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2025年5月11日 (日)

ミロ展、シュルレアリスム 夜空に描かれた希望、星座が織りなす詩

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第401回

ミロは、シュールレアリストか、細密画家か、〈星座〉シリーズか、本質の画家か。90歳、名声に包まれた画家の本質は何か。
ジュアン・ミロ(1893~1983年)は、1893年スペイン、カタルーニャ州に生まれた同郷のピカソと並び20世紀を代表する巨匠。
太陽や星、月など自然の中にある形を象徴的な記号に変えた、詩情あふれる独特な画風、晩年、日本と交流、日本でも高い人気を誇る。
ミロの70年に及ぶ創作活動全体を振り返る大回顧展「ミロ展」。〈星座〉シリーズをはじめ、世界中から傑作が集結、ミロの芸術の真髄を体感できる大回顧展。
ミロの生涯を振り返る大規模な個展が日本で開催されるのは、画家が存命中の1966年に開催されて以来となる。没後40年を迎え、ミロの創作活動が再評価されている今、本展は改めてミロの業績を顧みる機会となる。また、困難な時代のなかで自由な表現を希求し続けたミロの足跡をたどることは、政治的分断や戦争の脅威が高まる今日、見る者にとって示唆に富む。
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上智と下愚は移らず。論語、陽貨篇
【権威の化けの皮が剝がれる】あなたが信じた人の豹変を、何人、見たか。【化けの皮】【面が割れる】先生と対面していると、面が割れて、中から蜥蜴が出てきた。【信じていた女の化けの皮が剝がれる】女は化け猫【信じていた人の化けの皮が剝がれる】中から蛇、蜥蜴、蛙、豚、蛇蝎、猫、虎、魔物が出てくる。【宝誌和尚立像】
知識人の化けの皮【人の命令で動く、点燈夫】【ルーティン教授】【我が道を行く】【ライオンだと思っているがただの猫】【王の中の王King of Kings】【闇に潜む棺桶教授】
【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても下落せず、最下の愚者は 、どんなによい境遇にあっても向上しない。どんなに地位と肩書が高くて富裕でも、知性の貧困は隠せない。地位と肩書が高く高度な職業でも、魂の貧困は隠せない。「論語」陽貨篇。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
ダリ『記憶の固執』、『記憶の固執の崩壊』・・・スペインの荒涼とした大地、記憶の迷路
https://bit.ly/2PtGnyk
シュルレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
ミロ展、シュルレアリスム 夜空に描かれた希望、星座が織りなす詩
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-89b7de.html
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ミロ、生涯と作品 
第1章 若きミロ:芸術への決意 モンロッチ村からパリ 1910-1920
1893年にバルセロナで生まれたミロは、父親の強い希望もあって1910年に会計の仕事に就く。

【ミロ1911年、モンロッチ村】
ミロは1911年、18歳の時にうつ病と腸チフスを患い、療養のためカタルーニャのモンロッチ村に滞在。このモンロッチ村の環境がミロの芸術に大きな影響を与えた。
病にかかったのを機に、両親から画家となる許可を得た。
1912年からバルセロナ、フランセスク・ガリの美術学校に通って学び、国際的な前衛芸術運動に共鳴、セザンヌやキュビスム、フォーヴィスム、ダダイズムなどの影響を受けて制作に励む。自然と親しむことで生まれたモンロッチの風景には、カタルーニャ人の資質と現代的な表現が同居した。
【静かな頑固者、細密画的な風景画、樹々、植物を克明に描きこむ】
初期の名作《ヤシの木のある家》1918
1918年夏にモンロッチで描かれた細密画的な風景画の一つ。風景を緻密に描写する作風は1922年頃まで続くが、その作風を告げる重要な節目の作品である。
ミロ《自画像》1919、ピカソ美術館、
【ミロはカタルーニャで、ピカソに会う。ピカソに理解される】
ミロ、個展を開くが、異様な細密画が攻撃される。
第2章 モンロッチ – パリ: シュルレアリスム 田園から前衛の都へ 1920S
1920年、ミロは初めてパリを訪れる。翌年アンドレ・マッソンの隣にアトリエを構え、シュルレアリスムの画家や詩人たちと交流する。以後、ミロはパリとモンロッチを行き来、故郷カタルーニャの大地で、シュルレアリスムに影響を受けた詩的な表現を確立。
【アンドレ・ブルトンと出会い、シュルレアリスムの画家として認められる】1928、35歳
芸術の都パリでシュルレアリスムの画家として名を知られる。1928年頃からコラージュ作品を制作、非芸術的な素材や要素を作品に用いて、伝統的な絵画表現への反抗を試みる。
《オランダの室内Ⅰ》1928 17世紀オランダの画家ヘンドリック・ソルフの絵画を基にして描いた作品。原作の自然主義的な立体感や遠近法を拒絶し、リュートと男性の頭部、フリルの襟を強調して描いている。
《カタツムリ、女、花、星)》1934
第3章 逃避と詩情:戦争の時代を背景に 1930S―1946 〈星座〉シリーズ
【フランコ独裁政権、1936年スペイン内戦が勃発】
ミロはバルセロナからパリへ逃れる。不穏な現実から目を背けるように、ミロの作品は自身の内面を探求する詩的なものへと変化していく。
【星座〉シリーズ 1940年から1941年 47歳】
この時期の傑作が〈星座〉シリーズ。第二次世界大戦が勃発した翌年、1940年から1941年にかけて戦火を逃れるなかで制作された全23点の作品群であり、夜や音楽、星といった要素から着想を得ている。ミロが戦争という苦しい現実から逃避し、詩や音楽に触発されて描き始めた。音楽的な線を持つ儚い画面、夜空に着想を得た神話的な世界、その中の女性、鳥、星、梯子が描かれる。これらのモティーフは、ミロの絵画の象徴となり、以後の作品で繰り返し登場することになる。
本展では、〈星座〉シリーズのうち3点が集結する。
《明けの明星》(1940)、《女と鳥》(1940)、《カタツムリの燐光に導かれた夜の人物たち》(1940)
第4章 アメリカで名声 夢のアトリエ:内省を重ねて新たな創造へ 1940 S―1960 S
1947年にミロは初めてアメリカを訪れ、依頼された壁画の制作に取り組む。そこで旧友たちと再会したほか、アメリカの若い画家とも交流して刺激を受ける。以後、ミロの評価はアメリカでも高まっていく。1956年、マジョルカに長年の夢であった広いアトリエが完成、自身の芸術を再検討し、じっくりと作品に向き合って制作する時期に入る。また、日本の文化に大きな関心を寄せていたミロは、1966年と1969年に訪日し、日本文化と自身の芸術の親和性を再確認していく。
本章では、日本の画僧・仙厓義梵が描いた《○△□》から着想を得て描かれた《太陽の前の人物》など、ミロの東洋的な感受性や日本との繋がりを示す重要な作品も展示される。
第5章 絵画の本質へ向かって
1960年代には、アメリカの若い芸術家たちに影響を受け、より大画面の作品を制作するようになる。技法的にも伝統的な絵画技法に抗い、バケツや壺から絵の具をこぼす、カンヴァスに火をつける、あるいはナイフで切り取るという手法を使うようになる。ミロが自身の表現を更新し続けたのは、彼が絵画の本質を追い求めた結果であり、その探求は1983年に90歳で亡くなるまで続く。
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ミロ展
2025年3月1日(土)~7月6日(日)
東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)

2025年5月 9日 (金)

手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第400回
手塚治虫(1928~89)は、『百物語』971不破臼人と魑魅(スダマ)の契約と蘇りを描き、1967年火の鳥黎明編を描き、遺作『ネオ・ファウスト』1988で老教授と魔女メフィストとの契約と若返りを描いた。魂の運命と生と死、蘇り、不老不死、哲学的、宗教的な問題を問い続けた。
1967年火の鳥黎明編、1967年火の鳥未来編、1968年火の鳥ヤマト編、1969年火の鳥宇宙編、1969年火の鳥鳳凰編、1970年火の鳥復活編、1971年火の鳥羽衣編、1971年火の鳥望郷編(COM版)、1973年火の鳥乱世編(COM版)、1976年火の鳥望郷編、1978年火の鳥乱世編、1980年火の鳥生命編、1981年火の鳥異形編、1986年火の鳥太陽編
★火の鳥シリーズ 1954 – 1988

『火の鳥』と『ファウスト』
夢を実現するため、力を手に入れる、悪魔と取引して「魂と引き換えに、若さを手に入れる」学識はあるが、力はない、老博士ファウスト。手塚治虫は『ファウスト』の苦悩を、『百物語』の不破臼人、『ネオ・ファウスト』、晩年に至るまで描き続けた。
不死を手に入れるために、火の鳥の血を飲もうとする。若者ウラジ。手塚治虫『火の鳥』黎明編。火の鳥の血と不死のテーマ。手塚治虫『火の鳥』未来編。マサトと人造人間タマミ、二人の愛は成就するのか。タマミは、『火の鳥(未来編)』で、人間の娘に変身したシリウス十二番星原産の不定形生物ムーピー。ムーピーは催眠超音波でリアルな幻覚を見せる能力のため、人間を堕落させるものとして飼育を禁止されていた。猿田博士は、絶滅した生物をよみがえらせようと、ひとり人工生命の研究をしていた。マサトとタマミの愛は復活するのか。
『火の鳥 未来編』
西暦3404年。人類は、戦争での放射能に汚染された地上から地下都市に移住した。マサトは、不定形宇宙生物・ムーピーが姿を変えた美少女・タマミと共に地下都市・ヤマトから脱出する。二人は地上で人工生命を研究する猿田博士のもとにたどり着く。その頃、地下都市ではコンピューター同士による最終戦争が勃発する。地下都市全てが壊滅し、火の鳥の生き血を飲んで不老不死となったマサトと、ムーピーであるタマミのみを残し、人類は滅亡してしまう。
タマミも力尽き、世界にはマサトのみが残された。永遠の生命を持つマサトは死ぬことができず、他の生命を求めて孤独の世界を彷徨う。5000年間ものあいだ眠り続ける女性を発見したマサトは5000年後に女性が目覚めることを心の支えとするが、ついに会うことはできなかった。そして、何億年という果てしのない永い年月を経て、マサトという一個の有機体を起点に新たな生命が地球上に誕生する。
不死の命を手に入れた若者、死ぬことができないために、永遠の孤独を抱き、人類の滅亡の果てまで生き続ける。手塚治虫『火の鳥』未来編。
【美しい王女を手に入れるイワン王子】魔王カスチェイを倒すため、魔王の庭にやってきて火の鳥に会い、火の鳥の魔法の羽を手に入れ、魔王と戦い美しい王女ツァレヴナと結婚する(ストラヴィンスキー『火の鳥』1910)。

