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2018年4月24日 (火)

「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」・・・藝術家と運命との戦い

Pushkin2018大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第144回
春爛漫、花盛り、紫の躑躅咲く。新緑の森を歩いて、美術館に行く。印象派の絵画は、光の絵画であり、輝く光があふれる。その陰には運命との戦いがある。
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
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クロード・モネ、藝術家と運命との戦い
クロード・モネ(Claude Monet, 1840—1926)。若き日、貧困にあえぐ。愛する女の死と悲しみから藝術が生まれる。貧乏な画家のモネはカミーユと恋に落ち、子供が生まれる。モデルを雇うお金がないモネが描く人物画は、カミーユがモデルを務めている。
1879年、モネの妻カミーユ32歳で死す。のちに、支援者オシュデの令嬢18歳のシュザンヌ・オシュデを描く。
1859、19歳でパリに行き、カミーユ・ピサロに出会う。
1866年、恋人カミーユ・ドンシューを描く。『カミーユ、緑衣の女』1866、サロンに出展、絶賛される。1867年、カミーユ、未婚のままモネとの間に長男を出産、1870年にようやく結婚した。
1867、モネ『海辺のテラス、サンタドレス』。
1871年、アルジャントゥイユに移る。
モネ『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年。1874年、第1回、印象派展に出展。クロード・モネ『日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ』1875年。
1878年、同じくセーヌ川沿いのヴェトゥイユに住み、パトロンであるエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族と同居生活。
1875年7月、カミーユは当時不治の病だった結核にかかり、1879年、カミーユ(1847—79旧姓カミーユ・ドンシュー)は32歳の若さで死ぬ。モネ39歳。以後、人物画を描くことはまれになった。
1883年アリス・オシュデとモネ、両家の子供たちはジヴェルニーに転居する。モネ、43歳。モネはその後1892年にアリス・オシュデと再婚。
1886年、第8回印象派展開催(最後)モネ不参加。
1893年ジヴェルニーの邸に隣接する土地を購入。1893年頃から北斎に惚れ込み、日本庭園を作る、リュ川から水を引き日本風の太鼓橋を配置、睡蓮を浮かべた「水の庭」を制作。99年から死ぬまで続くモネの代表作「睡蓮」連作に取り組む。
1911年アリスが亡くなり、息子のジャンも14年に先立つ。
1926年ジヴェルニーで死去。享年86歳。
1927年オランジュリー美術館に「睡蓮」大連作展示。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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【クロード・モネ「草上の昼食」1866年】
クロード・モネが26歳の頃、1866年に描いた「草上の昼食」。パリ近郊のフォンテーヌブローでピクニックを楽しむ若者たち。モネが敬愛したエドゥアール・マネ「草上の昼食」(1862年頃オルセー美術館所蔵)に触発されて描いた。モデルの女性は、当時モネと出会ったばかりの恋人、後に妻となるカミーユ。紳士はモネの友人で画家だったフレデリック・バジール。カミーユは32歳で死ぬ。
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展示作品の一部
クロード・ロラン「エウロペの掠奪」1655年
ユベール・ロベール「水に囲まれた神殿」1780年
クロード・モネ「草上の昼食」1866年
クロード・モネ「白い睡蓮」1899年
ルノワール「ムーラン・ドラ・ギャレットの木陰」1876年
ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め」1905年
アンリ・ルソー「馬を襲うジャガー」1910年
ポール・ゴーギャン「マタモエ、孔雀のいる風景」1892年
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大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・カミーユの愛と死
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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珠玉のフランス絵画コレクションで知られるモスクワのプーシキン美術館から、17世紀から20世紀の風景画65点が来日します。神話の物語や古代への憧憬、あるいは身近な自然や大都市パリの喧騒、果ては想像の世界に至るまで、描かれた時代と場所を軸にフランス近代風景画の流れをご紹介します。様々な情景を舞台にした風景画は、その土地のにおいや太陽の煌めき、風にそよぐ木々や街のさざめきをも感じさせてくれます。
なかでも、初来日となるモネの《草上の昼食》では、同時代の人物たちとみずみずしい自然の風景が見事に調和しています。印象派の誕生前夜、26歳となる若きモネの魅力溢れる作品です。ほかにもロラン、ブーシェ、コロー、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン、ルソーらの作品が集います。新緑の上野で、巨匠たちが愛した光と色彩が躍る美しい風景を巡る「旅」をどうぞお楽しみください。
http://www.tobikan.jp/exhibition/2018_pushkin.html
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★「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」東京都美術館、4月14日-7月8日
「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」国立国際美術館2018年7月21日(土)~10月14日(日)

2018年4月15日 (日)

