにもないビザンティン風のエキゾティックな衣裳、サラの印象的なポーズ、モザイクを模したレタリングなどが人気の秘密であった。
――
【ミュシャ様式、アール・ヌーヴォー】
1895年元旦、アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』のポスターでパリのアート・シーンの注目を集め始める。アール・ヌーヴォー様式の発信源の一つとなるジークフリード・ビングの画廊、メゾン・ド・ラール・ヌーヴォーがオープン。
ミュシャのデザインは「ミュシャ様式」というニックネームで大衆に親しまれ、「アール・ヌーヴォー」と同義語になる。優美な女性と、繊細な線、大胆な構図、曲線と円形、花の装飾。
1898年、ウィーン分離派展に参加。フリーメイソン、パリ支部の会員。
1900年、アール・ヌーヴォー、終息。ミュシャ様式、忘れ去られる。
1906年、アルフォンス・ミュシャ、マルシュカとプラハの聖ロフ教会で結婚。
1910年、アルフォンス・ミュシャ、故郷に戻り、スピロフ城を借りて、アトリエにする。50歳の時、『スラヴ叙事詩』に着手。1910—1928年まで。
1939年、アルフォンス・ミュシャ、プラハにて死去。78歳。
1960-70年代、グラフィック・アートとして、復活する。
【美人画の歴史、運命の女】ロマン主義、ラファエロ前派、ロセッティ、ギュスターヴ・モロー、象徴派、ミュシャ様式。19世紀は、美人画の歴史であった。ヨーロッパの美女の歴史の根源は、ギリシア神話、パリスの審判、アフロディーテ、アテナ、ヘラ、三女神の争い。パリスは、アフロディーテの差し出す美女、ヘレンを選び、トロイ滅亡を招く。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【偉大な王と運命の戦い】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、フリードリッヒ大王。偉大な王たちは、運命と戦う。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。偉大な王たちが手に入れられない4つの自由。偉大な王たちが超えられない運命がある。
【思想家、藝術家と運命の戦い】思想と藝術は、苦悩と悲しみから生まれる。思想家、藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いから思想と藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女神と出会う。美しい女神が、舞い降りる。美を探求する、藝術家を救う。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い、女神との出会い』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、美しい女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
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展示作品の一部
アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』1894年 カラーリトグラフ 216 x 74.2 cm©Mucha Trust 2019
アルフォンス・ミュシャ『舞踏―連作〈四芸術〉より』1898  カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019
アルフォンス・ミュシャ『黄道十二宮』1896 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵  ©MuchaTrust2019
アルフォンス・ミュシャ『ジョブ』1896  カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵  ©MuchaTrust2019
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参考文献
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、2019
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2uUs3pu
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道、国立新美術館・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
https://bit.ly/2QbsUwT
「ミュシャ展 パリの夢、モラヴィアの祈り」2013
http://www.ntv.co.jp/mucha/
「ミュシャ展 『スラヴ叙事詩』」国立新美術館2017
http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/alfons-mucha/
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アール・ヌーヴォーを代表する芸術家、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)。「線の魔術」ともいえる繊細で華やかな作品は「ミュシャ様式」と呼ばれ、後世のアーティストに影響を与えてきたとともに、没後80年経ったいまなお、世界中の人々を魅了し続けている。
世紀末のパリでグラフィック・アーティストとして成功し、美術史上最初のグローバルな芸術運動アール・ヌーヴォーの旗手となったミュシャ。そのミュシャがプラハで逝去してからちょうど80年という節目に当たる2019年、「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ―― 線の魔術」を開催する。
250点以上の作品を通じて、時代を超えて愛される画家の秘密を紐解く、これまでにない画期的なミュシャ展となる。 2019年7月13日(土)Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)東京展を皮切りに、京都、札幌、名古屋、静岡、松本で2019〜2020年にかけて開催する。
https://www.ntv.co.jp/topics/articles/19ng2236py6fa3auji.html
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★京都展:2019年 10月12日(土)〜2020年1月13日(月・祝)京都文化博物館
札幌展:2020年1月25日(土)〜4月12日(日)札幌芸術の森美術館
名古屋展:2020年4月25日(土)〜6月28日(日)名古屋市美術館
静岡展:2020 年7月11日(土)〜9月6日(日)静岡県立美術館
松本展:2020 年9月19日(土)〜11月29日(日)松本市美術館
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★「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、7月13日~9月29日

2019年7月14日 (日)

