美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
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2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
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2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第387回
藝術作品は、人の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。大久保正雄
取材計画【アグリジェント、神殿の谷】コンコルディア神殿が聳える。最も完璧な神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る、広大な地。憧れの古代都市。哲学者エンペドクレスが、生まれた地。
アクラガスは、ギリシア人の植民都市、前 580年頃ゲラの市民によって建設され、前6~5世紀僭主ファラリスやテロンのもとに繁栄した、アクロポリスの丘の上のアルカイック期神殿群の遺跡はこの時期に属し、180年栄えた。紀元前406年、カルタゴに滅ぼされた。カルタゴ軍が、シケリア西部のカルタゴ殖民都市に対する攻撃の報復として、【アクラガス包囲】ドーリア人都市であるアクラガス(アグリジェント)を包囲した。
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【時間論】3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)。あなたはどの世界観を選ぶのか。
*ベルクソン1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。美のイデアへの旅。
2、
【理念と現実の一致】思想家は、理念を現実において成就することを追求する。プラトン哲学は、国家において知恵が実現することを追求する。空海は、即身成仏を追求する。
3、
【空海、悪霊調伏】不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
4、
【愛と復讐の叙事詩】アレクサンドロス大王、父フィリッポス2世を暗殺。クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテ ン王29歳。ツタンカーメン18歳。アンケセナーメン27歳。美しきネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
5、
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【理念を探求する精神、美と復讐の精神史】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。空海835年61歳。李白 762年61歳。孔子紀元前479年74歳。織田信長1582年49歳。アレクサンドロス大王紀元前323年33歳。嵯峨天皇842年56歳
【思想家、藝術家、運命との戦い】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。アリストテレス紀元前322年62歳。孔子紀元前479年74歳。空海835年61歳。藤原定家1241年79歳。李白 762年61歳。北斎1849年90歳。
6、
【東西文化交渉史】ミケーネ文明、ミノア文明とトロイア文明を滅ぼす。ギリシア美術、紀元前5-4世紀、最盛期、BC334アレクサンドロス大王の遠征、ペルシア帝国征服、インド遠征、ガンダーラ美術、ペルガモン王国誕生、シルクロード経由、7世紀北魏南梁から飛鳥彫刻、8世紀天平彫刻、9世紀、弘仁貞観、密教美術、12世紀、運慶彫刻
7、
【六道輪廻と六観音菩薩】如意輪観音菩薩、天道の天人を救う。聖観音菩薩、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道の者を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、人道の者を救う。
8、
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、強み弱み、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
9,
愛と智慧と慈悲の高みに到着する。藝術家と思想家の運命との戦い。大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』
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【フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』1798年】
プシュケはある王国の三女であったが 、プシュケはあまりの美貌ゆえに求婚するものが現れず、神託により人身御供に捧げられた。ヴィーナスが美しさに嫉妬して遣わした息子アモルは見惚れる。自分の矢で傷つき、アモルによって天上の宮殿に略奪された。アモル を見ることを禁じられたプシュケは、アモルの姿をある夜、見てしまい、アモルを探し求めて世界中を彷徨う。ヴィーナスに4つの苦難を与えられたプシュケ。
【最後の難題は、冥界の女王ペルセポネから、美の函を地獄から持ち帰ること】プシュケはほとんど地上まで持ち帰るが、好奇心に勝てず、開けてしまう。しかしその函には、美のかわりに深い眠りが入っていて、プシュケは深い眠りにつく。プシュケは第4の苦難を解き、他方、アモルはプシュケを探している。眠っているプシュケを見つけ、その矢でついて目覚めさせる。プシュケは、アモルと天上界で結ばれる。
ルーヴル美術館、愛を描く・・・愛の絵画、愛と美の迷宮
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参考文献
大久保正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」
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織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
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織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
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旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
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密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