『火の鳥』とギリシア哲学 生と死の哲学
火の鳥の物語は、ギリシア哲学を想起する。プラトン『パイドン』『パイドロス』『饗宴』『国家』、エンペドクレス『カタルモイ』<魂と万物の4つの根(リゾーマタ) 宇宙円環と魂の円環の調和』>。「魂の不死不滅、輪廻転生、学問は永遠の記憶を想起する」。
大久保正雄『プラトン対話篇 生と死の哲学』『プラトン哲学における愛(エロース)と死(タナトス)』。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、手塚治虫『火の鳥』のテーマは何か。
「人間は永遠に孤独である、愛はつかの間の夢」「火の鳥の血を飲むことによって不老不死となる」。「魂は不死不滅、輪廻転生、学問は永遠の記憶を想起する」。「知恵と愛の探求、不老不死の探求」異形の者との魂の愛、藝術家が作品を作ることによって不滅となる、「生命とは何か、意識とは何か、精神とは何か、宇宙とは何か」。人類は殺し合い止めず、どのような末路を迎えるのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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2、『火の鳥』とは何か
手塚治虫『火の鳥』、ストラヴィンスキー。
ディアギレフ率いるロシア・バレエ団。その中核となったのが、まだ無名だったストラヴィンスキーによる〈火の鳥〉〈ペトルーシュカ〉〈春の祭典〉。この3大バレエは、その質においても、破壊的なエネルギーと影響力の凄まじさにおいても、19世紀後半にワーグナーが〈トリスタンとイゾルデ〉で成し遂げたのに比肩すべき核爆弾的な役割を果たしたのであった。
【手塚治虫『火の鳥』、ストラヴィンスキー】手塚治虫(1928~89)はストラヴィンスキー(1882~1971)のバレエ<火の鳥>1910-19を観劇、その火の鳥の妖艶で神秘的な姿に刺激を受け、1967彼のライフワークとなる漫画<火の鳥>を制作する。時間と空間を超越した永遠の命を持つ不死鳥。「王子が神秘的な火の鳥の命を救い、羽の力をかりて、魔王から愛する美しい王女ツァレヴナを救出して彼女と結ばれる」
その血を飲めば飲んだ人間も不老不死の存在になる「火の鳥」黎明編で、火の鳥を狩りにきた若者・ウラジは、弓矢の効かない火の鳥を素手で捕まえようとしてその火に焼かれて死んでしまう。黎明編では、その後、火の鳥に魅入られた人間が何人も命を落としていく。不死の命を求める人間たちはそれを追い求める過程で死んでいく。一方、懸命に生きていこうとする人間を火の鳥は見守り、時に話しかけ、時に道案内として導く。対して、バレエ・リュスの火の鳥は、イワン王子の危機に王子が羽を翳した瞬間に約束通り現れ、王子と王子が恋に落ちた王女ツァレヴナを結びつけるために尽力する。
「ぼくはある劇場で、ストラヴィンスキーの有名なバレエ「火の鳥」を観ました。バレエそのものももちろんでしたが、なかでプリマバレリーナとして踊りまくる火の鳥の精の魅力にすっかりまいってしまいました。火の鳥の精は、悪魔にとらえられた王女を救うために、出発する王子の案内役をつとめる鳥で、ロシアの古い伝説なんだそうです。その情熱的で優雅で神秘的なこの鳥は、レオに匹敵するドラマの主人公として最適のように思えました。そういえば、どの国にも、火の鳥のような不思議な鳥の存在が伝説としてのこっています。蓬莱山伝説にあらわれるホーオーという鳥、あるいは不死鳥とよばれている一連のいいつたえなどに、なにか超自然的な生命力の象徴を鳥の姿に託したような感じがします。」
講談社『手塚治虫文庫全集 火の鳥②』p288より(初出:1968年12月20日発行「火の鳥 未来編」掲載)
ストラヴィンスキー作曲バレエ組曲<火の鳥>(1919年版)
「夜、イワン王子は火の鳥を捕えるため、魔王カスチェイの魔法の庭にやってくる。黄金の林檎の木の近くに火の鳥がいて、王子は火の鳥を捕えることに成功するが、火の鳥は「魔法の羽」を1枚渡すので、逃がしてほしいと懇願する。王子は納得し、魔法の羽を受け取り、火の鳥を逃す。その後、カスチェイに囚われた13人の乙女たちが庭にあらわれ、王子はひときわ美しい王女ツァレヴナと恋に落ちる。夜明けと共に魔王とその手下達があらわれ、王子を石に変えようとするが、王子が魔法の羽をふりかざすと、火の鳥が再びあらわれる。火の鳥は、不思議な力を使ってカスチェイたちに狂気的な踊りを強要し、眠りにつかせたうえ、魔王の弱点も教える。火の鳥の助けによってイワン王子はカスチェイを打倒することに成功し、石に変えられていた人々も生還する。最後は晴れて王子と王女は結ばれる。」
出典は、ロシア民話「イワン王子と火の鳥と灰色狼」、「ひとりでに鳴るグーズリ」。
■手塚治虫「火の鳥」
「火の鳥」は、漫画界の巨匠・手塚治虫が1967年から1988年まで描き続けたライフワークとも言える壮大な物語です。「生と死」をテーマに、古代から未来まで時代を超えて描かれた作品で、手塚治虫自身が「生と死の問題をテーマにしたドラマ、古代から未来へ延々と続く『火の鳥』という永遠の命との闘いは人類にとって宿命のようなものなのだ」と語っていたと言われています。
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手塚治虫の作品、何が最も感動的か。
『火の鳥』『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』『ネオ・ファウスト』『IL』『百物語』『手塚治虫 怪奇短編集』
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3、『火の鳥』のエピソード
■主なエピソードとしては、以下のような時代を舞台にした物語がある。
黎明編(3世紀頃の日本)
ヤマト編(4世紀頃)
太陽編(西暦663年〜672年、2001年〜2008年)
鳳凰編(〜752年)
羽衣編(西暦940年頃)
宇宙編(未来)
未来編(核戦争後の未来)
復活編(未来の医療技術がテーマ)
異形編
望郷編
乱世編
生命編
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手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-eafad1.html
■参考文献
手塚治虫オフィシャル
★火の鳥シリーズ 1954 – 1988 https://tezukaosamu.net/jp/manga/656.html
火の鳥 シリーズ 1954 – 1988
火の鳥(エジプト、ギリシャ、ローマ編)https://tezukaosamu.net/jp/manga/390.html
火の鳥NHK 黎明編 復活編 異形編 太陽編 未来編 
https://tezukaosamu.net/jp/anime/147.html
1947年製作のソ連時代のアニメーション映画『せむしの仔馬』に登場する火の鳥がヒントになっています。ロシアの民話の火の鳥の羽根は災いを招くそうですが、手塚治虫の描く火の鳥は永遠の生命の象徴であり、その羽根もたとえば撫でるだけで傷が回復したり、病気が治ったりという超能力を持っています。
火の鳥 https://tezukaosamu.net/jp/character/602.html
1954年火の鳥黎明編(漫画少年版)、1956年火の鳥エジプト編、1956年火の鳥ギリシャ編、1957年火の鳥ローマ編
1967年火の鳥黎明編、1967年火の鳥未来編、1968年火の鳥ヤマト編、1969年火の鳥宇宙編、1969年火の鳥鳳凰編、1970年火の鳥復活編、1971年火の鳥羽衣編、1971年火の鳥望郷編(COM版)、1973年火の鳥乱世編(COM版)、1976年火の鳥望郷編、1978年火の鳥乱世編、1980年火の鳥生命編、1981年火の鳥異形編、1986年火の鳥太陽編
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戦国時代、切腹寸前の身を悪魔の娘スダマに魂を売ることで救われた武士一塁半里は、その契約により美男子不破臼人に変身。みちのくの地で富と権力を手中に収めるが…。ゲーテの古典『ファウスト』の二度目のマンガ化。
『ネオ・ファウスト』1988  https://tezukaosamu.net/jp/manga/339.html
手塚治虫による「ファウスト」の3度目のマンガ化です。
1970年2月、東京にほど近いN市のNG大学で、50年間研究に打ち込んできた一ノ関教授は、いまだに宇宙の真理が究明できないことに絶望し、自殺しようとしていました。
そこへ魔女メフィストが現われ、新しい生命と新しい人生を与えてほしいという一ノ関教授の願いを聞きいれます。
そして教授とメフィストは、教授がすべてのことに満足して「時よとまれ、お前は美しい」といった時、悪魔に魂をゆずるという契約をします。
メフィストは教授を、時間をさかのぼって1958年の過去へつれていき、若返り薬をのませます。美しい青年に若返った教授は、記憶を失い、坂根物産社長・坂根第造にひろわれ、第一と名づけられます。
『ブラック・ジャック』1973/11/19-1983/10/14 
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」
画狂老人卍『鳳凰図屏風』
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
――
アニメ化された「火の鳥」作品
「火の鳥」は複数の形態でアニメ化されてきました。主な作品は以下の通りです。
劇場版「火の鳥2772・愛のコスモゾーン」(1980年)- 手塚治虫自身が総監督を務めた作品
劇場版「火の鳥・鳳凰編」(1986年)- りんたろう監督によるアニメ映画
OVAアニメ「火の鳥 宇宙編・ヤマト編」(1987年)- 川尻善昭監督による作品
TVアニメ「火の鳥」(2004年)- NHKで放送された「黎明編・復活編・異形編・太陽編・未来編」全13話
「火の鳥 エデンの宙」「火の鳥 エデンの花」(近年)- 「望郷編」をベースにした配信アニメと劇場版
これらのアニメ作品は、原作漫画の壮大なスケールと深いテーマ性をどう映像化するかという挑戦と向き合ってきた。
――
★★★★★
手塚治虫のマンガ『火の鳥』を読み解く初の大型展覧会「手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」が、六本木ヒルズ・東京シティビューで開催される。会期は2025年3月7日~5月25日。
『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』など数々の名作マンガを手がけたほか、アニメ界にも大きな業績を残した日本を代表するマンガ家・手塚治虫。手塚自らライフワークと称した『火の鳥』は、その血を飲んだ者は永遠の命を得るという伝説の鳥“火の鳥”を追い求める人々の葛藤を描く一大長編作品だ。1950年代から連載が開始され、手塚が晩年まで取り組んだ。過去と未来を交互に描き、「生と死」「輪廻転生」といった哲学的なテーマを表現した壮大な世界観は、現在まで多くの読者を魅了している。

30年以上にわたって執筆されたこの叙事詩に迫る本展は、企画・監修を生物学者の福岡伸一が担当。連載開始から70年が経過したいま、福岡を案内人として、新たな生命論の視点から『火の鳥』の物語構造を読み解き、手塚が表現し続けた「生命とはなにか」という問いの答えを探求するという。赤と黒を基調とした展覧会キーヴィジュアルは、グラフィックデザイナーの佐藤卓が手がけた。
――
手塚治虫のライフワーク『火の鳥』。テーマは「生きること、死ぬことの意味は何か」。人間にとって最も深遠な問いです。全編にわたって不死鳥“火の鳥”が登場し、生に執着する人間を翻弄しながら物語を動かします。そこでは、あらゆる生命が常に姿と形を変えながら、連綿と受け継がれていく輪廻転生の生命観、汎神論的な世界観が示されます。これは、生命が絶えず自らの破壊と創造を繰り返しながら、エントロピー増大の法則に抗い続けている「動的平衡」であるとする私の生命論とぴたりと重なります。
本展の狙いは、動的平衡の視点から火の鳥の意味を読み解くことにあります。そして、手塚治虫が描くことを約束しながら果せなかった物語の結末を想像してみたいと思います。ぜひご期待ください。(福岡伸一のコメント)
「手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」
六本木ヒルズ 東京シティビュー(エリア:六本木、乃木坂)
2025年3月7日(金)〜2025年5月25日(日)

2025年5月 5日 (月)

