円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第404回
高島野十郎、田中一村、孤高の人は何を求めたのか。
水産学を究めることを嘱望されたが辞退。独学で念願の絵の道に入り、孤高の人生を歩き、85歳で、千葉にて死す。写実を追求した画家の謎。
【高島野十郎(1890-1975)】最も美しい作品は何か。
《蝋燭》大正期、福岡県立美術館蔵、《絡子をかけたる自画像》大正9(1920)年、福岡県立美術館蔵、《からすうり》昭和10(1935)年、福岡県立美術館蔵、《すいれんの池》昭和24(1949)年以降、福岡県立美術館蔵、《満月》昭和38(1963)年頃、東京大学医科学研究所蔵、《月》昭和37(1962)年、福岡県立美術館蔵
【高島野十郎】1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年)9月17日)本名は彌壽、字は光雄。東京帝国大学水産学科を首席卒業、恩賜の銀時計拝受を辞退。水産学を究めることを嘱望されたが辞退。独学で念願の絵の道に入り、画壇との付き合いを避け、独身を貫く。透徹した精神性でひたすら写実を追求、隠者のような孤高の人生を送った。貧困と孤独を極め、85歳で死す。生前はほぼ無名、1986年に福岡県立美術館が初の回顧展が開かれた。『傷を負った自画像』1916。
学生時代から親交がある川崎狭『過激なる隠遁 高島野十郎評伝』は「画家は本来の人生を生きるために人生を捨てたのである」と言う。自身の天職と生活の方法とが矛盾することは、公輝ある者の運命か。
参考文献
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、人生の光芒、彼岸への旅
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「没後50年 髙島野十郎展」・・・空海の密教思想への傾倒
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*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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青年時代からの空海の密教思想への傾倒を読み解き
髙島野十郎と密教思想を読み解いた人はいない。
空海の密教思想を読み解くためには、『秘密曼荼羅十住心論』(830)、『即身成仏義』819-820、【五智如来】を解明しなければならない。
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子・放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える。空海が大学寮明経科退学、官僚の立身出世を諦めた理由。
【空海『秘密曼荼羅十住心論』(830) 】
淳和天皇の詔勅(天長6)による。日本には諸宗派があり、各の宗派がどのように違い、どのように優れているのか、論じるようにという詔勅である。空海は『大日経』の住心品を中心にして『十住心論』を書いた。
第九住心 極無自性心
「水は自性なし、風に遇うてすなわち波たつ。法界は極にあらず、警を蒙って忽ちに進む。」華厳宗では四種法界を説く。その四種の一つが事法界、普通の物事がそのままあり。それが平等だというのが理法界。事と理が一緒になったのが事理無礙法界で、最後は事事無礙法界。
事法界、理法界、両者を止揚した、無自性・空界と現象が共存する理事無礙法界、事物が融通無碍に共存する事々無礙法界に到達する。毘盧遮那仏と一体になる融通無碍の境地。
『華厳経』の蓮華蔵世界である。
第十住心 秘密荘厳心
「顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す。」顕薬は塵を払うが、真言は秘密の宝の庫を開く。大日如来、真言密教の境地。秘密荘厳心では、智法身と理法身、知性(ノエーシス)と思惟対象(ノエーマ)、金剛界と胎藏界が一体融合して、
【空海『即身成仏義』819-820】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)