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旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
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理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
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大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
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ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
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2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
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新古典主義、ダヴィッドと弟子たち・・・「ソクラテスの死」「アモルとプシュケ」
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仏教史、哲学史
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
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運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
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プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
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2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
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2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第386回
藝術作品は、魂の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。大久保正雄
【藝術家と思想家、運命との戦い】理想と思想をもつ人は運命と戦い、現実界と理想の狭間に、美の潮流を生み出す。旅する思想家は、美の源泉に旅し、美の根拠に至る。壮麗な美の神殿の頂き、宇宙円環と魂の円環のコンコルディア。精神文化が栄えた地に立ち、精神の香り。
【美はしきもの見し人は、はや死の手にぞわたされつ】ロマン主義の詩人アウグスト・フォン・プラーテン(1796-1835)、イタリアに魅了され、1824年28歳でイタリア周遊の旅に出、同地に定住、シチリアで39歳で死す。
【藝術家と思想家、運命との戦い】
宮澤賢治『春と修羅』1924年28歳「まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる」(『春と修羅』)宮澤賢治は25才の時、阿修羅像をみた。阿修羅の一族は、賢治が震えるほど感動したという島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』に出てくる。『法華経』「序品」が出典。宮澤賢治、37歳で死す。
【田中一村、69歳で死す】50歳の時、奄美に移り住み、不断の努力と一途な研鑽が花開く。《不喰芋と蘇鐵》1973以前と《アダンの海辺》1969について一村はこう手紙に記した。「この絵は百万円でも売れません。これは私の命を削って描いた絵です。この絵は閻魔大王の土産ですから」
織田信長の手紙800通『信長最後の手紙、藤孝宛天下布武朱印状』4月24日小早川隆景、備中高山城籠城、羽柴秀吉が包囲。万全を尽くして準備に専念せよ。惟任日向守より指示【本能寺の変天正10年1582年6月2日】【細川藤孝・忠興宛て手紙】謀反を起こした理由。『光秀の手紙』6月9日光秀、信長を討った目的は忠興らの政権のために。同盟を乞う。『秀吉の手紙』6月8日、秀吉、9日全軍を教に向かって出陣する。光秀を討つ。
【『星の王子さま』星めぐり、六つの星】六つの星の支配者たち、サンテグジュペリが飛行機から見た地上の人間たちの姿。王様=命令する人、自惚れる自慢屋、飲酒に溺れ酩酊する人、金を数える実業家、点燈夫=日常業務の社員、探検家を利用する地理学者。詐欺と搾取の階級社会。7つの生き方。
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
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2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
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「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、人生の光芒、彼岸への旅
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2、
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」
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3、
本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土
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4、
「信長の手紙―珠玉の60通大公開―」・・・「織田信長書状」細川藤孝宛、「織田信長自筆感状」忠興宛
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5、
「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」・・・毒親との戦い、悪魔祓い
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ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である
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6、
時間旅行・・・因果の時空的制約を超えて、青ぞらいつぱいの無色な孔雀「春と修羅」