国宝の名刀と甲冑・武者絵 三井家の五月人形・・・刀剣の美、曲線美、直刃と乱刃、沸と匂

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第399回
刀剣の美、曲線美、刃文の美、直刃と乱刃、沸と匂
刀剣の美は、曲線美である。波紋の美しさは、直刃と乱刃。乱刃には流派の特徴あり。小乱、丁子乱、互の目、湾れ。小乱は、平安・鎌倉時代初期、丁子乱は鎌倉時代中期、互の目は鎌倉時代末期以来、各流派、室町時代に流行する。刃文の美、沸は砂のように粒子状、匂は粒子が細かく霞に見える。三井記念美術館。
刀剣を作る巨匠は、人を切る武器を作る職人ではない。権力者が愛する刀剣は、王から王者へと、権力者から権力者へと伝えられる。
織田信長は、名刀・義元左文字を所持。足利義政伝来の曜変天目茶碗を所持したが、本能寺の変で焼亡した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
「国宝 日向正宗」正宗作 鎌倉時代・14 世紀 刀剣乱舞の刀。
豊臣秀吉から石田三成に下賜、関ケ原役で水野日向守勝成が入手した
「日向正宗」は、石田三成が妹婿福原直高に与え、関ケ原役で水野日向守勝成が手に入れたことによる。元は秀吉が所持し、その後石田三成に下賜された。正宗短刀の筆頭にあげられる名刀。相州伝の二人の傑作が2つの展示室で見られる。

「国宝 徳善院 貞宗」貞宗作 鎌倉~南北朝時代・14 世紀 
貞宗は、正宗の実子とも養子とも伝えられますが、豊臣秀吉が所持し、五奉行の一人前田徳善院玄以が拝領したところから、「徳善院 貞宗」と呼ばれました。その後徳川家康、紀州徳川家、西条松平家へと伝わり、おそらく近代になってから三井家に伝わりました。
【正宗】正応~嘉暦年間の相模の刀工。岡崎五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道。日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人。「相州伝」と称される作風を完成し、多くの弟子を育成した。「長谷川忠右衛門刀工系図」や「古刀銘尽大全」では文永元年(1264年)生まれ、康永2年(1343年)81歳で没。
――
権力者には、分析家指揮官型・織田信長。番人型・徳川家康。日本は官僚型。建築家・アクエンアテン王、建築家・ラメセス2世は、分析家グループ。冒険家クレオパトラ7世は、探検家グループ。
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検家グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、自分の必殺技をどう披露
――
これまで見た刀剣
【ラムセス大王展、古代エジプト中王国時代の王女の墓で見つかった短剣】3900年ほど前のエジプト王女の墓から見つかった短剣。柄の部分が美しい、ラピスラズリ 有村元春
ラメセス2世の糸杉で作られた木棺
【大覚寺展】鬼切丸、髭切丸
清和源氏に代々受け継がれてきた「兄弟刀」として伝えられる重要文化財、大覚寺所蔵の「太刀 銘 □忠(名物 薄緑<膝丸>)」と、北野天満宮所蔵の「太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)」が、京都以外では初めてそろって展示。
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「太刀 銘 □忠(名物 薄緑<膝丸 >)」と「太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)」は、平安時代中期(10世紀)、清和源氏の祖・源経基の嫡男である源満仲が、勅宣により天下守護の太刀を求め、異国からきた刀工が八幡神の加護を受けてつくりあげたと伝えられている。その後は、そのときどきに起きた霊異譚(れいいたん)によって名を変えながら、所持者を勝利に導く存在として源氏に代々受け継がれてきた。
重要文化財「太刀 銘 □忠(名物 薄緑<膝丸>)」
源満仲、頼光、義経などの清和源氏に代々受け継がれてきた「薄緑」および「膝丸」という伝承の太刀。源満仲は平安時代中期の武士であり、藤原摂関家と密接に結びつき、清和源氏の発展の基礎を築いた。太刀は長大で力強い刀身を持ち、細やかに乱れた刃文が焼き入れられており、鎌倉時代初期の備前刀の作風が認められる。
重要文化財「太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)」
源満仲から頼朝にいたるまでの源氏の重宝「鬼切丸」および「髭切」の伝承を持つ太刀。鎌倉幕府が滅亡した際、新田義貞がこれを手に入れ、その後、義貞を討った斯波高経の手に渡り、その子孫である最上家に受け継がれたと伝えられている。刀身は身幅やや狭く中反りの優美な太刀姿を示し、平安時代末期から鎌倉時代にかけての特徴を備えている。
★開創1150年記念特別展「旧嵯峨御所 大覚寺-百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」
【七支刀、石上神宮】4世紀
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参考文献
国宝の名刀と甲冑・武者絵 三井家の五月人形・・・刀剣の美、曲線美、直刃と乱刃、沸と匂
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-30d565.html
「出雲と大和」東京国立博物館、日本書紀成立1300年
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
https://bit.ly/2ReO0wz 
美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
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国宝の名刀と甲冑・武者絵 三井家の五月人形、三井記念美術館、2025年4月12日から6月15日
https://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

2025年5月 2日 (金)

孫崎享「国際政治 トランプ政権、ウクライナ戦争・ガザ」上智大学ソフィア文化芸術ネットワーク、上智大学 

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第398回

孫崎享、元外務省国際情報局長、元駐イラン大使『日米同盟の正体』講談社現代新書『日本の「情報と外交』『日本人のための戦略的思考入門』『私とスパイの物語』2025
質疑応答、大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社
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大久保正雄
R・ケネディ・Jr. の胸を打つ厚生長官就任の演説。彼が信念の人である事が浮かび上がる。今が「軍産複合体の台頭、全体主義の台頭、憲法への攻撃、人々を無力化する驚くべき流行を目の当たりに」する時代であることを語る。そして、彼の健康への思い「健康な人には千の夢があるが、病人にはただ一つの夢、「ただ良くなるという一つの夢」しかなく、人口の60%は病気でその一つの夢しか持っていない」現実をあからさまに述べた。叔父であるJ・F・ケネディが創始したUSAIDが「軍産複合体に捕らわれ」変容してしまい、「それは全体主義と戦争を世界中に広める不吉な伝播者となり、ほとんどの人がこの機関の本当の恐ろしさを理解していません」
善きサマリア人の喩え、瀕死の旅人を救うのは、司祭ではなく、教会ではなく、心美しいサマリア人である。キリスト教教団は隣人を救わない。ルカによる福音書10章25節から37節にある。隣人愛のキリスト教はなぜ殺し合うのか。キリスト教に隣人愛はあるか。
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R・ケネディ・Jr.の胸を打つ厚生長官就任の演説。彼が信念の人である事が浮かび上がる。
JFKと父R・ケネディとのホワイトハウスでの思い出から始まり、父が語った「もし一人の人間がしっかりと立ち、その場にとどまれば、全世界が彼の周りに集まるだろう」を紹介し、「20年間、私は毎朝ひざまずいて、神がこの国の子供たちの慢性病の流行を終わらせるための地位に私を置いて下さるように祈ってきました。」とこの地位への思いを語る。
そして、トランプが彼との約束を果たし、それは握手のみで約束されたことであったことを明かした。
そして、今が「軍産複合体の台頭、全体主義の台頭、憲法への攻撃、憲法への攻撃、人々を無力化する驚くべき流行を目の当たりに」する時代であることを語る。
そして、彼の健康への思い「健康な人には千の夢があるが、病人にはただ一つの夢、「ただ良くなるという一つの夢」しかなく、人口の60%は病気でその一つの夢しか持っていない」現実をあからさまに述べた。
そして、叔父であるJ・F・ケネディが創始したUSAIDが「軍産複合体に捕らわれ」変容してしまい、「それは全体主義と戦争を世界中に広める不吉な伝播者となり、ほとんどの人がこの機関の本当の恐ろしさを理解していません」
「トランプ大統領はそれを見抜き、見事に立ち向かいました。私たちは子供たちの健康を奪う機関にも同じことをしたいと思っています」
RKJ厚生長官やトランプ大統領の英雄的チャレンジが実を結ぶことを祈らずにはいられない。
この素晴らしい演説は僅か6分ほど。鵜川さんのX投稿から見ることができます。日本の政治家からは永遠に聴くことはないだろう、本物の政治家の演説をぜひご覧下さい。
https://x.com/sousyou13/status/1890181162406133760
大久保 正雄
https://www.facebook.com/masayuki.aoyama1/posts/pfbid022mWkKXRr7tNXoKvjAjwBrWnPjHmYdRidabDidRA3DG2f1EgVcB1VR2zR5uaUvwEUl
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青山 雅幸
USAIDの解体、トランプのトンデモ政策と誤解されてる方もいるよう。大間違いです。アメリカ自体がトンデモな国で、平気で自国民や他国民に人体実験してきたような国。
囚人にプルトニウム服用させて人体実験したり、知的障害のある人にマラリア輸血で感染させて人体実験したり(https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/.../vuniv99/exp-lec5.html
)、グアテマラの刑務所で性病の人体実験して83人殺したり(https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM3002X_Q1A830C1FF1000/
)。これらは陰謀論とかではなく、50年経つとなんでも開示するアメリカの公文書開示で明らかになった事実。USAIDのしてきたことも甘く見ない方が良い。
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フジテレビと自民党 笹川陽平の別荘で、日枝久、小泉純一郎、麻生太郎、安倍晋三、岸田文雄、森喜朗、加藤勝信、西村康稔、萩生田光一、茂木敏充 自民党統一教会、
フジテレビSMAP金拓成、朴大正、鄭壮勇、崔秀一、李慎吾。韓国人がスター。上納された渡邊渚、慶大卒、中嶋プロデューサー、慶応大学の文化。追及する望月イソ子、慶応義塾大学卒、学芸大付属高校卒、偏差値75。石破茂の娘フジテレビ。低能未熟大学。フジサンケイグループ代表日枝、自民党統一教会、古市憲寿、三浦瑠璃。自民党支配階級。日本は階級社会。
中嶋プロデューサー、中居、渡邊渚アナ、妊娠中絶、グランドハイアット六本木40万円フジテレビ、支払
フジサンケイ自民統一教会グループの、日枝久(相談役)が記者会見に出て来れない理由は、自民党や統一教会との癒着が追求されるから。それがフジテレビの本質であり最大の問題だから https://newssharing.net/hiedahisashi7
フジサンケイ自民統一教会グループの、日枝久(相談役)が記者会見に出て来れない理由は、出て来たら自民党や統一教会との癒着が追求されるから。それがフジテレビの本質であり最
NEWSSHARING.NET
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鈴木康友浜松市長が浜松市のデータを公開したが、打てば打つほど感染率も重症化率も高くなっており、ロットナンバーによっては接種者の半数以上が3年以内に亡くなる。官僚らは黙っていますが、彼らも立場上言えない(米民主党政権によって菅・岸田内閣が押しつけられ色々と約束した)。私のワクチン由来説に反論せず黙ってるということがYESということなんですね。
Ichiro Zusho
私の周囲でも、50代60代の急死がここ3、4年すごく多い。複数回のワクチン接種の影響があり。仕事柄、接点のある厚労省の官僚らに問い質したことがあります。
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日本の民主主義が育たない五つの理由。
第一:民衆自身に民主主義を追求する気魄が欠けている
第二:日本の支配者である米国が民主主義を尊重していない
第三:明治以降、官僚機構が、自分たちが支配者であると思い続けている
第四:メディアが権力と癒着している
第五:警察・検察・裁判所が人権機関ではなく権力機関に堕している
「植草一秀の『知られざる真実』」 2014/05/01
暗黒の国家日本に暮らすということ 第852号
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鈴木 宣弘
3/18 日本農業新聞 コメ不足が深刻化する中で、輸出8倍を掲げて輸出米に4万円/10aの補助金出すなら国内の主食米生産にこそ4万円/10aを支給して国内供給確保すべき。対米「盗人に追い銭」外交の生贄は農産物。自動車関税除外を懇願してコメと乳製品を米国に差し出したら日本農業・農村と国民の命がいよいよ危うくなる。https://www.facebook.com/photo/?fbid=9349996075089069&set=a.2781115645310511
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元駐ウクライナ大使馬渕睦夫氏「ミンスク合意のすぐあと2014年のクーデターの横にいたジョージ・ソロスがNYTIMESにミンスク合意を破棄しろ、何の為に自分たちがウクライナ危機を起こしたのか、政権交代させたのかわからないとハッキリ言っている。
https:// newssharing.net/mabuchimutsuo2014
公開情報です。 アメリカとヨーロッパはウクライナに軍事援助をしてロシアと戦争を出来るようにしろとハッキリ言ってる」 SNS「オルガルヒ(ユダヤ財閥)のコロモイスキーがアゾフ大隊とゼレンスキー大統領を作った張本人。そしてコロモイスキーに投資していた大物黒幕がソロス」
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『情報は知識ではなく、知識は知恵ではない。知恵は洞察力ではない。だが、情報は知恵の第一歩である。』”But it is vital to remember that information — in the sense of raw data — is not knowledge, that knowledge is not wisdom, and that wisdom is not foresight. But information is the first essential step to all of these.”ArthurC.Clarke ~アーサー·C·クラーク(1917年12月16日 - 2008年3月19日)~
https://www.facebook.com/photo/?fbid=348034858634890&set=a.278740822230961
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善きサマリア人の喩え、瀕死の旅人を救うのは、司祭ではなく、教会関係者ではなく、心美しいサマリア人である。キリスト教教団は隣人を救わない。ルカによる福音書10章25節から37節にある。隣人愛のキリスト教はなぜ殺し合うのか。キリスト教同士が最も殺し合う。キリスト教に隣人愛はあるかという問題。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E3%81%8D%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88
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参考文献
【武漢ウイルス研究所、雲南省・昆明郊外の洞窟で採集】2004年から、石正麗博士、昆明郊外の洞窟で5年間にわたり、キクガシラ蝙蝠から数百種類のコロナウイルスを検出。SARSと同じグループ、マウス実験でSARSのような症状を発症、人にも感染することを確認。2015。