「三国志」東京国立博物館・・・曹操、劉備、孫権。虚構の英雄たち

Sangokushi2019
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』186回
初夏の森、緑陰の道を歩いて、博物館に行く。魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権。関羽、張飛、周瑜、諸葛孔明、すべて滅び、司馬炎が建てた西晋に征服される。桃園の誓い、赤壁の戦い、名場面の真実は何か。
虚構の英雄たち、『三国志演義』と『正史三国志』の挟間。赤壁の戦いの敗因は「火攻め」ではなく「病気の蔓延」である。「疫病が流行して、官吏士卒の多数が死亡したため撤退した」陳寿『正史三国志』。
【三国時代】三国時代は、220年、曹操が没して息子の曹丕(文帝)が後漢から皇位を奪った時から、280年、司馬炎が建てた西晋王朝が呉を滅ぼし天下統一するまでである。
魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権。魏に対して、蜀と呉は、対立し互いに殲滅し合う。
263年、魏、蜀を滅ぼす。280年、晋、呉を滅ぼす。「晋、呉を平らげ、天下太平」。
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『三国志演義』
【黄巾の乱】「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」。184年、太平道の教祖張角を指導者とする信者が各地で起こした反乱。【宦官派と反宦官派、清流派知識人の戦い】曹操は、清流派知識人に乱世向きの人材と注目される。「治世の能臣、乱世の姦雄」と評価される。
【桃園の誓い】桃の花が咲き乱れる庭園で、劉備、関羽、張飛の三人が義兄弟の契りを交わした。生まれた月日は違えど、死ぬ時は同年同月同日を願わん。
【赤壁の戦い】208年、2万の孫権軍は、80万の曹操軍と、赤壁において揚子江を挟んで対峙する。周瑜は火攻めを画策し、老将黄蓋とともに苦肉の計で敵を欺き、連環の計で曹操軍の船団を鎖でつなぎ合わさせる。最後に、諸葛孔明が七星壇を築いて祈祷し、冬の最中に東南の風を吹かせ、投降を装って近づいた黄蓋の一団が一斉に火を放つ。逃げ場のない曹操軍は炎に包まれ、孫権軍の大勝利である。
【天下三分の計】たまたま劉表を頼って荆州に来た劉備は、その評判を聞くと、207年(建安12)に孔明の庵を訪れ、3度目にやっと会見できた。【三顧の礼】にこたえた孔明は、劉備のために〈天下三分の計〉を説き、華北を制圧した曹操に対抗して漢室を復興するためには、江南に割拠する孫権と連合、みずから荆州と益州(四川省)を確保して独立すべきことを勧めた。劉備はこの計略を喜び、孔明を不可欠な人物としてその関係を【水魚の交わり】に喩えた。
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【三国戦史】184年、黄巾の乱。200年、官途の戦い。208年、赤壁の戦い。219年、定軍山の戦い。樊城の戦い。222年、夷陵の戦い。228年、石亭の戦い。234年、五丈原の戦い。諸葛亮、死亡。
『三国志演義』の内容は、三国時代以前から始まる。
1・黄巾の乱 2・桃園の誓い 3・董卓の専横 4・連合軍を結成
5・曹操の台頭 6・官途の戦い 7・孫策の死 8・三顧の礼
9・赤壁の戦い 10・天下三分の計 11・定軍山の戦い 12・関羽の死
13・曹操の死 14・夷陵の戦い 15・諸葛亮の「第一次北伐」 16・孫権の帝位
17・諸葛亮の死 18・蜀の滅亡 19・魏、滅亡。晋へ 魏の晋王・司馬炎(司馬昭の長子)が第5代皇帝・曹奐から帝位を簒奪し晋を建国。 20・三国統一 呉の第4代皇帝・孫皓が晋に降伏。呉、滅びる
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
関羽像、明時代、15~16世紀
蝉文冠飾、西晋時代、3世紀
「晋平呉天下太平」碑
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参考文献
井波律子『奇人と異才の中国史』岩波新書
井波律子『故事成句でたどる中国史』岩波新書
『旅する哲学者 美への旅』より
権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
孤高の思想家と藝術家の苦悩『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84   
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第1章 曹操・劉備・孫権
魏の基盤をつくった曹操は、父祖伝来の勢力基盤を引き継ぎつつ漢王朝の中枢で実権を握り、動乱の時代に覇をとなえた。蜀の劉備は漢皇室の血統を自認し、漢王朝の復興を掲げた。呉の孫権は海洋ネットワークを駆使して勢力を伸ばす、独自の路線を歩んだ。
第2章 漢王朝の光と影
2世紀末には王朝内部の政争が表面化し、皇帝は求心力を失っていった。黄巾の乱がおこり、漢の都では董卓が横暴のかぎりを尽くすなど、社会全体が混迷を深めていった。
第3章 魏・蜀・呉―三国の鼎立
魏・蜀・呉の鼎立は、後漢時代の末期に形づくられ、境界で争いはとくに熾烈を極めた。220年、曹操が没して息子の曹丕(文帝)が後漢から皇位を奪うと、蜀の劉備と呉の孫権はこれに反発し、おのおの正統性を主張し相次いで建国を宣言した。
第4章 三国歴訪
魏は漢王朝の中心地であった黄河流域に勢力を張り、蜀は自然の恵み豊かな長江(揚子江)上流の平原をおさえ、呉は長江中・下流の平野部と沿岸域に割拠した。
第5章 悲惨な貧しい時代。
後漢時代の末期から三国時代になると、支配者たちは墓づくりに対してこれまでとは異なる路線を歩み出した。豪華さを競うのではなく、質素倹約を貴ぶようになった
エピローグ三国の終焉―天下は誰の手に
三国時代。最後に天下をおさめたのは魏でも蜀でもなければ呉でもなかった。280年、武将として力を強めていった司馬氏一族であり、司馬炎が建てた西晋王朝であった。
特別展「三国志」東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1953
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「特別展「三国志」」東京国立博物館、7月9日(火)~9月16日(月・祝)