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7、
マティス 自由なフォルム・・・《豪奢、静寂、逸楽》、旅路の果て
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8、
どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより・・・歌川広重「名所江戸百景」1857
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犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫
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9、
印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて
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10、
田名網敬一 記憶の冒険・・・永遠に熟さず、老いず、極彩色の彼岸と此岸
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デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
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モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
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モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
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英一蝶、波乱万丈の生涯・・・運命との戦い
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「カナレットとヴェネツィアの輝き」18世紀ヴェドゥータの巨匠・・・美はしきもの見し人は
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特別展「はにわ 挂甲の武人」・・・見返り鹿のひとみ
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大名茶人 織田有楽斎・・・天下なる者は聖人の宝なり、微身の有ならず
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【密教研究】
理念を探求する精神、空海『即身成仏義』819-820『秘蔵宝鑰』830
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「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
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学問僧、空海・・・空海の生涯と思想
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空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
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修行僧、空海・・・空海の生涯と思想
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「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来
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醍醐寺 国宝展・・・如意輪観音の微笑み、理源大師聖宝、秀吉の醍醐の花見
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「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」・・・醍醐寺三宝院、織田信長のために祈祷する
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【仏教史研究】
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
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『仏説魔訶般若波羅蜜多心経』・・・中観派と唯識派の対立
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「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
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「法然と極楽浄土」・・・称名念仏、南無阿弥陀仏、極楽浄土の幻覚
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【宗教史】
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
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ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
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プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
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【映画】
ジョニー・デップ『ツーリスト』2010、『ナインスゲート』1999・・・迷宮の旅人
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【国際政治】
孫崎享×大久保正雄【質疑応答】
孫崎享講演会「国際政治 ウクライナ戦争・ガザ・台湾問題」5月26日、上智大学1号館402教室
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【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても下落せず、最下の愚者は 、どんなによい境遇にあっても向上しない。どんなに地位と肩書が高くて富裕でも、知性の貧困は隠せない。地位と肩書が高く高度な職業でも、魂の貧困は隠せない。「論語」陽貨篇。