【空海『秘蔵宝鑰』序830】
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に、死んで死の終わりに冥し」
悠々たり悠々たり太(はなは)だ悠々たり、内外の縑緗(けんしょう) 千万(せんまん)の軸(じく)あり。杳杳たり杳杳たり 甚だ杳杳たり。
空海【五智如来】
大日如来を中心に、阿閦・宝生・無量寿(阿弥陀)・不空成就(釈迦)が東西南北囲む配。大日如来:法界体性智(大日如来の絶対的な知恵)阿摩羅識=第9識。阿閦如来:大円鏡智:阿頼耶識=第8識。宝生如来:平等性智:末那識=第7識。
空海【五智如来】大日如来を中心に、阿閦・宝生・無量寿(阿弥陀)・不空成就(釈迦)が東西南北囲む配。大日如来:法界体性智(大日如来の絶対的な知恵)阿摩羅識=第9識。阿閦如来:大円鏡智:阿頼耶識=第8識。宝生如来:平等性智:末那識=第7識。無量寿如来:妙観察智(よく観察して見極める知恵)意識 第6識。不空成就如来:成所作智(すべきことを成就させる知恵)前5識(眼識、耳識鼻識、舌識、身識)、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用。
【瑜伽行唯識学派、世親】「唯識三十頌」「唯識二十論」。「唯識三十頌」では八識説を唱え、種子は前五識から6識・意識、7識・末那識を通過して、8識・阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される。これが思考であり、外界認識である種子生現行。阿頼耶識縁起
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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心に火を灯すロウソク。浄土へと導く月明かり。無名のまま世を去り、近年、人気が高まる #髙島野十郎 。「写実の極致は慈悲」謎めいた言葉を残し、唯一無二の写実を追求した画家の生涯に迫る。
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千葉県立美術館、没後50年 髙島野十郎展 プレスリリースより
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髙島野十郎(1890-1975)は、福岡県久留米市出身で主に東京で活動し、晩年千葉県柏市に移り住んだ洋画家で、「蝋燭(ろうそく) 」や「月」などの主題を、細部までこだわった筆致で描きました。没後50年の節目を機に開催する本展は、これまでに開催されてきた髙 島野十郎展を超える最大規模の回顧展です。代表作はもちろんのこと、 彼の芸術が形成されたルーツを遡り、生涯にわたって自身のよりどころとしてきた仏教的思想を読み解きつつ、青年期や滞欧期の作品など、従来の展覧会では大きく取り上げられることがなかった部分にもスポットを当てます。さらに、野十郎や関係者による書簡や日記、メモ等の資料をもとに、彼がひとりの人間としてどのように生き、 周囲とどのような関係を築いて絵かきとしての歩みを進めたかという部分にも注目し、野十郎の人間像にも改めて迫ります。野十郎は、71歳の時に当時まだ田畑が広がる静かな田園地帯であった柏市増尾に移り住み、晴耕雨読ならぬ晴耕雨描の生活を送りました。彼は訪ねてきた姪に「ここは俺のパラダイスだ」と語ったといいます。千葉の海もまた、絵の題材として彼の心を掴みました。野十郎終焉の地であり、月や海など彼を魅了した豊かな自然のある千葉 で、野十郎の絵画世界に思う存分浸っていただけるまたとない機会です。
千葉県立美術館、
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没後50年 髙島野十郎展
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展示作品の一部
《空》昭和23(1948)年以降、個人蔵
《満月》昭和38(1963)年頃、東京大学医科学研究所蔵
みどころ①過去最大規模、初公開作品も含めた約150点を公開!