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【ファシズム国家、衆愚政治】米国の命じるままにウクライナ戦争、資金提供。台湾有事で日中戦争。自民党統一教会、それでも支持する民。孫崎享『国際政治、覇権争い、ウクライナ戦争』【質疑応答】孫崎享×大久保正雄、ソフィア文化芸術ネットワーク
https://bit.ly/3GOXmJm
ミサイルは、迎撃できない。孫崎享×大久保正雄『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』ソフィア文化芸術ネットワーク
https://bit.ly/2YxJoE8
孫崎享「国際政治 トランプ政権、ウクライナ戦争・ガザ」上智大学ソフィア文化芸術ネットワーク、上智大学
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-6f8b94.html

2025年4月29日 (火)

仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第397回

【仏教伝来】西暦538年、飛鳥時代に百済の斉明王より仏教が伝えられた。飛鳥寺、斑鳩寺(法隆寺)、四天王寺、などの寺院が造られ、仏像の制作が始まった。この仏像の微笑みはギリシア彫刻のアルカイックスマイルとされる。飛鳥時代の仏像の顔にギリシア彫刻の影響がある。法隆寺金堂釈迦三尊像。法隆寺救世観音像、遡ること千年。
【仏陀誕生BC463-383】紀元前5世紀、ゴータマ・シッダールタ Gotama Siddhārtha BC463-383年。仏滅後、仏教徒はブッダの遺骨(仏舎利)を仏塔(ストゥーパ)に納め、礼拝した。このストゥーパの装飾(レリーフ)が仏教美術の始まり。
【原始仏教】【根本分裂】仏滅後100年、大衆部と上座部【枝葉分裂】西暦1世紀【部派仏教、精緻な理論の体系化】説一切有部。部派仏教は高踏派。【大乗仏教】部派仏教に対して、大乗(Maha-Yana)仏教が興起。二大潮流、中観派(龍樹)(2c-3c)と唯識派・瑜伽行派(弥勒・無著・世親) (4c-5c)、興起。竹村牧男『空海の哲学』P54-68。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ブッダの死後はブッタの姿を表現することは禁じられていたが、1世紀末になると、現在のパキスタン北西部ペシャーワル周辺のガンダーラでは仏像・菩薩像が造られた。
【ガンダーラ美術】古代の国ガンダーラGandhāraを中心に、東のタキシラ地方、北のスワート地方,西のアフガニスタンの一部をも含む地域で1~5世紀に展開した仏教中心の美術。クシャーナ朝時代に初めて仏陀の姿を表現してその図像を定型化したことは特筆に値する。
インド、中央アジア、中国の仏教美術に多大の影響を及ぼした。インド、中央アジア、中国の仏教美術に多大の影響を及ぼした。ガンダーラではギリシア、ヘレニズム・ローマ文化の影響を受けてインド・ペルシア西方的な色彩の濃い仏教美術が行われ、3世紀までは灰青色の片岩または千枚岩による石彫が,4~5世紀には塑造彫刻が主体であった。一方,この王朝の東方の拠点都市マトゥラーではインド古来の伝統に基づいた赤色砂岩による仏教およびジャイナ教彫刻が栄えた。★肥塚 隆「改訂新版 世界大百科事典」
【バクトリア王国】紀元前3世紀半ばに古代ギリシア人が国家を建て、この地には古代ギリシア(ヘレニズム文化)が栄えた。この地は東西からインド人、ペルシャ人、ギリシア人多くの民族による文化の交流が行われて。仏像はインド文化を元に古代ギリシア(ヘレニズム文化)の影響を受けている。ギリシア彫刻のような彫りの深い顔立ち、波状の頭髪は束ねられ、体格もよくギリシア風のドレープ(衣文)のある衣服を着ている。
ガンダーラ仏。1~2世紀。高さ約1メートル。東京国立博物館、東洋館。
ガンダーラ レリーフ 東京国立博物館、東洋館。
ガンダーラ 小塔。2~3世紀。平山郁夫シルクロード美術館 東京国立博物館、東洋館。
【クシャーナ朝の美術】王朝の繁栄を背景にガンダーラ地方とマトゥラーとを2大中心地として仏教徒主導の美術が展開した。ガンダーラ地方では5世紀中期のキダーラ朝の滅亡までを範囲とする。その仏教美術が以後のインド,中央アジア,中国のそれに及ぼした影 響力の強さは他に類を見ない。
【マトゥラー美術】古都マトゥラーMathurāを中心として,古代、ことにクシャーナ朝時代とグプタ朝時代に最も隆盛であった石彫主体の美術で、インドで最も重要な流派の一つ。【カニシカ王の即位】(144ころ。異説多い)からほぼ1世紀間が第1のピークで、遠くカウシャーンビー,サールナート、サーンチーからもマトゥラー彫刻が出土している。★肥塚 隆「改訂新版 世界大百科事典」
【クシャーナ朝】クシャン朝ともいい,また貴霜朝。1世紀半ばから3世紀中葉まで,現在のアフガニスタンおよび北インドを中心に栄えた王朝。大月氏支配下のクシャーナKusana族の族長【カドフィセース1世】がバクトリアに興起し,その子【カドフィセース2世】がインドに侵入して王朝の基礎をつくった。次いで2世紀中葉【カニシカ王】が出て大帝国を確立し最盛期を迎えた。その後3世紀後半から衰退し,ササン朝に滅ぼされた。東西交通の要衝を占め,ローマとの交流が盛んで,ガンダーラ美術の形成,大乗仏教の興起など特色ある文化を生んだ。★肥塚 隆「改訂新版 世界大百科事典」
参考文献
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-21b8bc.html
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
『仏説魔訶般若波羅蜜多心経』・・・中観派と唯識派の対立
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-27a785.html
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アレクサンドロス大王の東方遠征とヘレニズム文化
【アレクサンドロス大王、東方遠征(紀元前334年~紀元前323年)】マケドニア軍3万8000の兵士を引き連れ、【グラニコス川の戦い(紀元前334年)】にてペルシアの小アジアの防衛軍を撃破。この勝利により、小アジア全域を征服する足がかり。【紀元前333年、イッソスの戦い】ペルシアの王ダレイオス3世と対峙。ダレイオス3世は10万の大軍を率いて対抗、アレクサンドロスは天才的な戦術によって勝利を収めた。ダレイオスは逃亡。ティルスやガザなどが反抗し、この地域を征服、エジプトに進出。エジプトではペルシア支配に対する不満が高まり、無血でエジプトを征服、アレクサンドロスはエジプト人に歓迎され、エジプトのファラオ(王)として即位。西方のシワ・オアシス、エジプト神話の太陽神であるアメン神を祀る神殿で、自らをアメンの子とする神託を受けた。マケドニア軍は、現在のイラク北部へと侵攻。世界遺産アルベラ(エルビール)の近くで、【ガウガメラの戦い(紀元前331年)】ダレイオス3世率いるペルシア帝国の主力軍20~30万と激突。アレクサンドロスは再びペルシア軍を破り、ダレイオス3世を完全に敗北。ペルシア帝国滅亡。ダレイオス3世は部下に暗殺。アケメネスの中心である、バビロン、スーサ、ペルセポリスなどを次々と占領。【紀元前329年から紀元前327年まで、バクトリア】バクトリア(現在のアフガニスタン)やソグディアナ(現在のウズベキスタン)を制圧。バクトリアの王女ロクサネと結婚。インドへの遠征を開始。アレクサンドロスはパンジャーブ(現在のパキスタン北東部・インド北西部)へ侵攻、【ヒュダスペス川の戦い(紀元前326年)】パウラヴァ族の王ポロスと戦い、勝利。ポロスの勇敢さを称賛したアレクサンドロスは、彼に領地を与えて統治を任せた。インド遠征の途中、兵士たちが疲労、部下たちが遠征を拒否、アレクサンドロスはガンジス川を渡る計画を断念、スーサへ引き返した。【紀元前323年にスーサ、バビロンに戻る】戻り、マケドニア軍の将校たちが、ペルシア 貴族や王族の女性たちと結婚する「合同結婚式」。遠征(アラビア半島征服)を計画、バビロンにて突然の病に侵され、32歳の若さで亡くなる。ディアドコイ(後継者)戦争、起こり、ヘレニズム文化(BC3ⅽ-AD5ⅽ)広がる。プトレマイオス朝、セレウコス朝、アンティゴノス朝、カッサンドロス朝
参考文献
森谷公俊『アレッサンドロ 征服と神話』2007
大久保正雄『地中海紀行』53回アレクサンドロス大王1P45
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2P52
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-388540.html

2025年4月15日 (火)

ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第396回
ヒルマ・アフ・クリントの絵画は、霊界を旅する者の藝術である。ダンテ『神曲』の霊界の旅であり、この世と宇宙を行き来する。
「獣のように生きるのではなく、徳と知恵を求めて生きるのだ」ダンテ『神曲』第26歌。
霊界を旅する者
ダンテ『神曲』、ウィリアム・ブレイク『無垢の歌、経験の歌』、エル・グレコ、小野篁、空海『秘蔵宝 』、『華厳経』、宮澤賢治『インドラの網』『雁の童子』
「獣のように生きるのではなく、徳と知恵を求めて生きるのだ」ダンテ『神曲』第26歌。
徳と知恵を求めて生きる者だけが、霊界の旅を生きることができる。「獣のように生きる」者とは、カネと地位のために生きる者。他人の命令で生きる、ルーティン教授、点燈夫『星の王子さま』は、「獣のように生きる」者である。
「肉体は、魂を包む魂の衣である。魂自身と魂に所属するものとは別のものである。魂は不死不滅、すべての学問は、魂が前世で学んだことを思い出すことである。」大久保正雄『比較宗教学研究』2024
精神世界を探求する者でなければ観る資格はない。
「風は見えなくても風車は回っている。音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける」J・S・バッハ「ドレスには、それを脱がせるために男性を魅了する力がなければ意味を成さない。」イヴサンローラン「ドレスが美しくても、本人が美しくなければ意味がない。肉体が美しくても、魂が美しくなければ存在がない。本質が腐っている。」『旅する哲学者、美への旅』
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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神秘主義絵画、宗教画
「認められるまでは、嘲笑される。これは真理の常である。」アルベルト シュバイツァー
【ヒルマ・アフ・クリント1882-1944】1907年、アフ・クリントは、人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」啓示を受け、多種多様な抽象的形象、あふれでてくるようなパステルカラーの色彩、圧倒的な《10の最》 (1907年)制作。ルドルフ・シュタイナーと絵画館建設交渉したが、拒否される。Hilma af Klint は1944年ストリートカーの事故に遭い82歳の誕生日を迎えるほんの数日前に他界。1500点の以上の作品と2万500ページ()125冊のノートブック)を甥に残して,自分の死後20年経つまで作品を公表しないようにと遺言。死後20年間作品を封印。カンディンスキー、モンドリアンより早く、抽象的絵画を描いた先駆者、独自の手法で、長らくその存在を知られていなかったスウェーデンの女性画家。
20年後も公開されず。2019年NYグッゲンハイム美術館で史上最多の60万人が来場 世界が注目する。騒然とする。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
【神秘主義絵画の系譜】ヤコブ・ベーメ(1575~1624)『曙光』1612、スウェーデンボルグ(1688~1772)肉体の死と霊の蘇生・覚醒の全過程。鈴木大拙訳『天界と地獄』『霊界日記―死後の世界の詳細報告書』、シュタイナー『神智学』『人智学』
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『ウィリアム・ブレイク展 図録』国立西洋美術館、1990
地上と天上が融合した壮大な祭壇画に、眩暈を感じる。エル・グレコの絵画には、霊的体験と地上の憂愁がある。エル・グレコの炎のように揺らめく人物、神秘的な光が、心を魅了する。壮大な祭壇画に、トレドの街が描き込まれている。
エル・グレコ(El Greco、1541- 1614)は、16世紀の画家で、ルネサンス末期のヴェネツィア派の画家の影響を受け、マニエリスムの先駆である。
エル・グレコをみると、形而上詩人を思い出す。
17世紀のイギリスの形而上詩人(metaphysical
poets)、ジョン・ダン、アンドリュー・マーヴェル、ヘンリー・ヴォーン(Henry
Vaughan 1621-1695)の形而上的世界、光と神秘に通じる世界がある。17世紀、ヤコブ・ベーメ『アウローラ』、エマヌエル・スウェーデンボルグ『天界と地獄』(鈴木大拙訳)のような神秘主義的空間を思い出す。
「昨夜私は永遠を見た。純粋で無限の光の大きな輪のような」(ヘンリー・ヴォーン「世界」). “I saw Eternity the other night/Like a great ring of pure and endless light.” – Henry Vaughan, “The World”
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
大久保 正雄
孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者
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「ヒルマ・アフ・クリント展」プレスリリースより
「ヒルマ・アフ・クリント展 図録」東京国立近代美術館2025
20世紀初頭、カンディンスキーやモンドリアンといった同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として、近年再評価が高まるヒルマ・アフ・クリント(1862~1944年)のアジア初となる大回顧展が、東京国立近代美術館で3月4日から6月15日まで開催されます。
本展では、ヒルマ・アフ・クリントの今日の評価を決定づけた代表的作品群「神殿のための絵画」(1906~1915年)を中心に、ノートやスケッチなど約140点が展示されます。
第1章 アカデミーでの教育から、職業画家へ
19世紀後半のスウェーデンに裕福な家庭の第4子として生まれたアフ・クリントは、王立芸術アカデミーで正統的な美術教育を受けた後、肖像画や風景画で評価を得て、画家としてのキャリアをスタートさせました。
在学中に制作された人体デッサンにおける正確な形態把握や、この時期に制作されたと思われる植物図鑑のように緻密な写生などからは、彼女が習得した技術の高さを見て取ることができます。
ヒルマ・アフ・クリント 《ポピー》 制作年不詳 水彩、インク・紙 58×35.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
第2章 精神世界の探求
一方で神秘主義思想に傾倒した彼女は、瞑想や交霊の集いに頻繁に参加し、知識を深めていきました。アフ・クリントは交霊術の体験などを通して、アカデミックな絵画とはまったく異なる抽象表現を生み出していきます。
1896年、特に親しい4人の女性と「5人 (De Fem) 」 というグループを結成すると、彼女たちは交霊術におけるトランス状態において、高次の霊的存在からメッセージを受け取り、それらを自動書記や自動描画によって記録しました。
第3章 「神殿のための絵画」
1904年、アフ・クリントは「5人」の交霊の集いにおいて、高次の霊的存在より、物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す、神智学的教えについての絵を描くようにと告げられます。この啓示によって開始されたのが、全193点からなる「神殿のための絵画」です。それらは自身が構想した神殿を飾るためのものでした。
「神殿のための絵画」は途中4年の中断期間を挟みつつ、1906年から1915年まで約10年をかけて制作されました。サイズ、クオリティ、体系性、すべての面からアフ・クリントの画業の中核をなす作品群で、「原初の混沌」「エロス」「 10の最大物」「進化」「白鳥」 といった複数のシリーズやグループから構成されています。

〈10の最大物〉
1907年、アフ・クリントは、人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」を制作する啓示を受け、多種多様な抽象的形象、画面からあふれでてくるようなパステルカラーの色彩、そして圧倒的なスケールの〈10の最大物〉 (1907年)を描きました。高さは3㍍超と「神殿のための絵画」のなかでも異例の巨大なサイズです。
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 2,幼年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×234cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 3,青年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 321×240cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 7,成人期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×235cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 9,老年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 320×238cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
円や四角形といった幾何学図形、花びらや蔓といった植物由来の装飾的モチーフ、細胞、天体を思わせる形態など、実に多様な要素から構成されたこれらの作品群は、そのすべてが、眼に見えない実在の知覚、探求へと向けられています。

ヒルマ・アフ・クリント 《エロス・シリーズ,WU/薔薇シリーズ,グループII,No. 5》 1907年 油彩・キャンバス 58×79cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《知恵の樹,W シリーズ,No. 1》 1913年 水彩、グアッシュ、グラファイト、インク・紙 45.7×29.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
具象的な白鳥が抽象的、幾何学的形状に変化し、最後再び具象性に回帰するプロセスが全24点で表現される「白鳥」シリーズは、具象と抽象、光と闇、生と死、雄と雌といったアフ・クリントの関心事である二項対立とその解消が、さまざまなレベルで展開していきます。
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUWシリーズ,グループIX:パート1,No. 1》 1914-1915年 油彩・キャンバス 150×150cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUW シリーズ,グループIX:パート1,No. 13》 1915年 油彩・キャンバス 148.5×151cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUW シリーズ,グループIX:パート1,No. 17》 1915年 油彩・キャンバス 150.5×151cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
トーマス・エジソンらによる電気に関わる発明、ヴィルヘルム・レントゲンによるX 線の発見、キュリー夫妻による放射線の研究など、19世紀後半から20世紀初頭にかけて展開された科学分野における画期的な発明や発見の数々もまた、肉眼では見ることのできない世界の把握に関わるものでした。この時代のスピリチュアリズムなど神秘主義的思想には、こういった科学的実践と共通する探求として、関心が寄せられていた側面があるのです。
精神的世界と科学的世界、双方への関心を絵画として具現化した「神殿のための絵画」の存在こそ、アフ・クリントが今日、モダン・アートにおける最重要作家の一人として位置づけられる所以と言えるでしょう。
ヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画,グループX,No. 1》 1915年 油彩、箔・キャンバス 237.5×179.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

第4章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅
「神殿のための絵画」を完結以降、アフ・クリントの制作は、幾何学性や図式性が増すようになりました。1920年に介護していた母親が亡くなり、以前より関心を寄せていた神智学から分離独立した「人智学」への傾倒を深めると、アフ・クリントの制作は、水彩のにじみによる偶然性を活かし、色自体が主題を生み出すような作品へと変化した。

第5章 体系の完成へ向けて
制作の一方で、アフ・クリントは自身の思想や表現について記した過去のノートの編集や改訂の作業を始めます。特に注目すべきは「神殿のための絵画」を収めるための建築物の構想です。制作が完了してからすでに15年以上経過した1930年代にもなお、作品を収める理想のらせん状の建築物について記し、建物内部の具体的な作品配置計画の検討も重ねていました。
この神殿が実現することはありませんでしたが、こういった自らの思想の絶えざる編集と改訂の作業は、絵画制作を含むアフ・クリントの仕事全体が、いかに厳密な体系性を目指していたかの証左となるものでしょう。
展示作品の一部
ヒルマ・アフ・クリント,ハムガータン(ストックホルム)のスタジオにて 1902年頃 ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
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ヒルマ・アフ・クリント展、東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー、2025年3月4日(火)~6月15日(日)

2025年4月12日 (土)

相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・無の宗教と雪舟、若冲、円山応挙

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第395回
11歳で就任した3代将軍・足利義満は、相国寺を創建、夢窓派の祖・夢窓疎石、高弟の春屋妙葩を迎える。鹿苑寺金閣を開き、北山文化を生み、孫の足利義政は、慈照寺銀閣を作り、東山文化、東山御物を残した。
夢窓疎石、春屋妙葩、絶海中津、大典顕常(1719年-1801年)は、雪舟、若冲、如拙と周文、円山応挙に影響を与える。
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臨済宗、禅宗は、中国仏教であり、老荘思想であり、ニヒリズムであり、無の宗教である。無、無為自然、無用の用、玄徳、道(万物の根源)は無、混沌、大道廃れて仁義あり、『老子』。万物斉同、逍遥遊、邯鄲の夢『荘子』。
「大成若缺、其用不弊、大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。淸靜爲天下正。「老子」第45章」。★
【明代初期の花鳥画家、文正『鳴鶴図』1376年】6世、絶海中津、中国から帰朝する時に、招来した。この絵画を雪舟、伊藤若冲、狩野探幽が学んだ。
【狩野永徳『洛中洛外図屏風』】足利義輝が発注、1566永徳が制作、1574織田信長が上杉謙信に贈呈。どこから見た洛中洛外図か。
【相国寺七重塔。1339年三代将軍・足利義満が建立(11歳で将軍就任)】1470年、猿物により炎上(『相国寺七重塔炎上之事』応仁記)。
【伊藤若冲「乗興舟」】1767年頃、若冲が交流の深い相国寺の禅僧、梅荘顕常(大典)と淀川下りをした感興を表した。季節は春、京都・伏見から大坂・天満橋まで6時間ほどの船旅を、幅約29センチ、長さ約11.5メートル。漆黒の空に白い松並木や遠くの家並み、淡い灰色の川
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、足利義満の時代、相国寺創建 夢窓疎石 春屋妙葩
【足利義満】[1358~1408]室町幕府第3代将軍。在職1369~1395。義詮(よしあきら)の子。南北朝合一を果たし、明と勘合貿易を開いて室町幕府の最盛期を現出した。能楽の保護、金閣の建立などこの時代の文化を北山文化とよぶ。北山殿義満。
第一章 開山の祖、夢窓疎石、相国寺に関わる高僧の墨蹟。
相国寺は、11歳で将軍職についた室町幕府三代将軍・足利義満が永徳 2 年(1382)に発願し、開山・創建された禅宗の古刹。夢窓派の祖・夢窓疎石(むそうそせき)を勧請開山に迎え、高弟の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を実質的な創建開山とした。京都の地、御所の北側の広い敷地に伽藍を構える大寺で、金閣寺、銀閣寺の通称で名高い鹿苑寺、慈照寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山。
相国寺は美術の発展にも尽力。640年以上の歴史の中で数々の芸術家を育て上げ、名作の誕生を導いてきた。1984年には相国寺をはじめ、鹿苑寺、慈照寺などに伝わる文化財の保存修理、展示公開、禅文化の普及を目的に相国寺承天閣美術館を創設。現在、国宝5点、重要文化財145点を含む優れた作品を収蔵する。寺に伝わる什物(じゅうもつ=代々伝わってきた宝)は美的価値だけでなく歴史的価値も高いものが揃っている。明から伝来した名品を見ることができる。相国寺は創建当初から中国との文化的交流の中心地であった。
展示作品
《鳳凰》室町時代 15世紀 鹿苑寺 応永五年(1398)の創建当初から金閣の頂上にあった。
重要文化財《鳴鶴図》 文正筆 中国・元-明時代 14-15世紀 相国寺 絵の前から立ち去り難い端正さを持つ。