【偉大な思想家は、立身出世のために、自分の思想を変えたりしない】小人(知識人)は、立身出世、地位名誉のために、己の見解を変える。大きな金魚鉢には大きな金魚が育つ、大きな自由度の組織には大きな人間が育つ。偉大な大工は、誰も見ないからといって、床裏にひどい木材を使ったりはしない。スティーブ・ジョブズの言葉
【空海と最澄】「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。」「夫れ秘蔵の興廃は唯汝と我なり」空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』弘仁4(813)年『理趣釈経』借覧拒否。最澄に答えた書簡。
【奴隷国家】あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。『人間的な余りにも人間的な』偉大な思想家は、立身出世のために、自分の思想を変えたりしない。
不遇な人生【死後才能が見出された藝術家・詩人・思想家】田中一村(1908~1977)69歳で死す。宮澤賢治(1896~1933)、37歳で死す。高島野十郎(1890年(明治23年)8月6日~1975年(昭和50年))、85歳で死す。ゴッホ(1853~1890)37歳で死す。
【死後見出された藝術家・詩人・思想家】李白(701~762)流謫仙人61歳で死す。李賀(791~817)鬼才、恨血千年土中の碧。伊藤若冲(1716~1800)千年具眼の士を待 つ。藝術への献身、貧困、忍耐、孤立、無私、迫害、殉教、早世、自殺。イエス・キリスト「わが神よ、どうして私を見捨てたの?」マルコ伝、15章34節
【精神科医のことば】幸福な人生は82歳から。最も不幸なのは48歳、他人と競争する社会。死後名を残すのが幸福な人生。【人生の選択】行きたいところに行き、見たいものを見る。ナチュラルキラー細胞が働く。社会的な成功、金儲けに成功した社長・教授は病院に見舞いが来ない。精神科医・和田秀樹。土居建郎「甘えの構造」
【財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする】されど、財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し。後藤新平。映画の製作に一番重要なのは脚本で、その脚本にとり最も重要なのは、一にテーマ、二にストーリー、三に人物設定(構成を含む)である、映画の創成期か
【人類の至宝、コンコルディア神殿】アグリジェント、神殿の谷に聳える。最も完璧なギリシア神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市アクラガス。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る
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参考文献
【宗教学、死生学、藝術学】2016-2019
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
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6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
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【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2017.5. 28、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
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島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
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孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
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2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第385回
【藝術家と思想家、運命との戦い】藝術家と思想家は、運命と戦う。理想と思想をもつ人は運命と戦い、現実界と理想の狭間に、美の潮流を生み出す。旅する思想家は、美の源泉に旅し、美の根拠に遡る。精神文化が栄えた地に立ち、精神の香りをまとう。
【英一蝶(1652~1724)波乱万丈な生涯】一蝶は元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪。宝永6年(1709)、宝永6年(1709)、綱吉死去にともなう将軍代替わりの恩赦によって江戸へ戻る。三宅島での生活は47歳から58歳までの足かけ12年におよび、〈島一蝶〉。
【英一蝶の謎】一蝶は元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪。綱吉死去で江戸に戻る。一説、第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」違反。【河野元昭説】遠島は死罪に次ぐ重罪で、徳川幕府の掟にそむいた者が対象、不受布施法華宗はそれにあたり、幕府は法華宗の僧や門徒を弾圧した。一蝶は家付流人で妻帯し、支援もあって恵まれた流人。安村敏信館長が申される島一蝶のプロデューサーは、宝井其角。3、綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)の縁者を遊所に誘い、遊女を身請けさせた。
【英一蝶(1652~1724)、多賀朝湖】英一蝶は承応元年(1652)、京都で生まれた。父の多賀白庵(伯庵)は伊勢亀山藩主・石川主殿頭憲之(とのものかみのりゆき)の侍医。狩野探幽の弟・安信に師事、菱川師宣や岩佐又兵衛らに触発、松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむ。松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむ。
英一蝶(1652~1724)英一蝶、61歳、涅槃図を描く72歳で死す。仏涅槃図、1713ボストン美術館
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
【光悦の謎(1558-1637)】本阿弥光悦は俵屋宗達とどこで出会ったのか。なぜ楽焼の田中常慶に習ったのか、古田織部に茶の湯を学んだのか。元和元年(1615年)徳川家康から鷹峯の地を拝領したのはなぜか。豊臣家が滅びた元和元年凱旋の家康から鷹峯に東西ニ百間の土地を与えられ一族郎党、五十五軒の屋敷を構え移り住み洛中と往還したのはなぜか。本阿弥家の名は、一遍上人の遊行念仏、南無阿弥陀仏に由来する、なぜ日蓮法華衆に属したのか。雁金屋、尾形光琳・乾山はなぜ光悦の影響を受けたのか。
本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土