2019年6月27日 (木)

速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇

Hayami2019
Hayami1926
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』185回
初夏の夕暮れ、美術館に行く。藝術家は、苦難を超え、運命と戦い、真実在を追求する。速水御舟は、生涯、新しい絵画を探求し努力しつづけた。松本楓湖の弟子の時代、細密画の時代、琳派の時代、人物画の時代。速水御舟が追求した梯子の頂上とは何か。細密画の極致、琳派の画法か。速水御舟が追求した、真実在とは何か。
「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」『速水御舟語録』1935。「実在するものは、美でも醜でもない。唯真実のみだ。」速水御舟『私の行く道』1932
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【速水御舟40歳で死す】速水御舟は、31歳で『炎舞』(1925)、35歳で『名樹散椿』(1929)。40歳で死ぬ。妻は92歳まで生き、長女、速水弥生(大正11生まれ)は長寿である。
速水御舟(1894-1935)は、『炎舞』の炎に舞う蛾のように40年の短い生涯を終えた。短い人生のうちに、不滅の傑作、『炎舞』(1925)31歳、『粧蛾舞戯』(1926)、『翠苔緑芝』(1928)、35歳で『名樹散椿』(1929)、『京の舞妓』(1920)、『樹木』(1925)を残した。
大正8年25歳の時、浅草駒形で市電に足を轢かれ左足切断する。不運にめげず画業に精進する。不朽の傑作『炎舞』を残し、40歳で死す。死因は腸チフス。
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松本楓湖、今村紫紅と出会う
速水御舟は、松本楓湖の画塾、安雅堂に、14歳の時、入塾する。17歳で『瘤取之巻』を描く。画塾の先輩、今村紫紅と出会う。23歳で日本美術院同人に推挙される。
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速水御舟の頂点1920-1929
細密画1920-1923 26歳から29歳
『京の舞妓』(1920)『菊花図』(四曲二双屏風1921)は、緻密な細密画の極致である。岸田劉生の影響を受けて、リアリズムの絵画を描き始めた。細密画の系列には『輪島の皿に柘榴』、『寒鳩寒雀』があり、異様に緻密な世界に圧倒される。リアリズムの極致である。『京の舞妓』(1920)の醜悪をも描く、写実の背後に細密画の世界がある。『桃花』(1923)には、宋代、院体花鳥画の影響がある。
琳派の画法1925-1929 31歳から35歳
俵屋宗達の画法を研究して、琳派の画面構成を意識し、装飾的、構成的様式を打ち立てる。
不滅の傑作、『炎舞』(1925)、『粧蛾舞戯』(1926)、『葉蔭魔手』(1926)『翠苔緑芝』(1928)、『名樹散椿』(1929)を制作する。
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渡欧、1930年、36歳
御舟は、1930年、ローマ「日本美術展覧会」に美術使節として、横山大観とともに渡欧した。客船で洋行し、大観と同じ食卓を囲んだ時のメニューに御舟が書いた手紙が残っている。10か月間、イタリア、ギリシア、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ、エジプト、各地を旅した。
渡欧の目的の一つは、エル・グレコを見るためで、トレドに行った。「
『アクロポリスのコレー』(1930)『アルノ河畔の月夜』(1931)に旅の思い出が留められている。この時、ジョット、エル・グレコに感動し、人物画の造形に影響を受けたといわれる。
素描、『女二題』の女性をえがく線に表れている。
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晩年、無色透明、40歳
晩年の作品は、花の絵が多い。死の匂いが漂う。『春の宵』『桔梗』『牡丹花』1934
「技法の究極は無色透明だと思う。画道の学徒は種々の技法を習得し、而して次第に脱落させ――無色透明にかえったとき、技法の真諦に逢着する」『塔影』9巻8号、1933
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美しい線
今日、美しい線、緻密なデッサンを描ける画家は少ないといわれるが、御舟の「牡丹写生図巻」「昆虫写生図巻」(1925)には、まれにみる美しい線、細密画のデッサンの存在を見ることができる。美しい花の花弁、妖しい蛾の美しさが、一すじの線によって描かれている。
絶筆『円かなる月』には、死の匂いが漂っている。
1910年(明治43年)作「小春」から、1935年(昭和10年)最後の作品となった「盆梅図(未完)」、平塚市美術館にて約120点、展示された。
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主な展示作品
《瘤取之巻》、 《錦木》、 《山科秋》、 《桃花》、 《柿》、 《春昼》、 《百舌巣》、 《炎舞》【重要文化財】、 《昆虫二題》、 《供身像》、 《翠苔緑芝》、 《名樹散椿》【重要文化財】(6/8-7/7展示)、 《紅梅・白梅》、 《オリンピアス神殿遺址》、 《埃及(エジプト)土人ノ灌漑》、 《青丘婦女抄 蝎蜅(カルボ)》、 《豆花》、 《写生帖》、 《春池温》、 《椿ノ花》、 《あけぼの・春の宵》、 《桔梗》、 《牡丹花(墨牡丹)》、 《秋茄子》 
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参考文献
『速水御舟 作品集』2019
【開館50周年記念特別展】『速水御舟の全貌―日本画の破壊と創造』2016
速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち・・・燃え上がる生命の炎舞
https://bit.ly/2yEOkKf
速水御舟展、平塚市美術館・・・細密画の極致、炎に舞う儚い生命のように
https://bit.ly/2IbuZVt
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生誕125年記念、速水御舟、山種美術館、6月 8日(土) ~ 8月 4日(日