2、雪舟の時代 室町幕府の御用絵師・如拙と周文を師とする
第二章「中世相国寺文化圏 ―雪舟がみた風景」雪舟が目にした文化的風景を偲ぶ
開山から間もない15世紀の相国寺には、相国寺文化圏と称するべき美の営みがあった。室町幕府の御用絵師であった相国寺の画僧・如拙と周文は室町水墨画の様式を確立、さらに二人を師と仰いだと書き残している雪舟は、若き日を相国寺にて過ごした。室町水墨画の巨匠・雪舟が目にしたと想像される文化的風景が展開される。
展示作品
重要文化財 雪舟《毘沙門天》 室町時代 15世紀 相国寺蔵
林良筆《鳳凰石竹図》明、16世紀、雪舟から若冲にまで影響を与えた。重要文化財
周文筆《十牛図巻》より 右から「尋牛」「見跡」「見牛」 伝 周文筆 室町時代 15世紀 相国寺
相国寺の画僧・周文が描いた《十牛図巻》では、禅や悟りを人と牛との関係にたとえ、十の過程で示した。牛の姿は「真の自己」を表し、真の自己を求める自己は牧人として描かれている。
《花鳥図》伝呂紀筆 :《花鳥図》兪増筆 いずれも中国・明時代 16世紀 相国寺
雪舟は相国寺を出たのち、明に渡って約3年を過ごし、その間、多くの中国絵画を目にした。室町時代には数々の明代絵画が相国寺にもたらされ、日本の絵師に影響を与えた。

3、92世住持・西笑承兌
第三章「『隔蓂記』の時代 ―復興の世の文化」
室町時代に文化的興隆を見せた相国寺、1467年に応仁の乱が勃発し、続いて戦国の世になると荒廃した。戦国時代以降の相国寺を復興したのは 92世住持・西笑承兌(せいしょうじょうたい)。天下人秀吉、家康のブレーンとなり外交僧として活躍、相国寺中興の祖となった。続いて1600年代、復興の相国寺に登場するのが鳳林承章(ほうりんじょうしょう)。西笑承兌の法嗣(はっす=師から仏法の奥義を伝えられた弟子)で鹿苑寺の住持を務め、75歳で亡くなるまで34年間にわたって日記『隔蓂記(かくめいき)』を書き残した。鳳林承章をめぐる風雅の時と場を再現する。
狩野派とのかかわり
『隔蓂記』の時代は江戸時代前期と重なり当時、文化の中心にいたのが文芸復興に尽くしたことで知られる後水尾(ごみずのお)天皇である。鳳林承章とは親戚関係にあり、相国寺には後水尾天皇からの寄進による作品が残されている。当時もっとも勢いのあった狩野派の作品も含まれている。京都に滞在していた探幽に鳳林自身が画絹を持参し、制作を依頼したと『隔蓂記』に記されている。
展示作品
西笑承兌墨蹟「檀忌香偈(だんきこうげ)」 西笑承兌筆 桃山時代 天正13年(1585) 相国寺
《西笑承兌像》 江戸時代 17世紀 豊光寺 ※いずれも前期展示
『隔蓂記』鳳林承章筆 江戸時代 寛永12-寛文8年(1635-1668)鹿苑寺
狩野探幽《観音猿猴図》狩野探幽・狩野尚信・狩野安信筆 江戸時代 正保2年(1645)相国寺 両側の猿がユーモラスな本作は「後水尾天皇寄進状」に記載のある作品。

4、奇想の画家・若冲を開花 第113世住持・梅荘顕常 維名周奎
第四章「新奇歓迎!古画礼讃! ―若冲が生きた時代」
若冲は京都・錦市場の青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、絵を描くことが好きだったものの、40歳まで枡屋当主として家業に励んだ。
★★★
 若冲の才能をいち早く見出し、絵の世界へ導き若冲の名を与えたのが相国寺第113世住持の梅荘顕常である。
「老子」第45章。大成は欠くるが若く、其の用は敝きず。大盈は冲(むな)しきが若く、其の用は窮(きわ)まらず。大直は屈するが若く、大巧は拙なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。燥は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正たり。
大成若缺、其用不弊、大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。淸靜爲天下正。「老子」第45章。
愚者よ、外見で無用と決める愚かさに気づけ。
梅荘は若冲に中国絵画を模写する機会を与え、さらに「若冲」という画号を授けた。近世の相国寺の文化に殷賑を極める、独特の絵画表現を完成。若冲は梅荘の尽力によって、鹿苑寺大書院を飾る襖絵50面を描くという大プロジェクトを任される。当時、若冲は44歳の無名絵師。梅荘の存在がなければ、これほどの大仕事を得られることはなかった。
★★★
「千年、具眼の士を待つ」「理解する士が現れるまで 千年のときを待つ」と言った伊藤若冲)。若冲と親交深く画家としての活動を支えたのが、詩僧として名を馳せた相国寺の僧、梅荘顕常、梅荘の弟子であった維名周奎(いめいしゅうけい)は若冲に画を学び、画僧として活躍した。若冲作品と同時に、その魅力を開花させた文化的背景を探る。
展示作品
《竹虎図》絵:伊藤若冲筆 賛:梅荘顕常筆 江戸時代 18世紀 鹿苑寺
伝李公麟「猛虎図」(朝鮮・朝鮮時代)に依拠して描かれており、虎のユーモラスな表情、猫のように拳を舐める仕草、体躯の力強い表現。虎の背後には風に揺れる竹の葉が筆勢の強い墨線で表現。梅荘顕常の賛は「いずこの竹林、長く嘯く声の中。突如もの寂しげな夕刻の風が巻き起こる」と詠む。虎嘯風生(こしょうふうしょう)の故事「虎の遠吠えが風を生む」、「英雄が出現すると天下に風雲が巻き起こる」という喩えである。若冲と梅荘は、虎が巻き起こす風をそれぞれの手法で表現した。
重要文化財《鹿苑寺大書院障壁画 一之間襖絵 葡萄小禽図》伊藤若冲筆 江戸時代 宝暦9年(1759)鹿苑寺蔵

5、近世・近代 俵屋宗達 円山応挙
第五章「未来へと育む相国寺の文化 ―”永存せよ”」
相国寺の什物は中世より伝来するものもあれば、近世や近代の寄進などの新規受入により加わったものもある。今回の展覧会では、什物の経歴や履歴という視点も重視した。現在、相国寺に集まった数々の什物は、今後も相国寺で活かされ、価値を見いだされ、永く伝えられてゆくことが期待されている。そのような近代に収集された作品群。
長谷川等伯《萩芒図屏風》(前期3/29~4/27展示)は金地着色画の大作。花を咲かせた萩が風になびく右隻、芒の茂みに野菊が顔を覗かせる左隻。シンプルで明快な構図ながら、繊細な情緒にあふれている。
円山応挙筆《七難七福図巻》より「福寿巻」江戸時代 明和5年(1768) 相国寺 ※前期・後期で場面替えあり
応挙初期の作品。天災を描く上巻、人災を描く中巻、そして福寿を描く下巻からなる大作、応挙は制作に3年を費やし、三巻の全長は39メートルに及ぶ。人の世の苦難と寿福とを絵解きするために制作された絵巻。人々が天災や大蛇から逃げまどう様子などがリアルに、時にユーモラスに描かれている。
重要文化財《蔦の細道図屏風》伝 俵屋宗達筆 烏丸光広賛 江戸時代 17世紀 相国寺 ※後期展示
『伊勢物語』より宇津の山の場面を表し、大胆な構成、金箔の地に緑青という鮮やかな色使いが目を引く。
《百鳥図》伝辺文進筆 中国・明時代 15世紀 鹿苑寺
壮大な吉祥図。中央に描かれている鳳凰は百鳥の王とされ、鳳凰が飛べば群鳥たち皆これに従うと言われてきた。金閣寺の屋根から相国寺文化圏の隆盛を長らく見守ってきたのも鳳凰である。
【孔雀明王、快慶】金剛峰寺、正治二年(1200年)。孔雀は毒を食う。三毒、貪瞋痴、むさぼること、いかること、愚痴、愚かなこと、毒を喰う、仏法を守る孔雀。円山応挙『牡丹孔雀図』1771。牡丹は花の王、仏法を守る孔雀。孔雀明王神咒経
【孔雀明王像、快慶、正治二年(1200) 金剛峯寺】後鳥羽法皇の御願で1200年に造立。孔雀の背に乗る絵画的な姿を表現。孔雀明王は人間の天敵・コブラを食べその害から守ってくれるところから無病息災の信仰を集め明王ながら菩薩の尊顔で表現される。
――
参考文献
生誕300年、若冲展・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
https://bit.ly/2FWbP7L

「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj

禅-心とかたち、東京国立博物館・・・不立文字
https://bit.ly/3IVCj7B

「栄西と建仁寺」・・・天下布武と茶会、戦国時代を生きた趣味人
https://bit.ly/2OAhnsz

妙心寺展・・・禅の空間 、近世障屏画の輝き
https://bit.ly/2OACxXq

相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・無の宗教と雪舟、若冲、円山応挙
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-57cb8d.html
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史
東京藝術大学美術館、3月29日~4月27日、後期(4/29~5/25)

2025年3月27日 (木)

美への旅、「異端の奇才——ビアズリー」、運命の女サロメの図像学、洗礼者ヨハネの図像学

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第394回
「異端の奇才——ビアズリー」が、三菱一号館美術館で開催されている。異例の予約チケット完売。ラファエロ前派、唯美主義、ロセッティを超える空前の人気である。その魅力の秘密は何か。ビアズリーの魅力は、運命の女(ファム・ファタル)の図像学、洗礼者ヨハネの図像学である。ビアズリーの生涯と作品から考察する。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』