東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人

20180331大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第143回
春爛漫、百花繚乱、花吹雪。花盛りの森を歩いて美術館に行く。春高楼の花の宴、夜桜の森の下、酔う人々。いにしえの美人の面影が蘇る。春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女。
美には、魂の美、肉体の美、内面の美、外面の美、見えざる美、表面の美、内面と外面が一致した美がある。美人画の美女は、夢みる若い女、上流階級の毅然とした美女、艶麗な美女。美人画の最高峰は何か。
日本の美人画が描いていない領域がある。日本の美人画は、ラファエル前派、ルネサンスの美女、バロックの美女、新古典主義の美女とどこが異なるのか。
菱田春草「水鏡」(1897)は「美人はいつまでも美にあらず、ついには衰えるときがある」「天女衰相、天女の相が映る」(菱田春草『画界新彩』)。菱田春草は37歳で夭折する。
上村松園「序の舞」1936は「優美なうちにも毅然として犯しがたい気品」(『靑眉抄』)を表現している。
不気味な女たち。妖気を感じる。上村松園「焔」1918、岸田劉生「麗子」1920「野童女」1922、甲斐庄楠音「幻覚」1920、女は、人間の矛盾を映す鏡である。「江戸時代の幽霊は、女がほとんど。女は、抑圧される。抑圧されていた女は、死んで恨みを晴らす。恨みの視覚化が妖怪である。妖怪は、人が抱える矛盾を映す鏡である。」(小松和彦)
岸田劉生がデロリとよんだ甲斐庄楠音は83歳まで生き、岸田劉生は38歳で没した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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美人画の始まり 樹下美人図
「鳥毛立女屏風図」正倉院宝物 天平勝宝四年(752年) 。「樹下美人図」ともよばれる。天平勝宝八年(756)の『東大寺献物帳』に「六扇」と記載されている。樹下に佇む唐の装束を着た婦人を描いた。シルクロード起源である。
【樹下美人図】春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女。春の園が紅色に美しく輝くように咲いている桃の花の色が、木の下までも照り映えている道に出て立っている乙女よ。(天平勝宝二(西暦750年)年三月一日の暮(ゆうへ)に、春苑の桃李の花を眺矚(なが)めて作る歌二首。大伴家持 (万葉集巻十九、4139)
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より」
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展示作品の一部
鈴木春信「琴を弾く美人」1767「三十六歌仙」1767
勝川春章「青楼美人合鏡」1776
鳥居清長「美南見十二侯」1784
喜多川歌麿「当世三美人」1793
菱田春草「水鏡」1897
鏑木清方「一葉」1940
菊池契月「友禅の少女」1933
甲斐庄楠音「幻覚」1920
上村松園「序の舞」1936
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参考文献
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-ee4b.html
「ザ・ビューティフル ― 英国の唯美主義 1860‐1900」・・・大英帝国の黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/18601900-9567.html
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
https://bit.ly/2pJnsnZ
「上村松園展、東京国立近代美術館」2010年9月7日-10月17日
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1f70.html
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このほど、近代美人画の最高傑作である上村松園作《序の舞》(重要文化財)の修理が完成し、本展にてはじめて一般に公開される運びとなりました。上村松園(1875-1949)は、京都に生まれ鈴木松年や竹内栖鳳らに学びながら、独自の美人画様式を確立。官展を中心に活躍し、昭和23年(1948)、女性としてはじめての文化勲章を受章しました。昭和11年(1936)作の《序の舞》は、松園のもっとも充実した時期に制作された代表作のひとつです。
本展では、この機に、江戸時代の風俗画や浮世絵に近代美人画の源流を探りながら、《序の舞》に至る美人画の系譜をたどります。明治中期から昭和戦前期までの、東京と関西における美人画の展開を、松園をはじめ菱田春草、鏑木清方、菊池契月、北野恒富ら著名作家たちの名作を中心に俯瞰いたします。
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2017/bijinga/bijinga_ja.htm
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★東西美人画の名作 《序の舞》への系譜、東京藝術大学大学美術館
2018年3月31日〜5月6日

2018年4月10日 (火)

島薗進『死生学 宗教の名著 魂のことば』上智大学、5月27日

Botticellinascitaveneresimonettaves上智大学、6号館204教室、午後3時30分から
【講演】島薗進【解説、質疑応答】大久保正雄【司会】畑中紀子【企画】大久保正雄
上智大学ソフィア会 ソフィア文化芸術ネットワーク
―――
島薗進、東京大学大学院名誉教授、上智大学大学院教授
宗教の名著に刻まれる、生と死、知恵と愛の意味。様々な文明、多様な文化に宗教がある。宗教の名著のなかに、魂のことばを読み、生と死、知恵と愛の意味を考える。生死を超える言葉、人の痛みを癒す苦悩を超えて生きる言葉。宗教の名著には不朽の思想がある。
死生学(Thanatology)の根本にある問いは「死を迎える人の心の痛みにどう応えるべきか」である。
島薗進『宗教学の名著30』。空海『聾瞽指帰』『秘蔵宝鑰』、エリアーデ『永遠回帰の神話』、ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。他
―――
ソフィア文化芸術ネットワーク
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
★問い合わせ 上智大学ソフィア会 Tel.03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

2018年4月 7日 (土)

孫崎享『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』上智大学、5月27日

196Magosakiookubo_01上智大学、6号館204教室、午後1時30分—3時30分
【講演】孫崎享【解説、質疑応答】大久保正雄【司会】畑中紀子
上智大学ソフィア会 ソフィア文化芸術ネットワーク
―――
孫崎享、元駐イラン大使、元外務省国際情報局長、『日本の「情報と外交」』『日米同盟の正体』『日本人のための戦略的思考入門』他、著書多数。
日本の報道の自由度は世界72位(180カ国、2017年)。国際政治情報は誤りだらけだが、どのように真の情報を収集し分析、判断するのか。核の傘は存在するのか。ミサイルは迎撃できるのか。なぜ日本は国連の敵国条項なのか。塩野七生の「ルネサンス、ローマ帝国」は誤謬だらけだが、どのように真の知識を蒐集し分析するのか。大河ドラマの戦国史、幕末は誤謬だらけだが、どのように真の知識を判断するのか。
「国際政治の基礎知識」
MIC Military Industrial Complex, MAD Mutual Assured Destruction
BIS→CFR→CIA→CSIS→アメリカ政府→米軍→日米合同委員会→日米地位協定→日本政府。統一指揮権密約 Bank for International Settlements、Council on Foreign Relations
―――
【対談】孫崎享×大久保正雄
★孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/11-ee90.html
★問い合わせ 上智大学ソフィア会 Tel.03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

2018年3月29日 (木)