2019年6月 9日 (日)

「密教彫刻の世界」東京国立博物館、愛染明王、金剛薩埵の化身

Esoteric-buddism-2019
Aizen-tnm-2014
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』184回
風薫る五月、花の匂い漂う森を歩いて、博物館に行く。伝真言院「両界曼荼羅」は、朱色と緑色の彩色が美しいと変化仏の神殿である。東寺の金剛薩埵は繊細な美しい手をしている。金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、五菩薩の手は繊細で優美である。
狩野之信「花鳥図屏風」の前を通って、密教彫刻室に行く。愛染明王(rāgarāja. mahārāga)、大日如来(光徳寺)、西蔵のYab-yum像を見る。大日如来(光徳寺)には、成身会37尊が描かれている。
愛染明王(rāgarāja)は、三目六臂、憤怒相、智慧の弓と方便の矢を以って、衆生に愛と尊敬を与え、幸運を授ける。霊験は、無病息災、敬愛、降伏、鈎招、延命。
愛染明王は、両界曼荼羅に描かれていない。だが、金剛薩埵(vajrasattva)の化身である。
人間の生は、真の愛を探求する旅である。象徴派の藝術家は、人生をかけて愛する人を探している。愛と美の探求の果てに、何を見いだすのか。
「金剛界曼荼羅」「理趣会」は、金剛薩埵(vajrasattva)を中心とする集会、甘美で妖艶なエロスと智慧の香りである。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、愛染明王
【愛染明王】『金剛峯楼閣一切瑜珈瑜祇経』が説く、獅子冠をかぶり3つの目と6本の腕をもつ愛染明王。真赤な身色も、経典に日が輝く如しと説くことを典拠とする。めらめらと燃えるように逆立つ焔髪、眉を吊り上げ睨みつける目、牙を出して開く口に憤怒相。金剛薩埵菩薩の化身。
【愛染明王】『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』「愛染王品第五」。愛染明王の修法は、息災・増益・敬愛・降伏の『四種法』の利益、その功徳は「能滅無量罪 能生無量福」「三世三界中 一切無能越 此名金剛王 頂中最勝名 金剛薩埵定 一切諸佛母」教主である金剛薩埵がこの尊を定めて、一切の諸仏の母とした)とも讃えられていて、これに基づいて金剛界で最高の明王と解釈される。
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2、愛染明王真言
【愛染明王真言】「オーム、偉大なる愛染明王よ。金剛仏頂尊よ。決して破壊されない最高の仏智を備えた金剛薩埵よ。金剛薩埵と同一の、金剛鉤菩薩、金剛索菩薩、金剛鎖菩薩、金剛鈴菩薩よ。我々を仏智に導いてください。」oM ma hA raga vajro SHI Sa va jra satva jaH+jaH hUM vaM hoH
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3、成身会、理趣会
【「金剛界曼荼羅」成身会】37尊。金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂(ししょう)菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。金剛界五仏とは中央の大日如来、東方の阿閦如来、南方の宝生如来、西方の阿弥陀如来、北方の不空成就如来の五仏。四摂菩薩は、金剛鉤菩薩(Vajrankusa)、金剛索菩薩(Vajrapasa)、金剛鎖菩薩(Vajraśṛṅkhalā)、金剛鈴菩薩(Vajravesa)。
【八供養菩薩】金剛界曼荼羅の中央部の成身会で、大日如来が四仏に供養するため現出した嬉・鬘・歌・舞の四菩薩(内の四供)と、その外側に配されて四仏が大日如来を供養する香・華・灯・塗の四菩薩(外の四供)。
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【「金剛界曼荼羅」⑦「理趣会」】全部で17人の菩薩。中央が、金剛薩埵。周りに、慾金剛菩薩、触金剛菩薩、慢金剛菩薩、愛金剛菩薩。その周りに、金剛香菩薩、金剛華菩薩、金剛燈菩薩、金剛塗菩薩。さらにその周りに、金剛嬉菩薩、金剛鬘菩薩、金剛歌菩薩、金剛舞菩薩。さらにさらにその周りに、金剛鉤菩薩、金剛索菩薩、金剛鎖菩薩、金剛鈴菩薩。 全部で17尊。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
重文  愛染明王坐像  1躯  鎌倉時代・13世紀
重文 大日如来坐像  1躯  鎌倉時代・12~13世紀 栃木・光得寺蔵
重文 大日如来坐像  1躯  平安時代・11~12世紀
チャクラサンヴァラ父母仏立像  1躯 中国・チベットまたはネパール 15~16世紀
重文  十一面観音菩薩立像  1躯 中国 奈良・多武峯伝来 唐時代・7世紀
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4、無上瑜伽タントラ 慈悲と般若
Yab-yumは、男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図。この交合の表現によって空性の智慧(女性原理、自利)と慈悲の方便(男性原理、利他)との一致を体現した仏陀の境地=大楽を表現。ヤブユムは無上瑜伽タントラと象徴主義が結びつき、男性像は「慈悲」(karuṇā) を与える男性原理である「方便」(upāya) 、その伴侶は女性原理である「般若」(prajñā) を象徴する。
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参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」東京国立博物館・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/2Ov53Hz
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と戦いの叙事詩、生命の根源
https://bit.ly/315UPn8
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
田中公明『曼荼羅イコノロジー』1987
石田尚豊『曼荼羅の研究』全2巻、東京美術、1975年
関根俊一『仏尊の事典、壮大なる仏教宇宙の仏たち』1997
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愛染明王真言「オン・マカラギャ・バゾロシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク」
https://omajinai-navi.jp/aizen-myouou-mantra/ 
【不動明王、真言】【除霊や商売繁盛に効果抜群】「ノウマク サンマンダ バサラダン センダン マカロシャダ. ヤソハタヤ ウンタラタ カンマン」不動明王の真言は現世でご利益をもたらしてくれる。真言の意味は「憤怒の形相で強い力を持つ不動明王よ、私の迷いや厄を取り払い、願いを叶えてください」.。
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■密教彫刻の世界 、東京国立博物館
本館 14室 2019年3月19日(火) ~ 2019年6月23日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5751
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1957
愛染明王、東京国立博物館
https://albireo190.blog.so-net.ne.jp/2013-09-03