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「没後300年記念 英一蝶」、サントリー美術館、9月18日~11月10日
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英一蝶、波乱万丈の生涯・・・運命との戦い
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英一蝶(1652~1724)は元禄年間(1688~1704)前後に、江戸を中心に活躍した絵師である。はじめは狩野探幽の弟・安信のもとでアカデミックな教育を受けるが、菱川師宣や岩佐又兵衛らに触発され、市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出した。この新しい都市風俗画は広く愛され、一蝶の画風を慕う弟子たちにより、英派と呼ばれる一派が形成された。他にも、浮世絵師・歌川国貞のように一蝶に私淑した絵師は多く、後世にも大きな影響を与え続けた。また、松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむなど、幅広いジャンルで才能を発揮している。
加えて、その波乱万丈な生涯も人気に拍車をかけた。一蝶は元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪になるという異色の経歴を持つ。宝永6年(1709)、将軍代替わりの恩赦によって江戸へ戻るが、島で描かれた作品は〈島一蝶〉と呼ばれ、とくに高く評価されている。そして江戸再帰後は、「多賀朝湖」などと名乗っていた画名を「英一蝶」と改めた。
2024年は一蝶の没後300年にあたる。この節目に際し、過去最大規模の回顧展を開催。瑞々しい初期作、配流時代の貴重な〈島一蝶〉、江戸再帰後の晩年作など、各地に残る優品を通して、風流才子・英一蝶の画業と魅力あふれる人物像に迫る。
第1章 多賀朝湖時代
英一蝶は承応元年(1652)、京都で生まれた。父の多賀白庵(はくあん・伯庵)は伊勢亀山藩主・石川主殿頭憲之(とのものかみのりゆき)の侍医をしており、一蝶が15歳(あるいは8歳)のときに、藩主に伴い一家で江戸に下りました。母の姓は一説に「花房」であったとされ、島流しから江戸に戻った後に名乗る「英」の氏は母方に由来すると考えられています。
狩野宗家の狩野安信に入門し、江戸狩野派の高い絵画技術と、古典に関する幅広い教養を身に付けた一蝶は、次第に狩野派の枠を飛び出し、独自の絵画世界を確立していきます。生き生きとした人物描写と、ユーモアあふれる視点、狩野派仕込みの確かな画技が合わさった唯一無二の風俗画によって、一蝶は一躍人気絵師へと上り詰めました。また、古典画題にひねりを加えた戯画も多く、安信門下で得た知識を一蝶ならではの表現へと昇華させています。
このような新鮮な感性は、俳諧を通して培われたと推測されます。20、30代の頃に松尾芭蕉に学び、俳諧師の宝井其角(たからいきかく)・服部嵐雪(はっとりらんせつ)らと生涯親しく交流した一蝶は、自らも暁雲(ぎょううん)という号で複数の句を残しています。俳諧の機知や滑稽味に富んだまなざしは、一蝶の絵師としての姿勢にも大きな影響を与えました。
多様な作品を手掛けた一方、仏画、風景画、花鳥画のような王道の主題にも正面から取り組んでおり、狩野派絵師としての自負を強く持ち続けていたことが分かります。
本章では、「多賀朝湖」と名乗っていた時期の一蝶が、狩野派に基盤を持ちながらも、風俗画家として能力を開花させていく様子を追います。また、俳諧の分野での活動も紹介し、そのマルチな才能に焦点を当てます。
第2章 島一蝶時代
40代ですでに絵師として不動の人気を得ていた一蝶は、突然悲劇に見舞われます。第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」を皮肉った流言に関わった疑いで捕らえられ、元禄11年(1698)、三宅島へ流罪となります。ただし、この事件の真犯人はすぐに捕まったため、実際の理由は別にあったと考えられています。【一番有力な説は、江戸吉原に出入りし幇間(ほうかん・太鼓持ち)として大名などと交流していた一蝶が、綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)の縁者を遊所に誘い、遊女を身請けさせた】という理由な どで、幕府から目を付けられていたというものです。島流しは原則無期であり、一蝶も二度と江戸の地を踏めないことを覚悟したと思われます。しかし幸運なことに、宝永6年(1709)、綱吉死去にともなう将軍代替わりの恩赦によって、一蝶は江戸への帰還を果たします。
配流中の作品は、江戸の知人たちからの発注によるものと、三宅島や近隣の島民のために制作したものの二つに大別されます。前者は遊興に取材した風俗画が多く、江戸から送られてきた貴重な紙や絵具を丁寧に使用した、華やかな画風で知られます。一方、後者は神仏画や吉祥画など、信仰関連の作品が大半を占め、堅実で穏やかな作風が特徴です。
三宅島での生活は47歳から58歳までの足かけ12年におよび、〈島一蝶〉と呼ばれる、一蝶の画業を象徴する作品が多数生まれました。本章では、配流中に描かれた〈島一蝶〉の傑作を通して、その制作の様子をご紹介します。
展示作品の一部
重要文化財 布晒舞図 英一蝶 一幅 江戸時代 17~18世紀
遠山記念館 【展示期間:10/16~11/10】
吉原風俗図巻(部分) 英一蝶 一巻 元禄16年(1703)頃
サントリー美術館 【通期展示(場面替あり)/本場面の展示期間:10/16~11/10】
神馬図額 英一蝶 一面 元禄12年(1699)頃東京・稲根神社 【通期展示】
第3章 英一蝶時代
配流先の三宅島から江戸へ奇跡的に戻った一蝶は、画名を「英一蝶」に改め、精力的に制作に励みます。名の由来は、中国戦国時代の思想家・荘子の「胡蝶の夢」で、島での生活や恩赦の知らせが夢か現実かと思い悩む心情を、この説話になぞらえたとされています。
再帰後は「今や此の如き戯画(風俗画)を事とせず」と宣言し、一蝶の代名詞ともいえる風俗画から離れる決意を固めます。その言葉を裏付けるように、謹直な仏画、狩野派の画法を順守した花鳥画や風景画、古典的画題に実直に取り組んだ物語絵や故事人物画などが増えていきます。一方で、風俗画の依頼は絶えなかったようで、都市や農村に生きる人々の営みに、一蝶ならではの諧謔味を加えた《雨宿り図屛風》や《田園風俗図屛風》のような大作も複数残されています。また、古典的主題をアレンジした戯画も引き続き描いており、江戸再帰後も生来の洒落っ気は健在であったことをうかがわせます。なお、親友の其角や嵐雪は配流中に亡くなっていたため再会は叶いませんでしたが、俳諧との関わりは継続しており、様々な俳書に挿絵を寄せています。
一蝶は享保9年(1724)、73歳でこの世を去りました。辞世の句「まぎらはす 浮き世の業(わざ)の色どりも 有りとや月の薄墨の空」からは、生涯を風俗画に捧げた一蝶の強い自負が感じられます。
展覧会を締めくくる本章では、晩年期の優品や俳書を通じて、卓越した才能と洗練された美意識で人々を魅了した「風流才子」こと英一蝶の画業と人となりを浮き彫りにします。