ルノワール『イレーヌ』・・・非情な運命が襲いかかる、波瀾に立ち向かう

Irne_cahen_danvers_1880大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第142回
一枚の絵画に、非情な運命が襲いかかる、波瀾に立ち向かう人。藝術家は運命と戦う。運命の女があらわれる。黄昏時、美しい女神が美しい魂を救う。
オーギュスト・ルノワール『イレーヌ』(Pierre-Auguste Renoir Portrait d'Irène Cahen d'Anvers)1880)。1880年夏、別邸の庭でモデルをつとめた8歳のイレーヌ。可憐な8歳の美少女、紅の頬、睫毛が長く憂いを帯びた表情。「絵画史上最強の美少女」。藝術家とモデルと富豪の父と娘。
ルノワールは1877年「第3回印象派展」を最後に、印象派を離れて、サロンに移る。富裕層の出資者を探し始める。銀行家、ルイ・カーン・ダンヴェール伯爵から三人姉妹の得の注文を受ける。ルノワールはこの時39歳、39年後、1919年、78歳で死ぬ。
オーギュスト・ルノワール『イレーヌ』(1880)。イレーヌに非情な運命が襲いかかる。イレーヌは二度の結婚と離婚。第一次世界大戦で子息は撃墜死。娘ベアトリスは一家4人ナチスのユダヤ迫害で死亡。ナチスの美術品略奪、印象派好きのゲーリングの手中に。1949年77歳の時、イレーヌはルノワール『イレーヌ』を競売に出しビュールレの手に渡る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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1880年夏、別邸の庭でモデルをつとめた8歳の『イレーヌ』(1880)は、可憐な8歳の美少女、紅の頬、睫毛が長く憂いを帯びた表情。「絵画史上最強の美少女」。注文主は、富裕なユダヤ人銀行家、ルイ・カーン・ダンヴェール伯爵。
イレーヌは、19歳でカモンド伯イザクと結婚。10年ほどで破綻し、30歳でサンピエーリ伯と再婚、20年ほど後に二度目の離婚。息子ニッシムは長じてフランス空軍のパイロットとなり、第一次世界大戦末期1917年、25歳でロレーヌ地方において撃墜死。
1894年に生まれた娘ベアトリスはレオン・ライナッハの妻となり、二人の子に恵まれるが、一家4人ともナチスのユダヤ迫害によって捕らえられ、アウシュビッツほかの収容所で全員命を落とす。
ナチスはフランスのユダヤ人家庭から美術品を略奪、ジュ・ド・ボーム美術館に集めた。『イレーヌ』を描いた絵はジュ・ド・ボーム美術館に移され、一時期は印象派美術好きのゲーリングの手もとにあった。1946年になって絵はイレーヌ本人のもとに戻された。彼女はすでに74歳。その3年後に競売にかけられ、ビュールレによって落札された。
★参考文献
日曜美術館「イレーヌ ルノワールの名画がたどった140年」2018年3月4日NHK
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」図録
国立新美術館、2018年2月14日~5月7日
九州国立博物館、2018年5月19日~ 7月16日
名古屋市美術館、2018年7月28日~ 9月24日
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*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-9927.html
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-9927.html

2018年3月26日 (月)

「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い

20180324大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第141回
春爛漫、桜並木、桜の花咲く道を歩いて、横浜美術館に行く。
ヌードは、欲望、誘惑、美、強さ、死、誇示、表現の自由の戦い、禁じられた恋、永遠のテーマであるが、国家、社会、宗教、道徳によって批判、抑圧されてきた。
藝術家は、表現の自由のために戦う。古典主義と反古典主義、リアリズムとシュルリアリズム。フレデリック・ロード・レイトン「プシュケの水浴」(1890)、エル・グレコ「詩人のためらい」(1913)ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」(19044)。
オーギュスト・ロダン『接吻』(1901年)は、儚く、刹那的な行為、瞬間の美を大理石で不滅にした。ギリシアのペンテリコン大理石で彫刻した。理想的な形とエロティシズムを表現した。
オーギュスト・ロダン『接吻』(1898年)。死の口づけ。死に向かう愛。フランチャスカ・ダ・リミニとパオロの恋。求め合い、引き寄せ、擁き合い、死に向かう。禁じられた恋。二人を死に導く口づけ。ダンテ『神曲』「地獄篇」に登場するパオロとフランチェスカの悲恋をモチーフにした作品。『考える人』同様『地獄の門』を装飾するレリーフの1つとして構想され「フランチェスカ・ダ・リミニ」の題名で呼ばれた。1900年パリ万国博覧会、1918年ロダン美術館が所蔵。
ロダン『接吻』(1901年)。エロティックすぎるとの批判を受けて発注者ウォレンのもとに戻されその死まで手元に秘蔵された。1955年、オークションでも売れなかったこの彫刻をロンドンのテート・ギャラリーが買い上げコレクションの1つとなる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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思想表現の自由の戦い 国家による思想統制、言論統制との戦い
国家による思想統制、教育統制が行われる国において、思想言論の自由は存在しない、またヌード表現の自由は存在しない。古代ギリシアは、思想言論の自由、表現の自由の国であった。しかし、ルネサンス、ヴィクトリア朝、ラファエル前派、現代において、ヌード表現の自由は存在しない。現代は、古代ギリシアの表現の域を超えていない。
思想表現の自由を守る人々
マンチェスター市立美術館は、J. W.ウォーターハウス「ヒュラスとニンフたち」(1896)を撤去。バルテュス「夢見るテレーズ」(1938)の撤去要請をメトロポリタン美術館は拒否した。「メトロポリタン美術館の広報主任ケン・ウェインは「メトロポリタン美術館は、あらゆる時代と文化において重要な意味を持つ美術品を、収集・研究・保存・公開することで、人々と創造性・知識・アイデアをつなぐ架け橋となることをミッションとしています。」『美術手帖』
https://bijutsutecho.com/news/9741/
ヌードは、愛と美と死の象徴であり、古代ギリシアの都市は、神殿にヌード彫刻が林立した。ルネサンス時代、ヌードは神々のヌードに限定され、ヴィクトリア朝時代、19世紀後半、ヴィクトリアン・ヌードが流行したが、神話画に限定された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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★「ヌード NUDE」展示作品の一部
オーギュスト・ロダン「接吻」1901-4年 ペンテリコン大理石
フレデリック・ロード・レイトン「プシュケの水浴」1890年Frederick Leighton,Bath of Psyche
ウィリアム・エッティ「下臣ギュゲスに王妃の裸を覘かせるリュディア王、カンダウレス王」1830 William Etty;Candaules, King of Lydia, Shews his Wife by Stealth to Gyges
ハーバート・ドレイパー「イカロス哀悼」1898
ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」19044年Paul Delvaux, Venere dormiente,1944
エル・グレコ「詩人のためらい」1913 El Greco, Uncertainty of the Poet 1913
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西洋美術200年にわたる裸体表現の歴史
1. テーマは「ヌード」。西洋の芸術家たちの挑戦の軌跡を追う。
「ヌード」は西洋の芸術家たちが絶えず向き合ってきた永遠のテーマです。しかし、「ヌード」をテーマにした大規模な展覧会は前例が少なく、挑戦的な試みです。本展は、この難しいテーマに意欲的に取り組み、ヴィクトリア朝から現代までのヌードの歴史を辿ります。
2. 近現代美術の殿堂、英国テートからヌードの傑作が集結。
1897年の開館以来、世界屈指の近現代美術コレクションと先進的な活動で常に美術界をリードしてきたテート。その至高の作品群よりヌードを主題とした作品が集結します。ロダンの大理石彫刻《接吻》をはじめ、ターナーが描いた貴重なヌード作品や、マティス、ピカソ、ホックニーなど19 世紀後半から現代まで、それぞれの時代を代表する芸術家たちの作品が出品されます。
3. ロダンの大理石彫刻《接吻》が日本初公開!
ロダンの代表作であり、男女の愛を永遠にとどめた《接吻》。情熱に満ち、惹かれ合うふたりの純粋な姿が、甘美な輝きに包まれています。「恋愛こそ生命の花です」*、こう語るロダンにとって、愛することは生きることそのものであり、また制作の原点であったといえるでしょう。ブロンズ像で広く知られる《接吻》ですが、高さ180センチ余りのスケールで制作された迫力の大理石像は世界にわずか3体限り。そのうちの一体がついに日本初公開です。*高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』より
http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20180324-496.html
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*「ヴィクトリアン・ヌード 19世紀英国のモラルと芸術」東京藝術大学大学美術館2003
アンナ・リー・メリット"ヴェヌス・ヴェルティコルディア"
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ"プシュケの水浴"
フレデリック・レイトン"イカロス哀悼"
ハーバート・ドレイパー"クピドとプシュケ"
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2003/Victorian/list/list_ja.htm
2003年5月24日~8月31日
東京藝術大学大学美術館 03-5685-7755(代表)
http://www.geidai.ac.jp/museum/
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★「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館、2018年3月24日-6月24日