代表作の多くを含む過去最大規模で、初公開作品も含めた約150点を展示します。没後50年の節目に開催する本展は、過去に幾度となく開催されてきた髙島野十郎展を超える過去最大規模の回顧展です。野十郎の作品のほか、青木繁や坂本繁二郎など同時代の野十郎と関係深い作家の作品も展示します。
《ティーポットのある静物》昭和23(1948)年以降、福岡県立美術館蔵
みどころ②作品における仏教的思想や、青年期・滞欧期などの画業初期に注目
野十郎の芸術を象徴し、多くの方に人気を博している「蝋燭」や「月」の作品はもちろんのこと、彼の芸術が形成されたルーツを遡り、野十郎が生涯、自身のよりどころとしてきた空海の密教思想を読み解きつつ、青年期や滞欧期の作品など、従来の展覧会ではそれほど大きく取り上げられることがなかった部分にもスポットを当てます。
《からすうり》昭和10(1935)年、福岡県立美術館蔵
《月》昭和37(1962)年、福岡県立美術館蔵
みどころ③「孤高の画家」像を解体し、野十郎の素朴な人間像に迫る
福岡県立美術館が所蔵している書簡や日記、メモ等の関連資料を読み解き、関係者の証言を集めることで、彼がひとりの人間としてどのように生き、周囲とどのような関係を築き、絵かきとしての歩みを進めたかという部分にも注目し、野十郎の人間像にも改めて迫ります。
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展示構成
プロローグ 野十郎とは誰か
髙島野十郎の画業が世に初めて知られたのは、彼の死後約10年を経た昭和61(1986)年でした。以来、いくつかの展覧会や書籍で紹介されたとはいえ、多くの人の目に触れてきたわけではありません。そこでこの章では、髙島野十郎の人と作品についての全体像を概観します。
《絡子をかけたる自画像》大正9(1920)年、福岡県立美術館蔵
《ノートルダムとモンターニュ通Ⅱ》昭和7(1932)年頃、福岡県立美術館蔵
《蝋燭》大正期、福岡県立美術館蔵
第1章 時代とともに
青木繁や坂本繁二郎、古賀春江など、交流のあった作家や同時代の画風を共有した作家の作品も紹介しながら、野十郎が写実の画風を確立させていく道程を同時代の美術の中で捉え、従来の「孤高の画家」像を解体します。
第2章 人とともに
野十郎と、東京帝国大学からの友人や画家仲間、文化人、著名人との関係やエピソードを作品や資料で紹介し、彼の人間関係や人となり、人生観に迫ります。
《筑後川遠望》昭和24 (1949)年頃、福岡県立美術館蔵
第3章 風とともに
ヨーロッパ留学中の風景画や日本全国を旅して描いた四季の風景画を展示し、制作や構図の一貫性を提示するとともに、最新の調査結果を紹介します。
第4章 仏の心とともに
野十郎が生涯よりどころとしていた仏教に注目し、寺社仏閣をダイレクトに描いたもののほか、青年時代からの空海の密教思想への傾倒を読み解き、霊場巡りへの関心のなかで訪れた場所を描いた風景画、さらには一見すると普通の静物画や風景画に込められた仏教的な考え方を紹介します。
《割れた皿》昭和23(1948)年以降、福岡県立美術館蔵
エピローグ 野十郎とともに
本展全体を振り返りながら、もう一度野十郎の作品と世界観に浸っていただく章とします。展覧会を通して揺らぎ、あるいは膨らんだ野十郎像を、ふたたび見つめなおし、身近に野十郎を体感してみてはいかがでしょうか。
《秋陽》昭和42(1967)年、福岡県立美術館蔵
その他の主要な展示作品
《すいれんの池》昭和24(1949)年以降、福岡県立美術館蔵
《睡蓮》昭和50(1975)年、福岡県立美術館蔵
《こぶしとリンゴ》昭和41(1966)年頃、福岡県立美術館蔵
《さくらんぼ》昭和31(1956)年頃、福岡県立美術館蔵
《犬吠埼》昭和10年代、福岡県立美術館蔵
本展は、没後50周年を記念した過去最大規模の記念碑的な回顧展。初公開となる作品を含めて、約150点が披露されます。さらに書簡や日記、メモ等の関連資料を読み解き、特にこれまであまり焦点が当たってこなかった青年期や滞欧期など画業初期の活動もクローズアップ。従来の「孤高の画家」というイメージだけでは捉えきれない、画家の知られざる一面に光をあてた意欲的な展示内容。
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没後50年 髙島野十郎展
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千葉県立美術館 第1・2・3・8展示室(千葉市中央区中央港1-10-1)
2025年7月18日(金)~9月28日(日)
アクセス:JR京葉線または千葉都市モノレール「千葉みなと」駅から徒歩約10分
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