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「没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―」、サントリー美術館、9月18日~11月10日
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第379回
【ルイーズ・ブルジョワ 《蜘蛛》1997年】1932年、ソルボンヌを退学。ルイーズは芸術部門の最高学府エコール・デ・ボザールに入学する。父ルイは仕送りを打ち切った。なぜなら家業を継いだ際に役に立つ能力への投資だったからだ。家を出て、ルーブル美術館で働き始める。
【《ママン》表現された巨大な「蜘蛛」】母はタペストリー修復工房を経営する。彼女にとって蜘蛛は、親でもあり、「親友」でもあり実母を象徴。ブルジョワは、蜘蛛が巣作りのために体内から糸を出すように、自身の身体から負の感情を解放するために作品を作っていると語る。彼女の自画像でもある「蜘蛛」。【毒親、父ルイの呪縛を解く】藝術は悪魔祓いエクソシズム。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ルイーズ・ブルジョワ(1911年パリ生まれ、2010年ニューヨークにて没)20歳1932年、母が死ぬ。エコール・デ・ボザールに入学。1938年、美術史家ロバート・コールドウォーターと結婚、ニューヨークへ移住。1982年ニューヨーク近代美術館で大規模個展。1993年ベネチア・ビエンナーレ・アメリカ代表。
20世紀を代表する最も重要なアーティストの一人。彼女は70年にわたるキャリアの中で、インスタレーション、彫刻、ドローイング、 絵画など、さまざまなメディアを用いながら、男性と女性、受動と能動、具象と抽象、意識と無意識といった二項対立に潜む緊張関係を探求。
ブルジョワは一生を通じて、見捨てられることへの恐怖に苦しみ。第一章で紹介する作品群は、この恐れが、母親との別れにまで遡ることを示唆している。ブルジョワは両義的かつ複雑性に満ちた「母性」というテーマのもと《自然研究》をはじめとする作品を制作する中で、母と子の関係こそが、将来のあらゆる関係の雛形になるという確信に至った。
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【毒親との戦い、父ルイ】父ルイは美貌の持ち主で、常にエレガントで見栄えよく着飾る人だ。しかし、見た目の良い経営者のナルシシストならではの闇があった。仕切りたがり屋でいじめっ子。常に他人をコントロールし、リーダーとして家族を操作することに喜びを感じていた彼は、毎日一家全員(当時、母方の兄弟やルイーズの従兄たちも一緒に暮らしていた)が食卓に揃わないと気が済まず、勝手に食卓でしゃべろうものなら無言でソーサーを投げつけることもしょっちゅう。食事のあとは、ひとりずつ歌や詩を強制的に披露させるなどやりたい放題だった。あるとき、父は食卓でオレンジの皮をナイフで人の顔や乳房や脚の形に器用にに切り抜いていき、人型の展開図にして見せた。その人型は両脚の間に丁度オレンジの芯が位置するようになっていた。それがルイーズだとふざけた。
【《ママン》表現された巨大な「蜘蛛」】ブルジョワ芸術を代表するモチーフ。彼女にとって蜘蛛は、ブルジョワにとって親でもあり、「親友」でもあった実母を象徴している。ブルジョワは、蜘蛛が巣作りのために体内から糸を出すように、自身の身体から負の感情を解放するために作品を作っていると語る。本展では、いわば彼女の自画像ともいえる 「蜘蛛」をモチーフとした様々な作品が登場する。
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★展示作品の一部
ルイーズ・ブルジョワ《ママン》1999/2002年 ブロンズ、ステンレス、大理石 9.27× 8.91 ×10.23 m 所蔵:森ビル株式会社(東京)
ルイーズ・ブルジョワ《かまえる蜘蛛》2003年 パティナ、ブロンズ、ステンレス鋼 270.5×835.7×627.4 cm 撮影:Ron Amstutz The Easton Foundation/Licensed by JASPAR and VAGA at Artists Rights Society (ARS), NY
おわりに
本展の副題「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」はハンカチに刺繍で言葉を綴った晩年の作品からの引用です。自らを逆境を生き抜いた「サバイバー」だと考えていたルイーズ・ブルジョワ。生きることへの強い意志を表現するその作品群からは、戦争や自然災害、病気など、人類が直面するときに「地獄」のような苦しみを克服するためのヒントが得られるかもしれません。
ルイーズ・ブルジョワ《無題(地獄から帰ってきたところ)》1996年 刺繍、ハンカチ 49.5×45.7 cm 撮影:Christopher Burke The Easton Foundation/Licensed by JASPAR and VAGA at Artists Rights Society (ARS), NY
自身の版画作品《聖セバスティアヌス》(1992年)の前に立つルイーズ・ブルジョワ。ブルックリンのスタジオにて。1993年 撮影:Philipp Hugues Bonan 画像提供:イーストン財団(ニューヨーク)
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★参考文献
森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」“Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you, it was wonderful”、図録 プレスリリース
父に“いらない子”と呼ばれたルイーズ・ブルジョワ【短期連載:アート界の毒親たち】
「女なんていらない」。父に呪われ虐げられた天才彫刻家がたどり着いた救いの境地。https:/
「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」・・・毒親との戦い、悪魔祓い
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ハーバードの研究で「明確な目標と具体的な計画を設定して紙に書き残している人ほど、目標設定していない人に比べて10年後の収入が10倍になっていた」という結果があるけど、大谷翔平選手が高校時代に使った目標達成シートがまさにそれでしかない。
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★森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」“Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you, it was wonderful”
Mori Art Museum, 森美術館、2024年9月25日(水)~2025年1月19日(日)
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