2018年3月10日 (土)

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス

20180224大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第140回
ベラスケスの絵を見ると、早春のイベリア半島、スペインの大地を旅した日々を思い出す。『アランフェス協奏曲』をきくと、スペインの哀愁が蘇る。アルハンブラ宮殿、トレドのアルカサール、ロンダの断崖。プラド美術館、ベラスケス『ラス・メニーナス』、ヒエロニムス・ボス『快楽の園』。サン・トトメ教会のエル・グレコ『オルガス伯の埋葬』。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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ベラスケス「王太子バルタサール・カルロスの騎馬像」。フェリペ4世の子、6歳の姿を描いた絵画。馬の前足を上げる凛々しい雄姿。スペイン・ハプスブルグ帝国の王位を継ぐ予定だったが16歳で亡くなった。フェリペ4世の王女マルガリータ・テレサは、14歳で結婚、21歳で死ぬ。権力至上のハプスブルグ帝国は、青い血の血族結婚で滅びる。
ベラスケスは、19世紀半ばエドゥアール・マネに発見されるまで知られざる画家だった。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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17世紀、スペイン・ハプスブルク帝国の落日、美術の黄金の世紀
■ディエゴ・ベラスケスDiego Velázquez (1599-1660)
1623年、24歳の若さで国王フェリペ4世の王直属の画家になる。33年間の宮廷画家、官僚生活を内心は嫌悪していた。1652年宮廷配室長になり、王宮の鍵を管理する。官僚の激務で、61歳で死す。心筋梗塞。
1628年—1629年、宮廷画家。外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ベラスケス、ルーベンスに教えを受ける。ベラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。1629年、1回目のイタリア旅行に行く。1647年、2回目のイタリア旅行(1647~1651年)。1651年ベラスケス、イタリア旅行から帰国。5歳の王女マルガリータを描く。最高傑作『ラス・メニーナス』1656『白衣の王女マルガリータ』1656
ベラスケスは、破天荒な天才画家ではなく階級社会に従順な優等生宮廷画家である。だが2度のイタリア旅行で、藝術に目覚め、人間に目覚めた。
■フェリペ4世Felipe IV, 1605 在位1621—65 60歳でマドリードで死ぬ。
2人の王妃、イザベル、マリアナ
王妃マリアナは息子バルタサール・カルロスの婚約者であったが、早世したためその父フェリペ4世の2番目の妻となる。フェリペ4世が溺愛した妹マリア・アンナ王女の子である。伯父と姪の結婚である。
フェリペ4世の子女は、14人がいるが、ハプスブルク家は広大な領土を守るため血族結婚を繰り返し、フェリペ4世の子どもたちは殆ど幼くして夭折する。
バルタサール・カルロス(1629年 - 1646年)、マルガリータ・マリア・テレサ(1651年 - 1673年)、フェリペ・プロスペロ(1657年 - 1661年)。
■王女マルガリータ・テレサ・デスパーニャMargarita Teresa D’Espagna (1651—1673)
王女マルガリータは、14歳で結婚、21歳で死ぬ。ベラスケスの死後13年、1673年、死去。
■ハプスブルク家の蒐集家たち 太陽の沈まぬ帝国、帝国の落日
ティツィアーノを召し抱えたカール5世、スペイン王フェリペ2世は、ヒエロニムス・ボスを愛好した。フェリペ4世は、ベラスケスを宮廷画家、官僚にした。アルブレヒト・デューラーを庇護したマクシミリアン1世、マクシミリアン1世の子、フィリップ美公は、ヒエロニムス・ボスを愛好した。これがスペイン王宮に残る。ブリューゲル1世を愛好したルドルフ2世。
フェリペ2世は、太陽の沈まぬ帝国を築く。スペイン絶対王政の最盛期。1571年、レパントの海戦で勝利、ポルトガル併合。カトリック政策で、オランダ独立を招く。1588年、無敵艦隊がイギリスに敗れる。
帝国の落日、フェリペ4世は、スペイン・ハプスブルク家を滅亡に導くが、美術蒐集家として名を残す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
ディエゴ・ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」1635年頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「狩猟服姿のフェリペ4世」1632-34年、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「メニッポス」(1638頃)
ディエゴ・ベラスケス「バリェーカスの少年」1635-45年、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「マルス」1638年頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」1635頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「東方三博士の礼拝」1619年頃、プラド美術館蔵
ティツィアーノ「音楽にくつろぐヴィーナス」1550頃、プラド美術館蔵
ペーテル・パウル・ルーベンス「聖アンナのいる聖家族」1630頃、プラド美術館蔵
ヤン・ブリューゲル(父)、ヘンドリク・ファン・バーレン、ヘラルト・セーヘルスら「視覚と嗅覚」1620年頃、プラド美術館蔵
ルーベンス&ヨルダーンス「アンドロメダを救うペルセウス」1639-41年プラド美術館蔵
ルーベンスの絶筆とされ、死後、弟子ヨルダーンスが完成させたことになっている。
デニス・ファン・アルスロート「ブリュッセルのオメガングもしくは鸚鵡の祝祭:職業組合の行列」616 年プラド美術館蔵
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参考文献
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1

ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
http://bit.ly/2zGK4N2
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
http://bit.ly/2oulcAv
マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝1493年—1519年)
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-09fb.html
ハプスブルク家の蒐集家たち「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展」
http://bit.ly/2DiTQnd
大高保次郎「宮廷画家ベラスケスの挑戦と革命 ボデゴンと肖像から物語絵へ」『プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光』図録
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マドリードにあるプラド美術館は、スペイン王室の収集品を核に1819年に開設された、世界屈指の美の殿堂です。本展は、同美術館の誇りであり、西洋美術史上最大の画家のひとりであるディエゴ・ベラスケス(1599-1660年)の作品7点を軸に、17世紀絵画の傑作など61点を含む70点をご紹介します。
17世紀のスペインは、ベラスケスをはじめリベーラ、スルバランやムリーリョなどの大画家を輩出しました。彼らの芸術をはぐくんだ重要な一因に、歴代スペイン国王がみな絵画を愛好し収集したことが挙げられます。国王フェリペ4世の庇護を受け、王室コレクションのティツィアーノやルーベンスの傑作群から触発を受けて大成した宮廷画家ベラスケスは、スペインにおいて絵画芸術が到達し得た究極の栄光を具現した存在でした。本展はそのフェリペ4世の宮廷を中心に、17世紀スペインの国際的なアートシーンを再現し、幅広いプラド美術館のコレクションの魅力をたっぷりとご覧いただきます。
http://www.nmwa.go.jp
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★日本スペイン外交関係樹立150周年記念
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館、2018年2月24日-5月27日
兵庫県立美術館、2018年6月13日(水)~10月14日(日)

2018年3月 4日 (日)