2019年6月 3日 (月)

『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と戦いの叙事詩、生命の根源

Taizokai-toji-2019
Kongokai2019
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』183回
風薫る五月、花の匂いただよう森、紫の躑躅咲き乱れる道を歩いて博物館に行く。1200年前からこの世に伝わる、両界曼荼羅の前に立つと、朱色と緑色の彩の美しい絨毯のようである。1909体の仏尊が眩く輝く宇宙。
密教の香りが立ち昇る。胎蔵界灌頂、金剛界灌頂、伝法阿闍梨位灌頂、秘密の儀式の意味は何か、美術史家は沈黙する。両界曼荼羅は、愛と戦いの叙事詩、知恵の樹を昇る、知恵の探求、知恵からの下降、金剛界から現世との戦い。胎蔵界は、生命の根源から花開く愛。図像に秘められた金剛界の戦い、知の階梯。向上門は、知恵への道、向下門は、真理からの降臨である。理念を探求する智者と現実との戦い。天人、人界、修羅と、畜生、餓鬼、地獄との戦い。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』 
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【空海の密教】即身成仏。理念を現実に実現する世界観。法身=大日如来、報身=阿弥陀仏、応化身=釈迦牟尼仏。5世紀までにはその本質永遠性と現実即応の関連づけ、すなわち統一が問題となり、それが仏身論に及び、法身と色身(応身)を合せた報身が立てられ、三身説(法身、応身、報身)が成立した。
【両界曼荼羅、「金剛界曼荼羅」】、成身会を中心に、三昧耶会、微細会、供養会、四印会、 一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会の九会からなる。知恵を表現する。
【両界曼荼羅、「胎蔵曼荼羅」】、中台八葉院を中心に、周囲に、遍知院、持明院、釈迦院、 虚空蔵院、文殊院、蘇悉地院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障院が、同心円状にめぐり、すべてを囲む外周に外金剛部院(最外院)からなる。愛を表現する。
「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず」(空海『請来目録』)
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【金剛界曼荼羅の基本となる成身会】は、金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。(智拳印)一仏のみで表す他は、中心となる成身会、羯磨会の1061尊を含め合計約1500尊を配する。
【金剛界曼荼羅】智拳印の大日如来を中心に、阿閃、宝生、阿弥陀、不空成就の五智如来をはじめとする金剛界三十七尊を含む1500体。
【胎蔵界曼荼羅】法海定印の胎蔵界の大日如来、宝幢如来、開敷華王(かいふけおう)如来、無量寿如来、天鼓雷音、胎蔵界五仏を中心に409体が描かれる。
――
【五秘密】五秘密は真言宗に於ける金剛界所立の秘法にして、金剛薩埵(中)、慾金剛(東)、触金剛(南)、愛金剛(西)、慢金剛(北)の五金剛菩薩の称なり。此慾触愛慢の四字は煩悩の名なれども仏徳を表わすが故に悉く秘密の名字を付するよりこの五尊を以て五秘密とは名づくなり。
【『金剛界曼荼羅』理趣会、金剛薩埵】金剛薩埵は、若くて美しい女。欲・触・愛・ 槾 、美しい菩薩によって囲まれている。欲金剛女菩薩、触金剛女菩薩、愛金剛女菩薩、槾金剛女菩薩。
【理趣会、四金剛女菩薩】『理趣経』に基づき煩悩即菩提を実現する金剛薩埵を主尊とし、初段「十七清浄句」を代表する欲金剛、触金剛、愛金剛、慢金剛の四金剛菩薩を東南西北に配し、欲金剛女、触金剛女、愛金剛女、慢金剛女の四金剛女菩薩を東南・西南・西北・東北に配する集会。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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空海と嵯峨天皇、空海と最澄、嵯峨天皇と平城上皇
【空海と最澄、第16次遣唐使】延暦23(804)年、第1船、遣唐大使・藤原葛野麿。空海は第1船に乗船。第2船、副使・石川道益(入唐後に没)乗船。最澄は第2船。最澄は、桓武天皇の勅命により遣唐僧、空海は私度僧。他の2船は遭難、沈没。
【乙訓寺、空海】弘仁2年(811)、嵯峨天皇により空海(弘法大師)が乙訓寺の別当に任ぜられた。翌年弘仁3年10月に最澄が立ち寄り、二人が初めて出会う。最澄46歳、空海36歳。
【空海、『理趣釈経』借覧拒否】最澄は、弘仁4年(813年)11月23日、『理趣経』の注釈書である不空の『理趣釈経』を借覧しようとしたが、空海は断る。空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』(『遍照発揮性霊集』)
【空海、最澄と決裂】弘仁4(813)年、『理趣釈経』借覧拒否。最澄に答えた書簡。「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。」「夫れ秘蔵の興廃は唯汝と我なり」空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』
【嵯峨天皇、高野山勅許】弘仁7(816)年、七月八日 高野山開創の勅許を賜る。この年、『弁顕密二教論』(816)。弘仁14年(823)に嵯峨天皇より東寺を賜る。真言密教、真言陀羅尼宗の根本道場、教王護国寺とした。
【嵯峨天皇と平城上皇の戦い】810年(弘仁1)年9月10日に天皇は仲成を逮捕、佐渡権守に貶降、薬子を追放に処す。対して上皇は薬子とともに平城京から東国に向かい対抗、坂上田村麻呂らが迎撃態勢。平城京に戻り剃髪し、薬子は自殺。乱は3日間で終息。
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空海『秘密曼荼羅十住心論』(830)は、蛭牙公子の水準を第1住心、亀毛先生(儒)の水準を第2住心、虚亡隠士(道)の水準を第3住心とし、仮名乞児(仏)の水準を第4住心から第10住心までの7つに細分化している。7つのうち、第4(声聞)と第5(縁覚)は小乗仏教、第6から第10まで(法相・三論・天台・華厳・真言)は大乗仏教、第10の真言だけが密教で、他の6つは顕教とされている。『三教指帰』(797)と『十住心論』(830)はつながっている。(上山春平)
空海『秘蔵宝鑰』目次
第一、異生羝羊心
   凡夫狂酔して 吾が非を悟らず。但し婬食(いんじき)を念ずること 彼の羝羊の如し。
 第二、愚童持斎心
   外の因縁に由って 忽ちに節食(せつじき)を思う。施心萌動(ほうどう)して 穀の縁に遇うが如し。
 第三、嬰童無畏心
   外道天に生じて 暫く蘇息を得。彼の嬰児と 犢子との母に随うが如し。
 第四、唯蘊無我心
   ただ法有を解(げ)して我人皆遮す。羊車の三蔵 ことごとくこの句に摂す。
 第五、抜業因種心
   身を十二に修して 無明、種を抜く。業生、已に除いて 無言に果を得。
 第六、他縁大乗心
   無縁に悲を起して 大悲初めて発る。幻影に心を観じて 唯識、境を遮す。
 第七、覚心不生心
   八不に戯(け)を絶ち 一念に空を観れば、心原空寂にして 無相安楽なり。
 第八、一道無為心
   一如本浄にして境智倶(とも)に融す。この心性を知るを号して遮那という。
 第九、極無自性心
   水は自性なし 風に遇うてすなわち波たつ。法界は極にあらず。警を蒙って忽ちに進む。
 第十、秘密荘厳心
   顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて 万徳すなわち証す。
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【空海】「現実に現身のままで大日如来になる。」(『即身成仏義』)空海は「法身仏、普遍的な存在が説法をする」と説く。釈迦牟尼の教えを超え、釈迦牟尼の悟りを成り立たせる真理そのものを仏(法身)として、教えの主体にした。『空海・生涯と思想』
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【『大日経』】『大毘盧遮那成仏神変加持経』は、善無畏(Śubhakarasiṃha、637-735)と唐の学僧たちによって724年に漢訳された。しかし、サンスクリット原本はまだ発見されていない。【『金剛頂経』】不空三蔵(705-774)がサンスクリット原本から訳した『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)』がある。
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参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
https://bit.ly/2O8YtbU
関根俊一『仏尊の事典、壮大なる仏教宇宙の仏たち』1997
石田尚豊『曼荼羅の研究』全2巻、東京美術、1975年
東寺伝の曼荼羅図No273
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/e5881de0e90574b03369fd8125da0d7c
一印会 毘盧遮那如来
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展示作品の一部
国宝 両界曼荼羅図、金剛界、胎蔵界、(西院曼荼羅[伝真言院曼荼羅]) 平安時代・9世紀 京都・東寺蔵
展示期間:4月23日(火)~5月6日(月・休)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1938
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★「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」、東京国立博物館、
2019年3月26日(火)~6月2日(日)

2019年5月18日 (土)