第1章、ビアズリーの生涯と作品(1872-1898)
【ビアズリーの生涯と作品(1872-1898)】16歳、寄宿学校をやめロンドンへ。17歳、測量会社・生命保険会社で事務員として働く。19歳バーンジョーンズを訪問。美術学校夜間授業を受ける。20歳『アーサー王』挿絵を受注。22歳、英語版オスカー・ワイルド『サロメ』挿絵で時の人。23歳ワイルド男色で逮捕。『イエロー・ブック』編集長解雇。25歳肺結核、南仏マントンで死す。
【オスカー・ワイルド『サロメ』1894】ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺し妃を奪い今の座に就いた。妃の娘である王女サロメに魅せられて、目を彼女に向ける。その視線に堪えられなくなったサロメは、宴の席をはずれて、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が閉じ込められている井戸に向かう。預言者を見てしまう。
【ヨハネに恋するサロメ】そして彼に恋をする。預言者は彼女の忌まわしい生い立ちを詰る。愛を拒まれたサロメはヨカナーンに口づけすると誓う。エロドはサロメに執拗にダンスをしろと要求、何でも好きなものを褒美にとらせると約束。サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを踊り、返礼としてエロドにヨカナーンの首を所望する。
【邪悪な王エロド】エロドはヨカナーンの首をサロメにとらせる。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけ、恋を語る。これを見たエロドはサロメを殺させる。
【オスカー・ワイルド、人生と藝術の相克、唯美主義の苦悩】(1854年-1900年11月30日)1882年、唯美主義の広告塔としてアメリカ講演旅行。『幸福の王子』1888『ドリアングレイの肖像』1891『ウィンダミア卿夫人の扇』1892『英語版サロメ』1894オーブリー・ビアズリーの挿絵を出版社が採用、ビアズリーとは1年で決別。1895同性愛の罪で2年間服役。56歳フランスで死す。(1854年10月16日- 1900年11月30日)

第2章、運命の女(ファム・ファタル)の図像学、洗礼者ヨハネの図像学
運命の女(ファム・ファタル)の図像学、洗礼者ヨハネの図像学
19世紀ロマン主義、世紀末美術【運命の女(ファム・ファタル)の系譜】
ラファエロ前派は、運命の女神、運命の美女を追求する。ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』(1851-52)は、絶望のうちに溺死するヒロイン、川に流されながら歌うオフィーリアと、33歳で亡くなったエリザベスの面影が重なる。ロセッティ「プロセルピナ」(1874)は、運命の女ジェイン・モリスの人生を反映する。
ロセッティ『ムネモシュネ』『プロセルピナ』(1876-1882)、ギュスターヴ・モロー『出現』(1876オルセー美術館)、オーブリー・ビアズリー『サロメ、おまえの口に接吻(口づけ)したよ、ヨカナーン』(『ストゥーディオ』1893)、オスカー・ワイルドの英訳版『サロメ』1894
2、ルネサンスの洗礼者ヨハネからどのようにして洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメが生まれるのか
16世紀レオナルドダヴィンチのヨハネからヴェネツィア派を経て、17世紀カラヴァッジョのバロックの残虐趣味、世紀末のロマン主義へと展開した。
【洗礼者ヨハネ】レオナルドダヴィンチ『ヨハネ』1513-16、ティツィアーノと工房『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ 』1560-70、国立西洋美術館、カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネの斬首』『勝ち誇るアモール』油彩、キャンバス、ベルリン国立美術館1602年、『砂漠の洗礼者聖ヨハネ』1604、【洗礼者ヨハネの斬首】カラヴァッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』(1598年 - 1599年)「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ 」1607年、油彩、キャンバス、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」(1609年頃)マドリード王宮所蔵、『洗礼者聖ヨハネの斬首』聖ヨハネ大聖堂蔵バレッタ1608、『ゴリアテの首を持つダヴィデ』(1609年 - 1610年)ボルゲーゼ美術館、アルテミシア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』

本展監修者、河村錠一郎・一橋大学名誉教授。
【河村錠一郎『世紀末の美学』1986】ラファエル前派-世紀末耽美主義のルーツ、2人のイゾルデ-ビアズリーとワーグナー、世紀末とロマン主義-理想の挫折、象徴の美学、アール・ヌーヴォーからアール・デコへ、普遍へ飛翔するエロス。ロセッティとビアズリーとオスカー・ワイルドとワグナー。 
一橋大学「芸術と社会」研究会 https://artsandsociety.jimdofree.com/
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【主な展示作品】
オーブリー・ビアズリー《クライマックス》1893年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
オーブリー・ビアズリー《サロメの化粧Ⅱ》1907年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
オーブリー・ビアズリー《愛の鏡》1895年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
オーブリー・ビアズリー《アーサー王は、唸る怪獣に出会う》1893年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
チャールズ・リケッツ「サロメ」1925年 ブラッドフォード地区美術博物館蔵 Photo: Bradford Museums & Galleries / Bridgeman Images
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展覧会情報
【展覧会概要】
「異端の奇才——ビアズリー」三菱一号館美術館、2月15日(土)~5月11日(日)
19世紀末の欧米を騒然とさせた奇才オーブリー・ビアズリー(1872-1898)。初期から晩年までの挿絵や希少な直筆の素描、彩色されたポスターや同時代の装飾など、約220点を通じてビアズリー芸術を展覧する
『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)』との共同企画によりオーブリー・ビアズリーの歩みをたどる本展。1852年に「産業製品の博物館」として設立した『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』には、5000年にわたって人類が創造してきたあらゆる分野の作品280万点が所蔵されている。
ビアズリーの原画を擁する世界有数の国立コレクションで知られるこの博物館の全面協力を得て、ビアズリー作品150点が一挙来日、大回顧展が実現した。出世作のマロリー著『アーサー王の死』や日本でもよく知られるワイルド著『サロメ』、後期の傑作ゴーティエ著『モーパン嬢』をはじめ、約220点を通じてビアズリーの芸術を展覧する。
開催期間:2025年2月15日(土)~5月11日(日)
開催時間:10:00~18:00(祝を除く金・会期最終週平日、第2水・4月5日(土)は~20:00。入館は閉館30分前まで)
休館日:月(ただし2月24日・3月31日・4月28日・5月5日は開館)
会場:三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)
アクセス:JR東京駅から徒歩5分、地下鉄千代田線二重橋前〈丸の内〉駅から徒歩3分、JR・地下鉄有楽町駅から徒歩6分、地下鉄都営三田線日比谷駅から徒歩3分、地下鉄丸ノ内線東京駅から徒歩6分
入場料:一般2300円、大学生1300円、高校生1000円、小・中学生無料
※障害者手帳をお持ちの人は半額、その介護者1名は無料。
【問い合わせ先】ハローダイヤル☏ 050-5541-8600
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著者プロフィール 大久保正雄 哲学、美学、比較宗教学、図像学。美術評論。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』、上智大学卒、北海道大学大学院博士課程修了。
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参考文献ビアズリー
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
美への旅「異端の奇才——ビアズリー」、運命の女サロメの図像学、洗礼者ヨハネの図像学
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-100d8a.html

2025年3月24日 (月)