高貴な精神とは何か。失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。

Romeo_and_juliet_01大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第139回
高貴な精神とは何か。失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。本物志向の時代の終焉。偽物を尊ぶ末人、畜群の時代。目先の利益と地位を追求する末人。理念と正義が崩壊した時代。千年、具眼の士をまつ。「われわれは幸福を発明した。末人たちはそう言ってまばたきする」『ツァラトスゥトラ』序
1、学問の劣化。現代では、偽物が跳梁跋扈する。末人、畜群の時代。
現代の学者のレベルは低い。三浦るり、井上達夫、藤原帰一、御用学者、末人の群れ。真理に仕えず、金と地位に仕える畜群の先導者。末人は人を見るときその外面、地位肩書きで判断する。1960年代から1990年代の学問の水準は高かった。
高貴な精神とは何か。
「人が本当に見ることができるのは心によってだけである。本質は、目で見えない。」具眼の士は肩書き地位で判断せず、人をその中身で見る眼力をもつ。「千載具眼の徒を竢つ」伊藤若冲。孫崎享氏は、心眼で、本質を見る。人の本質を中身で見る眼力、逆境の中にあって真実と美徳を追求する精神である。人間の中身とは、魂、人格、才能、識見、天に捧げる仕事である。建築家、梵寿綱師は「藝術、建築は、天に仕える仕事である」という。
この世の片隅で、世に埋もれながら、天の仕事をなす人がいる。高島野十郎、不染鉄。伊藤若冲、曽我蕭白。高貴な精神の持ち主である。一流の人間だけが一流の才能を評価する。
孤高の画家、蝋燭の画家、高島野十郎
高島野十郎(1890-1975)は、東京大学農学部の水産学の研究を辞し、終生家族を持たず、師もなく、画壇とも関わらず、画壇や世に背を向け、売れもしない精密な写実画を黙々と描き続けた。世話になった人たちに30枚ほど蝋燭の絵を礼として渡した。『傷を負った自画像』(1916)
幻の画家、不染鉄
不染鉄(1891-1976)。大正7年、京都市立絵画専門学校へ入学。同期の上村松篁と親交を深める。不世出の才能。才能を高く評価されながら、戦後、画壇を離れ、晩年まで世の片隅、奈良で画業を続ける。*『山海図絵(伊豆の追奥)』大正14年、『南海之図』昭和30年頃 愛知県美術館、『廃船』昭和44年頃 京都国立近代美術館。
失われた幻の時代、人文科学の学問の巨匠が存在した。手塚富雄、清水純一、井筒俊彦、辻直四郎、長尾雅人、宮坂宥勝、宮崎市定、久保田淳。
永遠の書架に立ちて、千年、具眼の士をまつ
わたしが14歳の頃、読んでいたのは、プラトン、李白、中島敦。古典の世界に憧れた。17歳の時、詩の本を集め始めた。17歳の時、『エウリピデス』(Oxford Classical Text)を購入した。高校生の時、シャイクスピア全集、プラトン『饗宴』を愛読した。『世界古典文学全集』『世界の名著』を愛読しつづけて時の立つのを忘れた。永遠の書架に立ちて、千年、具眼の士を待つ。
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参考文献
清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃 ブルーノの生涯と思想』1972、清水純一『ジョルダーノ・ブルーノの研究』1970
井筒俊彦『意識と本質』1983、井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』1980
手塚富雄『世界の名著 ニーチェ』1966『ツァラトゥストラ』、西尾幹二『ニーチェ』第1部、第2部1977、西尾幹二『ニーチェとの対話』1978、手塚富雄『手塚富雄全訳詩集』1971、辻直四郎『インド文明の曙―ヴェーダとウパニシャッド』1967、宮坂宥勝『沙門空海』1967、長尾雅人、服部正明『世界の名著第1巻『バラモン教典/原始仏典』1969、塚本邦雄『戀 六百番歌合―《戀》の詞花對位法』1975、塚本邦雄『花隠論』1973『定家百首 良夜爛漫』1973
ディミトリー・セルギェーヴィチ・メレシコフスキー『ユリアヌス 神々の死』(1894年) 米川正夫訳 1986、『レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活』(1896年)米川正夫訳1935年岩波文庫1987河出書房、『ピョートル大帝 反キリスト』(1902)
アンドレ・シャステル桂芳樹 訳『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』1989
清水純一『ルネサンス 人と思想』1994、ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ』1981、高階秀爾『ルネサンスの光と闇』1971、辻惟雄『奇想の系譜 又兵衛--国芳』1971『奇想の図譜 からくり・若冲・かざり』1989、佐藤康宏「プライス本鳥獣花木図の作者――辻惟雄氏への反論」『國華』1432号、2015
宮坂宥勝、梅原猛『生命の海<空海>』角川書店1968、松長有慶『理趣経 秘密の庫を開く 密教教典』集英社1984、松長有慶『空海-無限を生きる』集英社1985、宮崎忍勝『私度僧 空海』1991
宮崎市定『史記を語る』1979、井波律子『奇人と異才の中国史 』2005
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2、虚偽の権力が栄える国、理念を追求する人は弾圧される。
権力が栄える国、思想家が弾圧される。思想家、北一輝、二・二六事件で処刑された、昭和11年1936年。大逆事件の幸徳秋水処刑1910年、甘粕事件の大杉栄1923年9月16日、治安維持法1925年、二・二六事件で、思想家、北一輝処刑。昭和11年1936年、小林多喜二の獄中死1933年。近衛文麿失脚1941年。
http://bit.ly/2qVd6oU
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回
http://bit.ly/2vO4qzC
検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。孫崎享
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第10回
https://t.co/UV5VZGgQ5G
偽物志向の国、日本の商品の質が著しく低下
日本の製造業「壊れつつある」−米紙が分析、日刊工業新聞
https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00460670
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3、逆境の時代においても理想を追求して努力する人。運命は勇者に微笑む。
現代、医学の稀少な分野で、命を救うために、高度な真理の探究が行われている。光免疫治療法の小林久隆研究医(NCI)、がん抑制遺伝子治療法の上久保靖彦研究医(京都大学大学院医学研究科教授)。
――
世界を変える奇跡のガン最新治療法「光免疫治療」
http://omoronews.whdnews.com/p/1802/08KA6Xsl1.html
羽生結弦「容姿は宝石の如く、姿は松の如し。軽さは大白鳥の如く、美しさは舞う龍の如し」「運命は勇者に囁きました、あなたは嵐に対抗できません。勇者は言い返しました、私が嵐ですと」中国CCTV
2018年3月4日

2018年3月 1日 (木)