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派

Wien2019
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第182回
装飾に覆われた魔性の女、叶わぬ恋に懊悩する藝術家、無垢の少女の美。クリムトは、ヌード、妊娠、官能的なテーマを黄金様式で作品化、甘美で妖艶なエロスと死の香りは象徴派へと展開する。クリムト最期の言葉は「エミーリエを呼んでくれ」。世紀末の藝術家は、何を追求したのか。19世紀の階級社会と産業資本主義の抑圧が重くのしかかる世界。世紀末の藝術家はエロスとファッション、装飾と神秘に耽溺する。ラファエル前派は、ロイヤル・アカデミーに反旗を翻し、分離派のクリムトはウィーン大学天井画事件で体制に反旗を翻した。1860年代から始まる印象派に背を向け、象徴派の藝術家たちは、運命の女を追求した。世紀末の藝術家の生きる根拠は何か。藝術家たちは、19世紀の女性のファッションに革命をもたらした。
【クリムトとエミーリエ・フレーゲ】クリムトは1891年、生涯の恋人、エミーリエ・フレーゲと出会い、フレーゲ三姉妹を通じて、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。クリムトは生涯結婚せず。彼女は、クリムト(Gustav Klimt 1862-1918)の死後、78歳まで、34年生きる。
クリムトは、エミーリエ・フレーゲの肖像画を2枚描いている。「17歳のエミーリエ・フレーゲ」と「27歳のエミーリエ・フレーゲ」である。
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【エミーリエ・フレーゲ】自分の意志で行動する聡明な女性。エミーリエ・フレーゲ(Emilie Louise Flöge 1874-1952)は、服飾デザイナーで、1904年、30歳の時にファッション・サロン「フレーゲ姉妹」を三姉妹で共同経営した。ウィーンのファッション界をリードした。1938年、閉店。
【ラファエル前派とアーティスティック・ドレス】1865年、モリスは、妻ジェーンのためにドレスをデザインしている。モリス、ミレイ、ロセッティ、ラファエル前派の画家たちは、モデルたちの装いがタイムレスで、後世に残る不朽の名作となるため、初期ルネサンス風のドレスを制作し、モデルたちに着せた。
【ジョルジュ・スーラ『ポーズする女たち』1888】『グランドジャッド島の日曜日の午後』の前で【コルセットを脱ぐ女たち】が描かれている。スーラは、19世紀の女性の人工的モードを批判している。(Georges Seurat Les poseuses1886-1888)
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【世紀末の藝術家、美女を求めて】
ロセッティ、ギュスターヴ・モロー、象徴派の美女の探求は、ベルギー象徴派へと展開する。【ベルギー象徴派】フェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff) (1858-1921)『スフィンクスの愛撫』両性具有的な人物とスフィンクスの両方のモデルが画家の最愛の妹マルグリット。(1898年に開催された第1回ウィーン分離派展出品作)。彼のモデルとなっているのは殆ど6つ下の妹マルグリット・クノップフ。ジャン・デルヴィル(Jean Delville) (1867-1953)『オルフェウスの死』(1898)『レテ河の水を飲むダンテ』(1919)。デルヴィルは、70歳までブリュッセル美術アカデミーの教授をする。
【アール・ヌーボー、ミュシャの運命の女】
アール・ヌーボーの画家、アルフォンス・ミュシャ、素描《少女と鳩》1899年。早世した初恋のひと、ユリエ・フィアロヴァー(ユリンカ)の面影を描きつづけた。ミュシャ(1860-1939)、『舞踏 連作、四藝術』1898年。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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グスタフ・クリムト《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年 油彩/カンヴァス 178 x 80 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum
グスタフ・クリムト《パラス・アテナ》1898年 油彩/カンヴァス 75 x 75 cm ウィーン・ミュージアム蔵
グスタフ・クリムト《愛》(「アレゴリー:新連作」のための原画 No.46)1895年 油彩/カンヴァス 62.5 x 46.5cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum /
エゴン・シーレ《自画像》1911年 油彩/板 27.5 x 34 cm ウィーン・ミュージアム蔵 
エゴン・シーレ《ひまわり》1909-10年 油彩/カンヴァス 149.5 x 30 cm ウィーン・ミュージアム蔵
マルティン・ファン・メイテンス《幼いヨーゼフ2世を伴ったマリア・テレジア》
1744年 油彩/カンヴァス 216.2 x 162.5 cm ウィーン・ミュージアム蔵
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★参考文献
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」東京都美術館・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
https://bit.ly/2ZM5pyR
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
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本橋弥生「エミーリエのドレスとクリムトのスモックはファッションだったのか」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
「フェルナン・クノップフ☆謎多き巨匠」パリ市立プティ・ パレ美術館(Petit Palais)2019
https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/post-990.html
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ベルギー象徴派
フェルナン・クノップス、ジャン・デルヴィル
『ベルギー、奇想の系譜』・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/2u6J1nr
ベルギー幻想美術館 クノップフからデルヴォー、マグリットまで・・・金木犀の香る夜
https://bit.ly/2MvYgQd
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19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは、絵画や建築、工芸、デザイン、ファッションなど、それぞれの領域を超えて、新しい芸術を求める動きが盛んになり、ウィーン独自の装飾的で煌きらびやかな文化が開花しました。今日では「世紀末芸術」と呼ばれるこの時代に、画家グスタフ・クリムト(1862-1918)やエゴン・シーレ(1890-1918)、建築家オットー・ヴァーグナー(1841-1918)、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1958)、アドルフ・ロース(1870-1933)など各界を代表する芸術家たちが登場し、ウィーンの文化は黄金期を迎えます。それは美術の分野のみならず、音楽や精神医学など多岐にわたるものでした。本展は、ウィーンの世紀末文化を「近代化モダニズムへの過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていった軌跡をたどる本展は、ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の決定版と言えます。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/wienmodern2019/
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日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
国立新美術館2019年4月24日(水)~8月5日(月)
国立国際美術館2019年8月27日(火)~12月8日(日)

2019年5月 6日 (月)