アグリジェント、神殿の谷・・・コンコルディア神殿、アグリジェントのクーロス

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第393回
アクラガスの哲学者エンペドクレスは、金冠を戴き、紫色の衣に金のベルトを巻いて、デルポイの花冠を携えて諸都市を巡り歩いた。魂の不死不滅、輪廻転生の思想をもち、自由と美しい魂を愛した。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、森の図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第100回アクロポリスの少女
蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
人生の目標と夢と余暇の趣味を問う人あり。詩には人類の叡智が現れる、静謐で品が善い詩を書き残す。上智は下愚に移らず。
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【アグリジェント、神殿の谷】アグリジェントはかつてアクラガスと呼ばれる古代ギリシアの植民都市だった。南東に70kmほど離れた都市ジェーラ(Gela)とロドス島からの移住者によって紀元前581年に建設されたアクラガスは、競馬の飼育で知られる富める町だった。僭主テロンが支配した最盛期(紀元前488〜472年)には人口20万人にも及ぶ大都市に発展していた(現在のアグリジェントの人口は6万人弱)。この町に生まれた哲学者エンペドクレスは、アクラガス市民は「まるで明日死ぬかのように食べ、永久に生きるかのような家を建てていた」と描写した。
紀元前406年にカルタゴ軍によって破壊されるまでは、市民は相当にゴージャスな暮らしぶりだったらしい。アグリジェント市の南部にはそうした古代都市アクラガスの栄華を感じさせるギリシア神殿群が残る。アグリジェント(Agrigento)の考古学地区、「神殿の谷(Valle dei Templi) 【アグリジェントの神殿の谷】1、コンコルディア神殿。ドーリス式神殿の中で最も保存状態の良い神殿 の一つ。1748年に復元された。2、神殿の谷で最も古い(紀元前6世紀建設)ヘラクレス神殿。3、崖の上にそびえるユノ・ラキニア神殿。4、カストレ•ポルーチェ神殿。5、ゼウス神殿
ヴィラ・アテナ・ホテル コンコルディア神殿の近くにある。
比較美術学、文化は、比較すると、特質が明晰になります。ギリシア人とイタリア人は、美に溺れる。フランス人は、性欲に溺れる。ドイツ人は、権力に溺れる。スペインじんは、情熱に溺れる。日本人は、テクニックに溺れる。精神より様式。伊藤若冲、円山応挙、。精神の美を追求する人は、国と文明を越えて、超一級。
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【アグリジェント州立考古学博物館】博物館の近くには、武骨な煉瓦造りの中世の教会と、ヘレニズム時代(古代ギリシアから古代ローマへの過渡期の時代)と思われる円形劇場の跡。1「アグリジェントの若者(クーロス)」と呼ばれる大理石像。世界でもごくわずかしかない古代ギリシア時代のオリジナル、紀元前5世紀の作。古代アグリジェント(アクラガス)の最盛期に造られた藝術品。2 ジョーヴェ(ゼウス)神殿の遺跡、ジョーヴェ神殿の列柱には、このような巨人像がはめ込まれていた全長7.6メートルの巨人像。
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【人生における目標や夢】人生の目標と夢と余暇の趣味を問う人あり。
あなたの人生における目標や夢は何ですか。仕事は何ですか。余暇には何をしますか。
仕事は『美とは何か』、人の魂を救済する『慈悲とは何か』、『至高の叡智とは何か』『真実の愛とは何か』を研究すること。
ギリシア人とイタリア人は、美に溺れる。フランス人は愛欲に溺れる。スペイン人は、情熱に溺れる。ドイツ人は、権力に溺れる。日本人は、テクニックに溺れる。
私の趣味は、美しい森と海辺を散歩すること、美しい本を読むこと、美術を見ること、著作活動すること、詩を書くこと、友人とコンサートの後、宴をすること。精神の美を探究すること。『旅する哲学者、美への旅』というブログ書いている。
余暇の仕事として「お金と地位では買えない価値とは何か」を探求すること。次の旅の目的地を研究すること。アグリジェントの神殿の谷、コンコルディア神殿、アグリジェント州立博物館。
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『比較宗教学研究』プラトン哲学と空海、哲学史、密教学、古代ギリシア語、古典サンスクリット語、美術史、図像学、多数の学問を要する。
私の夢の一つは、「真実の愛」を探求する。美しい魂を探求すること。
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参考文献
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス
「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第100回アクロポリスの少女
蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
アグリジェント、神殿の谷・・・コンコルディア神殿、アグリジェントのクーロス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-f6d967.html
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【ルネサンス復讐劇の起源】王を弟が殺人、王権を奪う、王の亡霊が真実を告げる、王子ハムレットが復讐を誓う、劇中劇で真実を解明、権力の相続争い、王妃の不義密通、一族の殺し合い、王家舞台の殺人。シェイクスピア『ハムレット』の原型
【セネカ『テュエステス』】源泉はギリシア悲劇アトレウス王家、兄アトレウスと弟テュエステス、テュエステスがミケナイ王になったという知らせを聞いたアトレウスの息子アガメムノンは、スパルタ王デュンダレオスの力を借りるためスパルタへやってきた(『アガメムノン』)。【アトレウス王家5世代の殺戮】1・タンタロス · 2・ペロプスとニオベー · 3・アトレウスとテュエステス · 4・アガメムノン · 5・エレクトラとオレステス. その後のオレステスはクリュタイムネストラに復讐、アガメムノンの雪辱を晴らす。
【アトレウスは弟に復讐、テュエステスに食わせた】(アポロドロス)『摘要第2章』アトレウスは、妻が弟テュエステスと姦通したのを知り、テュエステスの3人の児をひそかに殺しその身体を煮て、テュエステスに食わせた。
【なぜ、弟は兄に謀反し殺害するのか】『ハムレット』レイアティーズ、ハムレットの父を殺し、ガートルードと姦通する。『テュエステス』テュエステスはミュケナイの王位をめぐり、姦通と偽誓によって兄であるアトレウスを陥れ、アトレウスは妻と姦通したテュエステスを許すことができず、和解と称して呼び戻し、テュエステスの子供たちを殺してテュエステスの食卓に饗した。テュエステスは喜んで食べ尽し、アトレウスの悪行のために太陽は進路を変えた。
【なぜ、弟は兄に謀反、復讐されるのか】『テンペスト』プロスペローはミラノ大公であったが、学問に没頭、弟アントニオに公爵位を奪われる。弟はナポリ王アロンゾに臣従し兄と娘ミランダを孤島に島流し。12年孤島籠城の兄はナポリ王と弟一行の船を魔術で難破させる。
――
『トロイ』(2004年 監督ウォルフガング・ぺーターゼン 主演ブラッド・ピット)
トロイとスパルタの間で和平が結ばれた宴の席で、トロイの王子パリスはスパルタの王妃ヘレン(ダイアン・クルーガー)と恋に落ち、二人は駆け落ちしてトロイの城に戻る。スパルタの王メネラオスは激怒して兄アガメヌノンに訴える。アガメムノンはトロイを征服する絶好の機会だと考え、ギリシアの大軍を率いてトロイに侵攻。勇者アキレス(ブラッド・ピット)は気が進まなかったが親友オデュッセウスの勧めもあり、従兄弟パトロクロスと共にギリシア軍の戦闘に立って戦う…。
 ギリシア神話の中に登場する「トロイ戦争」。神話や叙事詩上のストーリーであって現実の世界ではなく、登場人物(ギリシア神話に馴染みない人間には固有名詞がややこしい)もまた神々や英雄なのだが、本作は彼等を「人間」として描いている。『Uボート』(81)で注目され、ハリウッドに迎えられてからは商業映画のヒットメイカーとした活躍したドイツ人監督ウォルフガング・ペーターゼン(去年逝去)が監督を担当しブラッド・ピットが主役を務めた。オールスターキャストでエリック・バナ、オーランド・ブルーム、大ベテランのピーター・オトゥール他の出演。ヒロインのダイアン・クルーガーは『イングロリアス・バスターズ』(08)でもブラッド・ピットと共演。
 最初の戦いはアキレスらの活躍によりギリシア軍優勢。パリスの従姉妹ブリセイスはアキレスに囚われ本来奴隷にされる所だが、やがてアキレスに惹かれていく。それに怒ったアガメヌノンとアキレス間は険間になり、アキレスは次の戦いに参戦しない事を決意。パリスは民衆を戦いに巻き込まない為メネラオスとの一騎打ちで決着つけようとする。しかし戦闘経験が少ないパリスはメネラオスの敵でなく、劣勢に立たされた弟を見兼ねて兄ヘクトル(エリック・バナ)が助太刀してメネラオスを殺した。これによってギリシア軍とトロイとの全面戦争は避けられない物に。戦功を挙げる好機なのに腰を挙げないアキレスに痺れを切らしたパトロクロスは…。
 有名な「トロイの木馬」シーンは登場するけど、他は本作オリジナルのシチュエーションらしい。スパルタ王妃とトロイ王子の不倫関係が全面戦争に発展するのは確かに分かり易いが、スぺクタル史劇の割には安ぽいな…と思わぬでもない。戦争と愛が対立構造で描かれており、前述の不倫愛のみならず兄弟愛、普通の男女愛、従兄弟同士の同性愛?がフィーチャー。誰にも支配されず自分を貫くアキレスのキャラは立っているけど、ラストシーンの凡庸さには呆れてしまった。神話ではなく人間ドラマにするとこんなになっちゃった…という事になるのかもしれないが、ブラッド・ピット目当てに観た人は絶対ガッカリする。ヒット作だが面白くない。
作品評価
(ブラッド・ピットは本心から出演したのではないのでは…という疑問符が公開当時に出ていたらしいが、俺も同感だ。彼だけは人間ではなく伝説的なスーパーヒーローとして描いた方がベターだったのでは? ダイアン・クルーガーとの再共演はブラット・ピットの希望だった?)『原達也の映画日誌2025』
――

2025年3月15日 (土)

生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第392回

リアス式海岸の断崖と入り江の港町を数々越えて、ダリのポルト・リガトの岬町へ。
横須賀美術館、観音崎へ。横浜から京浜急行線特急で堀ノ内乗り換え、馬堀海岸からバスで、観音崎へ行く。
魔術的写実主義、サルバドール・ダリ、魔術的写実主義、サルバドール・ダリ。
【シュルレアリスムの図像学】デ・キリコ「ある秋の午後の謎」1910「通りの神秘と憂鬱」「イタリア広場」(1914年)、ダリ『記憶の固執』1931、ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」1944、『記憶の固執の崩壊』1954、ルネ・マグリット『大家族』1963、ルイーズ・ブルジョワ『ママン』1999・2002
【シュルレアリスム100年】『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』アンドレ・ブルトン1924から始まる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
魔術的写実主義、サルバドール・ダリSalvador Dali(1904-89)の生涯と藝術
サルバドール・ダリ(1904-89)の生涯
【サルヴァドール・ダリSalvador Dali 生涯】
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで生まれる。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学、詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、映画監督ルイス・ブニュエルと知り合う。1929年、パリに赴き、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得る。1931年27歳の時、『記憶の固執』を描き、生涯の最高傑作となる。1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。
【ダリ、シュルレアリスムとの出会い】シュルレアリスムの代表的なアーティスト、絶大な人気を誇るサルバドール・ダリ。スペイン・フィゲラス出身のダリは1929年パリでミロの紹介でアンドレ・ブルトンに会い、29年夏カダケスにシュールレアリストたちポール・エリュアール夫妻、ルネ・マグリット夫妻の訪問を受ける。1934年アンドレ・ブルトンと離れる。1934年ガラと入籍、アメリカで見聞を広げ、39年ニューヨーク万博でパビリオン展示。人生の後半は生まれ故郷で愛妻のガラとともに多数の作品を制作した。
【ダリとガラ、ガラは雌カマキリ】ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934。
――
サルバドール・ダリ(1904-89)の藝術
魔術的写実主義【サルバドール・ダリ(1904-89)】『記憶の固執』1931、『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、『ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』1936『ナルシスの変貌』37『燃えるキリン』37『ヴィーナスの夢』1939『聖アントニウスの誘惑』46『ビキニの3つのスフィンクス』1947、『記憶の固執の崩壊』1954、「テトゥアンの大会戦」1962、『引き出しのあるミロのヴィーナス』1936『夜のメクラグモ 希望』40『焼いたベーコンのある自画像』41『象』1948『ポルト・リガトの聖母』1950『MeltingWatch溶けた時計』54、『大惨事シリーズ(Série des catastrophes)《ツバメの尾》』1979【初期ダリ】『窓辺の少女』1925『陰鬱な遊戯』29『不可視のライオン』1930『降りてくる夜の影』1931
ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、大野方子(諸橋近代美術館学芸課長)に聞いたところ、この作品はアメリカにあるとのことである。
――
【『記憶の固執』1931】
ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
【『ヴィーナスの夢』1939】
《ヴィーナスの夢》1939年ニューヨーク万博で制作したパビリオンの内壁を飾るために制作された代表作。パビリオンの正面にボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』1485の複製が展示されていた。柔らかい時計や燃えるキリン、引き出しのある人物、焼けたベーコンなどダリのシンボリック・イメージと言えるモチーフが集結、揃い踏みである。
――
展示作品の一部
《ビキニの3つのスフィンクス》1947、公益財団法人諸橋近代美術館蔵
ダリ「ヴィーナスの夢」1939、(Salvador Dali、1904-1989『ヴィーナスの夢』(The Dream of Venus)広島県立美術館蔵
サルバドール・ダリ《ダンス:セブン・ライブリー・アーツより》1957 年頃、公益財団法人諸橋近代美術館蔵 コピーライトSalvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2024 B0824
サルバドール・ダリ《アン・ウッドワードの肖像》1953年 公益財団法人諸橋近代美術館蔵 コピーライトSalvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2024 B0802
フィリップ・ハルスマン 《サルバドール・ダリ》 1954年
Photo by Philippe Halsmanコピーライト Philippe Halsman Archive Image Rights of Salvador Dali reserved: Fundacio Gala-Salvador Dalí Figueres
シュルレアリスム宣言 100 年
――
参考作品
ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934
ダリ「テトゥアンの大会戦」1962、諸橋近代美術館
――
開催概要
サルバドール・ダリ(1904-89)の生誕 120 周年、シュルレアリスム宣言 100 年の記念すべき節目に開催する本展は、世界屈指のダリ・コレクションを形成する諸橋近代美術館の所蔵品を中心にダリの生涯を概観し、ダリの渡米以降の活動にも注目します。 ダリが私たち観衆に魅せた「シュルレアリスト・ダリ」とその背景にある「人間・ダリ」の複雑で繊細な内面を探り、世界中で愛されているサルバドール・ダリがいかなる芸術家であったのか、油彩、 素描、版画、彫刻のほか、ミロやマグリットなどシュルレアリスムの作家の作品群など約 120 点により明らかにいたします。 
会場:横須賀美術館(神奈川県横須賀市鴨居4-1)
会期:2月8日(土)~4月6日(日)
講演会「天才サルバドール・ダリの秘密」大野方子(公益財団法人 諸橋近代美術館学芸課長)2025 年2月8日(土) 14:00~15:30(終了予定)
https://www.yokosuka-moa.jp/archive/event/2025/2025
――
参考文献
生誕100年記念 ダリ回顧展 Salvador Dalí Centennial Retrospective図録、朝日新聞社、上野の森美術館、2006
絶世の美女、憂愁の王妃、強欲な魔女、才色兼備の美女、ゾフィア・ドロテア、ガラ、クレオパトラ7世・・・美と復讐第3巻
https://bit.ly/3bA0oAw
ダリ『記憶の固執』、『記憶の固執の崩壊』・・・スペインの荒涼とした大地、記憶の迷路
https://bit.ly/2PtGnyk
シュルレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
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著者プロフィール 大久保正雄 哲学、美学、比較宗教学、図像学。美術評論。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』

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