失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。映像の魔術師の死。

Romeo_and_juliet_5_3大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第138回
失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。本物志向の時代の終焉。偽物を尊ぶ末人、畜群の時代。目先の利益と地位を追求する末人たち。理念と正義が崩壊した時代。「われわれは幸福を発明した。末人たちはそう言ってまばたきする」『ツァラトスゥトラ』序
1、映画の巨匠、映像の魔術師たちたちの時代の終焉。劣化する文化。
大学事務局上層部と会合で意見交換した。「映画業界で人材育成が失敗した。監督、脚本家、撮影監督、映画制作者の質が低質化、劣化している。これと同じく大学教員、研究者の質が致命的に劣化した」
『シンゴジラ』などの駄作が持て囃される時代。現代で時代を超えて残る映画監督は、ギレルモ・デルトロ『パンズ・ラビリンス』2006『シェイプ・オブ・ウォーター』であるか。
イタリア映画の巨匠たちの時代は終焉した。ヴィスコンティ『ルドヴィヒ 神々の黄昏』『山猫』、フェリーニ『サテリコン』『フェリーニのアマルコルド』『魂のジュリエッタ』、パゾリーニ『王女メディア』。アメリカ映画の巨匠たちの時代も終焉した。
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映像の巨匠たち 1960-2000年
フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920—1993)イタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。「映像の魔術師」。
フェリーニ『フェリーニのアマルコルド』1973『魂のジュリエッタ』1964『サテリコン』1969『カサノバ』1976『オーケストラ・リハーサル』1979『そして船は行く』1983『道』1954『カビリアの夜』1957
ピエロ・パオロ・パゾリーニ(Piero Paolo Pasolini, 1922-1975)。イタリアの映画監督、脚本家、小説家、詩人、劇作家、評論家、思想家。パゾリーニ『王女メディア』1969『アポロンの地獄』1967『デカメロン』1971『カンタベリー物語』1972『アラビアンナイト』1974『奇跡の丘』1964
イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman, 1918-2007)。スウェーデンを代表する世界的な映画監督。
イングマール・ベルイマン『叫びとささやき』1972『第七の封印』1957『野いちご』1957『処女の泉』1960『鏡の中にある如く』1961『秋のソナタ』1978。映画藝術の神髄。「神の沈黙」「愛と憎悪」「生と死」のなかに人間の精神の闇を見つめた。
ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, conte di Modorone, 1906-1976)。イタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った。
『ルードヴィヒ 神々の黄昏』1972『山猫』1963『神々の黄昏』1969『ベニスに死す』1971
フランコ・ゼフィレッリ(Franco Zeffirelli, 1923年2月12日— )ヴィスコンティの弟子。フィレンツェ出身の映画監督・脚本家・オペラ演出家。
『ロミオとジュリエット』1968『ブラザー・サン シスター。ムーン』1972
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アメリカ映画 アルフレッド・ヒッチコック『めまい』1958、ジャック・クレイトン『華麗なるギャツビー』1974、フランシス・フォード・コッポラ『ゴッド・ファーザー』1972『コットンクラブ』1984『ゴッド・ファーザーPARTⅢ』1990、リドリー・スコット『ブレードランナー』1982、スティーヴン・スピルバーグ『レイダース 失われたアーク』1981『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』1989
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★参考文献
『ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像』1981
篠山起信『ヴィスコンティの遺香―華麗なる全生涯を完全追跡』1982
岩本憲児編『フェリーニを読む 世界は豊饒な少年の記憶に充ちている <ブック・シネマテーク11>』フィルムアート社1994
川本英明『フェデリコ・フェリーニ 夢と幻想の旅人』鳥影社2005
三木 宮彦(著)『ベルイマンを読む―人間の精神の冬を視つめる人 <ブック・シネマテーク8>』1986
2018年2月3日
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2、美術書の終焉。カタログ時代。技術と物、軽佻浮薄を求める人々。末人は、精神の美を求めない。
秋の午後、代官山のカフェで、美術書の女性編集者と企画会議をした。
美術編集者の説明によると「美術書の出版社で、売れるのは、画集、カタログ、作品集、ガイドブック、その類。美術の表面的な皮層を解説する商品が限界。商品が売れないと出版社は生きていけない。美術書は、売れない。」美術編集者は、憂い嘆く。
「美術書は、なぜ売れないのか」
この国の読者は、美術の表面的な皮層のみを見ていて、深い真実を見ない。「エリーザベトはカネと地位のあるハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフに嫁入りして幸せだと大衆は思っている」「ゴッホのアルル時代の作品は色彩豊かで華やかで美しい。なぜ作品を生みだしたのか大衆は考えない」「メディチ家はカネと権力があるからルネサンスを生みだしたと大衆は思っている」と私は答える。
美術編集者は「なぜその作品が生まれるのか、を問う書はあまり存在しない」と指摘する。人気があるのは、『怖い絵』「ネコ展」「カワイイ展」などである。と美術編集者はいう。
大衆に圧倒的な人気があるのは、若冲、北斎、運慶、阿修羅像、印象派、これは群衆を瞬殺する必殺技である。
美術史家が、研究し解説するのは、技術と物と歴史的事実。書物の内容は、物カタログと案内書が主である。大衆とは別の意味で、皮層である。
ルネサンスの美の深層まで探求する美術史家は、アンドレ・シャステル、ケネス・クラーク、清水純一、僅かの学者である。
塩野七生の「ルネサンス、ローマ帝国史」は、誤謬が多いが、何を以って、真偽を判断するのか。それを指摘する人は少ない。早稲田大の古代史教授は、黙殺する。
このような現代の状況の中で、朝日まかて『眩くらら』2016は、傑出している。葛飾応為。北斎の三女、お栄。北斎の工房で絵を描いていたお栄は、二十二歳の時に、水油屋の次男で町絵師の吉之助と結婚する。家事も夜の相手もせず、只管、絵を描くお栄は、吉之助と衝突し、家を飛び出す。出戻って、工房に復帰したお栄は、才能豊かな善次郎(渓斎英泉)への密かな恋に悩む。葛飾応為は、光と影の世界を描く。*葛飾応為『月下砧打美人図』『吉原格子先之図』『‎夜桜美人図』『三曲合奏図』
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魂の深淵、美の精神史 
美術編集者は「なぜこの書物の構想を計画したのですか」と私にたずねる。
「私は、藝術家の魂の深淵、理念を探求する精神史のドラマを、描きたい」と答えた。
思想の歴史は、戦いの歴史である。物質主義と本質主義の思想の戦いの歴史である。*大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』
2017年12月18日
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参考文献
思想の歴史は、戦いの歴史である。物質主義と本質主義の思想の戦いの歴史である。*大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』理想社
http://bit.ly/2BGiuwX
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回
http://bit.ly/2vO4qzC
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』

2018年2月23日 (金)