クリムト『ベートーベン・フリーズ』・・・理念を目ざす藝術家の戦い。黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第181回
春爛漫、花の匂い漂う森を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅と牡丹と八重桜の咲き匂う森から、秘書は駆け寄ってきた。彼女と八重櫻、園里黄桜が咲く道を歩いて行く。
灼熱のウィーンの夏の日の思い出が蘇る。ベルヴェデーレ宮殿の庭を歩いていくと、ハーピストが向こうから歩いてきた。ハプスブルク帝国、東欧の世界遺産の美をめぐる旅。あの夏、ベルヴェデーレ宮殿でクリムト『接吻』(1907-8)をみた。稲光の光る嵐の夜のドナウ川クルーズ、チェスキー・クルムロフ城を思い出す。
【理念を目ざす藝術家の戦い】クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』は、黄金の甲冑で武装した騎士が、敵対する力と戦い、竪琴をもつ詩の女神に出会い、純粋な幸福と愛に辿りつく旅路。楽園の天使の合唱、シラーの詩「麗しき神々の火花よ」「この接吻を世界に」。*
夕暮れに、竪琴をもつ美の女神、美の楽園の天使が、美しい魂に舞い降りる。
【グスタフ・クリムト「接吻」ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館】恋人たち二人の足下の花園は断崖、かろうじて女性の両足が支える。男はグスタフ、女はエミーリエ。1891年、生涯の恋人、エミーリエ・フレーゲ(Emilie Louise Flöge 1874-1952)と出会い、フレーゲ三姉妹を通じて、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。クリムトは生涯結婚せず。彼女は、クリムト(Gustav Klimt 1862-1918)の死後、34年生きる。
【理念を目ざす思想家の戦い】詩の霊感、藝術の魔力は、至高体験(Peak Experience)へと人を導く。天人には天人の喜びがあり、天から舞い降りた天の童子は、この世で修羅の道を歩み、この世の果てに美をめざす。理念を目ざす思想家は、密教真言の呪力で敵と戦い、怨敵調伏する。至高の美を探求する哲学者の旅。
【美女を探求する藝術家】ロセッティ『プロセルピナ』『祝福されし乙女』、ギュスターヴ・モロー『出現』『サロメ』『一角獣』、カラバッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』、レオナルド『レダ』。ロセッティの運命の女、ジェーン・バーデン。ギュスターヴ・モローの見つめ合う男女『オルフェウスの首を抱くトラキアの娘』『オイディプスとスフィンクス』『ヨハネとサロメ』。グスタフ・クリムト『接吻』の二人は何を意味するのか。断崖で口づけする二人。
クリムトは、エロスと装飾絵画の藝術家である。象徴的な絵画を200点、描いた。新しい運動の理念を象徴する絵画、「パラス・アテナ」「ヌーダ・ヴェリタス」。女性の神秘を追求した絵画、「ユディトⅠ」「サロメ」「ダナエ」。理念を目ざす藝術家の戦い、『ベートーヴェン・フリーズ』1902、「人生は戦いなり(黄金の騎士)」、「接吻」。生殖から死までの生命の円環、「女の三世代」。愛と性欲の神秘、対立と争い、老いと死を迎える人間の衰退、これらを絵画の中で象徴的に描いた。(Cf.マークス・フェリンガー)
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』Gustav Klimt The Beethoven Frieze 1902
1:幸福への憧れ 上空に精霊たちが連なって浮遊する。これを辿ると「幸福への憧れ」。人生の苦悩を象徴する裸の男女は、「完全武装の勇者」(黄金の鎧の騎士)に助けを請い、騎士は人類を代表して、幸福を探求する。勇者を包み込むように寄り添う二人の女「同情」と「功名心」。
2:敵対する力 人類に敵対する力、危険や誘惑、世の中に潜在する敵に立ち向かう。ゴリラのような獣は、怪物テュフォン。獣が大きく広げた羽の中に蹲る痩身の女「心を蝕む悲しみ」。テュフォンの左側に立つテュフォンの娘、ゴルゴン三姉妹。「病気・狂気・死」。テュフォンの右側に佇む三人の女「肉欲・淫蕩・不節制」。
3:詩 浮遊する精霊たちに導かれる。竪琴を手にした女、詩の女神。人類の幸福への憧れが詩に癒される。
4:この接吻を全世界に、純粋な喜び、純粋な幸福、純粋な愛 藝術の女たちの祝福を受け、楽園の天使たちが合唱する。抱擁し接吻する男女。「この接吻を全世界に」。Diesen Kuss der ganzen Welt
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参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」東京都美術館・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
https://bit.ly/2ZM5pyR
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
https://bit.ly/2UoqUWz
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マークス・フェリンガー「生命の円環― クリムト自身を映す象徴主義」『クリムト展 ウィーンと日本1900』図録
マークス・フェリンガー「クリムトにとって絵画は、肖像画も風景画も装飾品。」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
【グスタフ・クリムト《接吻》(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵)】1890、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーンの貴族や上流階級との交流が始まった。二人の足下にある花園は断崖で、かろうじてかかった女性の両足が、転落の予感と背中合わせという二人の瀬戸際の運命的な愛を暗示。1907年《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》や《接吻》(1907-8)を制作、クリムトの黄金様式が頂点を迎えた。
千足伸行「グスタフ・クリムト《接吻》 溶け落ちる永遠」.
https://artscape.jp/study/art-achive/10152843_1982.html
革新とエロス、多彩な油彩画 「クリムト展 ウィーンと日本1900」
https://www.asahi.com/event/DA3S13984987.html
ライジンガー真樹 クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ 1
https://tokuhain.arukikata.co.jp/vienna/2010/11/post_238.html
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Gustav Klimt The Beethoven Frieze 1902
Gustav Klimt The Kiss 1907-08
Gustav Klimt Emilie Flöge (aged 17)1891
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19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムト(1862-1918)。華やかな装飾性と世紀末的な官能性をあわせもつその作品は、いまなお圧倒的な人気を誇ります。没後100年を記念する本展覧会では、初期の自然主義的な作品から、分離派結成後の黄金様式の時代の代表作、甘美な女性像や数多く手掛けた風景画まで、日本では過去最多となる25点以上の油彩画を紹介します。ウィーンの分離派会館を飾る壁画の精巧な複製による再現展示のほか、同時代のウィーンで活動した画家たちの作品や、クリムトが影響を受けた日本の美術品などもあわせ、ウィーン世紀末美術の精華をご覧ください。東京都美術館
https://www.tobikan.jp/exhibition/index.html
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★クリムト展 ウィーンと日本 1900、東京都美術館、4月23日(火)~7月10日(水)
豊田市美術館、7月23日(火)~10月14日(月・祝)

2019年5月 1日 (水)

「クリムト展 ウィーンと日本 1900」・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想

Klimt2019
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第180回
ベルヴェデーレ宮殿の庭を歩いていくと、ハーピストが向こうから歩いてきた。灼熱のウィーンの夏の日の思い出。ハプスブルク帝国、東欧の世界遺産をめぐる旅。あの夏、ベルヴェデーレ宮殿でクリムト『接吻』(1907-8)をみた。ベルヴェデーレの裏庭のスフィンクスからシュテファン寺院と市街を眺める。ベルリン博物館島、マイセン、ドレスデン、ウィーン、ザルツカンマーグート、ヴォルフガング湖、白馬亭、ザルツブルク、プラハ、カレル橋、チェスキークルムロフ城、ドナウの薔薇ブダペスト。稲光が光り雷鳴が鳴る、嵐の夜のドナウ川クルーズ、ブダペストからチューリッヒへ飛行、蘇る青春の日の旅。
春爛漫、花の匂い漂う森を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅と牡丹と八重桜の咲き匂う森から、秘書は駆けよってきた。彼女と八重櫻、園里黄桜が咲く道を歩く。
クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』は、黄金の甲冑で武装した騎士が、敵対する力と戦い、竪琴をもつ詩の女神に出会い、純粋な幸福と愛に辿りつく旅路。楽園の天使の合唱、「麗しき神の火花よ」「この接吻を世界に」。夕暮れに、竪琴をもつ美の女神、美の楽園の天使は、美しい魂に舞い降りる。
【グスタフ・クリムト「接吻」ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館】二人の足下にある花が咲き乱れる花園は断崖で、かろうじて支える女性の両足。1891年、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーンの貴族や上流階級との交流が始まる。彼女は、クリムト(1862-1918)の死後、34年生きる。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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クリムト、人生と藝術・・・華やかな装飾絵画と女たち
大久保正雄『藝術家の運命との戦い』より
1、【新古典主義様式】クリムトは1883年、弟エルンストと画家仲間のフランツ・マッチュと、室内装飾を手がけるアトリエ「芸術家カンパニー」を共同経営。ウィーンの市街地が再開発された時代。今も残る、美術史美術館やブルク劇場の壁画。
黄金様式の作風は、この時代には生まれなかった。1888年ブルク劇場オープと同時に完成した天井画「タオルミーナの劇場」。
【クリムト、エミリエ・フレーゲとの出会い】
1890年初め、クリムトはエミリエ・フレーゲと出会い、彼女と生涯行動をともにする。クリムトの代表作『接吻』(1908)のモデルはエミリエ。フレーゲ3姉妹との出会いによって、オーストリア貴族と富裕層とのつきあいが始まる。エミリエとの出会いが、分離派、黄金様式、装飾藝術を生みだす。
【クリムト30歳、父と弟の死】
1892年、父が脳卒中で死す。弟エルンスト・クリムト、心膜炎で急死。生と死のテーマが胚胎する。
――
2、【世紀末のクリムト1898】
19世紀末のクリムトの様式の特徴は、『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』でみられる象徴主義的な人物造形。『古代ギリシャとエジプト』『アテナ』1898。『ヌーダ・ヴェリタス』でクリムトは、ハプスブルグ家の政治と社会の両方を批判。苦しみを忘れるように女性の裸体を描く。
【ウィーン大学大講堂天井画事件1900】1894年クリムトはウィーン大学の大講堂の壁画の天井装飾画の3作品の依頼を受ける。19世紀内の完成は間に合わず《医学》《哲学》《法学》の3作品。理性を権威とする大学の意向と反対のポルノグラフィ。論争となる。クリムトの表現は性的で、当局と大衆の反撥を受ける。
3、【クリムト、1897年、ウィーン分離派、黄金様式】
【クリムト、1897年、ウィーン分離派創設、初代会長】クリムト『ヌーダ・ヴェリタス』(1899)は「確立された価値観を覆す」ことを宣言した。クリムトは第14回ウィーン分離派展示会『ベートーベン・フリーズ』(1902年)を発表。
4、【クリムト「黄金様式」】1901年から始まる。『ユディト』1901、『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』1907年『接吻』1908、黄金時代に制作した金箔絵画。
【グスタフ・クリムト『ユディト』1901】敵の将軍、ホロフェルネスの首を刎ね、手に持つヘブライ人の女ユディトの姿。 クリムトは切断されたホロフェルネスの首を手に持つユディトが恍惚の瞬間の表情を描く。
【クリムト『接吻』愛のテーマ】クリムト『接吻』1907-8。花が咲き乱れる花園の断崖の上に立つ二人。女の両足が断崖に踏みとどまる。女はエミリエ・フレーゲ、男はクリムト自身。『ベートーヴェン・フリーズ』1902『生命の木』1905、から展開した。
――
5、【クリムト、女たち、装飾絵画】愛と死
【苦悩するクリムト、36歳】1899年、7月、9月、2人の女が非嫡出子を生み、クリムトは窮地に陥る。誘惑する女と残酷な現実に苦悩する。《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》1902、3番目の子が死亡する。
【クリムト、55歳で死す】1911年作品『死と生』が、1911年、ローマ国際芸術展で最優秀賞を受賞。1915年に母アンナが死去。3年後の1918年2月6日にクリムトは当時世界的に流行していたスペイン風邪で死去。ウィーン、ヒーツィングにあるヒエットジンガー墓地に埋葬された。55歳。
【クリムト、女たち、装飾絵画】毎日のようにクリムトの家の扉をたたく富裕層のパトロンで溢れかえり、騒がしい日々。富裕層の夫人、令嬢、モデルの女性がいつもクリムトの家にやってきて、みずから服を脱ぎ、ヌードになる。
クリムトは、生涯結婚しなかったが、多くのモデルと愛人関係にあり、非嫡出子の存在が14人確認されている。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
グスタフ・クリムト《ユディトⅠ》 1901年 油彩、カンヴァス 84 x 42 cm ウィーン、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館© Belvedere, Vienna, Photo: Johannes Stoll
グスタフ・クリムト《女の三世代》1905年ローマ国立近代美術館Galleria Nazionale d’Arte Moderna e Contemporanea, Roma
《女の三世代》1905は、眠る幼子と幼子を抱く若い母とうなだれる老女、三世代の生命の円環。
グスタフ・クリムト《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》1899年 油彩、カンヴァス 244×56.5cmオーストリア演劇博物館© KHM-Museumsverband, Theatermuseum Vienna
グスタフ・クリムト《ベートーヴェン・フリーズ》正面の壁「敵意に満ちた力」
《ベートーヴェン・フリーズ》第3の壁1984年(原寸大複製/オリジナルは1901-1902年、216×3438cm)ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館 © Belvedere, Vienna
グスタフ・クリムト《17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像》1891年 パステル、厚紙67×41.5cm 個人蔵
グスタフ・クリムト《ヘレーネ・クリムトの肖像》1898年 油彩、厚紙 59.7×49.9 cm
個人蔵(ベルン美術館寄託)Kunstmuseum Bern, loan from private collection
グスタフ・クリムト《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》1902年 チョーク、紙
グスタフ・クリムト《アッター湖畔のカンマー城III》1909/10年 油彩、カンヴァス
グスタフ・クリムト《オイゲニア・プリマフェージの肖像》1913/14年 油彩、カンヴァス
フランツ・マッチュ「女神(ミューズ)とチェスをするレオナルド・ダ・ヴィンチ」1889油彩、カンヴァス
エルンスト・クリムト「フランチェスカ・ダ・リミニ」1890油彩、カンヴァス
フランツ・マッチュ「ソフォクレス『アンティゴネ』上演中のアテネのディオニュソス劇場(ブルク劇場天井画のための下絵)」1886年 油彩、カンヴァス
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参考文献
マークス・フェリンガー「生命の円環― クリムト自身を映す象徴主義」『クリムト展 ウィーンと日本1900』図録
マークス・フェリンガー「クリムトにとって、絵画は肖像画も風景画も装飾品である。」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
【グスタフ・クリムト《接吻》(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵)】1890、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーンの貴族や上流階級との交流が始まった。二人の足下にある花園は断崖で、かろうじてかかった女性の両足が、転落の予感と背中合わせという二人の瀬戸際の運命的な愛を暗示。1907年《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》や《接吻》(1907-8)を制作、クリムトの黄金様式が頂点を迎えた。
千足伸行「グスタフ・クリムト《接吻》 溶け落ちる永遠」.
https://artscape.jp/study/art-achive/10152843_1982.html
革新とエロス、多彩な油彩画 「クリムト展 ウィーンと日本1900」
https://www.asahi.com/event/DA3S13984987.html
ライジンガー真樹 クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ 1
https://tokuhain.arukikata.co.jp/vienna/2010/11/post_238.html
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クリムト展 ウィーンと日本 1900、東京都美術館、4月23日(火)~7月10日(水)
豊田市美術館、7月23日(火)~10月14日(月・祝)
https://www.tobikan.jp/exhibition/index.html

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