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」・・・光の画家たちの光と影

Buhrle2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第137回
印象派の画家は、光り輝く絵画を描いた。しかし、壮絶な人生を生きた人が多い。藝術家と運命の戦いがある。光陰の中から、運命の女神があらわれる。
ルノワール『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』(1880年)は、ルノワール39歳の作品、イレーヌは8歳。ルノワールは1879年魂の伴侶アリーヌ・シャリゴと出会う。
■クロード・モネ ヴェトゥイユとカミーユの死 ジヴェルニーにて86歳で死す。
モネは1870年代後半、さまざまな困難に逢う。作品は高値で売れず、生活は困窮する。1877年、最愛の妻カミーユの健康が悪化、モネの支援者エルネスト・オシュデが破産する。1878年次男ミシャエルが生まれるが生活は苦しく、8月オシュデ一家とともにヴェトゥイユに移り住む。1879年9月5日、カミーユが32歳の若さで死去する。赤いひなげしの花束を抱えた白いドレスの女と、少年たち。*クロード・モネ「ヴェトゥイユ郊外のひなげし畑」1879年。モネはジヴェルニーにて86歳で死す。
■ゴッホ アルルと「日没を背に種まく人」
ゴッホは、なぜ耳を切ったのか。なぜ拳銃自殺したのか。ゴッホを追いつめたものは何か。
1888年ゴッホ、アルルに移り住む。35歳。10月「黄色い家」でのゴーギャンとの共同生活を始める。1888年12月23日「耳切り事件」(35歳)。1年2か月アルルに住む。36歳でサン・レミの病院に移り住む。1890年(37歳)、5月、ゴッホ、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移る。医師ガシェが主治医になる。7月27日、拳銃自殺を図る。7月29日テオに看取られて永眠。オーヴェール=シュル=オワーズにて37歳で死す。
*ゴッホ「日没を背に種まく人」1888年。ゴッホ、1888年夏から秋「種まく人」の主題に集中的に取り組む。1880年クエムでミレー「種まく人」の素描を画いた。
■ポール・ゴーギャン 再びタヒチへ、ヒヴァ・オワ島にて最晩年の時
1891年4月、ゴーギャンは文明社会を逃れるため、パリを離れ、タヒチに向かう。ゴーギャンは、首都パペーテからマタイエアに移り住む。マタイエアで出会う人々と暮らし、鮮烈な色彩で幻想あふれる作品を数多く生みだした。1893年8月、パリに帰国する。1895年9月、再びタヒチに戻る。1901年9月、ヒヴァ・オワ島に移り住み、最晩年の時を過ごす。ポリネシアの黄金の色調に魅了された。ヒヴァ・オワ島にて54歳で死す。*ポール・ゴーギャン「贈りもの」1902年
■ジャン・オーギュスト・ルノワール 魂の伴侶アリーヌ・シャリゴ 78歳まで描きつづける
1879年、ルノワール38歳の時、18歳年下の魂の伴侶アリーヌ・シャリゴと出会う。1890年に『田舎のダンス』(1883)のモデルを務めたアリーヌ・シャリゴと結婚、家庭を築く。
1870年代からルノワールは富裕な人々の知遇を得る。「可愛いイレーヌ」1880ルノワール39歳の作品、イレーヌは8歳。パリのユダヤ人銀行家の伯爵の長女。(Irène Cahen D'Anvers)。*ルノワール『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』(1880年)。
ルノワールは、自身の名声を確立、富裕になったが、1902年からリュウマチの発作に見舞われる。最晩年は、1915年アリーヌなき後、孤独と戦い、リュウマチの苦しみに苛まれながら、「バラ色の譜調」のヌードを描いた。1919年、カーニュ=シュル=メールにて78歳で死す。*ルノワール『泉』1906年、ルノワール65歳の作品。
■ポール・セザンヌ エクスとパリ
セザンヌは、1839年、南仏エクス・アン・プロヴァンスで生まれる。銀行家の父の勧めでエクス大学で法学を学ぶが画家の夢を絶ち難く、パリに行く。エクスとパリを生涯にわたって往復した。1880年代をエクス・アン・プロヴァンスで暮らしたセザンヌ。1888年から99年まで、パリで制作に没頭する。エクスにて67歳で死す。*ポール・セザンヌ「赤いチョッキの少年」(1888-90年)は最高傑作。1886年、父の遺産を相続して制作に没頭する。プロヴァンスにて67歳で死す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派編
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
ハーヨ・デュヒティング『ジョルジュ・スーラ-1859—1891 点に要約された絵画- 』タッシェン・ジャパン2000
パスカル・ボナフー『ゴッホ―燃え上がる色彩』知の再発見双書
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」・・・藝術家と運命の戦い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/cat22457171/index.html
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」図録2018
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展示作品の一部
ピエール=オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」1880年
ポール・セザンヌ「赤いチョッキの少年」1888-90年
クロード・モネ「ヴェトゥイユ郊外のひなげし畑」1879年
クロード・モネ「陽を浴びるウォータールー橋、ロンドン」1899-1901年
クロード・モネ「ジヴェルニーのモネの庭」1895年
アルフレッド・シスレー「ハンプトン・コートのレガッタ」1874年
エドゥアール・マネ「ベルヴュの庭の隅」1880年
ピエール=オーギュスト・ルノワール「泉」1906年
フィンセント・ファン・ゴッホ「日没を背に種まく人」1888年
ポール・ゴーギャン「贈りもの」1902年
クロード・モネ「睡蓮の池、緑の反映」(1920/1926年頃)
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スイスの大実業家エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956年)は、生涯を通じ絵画収集に情熱を注いだ傑出したコレクターとして知られています。主に17世紀のオランダ絵画から20世紀の近代絵画に至る作品、中でも印象派・ポスト印象派の作品は傑作中の傑作が揃い、そのコレクションの質の高さゆえ世界中の美術ファンから注目されています。 この度、ビュールレ・コレクションの全ての作品がチューリヒ美術館に移管されることになり、コレクションの全体像を紹介する最後の機会として、日本での展覧会が実現することとなりました。
本展では、近代美術の精華といえる作品64点を展示し、その半数は日本初公開です。絵画史上、最も有名な少女像ともいわれる《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》、スイス国外に初めて貸し出されることになった4メートルを超えるモネ晩年の睡蓮の大作など、極め付きの名品で構成されるこの幻のコレクションの魅力のすべてを、多くの方々にご堪能いただきたいと思います。
http://www.nact.jp
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★「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館、2月14日-5月7日
九州国立博物館、2018年5月19日(土) ~ 7月16日(月・祝)
名古屋市美術館、2018年7月28日(土) ~ 9月24日(月・祝)

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